20. 月が見つめる夜空
「リゼットさん!」
昼下がり。
薬屋へ飛び込んできたのは若い騎士、レオンだった。
「レオンさん!?…また何かあったんですか!?」
リゼットが慌てて立ち上がると、レオンは笑顔で首を横へ振る。
「今日は事件じゃありません。」
そう言って差し出したのは、一通の封書だった。
深い藍色の封蝋には、王家の紋章。
思わず息を呑む。
「リゼットさんにお手紙を預かりました!」
「……私に?」
恐る恐る封を開く。
そこには、美しい文字が並んでいた。
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先日の事件解決及び日頃の功績を称え、
王宮にて催される夏の舞踏会へご招待申し上げます。
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「…………え?」
思考が止まる。
もう一度読む。
やっぱり書いてある。
「……えぇっ!?」
薬屋中に声が響いた。
「ぶ、舞踏会!?」
「私がですか!?」
レオンは思わず吹き出す。
「はい。団長も出席しますよ。警備がメインですが。」
「アルベルト様が……?」
胸がどくりと鳴る。
けれど次の瞬間。
「……って!」
リゼットは青ざめた。
「私、ドレスなんて持ってません!」
「ダンスも踊れません!」
「舞踏会なんて行ったこともありません!」
一気に顔色が悪くなる。
「どうしましょう……。」
レオンは苦笑した。
「その辺りもちゃんと準備されているそうです。」
「え?」
「王宮から侍女の方がお迎えに来ます。」
「王妃様のご意向だそうです。」
「王妃様が……?」
(なぜ私にそこまで…?)
ますます頭が真っ白になった。
◇◇◇
同じ頃。
騎士団宿舎。
「団長。」
書類へ目を通していたアルベルトが顔を上げる。
「何だ。」
エリクは意味ありげに笑った。
「今年の舞踏会、楽しみですね。」
「例年通り警備だ。」
淡々と答える。
「そうですか。」
エリクは肩をすくめた。
「リゼットさんからも出席されるとお返事がきましたよ。」
……。
沈黙。
手にしていた書類が止まる。
数秒。
アルベルトはようやく顔を上げた。
「……そうか。」
平静を装っている。
だが。
口元がほんの少しだけ緩んでいた。
エリクは吹き出しそうになる。
「団長。」
「何だ。」
「今、笑いましたよね。」
「笑っていない。」
「口元。」
「気のせいだ。」
「いえ、確実に。」
アルベルトは咳払いを一つ。
「仕事へ戻れ。」
「はいはい。」
部屋を出ながら、エリクは小さく笑う。
(分かりやすいなぁ。)
◇◇◇
舞踏会当日。
王宮の一室。
数人の侍女たちが、リゼットの支度を整えていた。
「こちらのお色はいかがでしょう。」
広げられたのは、美しい青いドレスだった。
夜空を思わせる青。
深く、優しく、どこまでも澄んでいて、
星明かりを閉じ込めたように、光を受けるたび静かに輝いている。
「綺麗……。」
思わず見惚れる。
侍女は微笑んだ。
「清廉な雰囲気の方だと伺っておりましたので。
きっとこの青がお似合いになるでしょう、殿下がお選びになられてました。」
「王妃様が…!!」
ドレスをまとい、髪が丁寧に結い上げられる。
耳元には銀細工の耳飾り。
胸元には小さな銀の花を模した首飾り。
腕には細い銀の腕輪。
どれも派手ではない。
けれど上品で、どこか凛としていた。
最後に。
胸へ抱き締めていた青いリボンが結ばれる。
鏡の中には、自分でも見たことのない自分がいた。
「……私じゃないみたい。」
侍女たちは微笑む。
「とてもお似合いです。」
「まるで空の精霊のよう。」
リゼットは照れながらも、小さくお礼を言って笑った。
◇◇◇
王宮。
大広間。
豪華なシャンデリアの光が降り注ぐ中、貴族たちが次々と集まってくる。
アルベルトは正装のまま入口へ視線を向けていた。
「まだ来ませんね。」
隣でエリクが呟く。
「リゼットさんのドレス姿、楽しみですね。」
「…………。」
その時だった。
扉が静かに開く。
侍女に導かれ、一人の女性が姿を現した。
アルベルトは思わず息を呑む。
時間が、止まった。
そこに立っていたのは――
いつもの薬師ではなかった。
星が煌めく夏の夜空を映したような深い青のドレス。
歩くたび、幾重にも重なった裾が波のように揺れる。
細い首筋には、月明かりを集めたような銀細工の首飾り。
耳元で揺れる小さな銀の雫が、彼女の微笑みに合わせて淡く煌めく。
そして胸元には、あの日返した青いリボン。
その青が、彼女の澄んだ瞳をいっそう美しく映していた。
アルベルトは言葉を失う。
目が離せない。
青いドレスは――
自分の瞳と同じ色だった。
銀の装飾は、
自分の髪を思わせる輝きを宿している。
偶然なのだろう。
きっと本人は気付いていない。
それなのに。
その姿は、まるで——
自分の色を纏ってくれているように見えてしまう。
胸の奥が熱くなる。
鼓動が一つ、大きく鳴った。
(……綺麗だ。)
違う。
そんな言葉では足りない。
会いたかった。
笑っていてくれて良かった。
そして――
誰にも、この姿を見せたくない。
そんな独り占めしたい想いが胸の奥から込み上げ、
自分でも驚くほどだった。
騎士として常に冷静であろうとしてきた自分が、こんな感情を抱くとは思ってもいなかった。
胸いっぱいに溢れた想いを、アルベルトは必死に飲み込む。
そんな彼の横顔を見て、エリクはすべてを悟った。
「団長。」
返事はない。
「そんな顔をしていると、周りに全部ばれますよ。」
アルベルトは我に返る。
「……そんな顔をしていたか。」
「ええ。」
エリクはにやりと笑った。
「恋する男の顔です。」
アルベルトは珍しく言い返せなかった。
その視線の先では、リゼットが少し緊張した面持ちで辺りを見回している。
リゼットもアルベルトを見つけた。
「あ……。」
目が、はなせなくなる。
濃紺を基調とした騎士団の礼装。
肩から胸へ流れる銀の飾緒が、灯りを受けて静かに煌めいている。
その濃紺の礼装に流れる銀の飾緒は、夜空を渡る月明かりのよう。
胸元には王都騎士団長の徽章。
腰には儀礼用の細身の剣が佩かれ、
いつもより丁寧に整えられた銀の髪。
真っ直ぐ伸びた背筋。
凛とした立ち姿。
舞踏会の華やかな装いの中でも、彼だけは最後まで騎士だった。
まるで夜空に浮かぶ月のように、
誰よりも静かで、
誰よりも目を奪われる。
胸が、どくりと鳴る。
その瞬間だけ、
音楽も、
人々の笑い声も、
何も耳へ届かなかった。
(……格好いい。)
見慣れているはずなのに。
こんなにも目が離せなくなるなんて。
胸の奥が熱くなる。
(……ずるい。)
(そんな格好、反則です……。)
やがて二人の目が合った。
その瞬間。
リゼットはほっとしたように微笑んだ。
アルベルトは、その笑顔が、自分へ向けられたものだと分かった。
それだけで十分だった。
アルベルトもまた、自然と笑みを返す。
もう——。
作った笑顔ではなかった。
青と銀。
夜空と月。
二人は言葉も交わさぬまま、静かに微笑み合っていた。




