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私はアシュベリー公爵家の分家筋であるオルコット伯爵家の養女となった。
ブラッドから聞いた話で、私の存在は亡き者。
バントック王国では三年前に変死――私は魔獣に食い散らかされた形で発見され、既に死亡届けと葬儀が完了済みらしい。
私の身元はブルックス帝国の冒険者ギルドに登録された、アンジェリアという名前のみである。
アシュベリー公爵家の当主の妻になるなら、貴族令嬢としての身分が必要だ。
そういった事情により、私はオルコット伯爵家の養女となり、再び貴族令嬢の立場を得る。
私は義理家族になった人たちと特に顔合わせもなく、事務的な書類上の手続きのみ。オルコット伯爵家の人間とは、そのうち顔を合わせる機会があった時に、改めて挨拶する事になるだろう。
それに――偶然なのだが、オルコット伯爵家は銀髪と薄紫色の瞳を持つ家系だった。
私の青みがかった紫色の目とは微妙に違うが、傍から見れば区別がつかない程度らしい。
――こういう時、髪と目の色は重要なんだなぁ。
遠縁の娘を養女に迎え入れたと言っても、周囲に違和感を感じさせない。
おまけに私の生い立ちというものが、実話と捏造の半々で作られた。
先代のオルコット伯爵は、四人の子を儲けている。男児は嫡男一人しか誕生しなかったけれど、娘は三人――その末娘が他国へ嫁いでいた。
私は他国へ嫁いだ先代の娘の子供――孫娘という形らしい。
生まれつき病弱だった為、ブルックス帝国へは静養の為に訪れ、そのまま伯父夫婦の養女として引き取られる事になった。
そしてブラッドと知り合い、二人は逢瀬を繰り返していくうちに親睦を深めていく。
ちょうど同じ時期に、ブラッドはアンジェリアの純潔を散らした事で結婚を決意していたのだ。バントック王国から魔法便を送り、アンジェリアを迎える準備を始めていたらしい。
ようやく結婚する気になった嫡男に、アシュベリー公爵は先走って知り合いの貴族に告知してしまったようだ。
一部の貴族の人間はブラッドの結婚を知ったが、肝心の結婚式の招待状が届かない事を不思議に思っていたらしい。そこで私の虚弱体質という設定が必要になる。
ずっと体調が芳しくなく、結婚式を挙げる体力がない。
おまけにブラッドの子を身籠っている。
アシュベリー公爵家の血を受け継ぐ子なのだから、無事に子が産まれるまで存在を隠す。
それがまかり通るのが貴族社会――しかも皇族より、公爵家は太古の時代から続く歴史を持つ由緒正しい家系。
それこそ皇族よりも、アシュベリー公爵家の方が立場は上である。周囲を黙らせるには十分な地位だろう。
二年前に無事アーネストが誕生するも、母体は産後の肥立ちが悪く臥せっている状態が続く。
しかし最近になって少しずつ、私の体力が回復しているといった話に持っていくらしい。
私の病弱設定以外は、ほぼ事実に基づいている内容なので真実味が増す。
――さすが貴族って感じ。考える事が一般人と違う。
何はともあれ――ようやくブラッドの結婚式が決まったと、領都アスカムでは盛り上がっているようだ。
これまで結婚の意思を示さなかった嫡男の結婚式である。
おまけにアーネストの存在は周知され、ブラッドだけに留まらず――余程ひ孫を自慢したいのか、ウィルフレッド大公がデレデレした顔で連れ歩いているらしい。
アスクウィス冒険者都市では、私がアーネストを産んだ事を知っている人間は限られている。
アーネストはブランシェが子守をし、私は単独で動く事が多かった。店の常連客でも、私が妊娠していた事に気づいている人は皆無だろう。
臨月間近になっても、私のお腹は妊婦に見えない状態だったのだ。お腹が大きくなる事はなく、傍目からは「少しふっくらした?」といった認識である。
アーネストを出産した直後は、さすがに体調も芳しくなくて、約二月ほど臨時休業してしまったけれど。
その間、ブランシェが大活躍してくれた。
聖獣にも母性があるのだと感動したのである。
アーネストにとっての母親は、私とブランシェの二人。
現在、アーネストはアシュベリー公爵家に移り住んでいる。
私は店の営業を週二日に減らし、残りの週四日はアシュベリー公爵家に泊まり込んで、分刻みの花嫁修業。
以前と比べて、アーネストとゆっくり過ごせない。
アシュベリー公爵家には大人の女性が三人もいるので、アーネストも寂しくはないだろう。
当然だが、ブランシェはアーネストにくっついている。あれほど領都アスカムを避けていたのに。
――――というより、三歳だったブラッドに尻尾を掴まれた事で、ブランシェはブラッドから身を隠していたはずだ。それが現在は当たり前のように、彼と同居している。
これはアーネストが理由なのだろう。
ブランシェはアシュベリー公爵家の血筋を持つ人間の魔力が活力らしい。おそらく人間に例えるなら、ブランシェにとって魔力は主食といったもの。
人間の食事は、彼女にとって別腹に過ぎない。
――つか、逆に私の方が寂しい思いをしている!
