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アシュベリー祭から二か月が過ぎた頃、毎週土曜日の午前中にブラッドが迎えに来るのが日常となった。
今日は初めてアーネストを連れて向かう。
ブランシェは留守番していると言って、お気に入りのクッションの上で丸くなっている。
「ブラン」
アーネストが誘ってもブランシェは頷かない。
「珍しいね、いつもアーネストにべったりなのに」
『現在の当主が気に入らないだけよ』
「え? 現在の当主って……公爵様? ブランシェが嫌がるような人なの?」
『………』
「ママ、ブランも!」
アーネストはブランシェも同行して欲しいようだ。
『アーネスト、わたくしは遠慮しておくわ。その代わり、アーネストにミッションを与えるわね』
ブランシェはアーネストへ念話を送り、お土産にワインとチーズを絶対に持ち帰るように告げている。
私のスキルでアーネストのステータスを確認した時、息子にも空間収納と転移魔法のスキルが備わっていた。まだ魔法を上手く使えないので、アーネストにはリュック型のアイテムボックスを作ったのである。
自分で持ちたいお年頃なのだが、二歳が持つには力が足りない。
そこでアイテムボックスが必要となる。
これなら二歳児でも持ち運びが簡単に出来るだろう。
リュック型なので両手は自由に動かせる。
本日のアーネストの服装は、私と色もお揃いのフード付きチュニック姿。ただし、アーネストのフードには熊の耳っぽいのがついている。ケモ耳付きのフードだ。
そしてボトムは膝までの黒い半ズボン。
――幼い子供の膝小僧って可愛いんだよ!
靴は膝下のレースアップブーツ。
私はアーネストと同じ薄紫色の長袖のチュニック。腰には黒の皮ベルトで、ボトムは黒のスラックス。靴は膝上までのレースアップブーツである。
そして必須アイテムの革袋。
私はアーネストを抱いた後、店の前まで転移魔法で移動した。
ちょうどブラッドが此方に向かって歩いているのが見える。
私はアーネストを地面に下ろし、小さな手を掴む。
「アンジェリア、その子が?」
「はい、アーネストです。アーネスト、ご挨拶は? 言える?」
「アーネでしゅ。にちゃいになりまちた」
ブラッドがアーネストを見たまま固まっている。
もしかして、あまりの可愛さに悶絶しているのか?
それにしても――髪色と目が同じ色なだけ合って、二人がまるで親子みたいに見えるのが不思議だ。
青銀色に輝く綺麗な髪、そして紫がかった紺色の瞳。
アンジェリアに面影が強いアーネストの顔は、女児に間違えられる事が多い。
ブラッドの方は男性的で精悍な美貌の持ち主。
おまけに高身長――私は百五十六センチしかないので、身長差がエグイのだ。
私の遺伝子が強いなら、アーネストの身長は絶望的だろう。見知らぬ父親が高身長であれば、アーネストの背が伸びるかもしれない。
もしアーネストが冒険者を目指すなら、絶対に高身長の方が良いに決まっている。
「アーネスト、此方はブラッドさん。今日は彼にお世話になるの」
「ブアットしゃん?」
舌足らずな口調も可愛すぎる!
「ブラッドさん?」
私が話しかけると、ようやく我に返ったようだ。
「ああ……あまりにも君と瓜二つだから、男の子だというのを忘れそうだった。アーネスト、初めまして。俺はブラッドだ。今日は宜しくな」
「あい!」
アーネストが元気よく片腕を上げる。
――やだ!! いちいち可愛いが過ぎるじゃない! 私を悶絶死させたいのか!?
