第34話 二つの沈黙
その夜、エレノアはラインハルトに礼拝堂での出来事を報告した。
王太子は黙って聞いていた。
話し終えると長い沈黙が落ち、蝋燭の炎だけが静かに揺れている。
「バルドゥールは……昔から、表立たずに調査をする男だ」
ラインハルトの声は低く、慎重だった。
「信用できますか」
「完全にはできないな。だが、嘘をつく男でもない」
王太子は立ち上がり、窓の外に視線を向けた。夜の王宮に、月の光が石畳を青白く照らしている。
「八年前の暗殺事件……私も、公式の記録に疑念を持っていた。だが、確証がなかった」
エレノアは静かに聞いていた。
「殿下は……その事件をご存知だったのですか」
「当時私は十八だった。父の側近が死に、母の愛用香水に毒が入れられた時期と重なっている」
ラインハルトは振り返り、エレノアをまっすぐに見た。
「お前の母とその事件が繋がっているなら、調べる価値はある。だが——」
彼は一歩、エレノアに近づいた。
「バルドゥールを完全には信用するな。彼が何を目的にしているか、まだ見えない」
エレノアは静かに頷いた。
「わかっています。ただ……母のことを知りたいのです。それだけは、」
王太子は彼女を見下ろし、しばらく何も言わなかった。やがて、低い声で言った。
「……わかった。独断では動くな。私にも必ず報告しろ」
その言葉には、命令ではなく、何か別のものが混じっているようだった。
エレノアは深く頭を下げ、私室を辞した。廊下を歩きながら、母の形見の香りをそっと嗅いだ。
甘く、静かで、芯の強い香り。
(バルドゥール卿、ラインハルト殿下、そして母の影——。これはもう、ただ香りを嗅ぐだけでは済まない話になってきた)
夜の石廊下に、エレノアの足音だけが静かに響いていた。




