第25話 夜の香油
夜、王太子の私室でエレノアは就寝前の香油を調整していた。
ラベンダー、サンダルウッド、ほのかにカモミールを加えた調合。王太子の疲労を和らげるためのものだ。
王太子が執務から戻り、部屋に入ってきた。
彼はエレノアが調合した香油の瓶を手に取り、軽く香りを嗅いだ。
「随分と穏やかな香りだな」
「殿下の神経を少しでも休めていただければと思いまして」
ラインハルトは椅子に深く腰を下ろし、珍しく少し長い間エレノアを見ていた。
「お前は……本当に不思議な女だ。能力がありながら、目立つことを極端に嫌う。普通ならこの立場を利用して、もっと上に上がろうとするだろうに」
エレノアは静かに答えた。
「私は没落した男爵家の娘です。これ以上目立ってしまえば、かえって家族にも災いが及ぶかもしれません。……ただ、香りの異常だけは、放っておけない性分でして」
王太子は小さく息を吐いた。
「わかった、わかった。お前が望む通り、必要以上に表には出さぬよう配慮しよう。ただし——」
彼は一瞬、言葉を止めた。
「私の傍は離れるな。それだけは約束しろ」
エレノアは胸の奥が少しざわつくのを感じながら、深く頭を下げた。
「畏まりました、殿下」
その夜、エレノアは自分の部屋に戻り、母の形見の香りを手首に落とした。
王太子の冷たい鋼の香りと、わずかに見せた柔らかい視線が、頭から離れなかった。
(これは……本当に、ただの側仕えで済む話なのだろうか)




