< 14 >
ブラッドとの結婚式を二日後に控えた夜、私は初めて悪阻を経験した。
料理の匂いに吐き気がする。
大好きな肉料理が受け付けない。
――ああああぁぁぁ!! 肉が食べたいのに無理!!!
本日の夕食は肉汁たっぷりのヒレステーキだったのだ。
悪阻のせいで半分も食べられなかったのが悔やまれる。
アーネストの時は妊娠七か月目に、自分の食欲が抑えられないといった理由がきっかけで、私は自分が妊娠している事を知った。
今回は妊娠初期――二か月目で悪阻の症状が出た事により、妊娠に気づけたのである。
「まあまあまあ!! ブラッド、でかしたわ。これで二人目の孫ね!」
私が悪阻でぐったりしている傍で、ブラッドの母親であるエスメラルダ夫人は満面の笑顔だ。
その隣にいる祖母であるマーセイディズ大公夫人が頷く。
現在の私がいる場所は、家族団欒で過ごすサロンの一室。
広さで言えば凡そ二十畳くらい。
この場は午後にお茶を飲んだり、夕食後に一家揃って団欒を楽しむ部屋である。
四人掛けのソファが三つ、二人掛けのソファが四つ、それに一人用ソファが八つ。テーブルは四人掛け用のソファに一つずつ。
円形の小さなテーブルが二人掛けソファに左右配置。
一人用のソファの傍には、カウンターのような台が置かれているので、それぞれ好きな場所に座るのが暗黙の了解らしい。
私は四人掛けソファの上に、ブラッドの膝に頭を乗せて横になった状態でいる。
そして私の膝には寝落ちしているアーネスト、その傍にブランシェが寄り添った形だ。
ブラッドは二人の弟から、「兄上、おめでとう」と祝福の言葉を受けている。
『アンジェリア、次の子も男の子よ』
ブランシェの言葉に、一同が振り返った。
「聖獣様、もう性別がお分かりに?」
『当然だわ。わたくしは魔力を感じれるのよ? その魔力の持ち主の性別くらい簡単に見分けられるわ』
「アーネストの時には何も言ってなかったのに……」
『あら、それは貴方に聞かれなかったのだもの。もしかしてアーネストの時も、アンジェリアは性別を知りたかったのかしら?』
「当たり前じゃない……予め性別を知っていたら準備が楽だったと思う」
生まれるまで男女どちらか分からないと、産着や布団といった物の色を選ぶのに迷う。
それこそ男女兼用ではないが、どちらでも大丈夫そうな色合いを選びがちになる。
無難なのは黄色やクリーム系といった色合いだろうか。
ブルーやグリーンは淡い色合いでも、男の子の色になってしまう。
赤系の色合いは、女の子の色といった感じである。
――あくまで私個人の認識ではあるが。
それにしても妊娠が結婚式の二日前に分かってホッとした。
この時期なら体形も変わらず、ドレスの直しが不要になる。
花嫁衣裳のドレスのデザインは、体のラインがくっきり出るマーメイドタイプのドレスなのだ。
純白のドレスではなく、下地の生地は紫がかった無地の濃紺。その上に花をモチーフにした青銀色のレースが、無地の生地と二重になっている。
花嫁のヴェールもドレスに重なっているレースと同じ色と柄。
ブラッドが着用する花婿の衣装も、花嫁衣装とお揃い。
無地の濃紺にレースが二重となったフロックコートにクラバット。中のブラウスは白。フロックコートから覗くベストとスラックスは、光沢のある無地の濃紺。
ブラッドがサイズ調整の時に着ていたのを、私がこっそり盗み見をしたのだ。
とても似合っていてドキドキしたのは内緒である。
――そもそもブラッドの礼服姿を見る機会が少ない!
普段の彼はラフなチュニック姿か、シャツにベストを重ねた姿くらい。
騎士服を着ている所も見せてくれないのだ。
――普段のラフなブラッドの格好も良いけどね!
たまにはビシッと決めた格好をした、ブラッドの余所行きな姿を見たいのである。
きっと――いや、確実に惚れ直す自信はあると、私は断言できるだろう。
ここまで誰かを好きになった事はない。
この世界で私の意識が目覚めたのは奇跡だと思う。良い事尽くしで、幸運を使い果たした気分だ。
「次も男児が生まれるのであれば、アシュベリー公爵家は安泰だな」
ウィルフレッド大公が、ブラッドの肩をばしばしと叩きながら喜びを露わにする。
この世界では男児の誕生が望ましいらしい。
後継者が男性でなければならないという法律はないけれど、女性よりも男性の方が当主として好ましいようだ。
――男尊女卑ではないけど、女性当主だと侮られるという意味だろうか?
