第29話 密書の残り香
翌朝、王太子の執務室に緊張した空気が漂っていた。
ラインハルトが無言で一通の書状を机に置いた。
「これを嗅いでみろ」
エレノアは書状に慎重に鼻を近づけた。
羊皮紙の素朴な匂いの奥に、微かな異臭が混じっている。甘く人工的な、花に似た香り——しかし、本物の花ではない。
「……これは、南方産の樹脂を基調にした特殊な香料です。書いた者が意図的に指先に塗っていたか、あるいは保管場所に同じ香りが漂っていたか。いずれにせよ、この国のものではありません。外から持ち込まれたものです」
ラインハルトの瞳が細くなった。
「隣国の間諜か」
「断定はできませんが……この香料の産地は限られています」
王太子は静かに書状を閉じた。そしてエレノアをじっと見つめ、低い声で言った。
「お前の鼻は、今や私の最も信頼できる武器だ」
エレノアは頭を下げながら、胸の奥でざわめきを感じた。
(武器……か。私はいつの間にか、そういう立ち位置になってしまっている)
廊下に出ると、ガスパールがさりげなく近づいてきた。
「顔色が優れないな」
「少し……考えたいことがあって」
ガスパールは黙って頷き、それ以上は何も聞かなかった。その気遣いが、今のエレノアには静かにありがたかった。




