第82話 作戦会議
囮作戦の詳細を詰めるため、北の離れの一室に、関係者が集められた。
バルドゥール、ガスパール、ルーカス、ディートリヒ、オスカーの騎士四人。そしてラインハルトとその護衛二人。エレノアは末席に座り、皆の顔を順に見回した。
「まず、状況を整理する」
ラインハルトが口を開いた。
「エレノアが工房に戻り、通常営業を装う。グレゴール側は、必ず反応する。カイの証言によれば、『組』という言葉が、近々の『仕事』に関わっている可能性が高い」
「『組』というのが、何を指すのかは、まだ分かっていません」
バルドゥールが続けた。
「灰から見つかった王宮公文書用紙の断片と考え合わせると、王宮内部の何らかの編成——警備の配置図か、あるいは人員表かもしれない」
ガスパールが眉を寄せた。
「王宮の内部情報が漏れているとすれば、内通者もいるということか」
「その可能性は高い」
ラインハルトの声が、硬くなった。
「だからこそ、この作戦は慎重に進める必要がある。情報が漏れれば、こちらの動きも筒抜けになりかねない」
エレノアは静かに手を挙げた。
「殿下、一つよろしいでしょうか」
「言え」
「もしグレゴール側の内通者がいるなら、今この場で決めた作戦の詳細も、漏れる危険があるということですね」
「その通りだ」
ラインハルトは頷いた。
「だからこそ、実行に関わる人員は最小限に絞る。ここにいる者と、私、そして限られた近衛のみだ」
ルーカスが冷静に付け加えた。
「作戦の芯——エレノアが工房に戻る正確な日時と、護衛の配置は、直前まで伏せておくべきだ。今日決めるのは、あくまで大まかな方針だけにしよう」
「賛成だ」
ディートリヒが頷いた。
バルドゥールは地図を広げ、南区の工房周辺の配置を指し示した。
「エレノアが工房に戻ったと分かれば、グレゴール側は必ず何らかの動きを見せる。監視、接触、あるいは直接的な妨害——どの形になるかは分からない」
「監視なら、こちらも網を張って捕らえられる」
オスカーが言った。
「問題は、直接的な妨害に出た場合だ。エレノアの身に、危険が及ぶ可能性がある」
工房の中に、重い沈黙が落ちた。ラインハルトが、静かにエレノアを見た。
「エレノア、もう一度確認する。本当に、これでいいのか」
「はい」
エレノアは迷わず答えた。
「私が動かなければ、グレゴールは決して尻尾を出さないでしょう。それに——」
エレノアは少し言葉を選んだ。
「カイという少年が、危険を承知で情報を教えてくれました。彼の勇気に応えるためにも、私は動きたいと思います」
その言葉に、バルドゥールがわずかに目を細めた。
「カイ、か」
「はい。彼の名前です」
エレノアは静かに続けた。
ラインハルトはしばらく無言だったが、やがて頷いた。
「分かった。作戦を進める。ただし——」
彼はガスパールたちを見回した。
「エレノアの護衛は、二重三重に固める。表向きは目立たぬよう、しかし実際には、常に誰かが彼女の視界の届く範囲にいるようにしろ」
「承知しました」
四人が同時に頷いた。
会議が一段落した後、ラインハルトはエレノアに残るよう告げ、他の者たちを部屋から下がらせた。
二人きりになると、ラインハルトはしばらく無言で、地図を見つめていた。
「殿下?」
「……もう一度だけ、聞く」
ラインハルトは顔を上げ、エレノアをまっすぐに見た。
「怖くないのか」
エレノアは正直に答えた。
「怖いです。でも、それ以上に、真実を知りたいという気持ちの方が強いのです」
「そうか」
ラインハルトは静かに息を吐いた。
「お前がそう決めたのなら、私はそれを支える立場だ。……だが」
彼の声が、わずかに低くなった。
「もし少しでも危険だと判断すれば、私は迷わず作戦を中止する。その時は、抗うな」
「はい、殿下」
エレノアは素直に頷いた。
その日の夕方、エレノアは再び地下牢を訪れた。カイは、以前より少し落ち着いた様子で、格子の前に座っていた。
「今日は、作戦会議があったの」
エレノアが話しかけると、カイは黙って耳を傾けた。
「あなたが教えてくれた『組』という言葉、大きな手がかりになると思うわ。ありがとう」
「……役に立ったなら、よかった」
カイの声には、まだぎこちなさが残っていたが、以前のような硬さは薄れていた。
「これから、私は工房に戻って、囮になるわ」
カイの表情が、わずかに強張った。
「グレゴール様は……容赦のない人だ」
「知っている。それでも、やらなければならないの」
カイはしばらく黙っていたが、やがて低く言った。
「俺にも、何か手伝えるか」
エレノアは驚いてカイを見た。
「協力、してくれるの?」
「……お前は、俺を人として見てくれる」
カイは、まっすぐにエレノアを見返した。
「だから、少しくらいは……」
エレノアの胸に、静かな温かさが広がった。
「ありがとう、カイ」
「まだ、信用されてないだろうが」
「ううん、これから信用を積み重ねていけばいいのよ」
カイは、初めて、ほんのわずかに口元を緩めた。それは笑顔と呼ぶには程遠いものだったが、これまで見せたことのない表情だった。
「グレゴール様の癖について、知っていることがある」
カイは静かに話し始めた。
「大きな仕事の前は、必ず一度、自分の目で現場を確認する。人に任せたりはしない。用心深くて、それだけは変えない」
エレノアは息を飲んだ。
「つまり、実行の直前に、グレゴール自身が姿を現す可能性があるということね」
「ああ。もしお前が工房に戻ったと知れば、必ず様子を見に来るはず。遠くからでも、目立たない形で」
エレノアは急いでこの情報を記憶に刻んだ。これは、バルドゥールとラインハルトにすぐに伝えるべき、重要な手がかりだった。
「カイ、あなたのおかげで、また一つ前に進めそう」
カイは視線を逸らしながら、小さく頷いた。
「……次に来る時は、もう少し、まともな食事を頼む」
その素っ気ない言葉に、エレノアは思わず微笑んだ。
「約束するわ」
地下牢を後にしたエレノアは、その足でバルドゥールの元へ向かった。カイから聞いた情報を伝えると、バルドゥールは驚いたように目を見開いた。
「グレゴール自身が、現場に姿を現す可能性があるのか」
「はい。もしそうなら、それは彼を直接捕らえる、またとない機会になるかもしれません」
バルドゥールはしばらく考え込んでいたが、やがて静かに頷いた。
「殿下にも、すぐに伝える。作戦の精度を、さらに上げられるはずだ」
夜、エレノアは自室の窓辺に立ち、南区の方角を見つめた。
もうすぐ、あの小さな工房に戻る。危険は分かっている。しかし、これまで支えてくれた人々——バルドゥール、ラインハルト、騎士四人、リリアとソフィー、そして今はカイまでもが、それぞれの形で力を貸してくれている。
(一人では、できないことだったわ)
胸元の護符に、服の上からそっと手を重ねる。
(母様、父様……もうすぐ、あなたたちを追い詰めたものの正体に辿り着きます)
窓の外、夏の夜空に星が瞬いていた。作戦の実行は、もう目前に迫っていた。




