第43話 宴の準備
翌朝、王宮に一つの布告が回った。
三日後、国王陛下の御誕生を祝う「春の大宴」が催される。王宮全体を使った大規模な祝宴で、国内外の貴族、使者、騎士団が一堂に会する王国最大の行事だった。
エレノアは香房で布告を読み、静かに眉を寄せた。
(大宴……香房は総動員になる)
案の定、その日の午後、ハインリヒから全調香師への指示が下った。宴で使用する香炉、蠟燭、貴族たちへの贈答用香水、広間に敷く香り付きの敷物——全ての調合と準備を三日以内に終わらせろという命令だった。
香房は一気に慌ただしくなった。
エレノアは作業台で与えられた調合をこなしながら、頭の中で考え続けた。
大宴。王宮全体に香りが満ちる夜。国王陛下を始め、王太子、高位貴族、南方の使者まで一堂に集まる場所。
(ハインリヒが動くとすれば……この夜しかない)
昼の休憩時間、エレノアはガスパールに短い書状を渡した。夜、四人で集まれるかという内容だった。
夜、厩舎の奥でガスパール、ルーカス、ディートリヒ、オスカーの四人が待っていた。
エレノアは静かに、しかし簡潔に話した。ヴァルター伯爵家とハインリヒの繋がり、母の調合記録の改ざん、そして大宴への懸念。
四人は黙って聞いていた。
話し終えると、ガスパールが静かに口を開いた。
「大宴当日、俺たちは騎士団の警護として広間に入れる。香炉と蠟燭の配置は事前に確認できる」
ルーカスが続けた。
「広間への搬入は前日の夕方から始まる。そこで仕込みがあるとすれば、その時間帯だ」
ディートリヒが腕を組んだ。
「俺は搬入の力仕事に混じれる。おかしなものがあれば気づけるはずだ」
オスカーが真剣な顔で言った。
「南方の使者の動きも気になる。宴の前日から宿泊する予定らしいからな」
四人の視線がエレノアに集まった。
エレノアは静かに頷いた。
「皆さんにお願いがあります。当日の香炉と蠟燭、全ての搬入品を、私が直接確認する機会を作っていただけますか。一つ一つ嗅ぎたいのです」
「わかった」とガスパールが即座に答えた。「段取りはこちらで考える」
その夜遅く、エレノアはラインハルトに大宴への懸念を報告した。
王太子は腕を組み、しばらく黙っていた。
「ハインリヒが大宴を利用しようとしている可能性は、私も考えていた」
「当日の香炉と蠟燭の全確認を、お許しいただけますか」
「許可する。ただし——」
ラインハルトはエレノアをまっすぐに見た。
「当日、お前は私の傍を離れるな。何かあれば即座に伝えろ」
「畏まりました」
エレノアが退出しようとしたとき、ラインハルトが静かに付け加えた。
「無理をするな」
短い言葉だった。しかしその声音は、命令というより、心配に近かった。
エレノアは深く頭を下げ、廊下に出た。
翌朝、バルドゥール卿から短い書状が届いた。
『大宴当日、私も動く。お前は香りに集中しろ』
それだけだった。署名もなかった。
エレノアは書状を蝋燭の炎で静かに燃やし、母の形見の香りを手首に落とした。
甘く、控えめで、芯の強い香り。
(三日後……全てが動く)
夜の王宮に、春の風が静かに吹き抜けていった。




