29. 君に伝える言葉
翌朝。
王都は昨日の騒ぎが嘘のように穏やかだった。
それでも、西門では騎士たちが荷馬車を一台ずつ止め、検査を続けている。
行方の分からない麻袋は、まだ見つかっていない。
アルベルトは部下へ指示を出しながらも、何度も昨夜のことを思い返していた。
『アルベルト様が、初めてです。』
あの言葉が、頭から離れない。
誰にも話せなかった秘密。
それを自分だけに預けてくれた。
胸の奥が熱くなる。
(……守らなければ。)
騎士としてだけではない。
もっと、別の意味で…。
そう思った瞬間、自分で少し苦笑する。
(昨夜あれだけ口にしたのに、まだ言葉が足りないのか。)
リゼットは、自分の気持ちを知っている。
それでも。
だからこそ。
きちんと、自分の口で伝えなければならない。
その決意だけが、昨日よりはっきりしていた。
◇◇◇
夕方。
昨夜から、リゼットは何度も考えてしまっていた。
秘密を打ち明けたことを、アルベルトは本当に受け入れてくれたのだろうか。
あの場では、自分を傷つけないよう優しい言葉を選んでくれただけではないのか。
一晩経って冷静になれば、やはり恐ろしい力だと思われても不思議ではない。
――もう、来てはくれないかもしれない。
その考えが頭をよぎるたび、仕事に向けた手は止まり、気づけば何度も店の扉へ視線を向けていた。
だから。
扉の向こうから聞き慣れた足音が近づき、
控えめなノックが響いた瞬間、
胸の奥で固く結ばれていた不安が、ふっとほどけていく。
約束どおり、アルベルトは来てくれた。
それだけのことなのに。
泣きたくなるほど嬉しかった。
張りつめていた息を、リゼットはようやく吐き出した。
◇
控えめなノックのあと、扉が静かに開いた。
薬草を束ねていたリゼットが顔を上げると、そこにアルベルトが立っていた。
「アルベルト様……。」
「邪魔だったか。」
「いいえ。」
そう笑う。
けれど。
昨日までと同じ笑顔なのに、どこかぎこちない。
リゼットも同じことを思った。
(目が……合わせられない。)
秘密を知られたからではない。
受け入れてもらえたからこそ、今度は別の意味で意識してしまう。
アルベルトも同じだった。
向かい合えば、きっと自分の感情は伝わる。
昨日までは、それを知らなかった。
今は知っている。
そう思うだけで、どうにも落ち着かない。
「……今日は。」
リゼットが小さく笑う。
「あまり目を合わせてくださらないのですね。」
アルベルトは咳払いを一つした。
「……君には理由が分かるのではないか。」
「向き合わなければ分かりません。」
「そうなのか。」
少しだけ安心したように肩の力が抜ける。
リゼットは思わず吹き出した。
「安心なさいました?」
「……いや。」
「今、安心されましたよね。」
「分かるのではないか。」
「だから、向き合っていないと分からないんです。」
アルベルトは少し考え込む。
「つまり、四六時中分かるわけではない、と。」
「はい。」
「それなら……少し安心した。」
「何がですか?」
「全部知られているのかと思っていた。」
リゼットはくすりと笑う。
「そんなことはありません。」
「よかった。」
その返事があまりにも真面目で、リゼットは声を立てて笑ってしまった。
昨日あれほど泣いたとは思えないくらい、自然な笑顔だった。
それを見たアルベルトも、ようやく表情を緩める。
「笑ってくれて良かった。」
その一言に、リゼットの胸が少しだけ熱くなった。
◇
リゼットが作業へ戻ろうとすると、
アルベルトは当然のように隣へ立った。
二人で薬草を干す作業をする。
並んで薬草を吊るすだけの時間。
会話は多くない。
それなのに、不思議と心地よかった。
時折、指先が触れそうになって。
二人とも同時に手を引いてしまう。
「……。」
「……。」
目が合う。
また逸らす。
そんなことを三度も繰り返し、とうとうリゼットが笑い出した。
「今日は、お互い少し変ですね。」
「否定はできない。」
アルベルトも苦笑する。
「昨日までとは違う。」
「はい。」
「隠し事がなくなったからでしょうか。」
「いや。」
アルベルトは首を横へ振った。
「俺の方が困っている。」
「え?」
「君に気持ちが伝わっていると知ってしまった。」
珍しく照れたように視線を逸らす。
「……落ち着かない。」
リゼットは思わず笑った。
「そういうアルベルト様も新鮮です。」
「笑わないでくれ。」
「ごめんなさい。」
笑いながら謝る。
その空気は、昨日までとはまるで違っていた。
秘密はもう、一人で抱えるものではなくなっていた。
◇
アルベルトは帰るため扉へ向かう。
それをリゼットが見送る。
昨日も、この場所で別れた。
けれど今日は違う。
アルベルトは扉へ手を掛けたまま立ち止まり、振り返った。
「リゼット。」
「はい。」
静かな瞳が真っすぐ彼女を見つめる。
「昨日、君は言ったな。
『私だけが先に知ってしまう。』、
『それが苦しかった』、と。」
リゼットは静かに頷く。
「俺は、それでは駄目だと思った。」
リゼットは黙って耳を傾ける。
「次に伝えることは。」
一歩だけ近付く。
「君の力に感じ取らせるつもりはない。」
その瞳には、一切の迷いがなかった。
「俺自身の言葉で伝える。」
その一言だけ残し。
アルベルトは静かに扉を開けた。
夕焼けの光が店内へ差し込む。
扉が閉まる音が響く。
リゼットはその場に立ち尽くしていた。
胸が高鳴る。
向かい合ってはいない。
だから感情は分からない。
それでも。
今だけは、知ろうとは思わなかった。
彼の言葉は、彼自身の口から聞きたい。
初めて。
そう願った。
◇◇◇
その頃――
王都の外れ、人気のない古びた倉庫。
黒い外套の男が、小さな麻袋を机へ置く。
中から零れ落ちた紫黒の粉が、夕闇の中で不気味に鈍く光った。
「……予定より早いな。」
低い声が闇へ溶ける。
誰も知らない場所で。
魔石を巡る陰謀は、静かに動き始めていた。




