第30話 薔薇園の午後
珍しく午後の時間が空いた。
ラインハルトから「今日は香房で休んでいろ」と言われたエレノアは、リリアに誘われて王宮の薔薇園を歩いていた。
五月の光の中で、赤と白と淡いピンクの薔薇が風に揺れている。甘く清らかな香りが、エレノアの張り詰めた神経をゆっくりとほぐしていった。
「ねえ、最近顔が疲れてるよ」
リリアが隣で心配そうに言う。
「そうかしら」
「そうよ。王太子殿下のそばにいて、気を張ってばかりなんじゃない?」
エレノアは答えずに、白い薔薇の花びらに指先で触れた。母が好きだった品種と同じだった。
(母様もここを歩いたのかしら)
ふと、母が王宮で働いていた頃のことを思った。あの黒塗りの記録、「忘却の霧」と記されたラベル。まだ何も解けていない。
二人がベンチに腰を下ろしたとき、遠くの石造りの回廊に人影が見えた。
ラインハルトだった。彼はこちらに気づいていないようで、一人で静かに空を見上げていた。
その横顔に、普段の冷たさはなかった。
ただ、どこか遠くを見つめる、疲れた青年の顔があった。
エレノアはそっと視線を外した。
(殿下も……重いものを背負っているのね)
薔薇の香りが風に乗って漂い、二人の間をやさしく通り過ぎていった。