それに花嫁修業というけれど、なかなかにハードルが高い。
まず言葉の言い回し。
それから礼儀作法――頭に分厚い本を乗っけて姿勢を正して歩くヤツ!
それとダンス!!
私のダンス経験は小中学校時代に体育の授業で教わったフォークダンスのみ。
もう思い出せないほど遥か昔の事なので、ダンス経験がない状態である。
こういったストレスを発散させる為に、私はアーネストの為にクロワッサンとバターロールを量産していく。
まだ二歳児には、バゲットやバタールといったハード系のパンは厳しい。
アーネストはブランシェが好んで食べているクロワッサンか、幼児でも食べやすいバターロールを口にしていた。
それ以外だと、キッシュとミートパイを好んで食べている。
私が作ったパンは、アーネストのリュック型アイテムボックスへ常に補充といった状態だ。
アーネストは生まれてから一度も、黒パンを始めライ麦パンやカンパーニュを食べた事がない。もの心ついた頃からクロワッサンやバターロール、日本では定番の四角い食パンを口にしている。
おやつも私の手作りがメイン。
この世界の料理に馴染みがない分、アーネストの口に合わない可能性が高いのだ。
アシュベリー公爵家の料理人に迷惑をかけないように、アーネストのリュック型アイテムボックスへ、常に食べ物を補充するのを忘れない。
私の調理法は独特で、この快適な厨房でしか作りたくないのだ。
元は老夫婦が雑貨店を営んでいた店舗だったので、雑貨を作る工房というか作業部屋があるのみ。店内も商品を置く為に広いスペースだった為、店内のスペースを最小限に縮小。
元作業部屋を更に広くして、理想の厨房に作り替えたのだ。
それも日本で憧れていたアイランドキッチン!