「アーネスト、俺に抱っこされても良いか?」
「そうだった。アーネスト、どうする? ママに抱っこされる方が良い?」
私がアーネストに尋ねた瞬間、ブラッドがアーネストを片腕で抱き抱えていた。
そして片方の腕は私の腰に回る。
領都アスカムへはブラッドの転移魔法で移動するのだ。
「しゅごい!! ママよりたかいの!!」
高身長のブラッドに抱き抱えられ、いつもよりも高い視界に大興奮している。
「さあ、移動しよう」
一瞬で領都アスカムの一角に移動した。
これは転移魔法あるあるで、転移した先に人がいない地点を目的に転移する為である。
転移先に人がいれば、ぶつかる可能性が高い。
予め人通りの少ない場所、もしくは目立たない場所を頭に記憶するのだ。
「しょごいねぇ。ひとがいっぱい!」
アーネストはボートン区とアバネシー区しか知らない。
アスクウィス冒険者都市と言っても、意外と人通りは疎らといった感じだ。森型ダンジョンへ向かうのは、基本的に午前中に移動して夕方前に戻る。
依頼されたクエストの場合、泊まり込みで魔獣を狩る事もあるらしいが。
魔獣は夜の方が危険度が高い。
アスクウィス冒険者都市に住む冒険者は、日々の糧の為に素材採取や魔獣を狩っているのだ。小さな魔獣一匹の素材を売れば、銅貨三十枚程度。狼型や猪型になれば、銀貨数枚から数十枚になる。
この地にいれば一月だと、独身者であれば銀貨十枚で十分な暮らしが可能だ。夫婦二人なら倍の二十枚、家族四人なら銀貨五十枚といった計算だろうか。
要は自身や家族の為に、わざわざ危険な状況を選ばない者が多い。
アーネストが外を見る景色は、ダンジョンへ向かって人通りが少ない時間帯。
現在のように沢山の人を見た事がないのだ。
「アンジェリア、急ですまないが……会って欲しい人がいるんだ。このまま向かっても良いだろうか?」
ブラッドが何か思いつめたような表情で告げる。
「―――? お買い物が出来る余裕があるなら、別に構いませんが?」
「そうか、助かる」
再びブラッドに腰を抱かれ、転移魔法で移動した。
「ここは――!?」
視界に広がるのは高級そうな室内。
天井まで届きそうな窓に、ドレープのついた豪華な刺繍が施された臙脂色のカーテン。
臙脂色で描かれたダマスク柄の壁紙に、ダークブラウンのテーブルと臙脂色のダマスク柄のソファセット。
暖炉の上には見覚えのある魔道具――私の中では空調機だが、それと花が生けられた花瓶。
その壁には家紋らしきものだろうか。百合の花と剣と盾を囲むように蔦が描かれた刺繍のタペストリー。それから室内の隅に置かれた円形のテーブルや、椅子も一目で一級品だと分かる。
――どういう事? 貴族というより、王宮の一室みたい。
「ブラッド!!」
いきなり室内の扉が開いて中に入って来たのは、美しい白銀髪を高く結い上げた紅玉の瞳の妙齢な女性。そして白金髪を同じく結い上げている、珍しい黄金色の瞳をした四十代くらいの女性が続く。
私が目にしてきた中で、おそらく最高の地位の高貴な貴婦人。
――つか、高貴なオーラが半端ないんですけど!?
「まあまあまあ!! 本当に可愛らしいわね」
「貴方も隅に置けないわ。どうして今まで黙っていたのかしら?」
その高貴な貴婦人二人とも、ブラッドが腕に抱えているアーネストに視線を釘付けにしている。
「アーネスト、この方はお祖母ちゃん。そして此方は……大お祖母ちゃんと呼ぶが良い」
「おばあちゃま?」
こてんと首を傾げる仕草が愛らしい。
――いやいやいや、待て!! これはどういう事だろう?
この二人の貴婦人は、完全にブラッドの母親と祖母だよね?
しかも、アーネストの祖母ってナニ?
もう一人が大祖母って――もしかして曾祖母?
確かに年齢的に曾祖母や祖母に見えるかもしれないが、初対面のアーネストに対してブラッドが自分の身内を紹介する言葉じゃない。
マジでブラッドもどうかしている。
高貴なオーラを纏う二人の貴婦人を前にして、二歳児に嘘の紹介をするなんて!
