第31話 夜の問いかけ
香房から戻った夜。王太子の私室で香油の調整をしていると、ラインハルトが珍しく話しかけてきた。
「今日、薔薇園にいたな」
エレノアは手を止めずに答えた。
「はい、リリアと少し。……殿下もいらしていましたね」
沈黙が落ちた。
「母上が好きだった場所でな」
王太子の声は低く、静かだった。エレノアは手元の瓶を置き、控えめに顔を上げた。
「……殿下のお母様も、白い薔薇がお好きでしたか?」
「ああ。毎年、最初に咲く一輪を私室に飾っていた」
短い言葉だったが、その奥に長い年月の寂しさが滲んでいた。
エレノアは静かに口を開いた。
「私の母も薔薇が好きでした。調合の最後に必ず、ダマスクローズをひと滴だけ加えるのが癖で」
ラインハルトは彼女を見つめた。
「……お前の母の香り。あれを再現したとき、何を思った?」
エレノアは少し間を置いて、正直に答えた。
「母に、もう少し会いたかったと思いました」
王太子は何も言わなかった。ただ、窓の外に視線を移し、静かに息を吐いた。
その横顔に、エレノアはこれまで見たことのないラインハルトの表情を見た。
鎧を脱いだような、ひどく人間らしい顔を。
(この人も……誰かに、そう言いたかったのかもしれない)
夜の王宮に、薔薇の残り香が静かに漂っていた。