何となく朧気に覚えているイメージだ。
賃貸サイトで間取りの写真を見た程度の記憶のみ。
私は実物のアイランドキッチンや、システムキッチンを見た事がない。
広い調理台と食材を置いたり、下ごしらえをする作業台。
それに流し台が二か所。
この世界に氷室しか存在していなかったので、業務用のように大きな冷蔵庫と冷凍庫を作った。冷蔵庫の方は料理や飲み物を冷やすのが目的である。
主にゼリーやババロアといった菓子類がメイン。
飲み物は果実水とワイン類。
当然だが冷凍庫は瞬間冷凍。
氷製造機まで搭載した、現代の万能な冷凍室をパクった。
冷蔵庫と冷凍庫は別々に作って、二台並べて配置している。どちらも業務用をモデルにしているので扉は両開き。
調理器具も手に取りやすい配置に置き、パンを焼くオーブンも業務仕様である。パン屋にあるような、大量に焼けるタイプのもの。
それから電子レンジ代わりの魔道具に、火力が自在に調整できる六口のコンロ台。
なかなかに拘り抜いた厨房は、私にとって快適な空間になった。
「大変! もうこんな時間」
私は慌ててバスケットの中へ、作ったばかりのサンドイッチを詰め込む。
これは冒険者ギルドのギルド長が注文したもの。
週二日に営業日を減らしてしまったので、五日分のサンドイッチを大量注文される結果となった。
ローストビーフサンド百個、ベーコンサンド百個、ミートパイ十個、フライドポテト十個、オニオンリング五個、ハーフ三個。
合計で銀貨十枚の売り上げとなる。
実際は銀貨十枚と銅貨一枚なのだが、銅貨一枚分はサービスとして端数切捨て。
冒険者ギルドへ届けた後、その足でエイマーズさんの所にも配達する予定だ。
エイマーズさんも注文量が増え、ローストビーフサンド二十五個、ベーコンサンド十個、フライドポテトとオニオンリングが五個ずつ。それからミートパイが十個である。
此方も銀貨二枚と銅貨五十枚の売り上げ。
ギルド長とエイマーズさん二人の注文があれば、店の売り上げが成り立つ。
冒険者ギルドの地下にある酒場には、黒パンの形状と似ているプールの作り方を伝授しておいた。
本来の形は半円のカンパーニュに似ているが、料理長が作り慣れている形状は黒パン。
材料に差はあるが形状が作り慣れているものだから、割とスムーズに覚えたらしい。
それとフライドポテトと、チーズ焼きも教えている。
酒場では昼間の時間帯はプールを目当てに客足が増え、夜はフライドポテトとチーズ焼きが酒のツマミとして人気が出ているようだ。
料理長から他にも料理のアイデアが浮かんだら、是非それを教えて欲しいと言われている。
私は冒険者ギルドの二階にある、ギルド長室のドアの前に立つ。
転移魔法で一瞬で到着だ。
「ギルド長、お待たせ致しました。こちらが注文して下さったサンドイッチです。それとギルド長には大量注文して頂いているので、焼き菓子は休憩の時に食べて下さい」
ギルド長室にあるテーブルの上にバスケットを置く。
「甘い菓子か?」
「甘さは控えめですね。それとナッツを砕いて生地に練り込んで焼きました。甘いと言うより、香ばしいタイプですかね?」
私は甘いものより、塩味のあるタイプの方が好き。
甘いお菓子も嫌いではないが、あまり多くは食べられない。
その中でも、氷菓子や水菓子は大好物である。
焼き菓子とケーキ類、ジャム類や生クリームたっぷりの菓子類が苦手なのだ。
――お米があれば米菓子が作れるのに!
今回ギルド長に用意した焼き菓子は、ナッツぎっしりの香ばしくて甘さ控えめ。
私でも食べやすいタイプ。
「そうか、お茶の時間が楽しみだ。それと――店は今後も続けていくのか?」
ギルド長の実家は、アシュベリー公爵家の縁戚に当たるエーディ伯爵家。
おそらく家同士の繋がりで、ギルド長は私の事情を知っている。
ブラッドと正式に結婚したら、私に自由時間はあるのだろうか。
週三日はブラッドが私の家に泊まり込むようになって――って、今はそんな事を思い出している場合じゃない。
彼と結婚したら、私は公爵夫人。
マーセイディズ大公夫人とエスメラルダ夫人から、アシュベリー公爵家の歴史と公爵夫人としての教育を受けている最中なのだ。
別の教師には宮廷作法とダンス。
社交の場は夫人二人と、アーチボルドの妻スカーレットが担ってくれるらしい。
――私は病弱設定だからね!
現状でこの先の事は未定のまま。
「私は続けていきたんですが、どうなるか分かりません。今は週二日に減ったとはいえ、店の営業が出来ているので」
「んん――アンジェリアのパンが食べられなくなるのは痛手だなぁ」
店を開店する前に、商品の試作品として試食して貰ったのが始まり。
今では大口のお得意様である。
ギルド長が注文してくれる数は、勿論ギルド職員の昼食の分も入っているが、ほぼ彼自身の分だった。
「そうですね……最悪の事態を考えて策を練っておきます」
今は私しかローストビーフサンドとベーコンサンドが作れない状態である。
ベーコンは手作業だと時間のかかる工程もあるが、作り方を覚えたら簡単に作れるものだ。
ローストビーフの方は、肉そのものが誰でも気軽に手に入る食材ではない。
肝心の牛型魔獣を狩らないと、肉が手に入らないのだ。
この世界で高級食材の筆頭が、牛型魔獣の肉である。
そもそも市場で滅多に出回らない上に、百グラムで銀貨一枚という高額設定!
