24. 変わらない朝、変わった日々
朝の光が、薬屋の窓から柔らかく差し込んでいた。
リゼットは店先の掃除を終えると、籠を手に外へ出る。
今日もこれから、市場へ薬草や必要な品を仕入れに行く予定だった。
扉を閉めて振り返ると、道の向こうに見慣れた銀色の髪が見えた。
「おはよう、リゼット。」
「アルベルト様。おはようございます。」
自然と笑みがこぼれる。
アルベルトはすでに薬屋の前で待っていた。
こうして彼が朝、以前のように薬屋まで迎えに来るようになってから、もう一月ほど経っている。
◇
互いの誤解が解けた、あの日。
アルベルトは、少し言いづらそうに尋ねてきた。
『……また朝、ここへ来てもいいだろうか。』
以前と同じように、市場まで一緒に歩きたい。
その言葉の奥にある気持ちが伝わってきて、リゼットは迷わず頷いた。
『はい。お待ちしています。』
それ以来、二人で歩く朝が戻ってきた。
◇
「行こう。」
「はい。」
並んで市場へ向かう。
以前と同じ道。
けれど、以前とは少し違う。
アルベルトが隣にいることを、もう不思議には思わない。
何も話さない時間でさえ、不安ではなかった。
◇◇◇
王都の朝は、すでに活気に満ちていた。
焼きたてのパンの香りが漂い、通りには荷車を引く商人たちの声が響いている。
「あら、騎士様。今日もお迎えかい?」
顔なじみのパン屋の女主人が、店先から声をかけた。
アルベルトは足を止め、軽く頷く。
「……ああ。」
「毎朝ご苦労なことだねえ。」
女主人は楽しそうに笑いながら、二人を見比べる。
「ずいぶん熱心なものだね。お似合いだよ!」
「ご、護衛ですから。」
リゼットが慌てて答えると、女主人はますます面白そうに目を細めた。
「そういうことにしておこうかね。」
リゼットの頬が熱くなる。
隣を見ると、アルベルトは平静を装っていた。
けれど耳だけが、わずかに赤い。
そのことに気づいてしまい、リゼットは思わず俯いた。
少し歩いたところで、アルベルトが小さく息を吐く。
「……揶揄われているな。」
「そうですね。」
「嫌か?」
リゼットは顔を上げた。
アルベルトは前を向いたまま、わずかに表情を曇らせている。
その姿に、リゼットは首を横に振った。
「嫌ではありません。」
「そうか。」
短い返事。
けれど、その声には安堵が滲んでいた。
リゼットがそっと彼の顔を窺うと、アルベルトもこちらを見た。
目が合う。
その瞬間、穏やかな嬉しさが伝わってきた。
会えたこと。
一緒に歩けること。
それを喜んでくれている。
ただそれだけで、リゼットの胸も温かくなった。
◇◇◇
市場へ続く道の途中で、アルベルトが不意に足を止めた。
「リゼット。」
「はい?」
振り返ると、彼はいつになく真剣な表情をしていた。
「一つ、約束してほしい。」
リゼットの胸に、わずかな緊張が走る。
けれどアルベルトはすぐに首を振った。
「いや。違うな。」
一度、ゆっくりと息を吸う。
「君に約束してほしいんじゃない。」
真っ直ぐに、リゼットを見つめる。
「俺が約束する。」
リゼットは驚いて目を瞬かせた。
アルベルトは、言葉を選ぶようにゆっくりと続ける。
「もう、勝手に君と距離を置かない。」
その声には、迷いがなかった。
「何かあれば、必ず君に話す。」
一つずつ、自分自身へ刻み込むように告げる。
「一人で思い込んで、君の気持ちを決めつけたりもしない。」
あの日のすれ違いを、彼もずっと後悔していたのだろう。
自分が傷つくことを恐れて。
リゼットを守るつもりで。
けれど結局、互いを不安にさせてしまった。
アルベルトは少しだけ苦い笑みを浮かべる。
「今回のことで、よく分かった。」
リゼットは黙って彼を見つめていた。
「一人で考えても、ろくな答えには辿り着かない。」
「アルベルト様……。」
「だから、君に話す。」
アルベルトの眼差しが、少しだけ柔らかくなる。
「君の言葉を、ちゃんと聞く。」
胸の奥が、じんわりと熱くなる。
こんなにも真っ直ぐに向き合ってくれているのに、自分はまだ彼に伝えていないことがある。
その事実が、胸の奥に小さな棘のように引っかかった。
言わなければいけないと分かっているのに、言葉にする勇気が出ない。
もし話してしまえば、この穏やかな時間が壊れてしまうのではないか――
そんな不安が、静かに心を締めつける。
それでも、
彼の誠実さに応えたいという想いもまた、
確かにそこにあった。
リゼットは小さく息を吸い、彼と向き合った。
「私もです。」
「……君も?」
「はい。」
籠を持つ手に、少しだけ力を込める。
「私も、何かあればちゃんとお話しします。」
自分の気持ちを隠して。
相手のためだと思い込み。
一人で答えを出してしまわないように。
「勝手に決めつけません。」
一度言葉を区切る。
そして、少し恥ずかしそうに笑った。
「逃げたりもしません。」
口にした瞬間、その言葉が自分自身の胸にも深く響いた。
逃げない。
アルベルトに隠している、あの力のことからも。
今すぐには、まだうまく話せないかもしれない。
それでも、必ず伝えよう。
彼が自分と真っ直ぐ向き合ってくれるのなら、自分も同じように向き合いたい。
リゼットは胸の内で、静かにそう決めた。
アルベルトは目を見開いた。
やがて、その表情がゆっくりと緩む。
「ああ。」
短い返事だった。
けれど、その一言には深い安堵が込められていた。
しばらくの沈黙のあと、アルベルトが再び口を開く。
「……それと。」
「はい?」
彼は少しだけ視線を逸らした。
「もう、君を一人で悩ませない。」
リゼットの胸が、大きく鳴った。
不器用で。
真面目で。
どこまでも誠実な言葉だった。
その言葉に、胸の奥に少しだけ残っていた迷いが、薄れていく。
この人になら、きっと話せる。
いつかではなく、近いうちに。
自分の口から、きちんと伝えよう。
リゼットは、ふわりと微笑んだ。
「はい。」
◇◇◇
市場へ着くと、通りはさらに多くの人で賑わっていた。
薬草を売る店の前で、リゼットは足を止める。
「ここからは大丈夫です。」
「ああ。」
アルベルトも立ち止まった。
けれど、すぐには立ち去ろうとしない。
何か言いたそうに、リゼットを見つめている。
「アルベルト様?」
「夕方も迎えに来る。」
「え?」
「仕入れたものは、帰りの方が重いだろう。」
もっともらしい理由を口にしながら、アルベルトの耳がわずかに赤くなる。
リゼットは思わず笑った。
「はい。」
そして、少しだけ勇気を出す。
「お待ちしています。」
アルベルトの目が、わずかに見開かれた。
やがて、とても穏やかに笑う。
「ああ。」
その笑顔を見送ってから、リゼットは市場の中へ歩き出した。
同じ朝。
同じ道。
同じように並んで歩く二人。
けれど、その間にあるものは、もう以前とは違っていた。
言葉にすること。
相手の言葉を聞くこと。
そして、一人で答えを決めないこと。
それはまだ、小さな約束にすぎない。
けれど二人にとっては、これから先を共に歩くための、大切な一歩だった。




