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ブラッドから聞かされた衝撃的な過去の自分――この際、アンジェリアと自分は分けて考えよう。
それからブラッドというのは愛称だった。
本名はブラッドフォード・アシュベリー、現在のアシュベリー公爵家の当主。
まだ公に公表していないだけで、既に書類等の正式な継承は済ませているらしい。
本来は公爵城で継承を祝う夜会を開き、当主としてお披露目をするのだが――ブラッドが独身でいる為、表向きは公爵家の嫡男のままにしているようだ。
――当主が独身だと不味いのか? 不味いというより、アレか!?
よくある公爵家の権力や潤沢な財産を狙って、自分の娘を嫁がせようと釣書が殺到して捌けきれないってヤツ。
私が見てもブラッドは超イケメンである。
この世界の人は顔面偏差値が非常に高いけれど、私の好みのど真ん中にヒットしたのがブラッドだ。
まず――ブラッドの声が良い!
とにかく耳に心地よく聞こえるブラッドの声を、私はずっと聞いていたくなる。
私がブラッドと初めて会ったのは、数か月前――もうじき一年になる。
最初はエイマーズさんに紹介されたと言って、サンドイッチとミートパイを買うお客さんの一人。
その後は営業日に必ず買いに来る常連客に変わり、徐々に言葉を交わす回数も増えていった。
ブラッドの丁寧な口調に加え、彼の動作一つが優雅なのだ。洗練された立ち居振る舞いとでも言うのか。
その時はA級以上の冒険者なのだから、彼の所作は当たり前だと思っていたのである。
特に目を惹いたのが高身長と上腕二頭筋。その次に割れた腹筋――彼の全体を観察し、何より顔が自分の好みだったというオチである。
別に筋肉フェチではないが、世の乙女の憧れである「お姫様抱っこ」を可能にしてくれそうな体が良い。
三か月前に領都アスカムで行われた祭りに誘われ、そこから彼との距離が近くなったと思う。
魔道具店の店主エイマーズさんに、ブラッドは公爵家の騎士だと言われていたから、私も特に何も考えずに接していた。
私が何を言いたいか――ブラッドは家柄と血統。
そして何といっても精悍な美貌の持ち主という、おそらく国内の独身者の中で最優良物件という事。
最優良物件の筆頭が公爵当主と知れば、未婚の令嬢を持つ親がハイエナの如く彼に群がるだろう。現状でも変わらないと思うが、当主と嫡男の立場では差に違いがある。
――それなら嫡男のままでいた方が都合が良いのか?
あの場に現れた白銀髪の女性は、ブラッドの祖母マーセイディズ・アシュベリー大公夫人で御年七十歳。
白金髪の女性の方は、ブルックス帝国の元第三皇女で、現皇帝陛下の妹。
エスメラルダ・アシュベリー公爵夫人は、御年五十歳らしい。
ブラッドの祖父にあたるウィルフレッド・アシュベリー大公は、七十五歳のようだ。
父親のファーディナンド・アシュベリー公爵は五十四歳とのこと。
更にブラッドは三人兄弟の長男で、二人の弟が存在していた。
次男のフレドリックは二十六歳、三男はアーチボルドで二十三歳の末っ子だが、兄弟で唯一の妻帯者らしい。
奥さんの名前はスカーレット、アーチボルドとは五歳差の十八歳。
ブラッドを含め八人家族。
なかなかの大所帯。
私とアーネストは彼等に捕まり、ブランシェに頼まれた買い物へ行けない状態だった。
そして念話でブランシェに助けを求めるも、一向に助けてくれない。
アーネストは自分と同じ髪色と目をした人間に囲まれ、とても嬉しそうにはしゃいでいた。
私は銀髪だし、ブランシェは人型になれば白銀の髪色。
シルバー系の髪色でも、三人それぞれ髪の色合いが違うのだ。
何よりもアシュベリー公爵一家に囲まれ、アーネストは大興奮である。
そもそも身近に大人の男性がいない環境だった事もあり、アーネストにとって大人の男性と接するのは初めての事だ。
「アーネストは幼いのに賢いな!」
この声はブラッドの父ファーディナンドのものだろう。
アーネストは彼に高い高いをされて、きゃっきゃと声を上げて笑っている。
「アーネしゅごいの? ママとブランも、アーネがおはなしすりゅとよりょこぶの」
――くぅぅぅ!!!! 舌足らずな口調でおしゃべり。親馬鹿だと言われても、ウチの子が一番! いや、ウチの子しか勝たん! マジ天使! アーネストは可愛いが過ぎる!