日本も男女平等を声高にしているが、実際は男女差別の社会というのが正しい。
普段は男女平等を主張しているくせに、給料や社会的な立場に男女の区別が仕切られている。
それだけではなく、男性だから女性に対して責任を持つとか。女性だから家事と育児をするのが当然といった風潮は、古来より変わっていない。
そもそも平等と謳っているのだから、トイレや更衣室に銭湯も男女に分けるのはおかしいと思わないのか?
婚活パーティも同様の事が言える。
男性会員の登録料は高いのに、女性会員の登録料が低いのは何故なのか?
電車の女性専用も同じ事だろう。
平等と謳うなら、そういった区別をするのは間違っている。
そんなに男女平等でいたいものだろうか?
――そこまで平等に拘らなくても良いと思うんだけどね。
きちんと男女の区別をすれば良いだけだ。平等の意味を理解していないから、都合が悪くなれば互いに主張をする。「男だから」とか「女だから」と訴えている段階で、互いに矛盾している事に気づかない。
この世界では、そういった矛盾がない所は物凄く良いと思う。
――何よりも自分で働いて得た収入は、国から「税金」という名の搾取で奪われない!
これだけで生きる活力になるよね。
私が悪阻のせいで日本の悪い部分を思い出している間に、アシュベリー家の人々が意見を言い合っていた。
第二子を妊娠している事を伏せておく話だったり、子の名前について討論している人もいる。
どうやら、クリフォードという名前が有力候補になったらしい。
「安定期に入るまでは公にしないでおきましょう」
そして流産しやすい時期が過ぎるまで、私の妊娠は伏せられる事になった。
サンドイッチ店の営業は、当分の間は休業になるらしい。
二日後に結婚式を挙げるのだから、店を休業しなければならない理由の一つ。
ブルックス帝国では、結婚式を挙げた新婚夫婦は蜜月期間を設けるので、大体二週間から一月は蜜月休暇を理由に仕事を休むようだ。
ほとんどの新婚夫婦は旅行へ出向いたり、別邸で二人きりの時間を過ごすのが定番とのこと。
――のんびり過ごすのも良いけど、逆に暇を持て余しそう。
それよりも悪阻だ。
この最悪な気分が取り払われないと、楽しく過ごせないのでは?
薬師のビショップさんに悪阻が軽減するようなものを相談しておこう。
一応、アシュベリー公爵家の専属医師は存在しているのだが、あまりそういうのに詳しくなさそうなのが心許ない。
この世界の医師は思っていたのと違っていて、正直とても残念である。
『それから、貴方――スカーレットだったかしら? 貴方も身籠っているようね。性別は必要かしら?』
ブランシェがスカーレットの方へ視線を向けた。
どうやらスカーレットも妊娠しているようだ。
ブランシェに告げられたスカーレットは、驚きのあまり目を見開く。
「え? わたくしも懐妊?」
信じられないと呟きながらも、スカーレットは自分の腹部に手を添えていた。
ブラッドを囲んでいたアーチボルドが、ブランシェの言葉を聞いてスカーレットの傍へ駆け寄る。
その勢いのまま彼女を腕に抱き、彼は喜びを表すように声を上げた。
二人が結婚してから二年が経つらしい。
一向に懐妊の兆しがなく、二人は落ち込んでいたようだ。
「スカーレット、ついに俺たちにも子が出来る! 聞いたか、兄上。念願の子が出来た」
ようやく授かった子に、アーチボルドは喜びが隠せないらしい。
スカーレットも同じ気持ちなのだろう。
彼女は無言であるが表情が語っている。
「聖獣様、どちらですか?」
スカーレットが妊娠していると聞いたばかりなのに、アーチボルドは一刻も早く生まれてくる子の性別が知りたいようだ。
『ふふふ、アーチボルドもせっかちなのね。貴方たちの子は女の子よ。それもかなり魔力が強い子だわ』
「ああ! 生まれてくるのが楽しみだ!!」
「アーチボルド、おめでとう」
「兄上には先を越されましたけど、これで俺も父親になる」
「まあ、女の子!! アシュベリー家で女の子が誕生するのは珍しい事だわ。盛大なお祝いをしなくては!」
「十数代前に一人だけ生まれた記録があったな」
ウィルフレッド大公が苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。
それに対し、ファーディナンド公爵も同意するように頷く。
ブランシェが怒りを露わに、長い尻尾をぶんぶんとソファの背を叩きつけるように振っていた。
猫は怒ると尻尾を激しく振る。
聖獣とはいえブランシェの姿が猫型なので、一般的な猫と同じような行動を取っているから、強ち間違いではないはず。
『当時の下衆な男に、わたくしの癒しの娘が奪われたのよ。わたくしは反対したのよ? 勿論、当時の当主も反対したわ。下衆な男に嫁ぐより、縁戚の者と一緒になった方が幸せになれるって……最終的に下衆な男が権力を振りかざして、此方側から縁談を断れなくしたのも理由の一つだけれど』
