第十一話 派遣事務処理
現地で即席メンバーと別れを交わしそれぞれ帰路に着く。
私は年齢のせいか、直ぐには身体が追い付かずホテルで一泊してから帰路となった。
寝る前、ニュースを見たら地元出身の力士が被災地訪問や各センターに全国から炊き出しの支援者が映っていた。温かい食べ物はありがたいだろうなあ…。
皆、何かしら力になりたいのだ。
私もそんな一人になれたかなあ…。などと思いながら眠りについていた。
翌朝、小松空港を離れたがすぐに日常感覚にへ戻れなかった。
身体はまだ夜勤のリズムのままで、どこか覚醒した状態が続いていた。
眠ろうとしても眠れない。現場にいるときの感覚が、そのまま残っている。
飛行機の中で、ようやく少しだけ眠った。
地元の空港に着いたとき、不思議とあの数日が遠く感じられた。
無数に並んでいた避難テント。
即席で集まったメンバー。
避難者との会話。
どれも確かに自分がいた場所のはずなのに、少し現実味が薄れていた。
自分がどれだけ役に立てたのかは分からない。
ただ、一つの大きな経験として、確実に自分の中に残った。
翌日からは通常業務に戻った。
仕事の合間に、派遣報告の手続きを進めていく。
報酬の申請もその一つだった。
滞在は五日間。
その日数で申請を出したが、数日後、修正の連絡が入った。
夜勤が三回だから、支払いは三回分になるという説明だった。
現地では、日勤か夜勤かを自分で選ぶことはできなかった。
結果として、日勤よりも報酬は下がる形になるらしい。
金額そのものに興味はない、がこの仕組みのまま次の後任派遣者が同じ状況になることには、違和感が残った。
現地では感染症が広がっていたが、その情報は事前に十分共有されていなかった。
宿泊についても、「ホテルはない」とされていた一方で、県職員がホテルを利用している場面もあった。
いくつかの点が、うまく噛み合っていないように感じた。
その後、報酬は時給計算に変更され、情報共有についても見直しが行われると説明を受けた。
派遣が続く以上、現場に合わせて調整していく必要があるのだと思う。
非常時の中で、すべてを整えるのが難しいことも理解はできる。
それでも、現場に入る人間にとって、事前の情報と条件は少ないほど不安になる。
日常に戻ってしばらく経っても、あの場所の感覚だけが、少し遅れてついてくるようだった。
足元が揺れないということに、何度か違和感を覚えた。
帰ってきたはずなのに、自分の感覚だけが、まだ能登に置き去りのままだった。




