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『影の調香師は王宮の謎を嗅ぐ ~没落貴族令嬢、香りで真実を暴く~』  作者: 9 10
第二章 南区の調香師

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第82話 作戦会議

 囮作戦の詳細を詰めるため、北の離れの一室に、関係者が集められた。


 バルドゥール、ガスパール、ルーカス、ディートリヒ、オスカーの騎士四人。そしてラインハルトとその護衛二人。エレノアは末席に座り、皆の顔を順に見回した。


「まず、状況を整理する」


 ラインハルトが口を開いた。


「エレノアが工房に戻り、通常営業を装う。グレゴール側は、必ず反応する。カイの証言によれば、『組』という言葉が、近々の『仕事』に関わっている可能性が高い」


「『組』というのが、何を指すのかは、まだ分かっていません」


 バルドゥールが続けた。


「灰から見つかった王宮公文書用紙の断片と考え合わせると、王宮内部の何らかの編成——警備の配置図か、あるいは人員表かもしれない」


 ガスパールが眉を寄せた。


「王宮の内部情報が漏れているとすれば、内通者もいるということか」


「その可能性は高い」


 ラインハルトの声が、硬くなった。


「だからこそ、この作戦は慎重に進める必要がある。情報が漏れれば、こちらの動きも筒抜けになりかねない」


 エレノアは静かに手を挙げた。


「殿下、一つよろしいでしょうか」


「言え」


「もしグレゴール側の内通者がいるなら、今この場で決めた作戦の詳細も、漏れる危険があるということですね」


「その通りだ」


 ラインハルトは頷いた。


「だからこそ、実行に関わる人員は最小限に絞る。ここにいる者と、私、そして限られた近衛のみだ」


 ルーカスが冷静に付け加えた。


「作戦の芯——エレノアが工房に戻る正確な日時と、護衛の配置は、直前まで伏せておくべきだ。今日決めるのは、あくまで大まかな方針だけにしよう」


「賛成だ」


 ディートリヒが頷いた。


 バルドゥールは地図を広げ、南区の工房周辺の配置を指し示した。


「エレノアが工房に戻ったと分かれば、グレゴール側は必ず何らかの動きを見せる。監視、接触、あるいは直接的な妨害——どの形になるかは分からない」


「監視なら、こちらも網を張って捕らえられる」


 オスカーが言った。


「問題は、直接的な妨害に出た場合だ。エレノアの身に、危険が及ぶ可能性がある」


 工房の中に、重い沈黙が落ちた。ラインハルトが、静かにエレノアを見た。


「エレノア、もう一度確認する。本当に、これでいいのか」


「はい」


 エレノアは迷わず答えた。


「私が動かなければ、グレゴールは決して尻尾を出さないでしょう。それに——」


 エレノアは少し言葉を選んだ。


「カイという少年が、危険を承知で情報を教えてくれました。彼の勇気に応えるためにも、私は動きたいと思います」


 その言葉に、バルドゥールがわずかに目を細めた。


「カイ、か」


「はい。彼の名前です」


 エレノアは静かに続けた。


 ラインハルトはしばらく無言だったが、やがて頷いた。


「分かった。作戦を進める。ただし——」


 彼はガスパールたちを見回した。


「エレノアの護衛は、二重三重に固める。表向きは目立たぬよう、しかし実際には、常に誰かが彼女の視界の届く範囲にいるようにしろ」


「承知しました」


 四人が同時に頷いた。


 会議が一段落した後、ラインハルトはエレノアに残るよう告げ、他の者たちを部屋から下がらせた。


 二人きりになると、ラインハルトはしばらく無言で、地図を見つめていた。


「殿下?」


「……もう一度だけ、聞く」


 ラインハルトは顔を上げ、エレノアをまっすぐに見た。


「怖くないのか」


 エレノアは正直に答えた。


「怖いです。でも、それ以上に、真実を知りたいという気持ちの方が強いのです」


「そうか」


 ラインハルトは静かに息を吐いた。


「お前がそう決めたのなら、私はそれを支える立場だ。……だが」


 彼の声が、わずかに低くなった。


「もし少しでも危険だと判断すれば、私は迷わず作戦を中止する。その時は、抗うな」


「はい、殿下」


 エレノアは素直に頷いた。


 その日の夕方、エレノアは再び地下牢を訪れた。カイは、以前より少し落ち着いた様子で、格子の前に座っていた。


「今日は、作戦会議があったの」


 エレノアが話しかけると、カイは黙って耳を傾けた。


「あなたが教えてくれた『組』という言葉、大きな手がかりになると思うわ。ありがとう」


「……役に立ったなら、よかった」


 カイの声には、まだぎこちなさが残っていたが、以前のような硬さは薄れていた。


「これから、私は工房に戻って、囮になるわ」


 カイの表情が、わずかに強張った。


「グレゴール様は……容赦のない人だ」


「知っている。それでも、やらなければならないの」


 カイはしばらく黙っていたが、やがて低く言った。


「俺にも、何か手伝えるか」


 エレノアは驚いてカイを見た。


「協力、してくれるの?」


「……お前は、俺を人として見てくれる」


 カイは、まっすぐにエレノアを見返した。


「だから、少しくらいは……」


 エレノアの胸に、静かな温かさが広がった。


「ありがとう、カイ」


「まだ、信用されてないだろうが」


「ううん、これから信用を積み重ねていけばいいのよ」


 カイは、初めて、ほんのわずかに口元を緩めた。それは笑顔と呼ぶには程遠いものだったが、これまで見せたことのない表情だった。


「グレゴール様の癖について、知っていることがある」


 カイは静かに話し始めた。


「大きな仕事の前は、必ず一度、自分の目で現場を確認する。人に任せたりはしない。用心深くて、それだけは変えない」


 エレノアは息を飲んだ。


「つまり、実行の直前に、グレゴール自身が姿を現す可能性があるということね」


「ああ。もしお前が工房に戻ったと知れば、必ず様子を見に来るはず。遠くからでも、目立たない形で」


 エレノアは急いでこの情報を記憶に刻んだ。これは、バルドゥールとラインハルトにすぐに伝えるべき、重要な手がかりだった。


「カイ、あなたのおかげで、また一つ前に進めそう」


 カイは視線を逸らしながら、小さく頷いた。


「……次に来る時は、もう少し、まともな食事を頼む」


 その素っ気ない言葉に、エレノアは思わず微笑んだ。


「約束するわ」


 地下牢を後にしたエレノアは、その足でバルドゥールの元へ向かった。カイから聞いた情報を伝えると、バルドゥールは驚いたように目を見開いた。


「グレゴール自身が、現場に姿を現す可能性があるのか」


「はい。もしそうなら、それは彼を直接捕らえる、またとない機会になるかもしれません」


 バルドゥールはしばらく考え込んでいたが、やがて静かに頷いた。


「殿下にも、すぐに伝える。作戦の精度を、さらに上げられるはずだ」


 夜、エレノアは自室の窓辺に立ち、南区の方角を見つめた。


 もうすぐ、あの小さな工房に戻る。危険は分かっている。しかし、これまで支えてくれた人々——バルドゥール、ラインハルト、騎士四人、リリアとソフィー、そして今はカイまでもが、それぞれの形で力を貸してくれている。


(一人では、できないことだったわ)


 胸元の護符に、服の上からそっと手を重ねる。


(母様、父様……もうすぐ、あなたたちを追い詰めたものの正体に辿り着きます)


 窓の外、夏の夜空に星が瞬いていた。作戦の実行は、もう目前に迫っていた。

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