私の脳内が炸裂している間も、アシュベリー公爵一家はアーネストの取り合い合戦を継続中。
「父上、俺も甥っ子を抱っこしたい」
彼は次男のフレドリックだろうか。
さすが日々の鍛錬を続けているだけあり、立派な体をしている。
ブラッドの説明では公爵家の騎士団へ入る前の準備運動として、冒険者登録をしたらSS級までランクが上がったらしい。
現在は公爵家の騎士団に所属し、領内の警備を強化しつつ魔獣を狩っているようだ。
「アーネスト、俺は君の叔父でフレッド叔父さんと呼んでくれ」
きりりとした顔だったのに、アーネストを前にデレデレしている。
そこへ割り込んで来た若い男性は、三男のアーチボルドだろう。
「ちょっと、父上とフレッド兄上だけ狡い! 僕も可愛い甥っ子を抱っこしたい」
「お前は何れ自分の子が抱けるだろう? 俺は独身だし子を抱けるのが何時になるか分からん」
三男のアーチボルドは、三人兄弟の中で唯一の妻帯者だ。
彼は末っ子で下に兄弟がいなかった為、幼い子供が珍しいのかもしれない。
「自分の子と甥は別だろう? ブラッド兄上も何とか言って下さい」
「俺もアーネストと顔を合わせたのが、つい一時間前なんだ。俺が最優先でアーネストに接するのが道理じゃないか?」
「この先、ブラッド兄上はアーネストと過ごす時間は長いだろう? それなら現在の時間は、俺たちに譲ってくれても良いじゃないか」
青銀の髪色をした成人男子が、小さな青銀色の髪の幼児を取り合っている。
幼い子を取り囲んでいる男性陣五人が、同じ髪色と目をしている事に気づく。
――アーネストの髪色と目は、アシュベリー家の遺伝だったの?
ブラッドがアーネストを見て固まっていた理由が分かった。
――この世界やアシュベリー公爵領について、私なりに勉強したつもりだったのに。
髪色や目の色に関して、深く考えてなかった。
アシュベリー家の血統を示すのは、青銀色の髪と紫がかった紺色の瞳の二つ。
私が髪と目の色に関して失念していたのは、図書館で調べたどの本にも記述がない。貴族家にとって髪と目の色が重要性であるといった説明文が、どこにも記されていなかったのが要因である。
冷静に考えれば血筋を現すような詳細についての文献を残すのは、それぞれの家で極秘に保管されるものだろう。
それと貴族家に生まれたのなら、幼い頃から自分の家の歴史や髪と目の色について教わるものだ。
――アンジェリアの記憶が残っていれば、また違っていたのかな?
「アンジェリアさん、ちょっと良いかしら?」
「……はい」
私を呼び出したのは、元第三皇女だったブラッドの母親エスメラルダ夫人である。
「ブラッドから聞いた話によると、貴方は記憶がないのですよね? 貴方が生まれた国や家も分からないという事かしら?」
彼女は言葉を選んでいるが、記憶喪失の女に大事な嫡男は渡せないと言う意味だろうか?
――こうなったら正直に話した方が良いかな?
「どうなの?」
「そうですね……話が長くなりそうなので、重要な点だけ言います」
異世界転生しました! って言っても、言葉の意味が伝わらず信じて貰えそうにない。
私の状況を丁寧に説明すると長くなる。
重要な点を掻い摘んで説明するしかなさそうだ。
私が言葉を濁しながら告げると、何かを察したらしいエスメラルダ夫人が頷く。
「そう……何か事情がありそうね?」
彼女に促されて、目の前のソファに並んで腰を下ろす。
さすが一級品のソファである。
とても座り心地が良い。
私は気を取り直し、頭で考えながら話を切り出した。
「記憶を無くす前の私については何も覚えていません。ただ……私の名前がアンジェリア・アトキンズという事。それから、バントック王国のアトキンズ侯爵家の長女として生まれた。私は二卵性双生児で生まれ、双子の兄が存在するようです。祖父母と父親が健在という事と、母親が既に亡くなっているという事のみ」
「バントック王国の侯爵家の娘さんだったのね。平民の生まれじゃなくて良かったわ」
ホッと息を漏らす所を見ると、私の素性が貴族か平民かを確かめたかっただけらしい。
「生まれた国と名前は、自分のスキルで知り得た情報です。ただ……現在の私はアンジェリア・アトキンズの記憶はありません。その代わり、別の世界で生きた記憶を持っているので、以前の私とは別の人格になります。ある人は界渡人と言っていました」
ブランシェが言っていた言葉を告げる。
私のような別の世界の記憶を持っている人を、この世界では「界渡人」と言うらしい。
ブラッドがアーネストの父親と分かった以上、この事を隠す必要はないと判断した。
すると、いきなりエスメラルダ夫人がソファから立ち上がる。
「界渡人ですって!?」
エスメラルダ夫人が声を上げたので、こちらに注目が集まってしまった。
「その事を知っているのは誰? 誰が告げたの? わたくし以外に誰かに口外したのかしら?」
私の肩を掴んで言葉を発する。
その剣幕に圧倒されそうになった。
――え? 言ってはいけない事だった?