アーネストが本気にしたら、ブラッドは責任取ってくれるのだろうか。
私は平民のシングルマザーという身の上なのだ。その息子であるアーネストの立場も同じ。平民の子供が貴婦人に向かって、「お祖母ちゃん」なんて呼ぶのは不敬罪に値する。
私の運も此処までなのか?
『アンジェリア、諦めなさい。多分だけど、その男がアーネストの父親よ』
私が内心でパニくっていると、ブランシェから念話が届く。
そして爆弾発言を落とした。
――は? アーネストの父親? え? ブラッドさんが?
ますます意味が分からない。
アーネストとブラッドは同じ髪色と瞳をしている。
それだけで彼が父親と断言するのは、さすがに安直ではないだろうか。
確かに青銀の色をした髪は、それなりにいると思っていたけれど。
この地ではブラッド以外、その髪色を見た事がない。
そもそもアンジェリアは他国の人間なのだ。
アーネストと同じ髪色の人間がいなくても、アンジェリアが生まれた国ではありふれたものかもしれない。だから青銀色の髪を見かけなくても、特に気にする必要はないと思ったのだ。
『アーネストの匂いがアシュベリーの魔力と同じなのよ。初代からアシュベリーの魔力の匂いが好きで、わたくしはこの地にいるのだけど……貴方に言ってなかったかしら? それから、その男が現在の当主よ。彼は幼い頃から勘が鋭くて。わたくしの正体にすぐに気づいたから、その男が当主になった以降は避けているの』
聖獣は魔力の匂いで人間を区別するらしい。
そういえばブランシェと初対面の時に、「良い匂い」と言われた気がする。当時まだ妊娠に気づいていなかったが、その頃には既にアーネストを身籠っていた。
嗅覚が優れている聖獣のブランシェが断言するなら、アーネストの父親はブラッドで間違いないのだろう。
――だからブランシェは同行しなかったの? 知っているなら教えてくれても良いじゃない。
『その男が聖獣だと見破るから悪いのよ。だから迂闊に買い物が出来なくなって、そのまま森へ隠れ住んでいたの。その男が当主でいる限り、チーズとワインを断念したわ。わたくしは興味のある人間以外と関わりたくないのよ』
――私はどうすれば良いの?
『当主にアーネストの事がバレた時点で諦めるのね。あ、チーズとワインは忘れずに買ってくるのよ』
ブランシェとの念話が切れてしまった。
私はしばし呆然とする。
――ちょいちょいおかしい。
アンジェリア・アトキンズは、バントック王国のアトキンズ侯爵家の長女のはずだ。
そして現在いる場所は、ブルックス帝国のアシュベリー公爵領である。
バントック王国に住んでいたはずのアンジェリアが、どうやってブルックス帝国に住むブラッドと知り合ったのだろう。
当時のアンジェリアは十五歳で、ブラッドは二十九歳くらい?
二人に共通する何かがあったのかも謎である。
この地でブラッドと知り合った時、彼も私とは初対面みたいな対応だった。
――ますます分からない。
「アンジェリア、落ち着いて……君には以前の記憶がない。どうして君がアーネストを身籠ったのか、俺から説明する」
ブラッドは静かな口調で話を切り出した。
今から三年前――ブラッドの従兄弟であるブルックス皇太子は、バントック王国の国王陛下の生誕祭の招待を受けた皇帝陛下の名代で向かう事が決まったらしい。
内政が不安定なバントック王国へ向かうのは気が進まず、ブルックス帝国の中でも魔法と武力を誇るアシュベリー家。
その嫡男で従兄弟のブラッドに、皇太子は一緒に同行して欲しいと打診をする。
皇太子はブラッドの母エスメラルダの甥であり、幼い頃から本当の兄弟のように一緒に育った従兄弟の一人。
滅多な事で弱音を吐かない従兄弟が不安に思うならと、バントック王国へ同行する事を選ぶ。