その牛型魔獣は森型ダンジョンの奥深くに生息している。これを狩る事が出来るのは、一部の冒険者に限られるのだ。
SS級冒険者のギルド長さえ、その生息地を知らない。
あまりにもコストがかかり過ぎる食材の為、低価格で提供しているローストビーフサンドは揺るがない人気商品。
――牛型魔獣のローストビーフは絶品だからね!
この味を知ってしまったら、他は食べられなくなるだろう。
「それなら助かる。ローストビーフサンドは絶品だからな。あれはダンジョンの牛型魔獣だろう? よく生息ポイントを見つけたな。素材もたんまり残っているのに、買い取りに出さないのはアレか? 冒険者ランクを上げたくないんだろう?」
「良くお分かりで……ただ中途半端なランクも微妙なんですよね。あ、牛型魔獣の生息ポイントについては黙秘させて下さいね」
「残念。個人的に俺が知りたかったんだが、仕方ない。中途半端なランクとは、C級とB級か? 厄介なのは長くB級に留まっているヤツだな」
ギルド長が残念そうに呟く。
「もしかして肉ですか?」
「ああ、もうじき妻の誕生日だから奮発したいと思ってな」
愛する妻の為に牛型魔獣を狩りたいなんて、ギルド長は自分の妻を大切にしているのだろう。
「そういう理由でしたら差し上げますよ。どのくらい必要ですか?」
「いいのか!?」
「はい、ストックは常にしているので、一頭分の量の肉なら譲れますよ?」
私が森型ダンジョンへ向かう時、牛型魔獣がメインなので軽く五十頭は狩っている。
ブランシェと一緒の場合なら、それ以上も狩る事はあるが――アーネストがアシュベリー公爵家へ移り住んで以来、ブランシェと森型ダンジョンへ行っていない。
余程アーネストの魔力が美味しいのだろう。
アーネストが生まれてから、ブランシェは息子の傍から滅多に離れないのだ。
私は週に一度は森型ダンジョンへ向かっている。
その度に牛型魔獣の肉を補充しているので、ギルド長へ一頭分を譲るくらい余裕だ。
私は空間収納から肉を取り出そうとする手前で、どこに保管するのか聞いてなかった事に気づく。
「ギルド長、どこに収納しますか?」
「この拡張バッグの中に入れてくれて大丈夫だ」
私はギルド長から受け取った、革袋の中へ牛型魔獣の一頭分の肉塊を入れた。
その様子をギルド長が静かに眺めている。
牛型魔獣一頭分の肉があれば、平均的な四人家族で数か月分の食事が賄えるのだ。想像に絶する程の巨大な魔獣、それが牛型魔獣である。
巨大なのに見つかりにくのは、牛型魔獣が人を避けて隠れ住んでいるから。
転移魔法が使える副ギルド長もギルド長と同じく、牛型魔獣の生息地を知らない。
私が生息地を知ったのは、たまたま森に住んでいたブランシェのおかげ。
「はい、どうぞ」
「これで一頭分!? すごいな……これを金貨二枚で譲って欲しい」
ギルド長が牛型魔獣の肉の相場金額を提示する。
「お金は受け取れません。私から奥様へお誕生日のお祝いです。そしてそれを美味しく調理するのは、ギルド長の責任。その料理を二人で食べる事が、ギルド長から奥様へのプレゼントです」
「本当か!? 来週もサンドイッチを頼む。チップは弾むぞ!」
「毎度有難うございます。奥様に宜しくお伝え下さい」
その後に少しだけギルド長と他愛のない話をして、私は次に向かう場所へ移動したのだった。