『もう! 仕方ないわね』
目の前に猫型の姿でブランシェが現れたのである。
「ブランシェ!」
「――え? どうして聖獣様が?」
エスメラルダ夫人はブランシェを知っているようだった。
アーネストを取り巻いていたウィルフレッド大公と、その妻マーセイディズ大公夫人も驚いた顔を浮かべている。それに続いて、ブラッドの父ファーディナンドも驚愕の表情だ。
ブランシェの存在を知っていたのは、この四人だけなのだろう。
『ごきげんよう。久しいわね。アンジェリアは、わたくしの大切な人なの』
「聖獣様、お姿が見えないから――てっきり、この地から去ってしまわれたと心配しておりました」
『あら、わたくしはアシュベリーの魔力が活力なのよ。別の地へ行くわけがないじゃない。現当主が気に入らないから、ちょっと隠れていただけよ』
ゆらゆらを尻尾を揺らしながら語るブランシェは、この中にいても彼女らしい口調である。
『アンジェリアと森で出会ってから、ずっと一緒にいるの。現当主が引退したら、戻って来る予定だったのよ』
「では、ブラッドを当主から外しますか?」
ウィルフレッド大公の言葉に、父ファーディナンドもそれに頷く。
――そんな簡単に当主を替えちゃって良いの!?
『無理に当主を替えなくても良くてよ。その男が少年時代、わたくしの尻尾を掴んで、乱暴に振り回したのが気に入らないだけなの。女性に追いかけ回されて泣いていたくせに、わたくしに八つ当たりをしたのよ。その上、わたくしに隷属の契約を持ちかけてきたのも許せない』
――なるほど、ブランシェがブラッドを避けていた理由がソレだったのか!
尻尾を掴んで振り回すのは良くない。
ブランシェにとって腹に据えかねない事だったのだろう。
しかも乱暴というのは聞き捨てならない。
「おい、ブラッド?」
「いや――俺が聖獣様にしていた事だが、記憶になくて……申し訳ありません」
ブラッドにとって記憶に残らないほど、些細な事だったのだろうか。
幾ら彼が私好みのイケメンでも、本性がソレならアーネストに近づいて欲しくない。
「聖獣様、息子が大変失礼な事を――深くお詫び申し上げます」
『まあ……三歳の子供がした事ですもの。わたくしも大人気ないと自覚しているわ。でもね、尻尾を掴んで振り回されたのは許せない。それと気安く隷属の契約を持ち出された件もね』
ブランシェの言葉に唖然とする。
――は? ブラッドが三歳の頃の話だったの?