バントック王国は王侯貴族が権力を誇示する、最低最悪な治世の国だった。
大国であるブルックス帝国の皇太子と公爵家の嫡男に対し、それなりに敬意を振舞ってくれていたが、自国の貴族同士の諍いは日常茶飯事。
そんな親を見て育った令嬢令息の態度も最低である。
国王陛下の生誕祭である夜会で、ブラッドは一人の令嬢が複数の令嬢に囲まれているのを目撃した。
傍から見ても囲まれているのは、どう見ても他の令嬢より格上の高位貴族の令嬢。
貴族は上下関係に厳しい。
低位貴族の人間が高位貴族の人間を、複数で取り囲むのは有り得ない事だ。
その集団の傍に近づくと、その令嬢に懸想をしている令息の事に対し、低位貴族の令嬢が好意を持っている様子である。
どうやら低位貴族の令嬢は、令息に相手にして貰えないのを理由に、高位貴族の令嬢に八つ当たりをしていたのだ。
何とも醜い争いだろう。
ある程度、集団の声が聞こえる範囲の距離を保ち、ブラッドは彼女たちの様子を伺っていたらしい。
そこへ意味深な顔をしたロクでもない令息が二人連れで現れ、高位貴族の令嬢に何かを無理やり飲ませていた。
それから数十分後あたりで、ブラッドは高位貴族の令嬢の様子に違和感を感じたらしい。
令嬢を囲んでいた集団をかき分け、ブラッドが高位貴族の令嬢を助け出したようだ。
すぐに救護室へ運んで医師に症状を診て貰う。
すると――バントック王国の古くから伝わる秘薬、強い催淫効果のある媚薬を盛られていると医師に告げられた。
その効果は強力で解毒剤が効かない。
二十四時間以内に子種で媚薬を中和しないと精神崩壊、最悪の場合だと命を落とす。
ブラッドは医師に告げられた後、その令嬢に確認を取ったらしい。
そして王城にある一室でブラッドは、高位貴族の令嬢を助ける為に肌を合わせた。
まだ十五歳のうら若き令嬢の純潔を散らした責任は、必ず取るとブラッドは相手と約束を交わす。
国王の生誕祭の夜会で、あの集団を目撃した人間は多く存在している。
高位貴族の令嬢の異変に気付いた者もいたらしい。
ブラッドは醜聞が広がる前に、令嬢に迎えに行くと翌朝別れる時に告げた。
バントック王国に滞在する期間は、約五日。
皇太子と一緒にブルックス帝国へ戻る日、高位貴族の令嬢に待ち合わせの場所まで来るように伝えていたようだ。
しかしブルックス帝国へ戻る前日の早朝に、一人の令嬢の変死体が発見されたのである。
銀髪で青紫色の瞳の侯爵令嬢――ブラッドは遺体を確認したらしい。
魔獣に食い散らかせた悲惨な状態で見つかり、ほぼ髪色と瞳の色で身元を確認するしかない姿だった。
なぜ彼女が変死したのか分からないと呟く。
どうして低位貴族の令嬢に好き勝手な言動を許していたのか。
ブラッドと知り合った侯爵令嬢は、とても頼り無げで儚い印象の少女だったらしい。
「今の君は記憶がないから、この話をしてもピンと来ないかもしれない。俺は純潔を散らした責任は取るつもりでいた。当時は顔の判別がつかない遺体を、君だと信じてしまったのを悔やむ」
「あの……過去の私の事は気にしないで下さい。多分ですけど――過去の私は、ブラッドさんが責任を取ると言ってくれただけで嬉しかったんだと思います」
ようやく空間収納の中身の謎が解けた気がする。
過去の私はブラッドと共に、ブルックス帝国へ向かうつもりでいた。
自分の部屋にある全ての家財を空間収納へ納め、不要の物を売りさばいて現金を手にする。
ブラッドと約束した期日までに、色々と準備をしていたのだろう。
前日に襲われたとしたら、誰かの計画的な犯行に違いない。
――つか、そこまで誰かに恨まれていたってこと!?
ますますバントック王国へ行きたくない。
まさか自分の過去というか、既に死んでいた事になっていたとは――現在の私にとって都合良すぎる誤算だった。