ブランシェが告げる下衆な男というのは、当時の皇帝陛下の事らしい。
私もアシュベリー家の歴史を学んだので、その事を知っている。
十数代前の当主の時代――男系の血筋であるアシュベリー家に、青銀色の髪と紫紺色の瞳を持つ娘が誕生した。娘が誕生する前に、既に男児が四人も存在していたらしい。
末っ子として生まれた妹を兄たちは大切にし、四人の兄たちは妹を守る盾や剣といった存在。
兄に守られてすくすくと育った妹は、やがて年頃となって社交界デビューを果たす。
そのデビュタントでアシュベリー家の末娘を見初めたのは、当時の皇太子だったらしい。
あの手この手で末娘を口説き落とそうとする。
しかし、末娘には気になる相手が存在していたようだ。
アシュベリー家の分家筋に当たる侯爵家の次男。
二人は幼馴染で四人の兄とも親しい間柄だった。アシュベリー家の人間は勿論、誰もが二人は結婚するものだと思っていたらしい。
二人の間に横やりを入れたのが、その皇太子である。
侯爵家の次男とアシュベリー家の唯一の末娘との仲を、皇太子は嫉妬して自分の立場と権力を使い、侯爵家の冤罪をでっちあげて一族全員を極刑にしたのだ。
それだけではなく、本家のアシュベリー家にも罪をなすりつけると暴言を吐く。
末娘は愛する人を失っただけではなく、自分の家族まで失うのは耐えられない。
自ら皇太子と結婚すると家族を説得して、その皇太子と結婚して皇后陛下となったけれど――実は、皇帝陛下になった男は先皇后陛下が不貞して出来た子だった。
それが露見するや否や、皇帝陛下は皇族の血筋ではない理由で大罪人となる。
彼の妻となった末娘も道連れに極刑となってしまった。
ブランシェが告げる下衆な男とは、先皇后陛下が托卵した子という理由だけではない。その立場が偽りだったとはいえ、皇族という権力を使って、何の罪もないアシュベリー家の分家筋を殺害した事を指す。
アシュベリーの魔力を糧としているブランシェには、許せない事だったのだろう。
ブランシェにとって、その末娘は癒しの存在だった。
その男のせいでブランシェの癒しの存在まで道連れとなったのだから、余計に腹立だしいのかもしれない。
『あの子はアシュベリーの奇跡だったのよ。下衆男が奪って良い存在じゃなかったわ。それに縁戚の者の方が、あの子を大切に愛しんでいたの。思い出しても腹立だしいわ!』
ブランシェがぷんすか怒っていても、メインクーンの姿では可愛らしいだけだ。
『そうだわ、マーガレット! あの子の魔力に近しいのだから、名前はマーガレットが良いわ!』
「聖獣様が名前を決めて下さるんですか?」
ブランシェが名を決めた事に、アーチボルドが感動している。
――ブランシェはアシュベリー家にとって、神に近しい尊い存在だしね。
『いいえ、おそらく魔力が似ているから、マーガレットの生まれ変わりね。今度こそ幸せになって欲しいわ』
スカーレットの腹部を眺めながら、ブランシェが告げる。
その魔力に覚えがあるような口調だ。
まだ生まれてもいない私の子の名前が確定に近い状態なのに。
それに続いて、アーチボルドとスカーレットの子の名前まで決まったらしい。
「アーネに、おとうとできりゅの?」
私の膝で寝落ちしていたはずのアーネストが、いつの間にかむっくりと起き上がっていた。
それに気づいたブラッドが、アーネストを軽々と抱き上げて自分の肩に乗せる。
幼い息子を肩車するイケメン!!
二人を見て興奮していたら、うっかり血圧が上がってしまい、私は再び悪阻で気分が悪くなってしまうというオチである。
明日起きたらビショップさんの所へ行って、悪阻に効果がある薬草茶を調合して貰おう。
そして――いよいよ結婚式当日。
領都アスカムにある大神殿での結婚式。
アシュベリー公爵家の嫡男ブラッドフォードと、オルコット伯爵家の養女アンジェリアの結婚式を、この地に住む領民と観光客が一目でも見たいと、大神殿の前にはかつてない程の人だかりが出来ていた。
大神殿の中には身内の者しか入れない。
ブルックス帝国の中でも、古い歴史を持つアシュベリー公爵家の結婚式。
それだけで観衆が殺到する十分な理由だろう。
しかし――その結婚式の全貌は、代々身内と親しい間柄の者以外、決して立ち会う事は出来ない厳かなものだった。
私とブラッドが並んで立つ正面には、ブラッドフォードの家紋らしきものと、聖獣の姿のタペストリーが見える。猫型と狼型、それに兎型と鳥型といった数体の聖獣の姿が描かれていた。
そしてステンドグラスから差し込む光――この世のものとは思えない美しい光景。
私は本日よりブラッド――ブラッドフォードと愛を誓い、彼の妻となる。
神聖な場所で永遠の愛を誓う。
私は今日の事は絶対に忘れないだろう。