『たとえ三歳の子供でも、聖獣は敬うべきだと思わなくて? わたくしは痛い思いをしたのだもの』
ツンと顔を背けながら、ブランシェが念話を送る。
『それで――アンジェリアは確かに界渡人よ。もう既にアシュベリーを富へ運んでいるわよね? 幾つかの魔道具で国内外から利益を得ているのでしょう? 貴方たちはアンジェリアに感謝なさい』
「勿論でございます」
「こうして初孫も抱かせて頂きました」
『この世界について、アンジェリアは無知に等しいわ。その代わり、別の世界の高度な知識が豊富なのよ。その膨大な知識を受け入れる器が足りなくて、以前の記憶が消滅してしまったのでしょうね。現在の彼女は別人格と言った方が分かりやすいかしら?』
「もしかして、君が言っていた「姉」と言うのは、聖獣様の事だったのか……」
「はい、ブランシェの事です」
「聖獣様は太古の時代――アシュベリーの始祖の時代から、この地を守って下さっている守り神の存在。その聖獣様に名づけを許されている方を、アシュベリーは守り抜きましょう」
『当然よ。それに、アンジェリアの作る料理は絶品なの。わたくしは胃袋を掴まれて、彼女から離れられないのよ』
「ママのおりょうり、おいしいの! ブラン、あいたかった!」
ブランシェの姿を見つけたアーネストが駆け寄ってくる。
その勢いのまま、ブランシェに抱き着いた。
生まれた時から一緒にいるブランシェは、アーネストにとって大切な存在なのだろう。
『わたくしのアーネスト。ご機嫌は如何?』
ブランシェも、どさくさに紛れて独占欲を発揮する。
「すごくたのしいの! こんなにいっぱい。おばあちゃま、おっきいおばあちゃま。おいたんとおいちゃま」
『アーネストは、わたくしが一番なのですわよね? 浮気は駄目よ』
「あい! ママとブランがいちばんしゅき!」
ブランシェとアーネストのやり取り、何度聞いてもほっこりする!
周囲も二人のやり取りを見て、ほっこりしているようだ。
二歳児と聖獣――見た目は柴犬サイズのメインクーンだけど、見ているだけで心が癒される。
「界渡人というのは、聖獣様とアシュベリー家の秘匿にしておこう。それで今後についてだが」
「そうね……書類だけなら、オルコット伯爵家で良いのじゃなくて? あの家の当主は生真面目だし家族も従順な人間だから、書類だけの家族として問題はないと思うわ」
「では、早速手続きだけ済ませよう。来年あたりに挙式を予定して――その前にアーネストを正式に迎え入れなければ」
私を除け者にして、勝手に話が進んでいるような気がする。
それに――私とブラッドが結婚!?
それこそビックリだ。
私はブラッドに好意を寄せている。しかし、彼に想いを告げた事はない。
――よくある友達以上、恋人未満的な感じ?
最近になってようやく毎週デートっぽい事をしているけれど、付き合っているわけじゃない。
――そもそも私はブラッドに告白していないし、ブラッドから告白されてもいないんだけど!?
何となくだけど、ブラッドは以前のアンジェリアに好意を寄せている感じだ。
私は以前のアンジェリアのようにはなれない。
ブラッドから聞いた話でしか知らないけれど、元のアンジェリアは頼り無げで守ってあげたいタイプ。
私とは正反対の人格だ。
ブラッドと付き合えたら良いなって期待していた事もあるが、別の人を想っている相手とは無理。
私は意を決してマーセイディズ大公夫人と、エスメラルダ夫人に向かって口を開く。
「私は一人でアーネストを育てていくつもりだったんです。それに自分の店がありますし、お気持ちだけ受け取らせて頂いて、本日はそろそろお暇しようと思います」
「どういう意味かしら? 貴方はブラッドの子を独り占めにするつもりなの?」
「いえ、私には自分の家と店がありますので。アーネストには自由にお会いすれば良いと思っています」
「ブラッドでは頼りないって事かしら?」
「そういう意味ではなくてですね、ブラッドさんは以前の私の方がお好きみたいなので。現在の私は別の人格なんですよ。別人と思って頂いて構いません。アーネストの為に、父親が必要だと思って下さるだけで十分です」
私の話を聞いていた女性陣三人が、ブラッドに冷たい視線を注ぐ。
「ねぇ、ブラッド? 説明して頂戴」
「貴方、アンジェリアさんに何も言っていなかったの? 彼女、誤解しているじゃない」
「義理兄様は女性関係は疎いのかしら?」
三人の女性から代わる代わる言いたい放題に言われ、ブラッドも態度を改めたらしい。
彼が私の目の前に立つ。
そしてブラッドはその場に跪き、そっと私の手を取った。
「アンジェリア、俺は以前の君ではなく、今の君が――その、す……好意を抱いている。俺は君に誤解を招くような言い方をしたようだ。以前の君に対しては責任だけのものだった。俺は今の君と出会って……店に通うだけじゃなく、休日を一緒に過ごすうちに結婚したいと思うようになっていた。どうか俺と結婚して、君が俺の妻となり、俺をアーネストの父親にさせて欲しい」
――マジか!? やだ、どうしよう……ヤバい!
こんな風に誰かに告白されたのは、生まれて初めてである。




