第16話 静かな午後の調べ物
王宮の奥にある小さな中庭は、春の柔らかな陽光が石畳に落ちる静かな場所だった。ハーブと早咲きの薔薇が控えめな香りを漂わせている。
エレノアは香房の休憩時間を活用し、古い香料の記録を広げていた。母の形見のノートを横に置き、伝統的な調香技術を丁寧に整理していく。
「ここにいたのか」
低く落ち着いた声に、エレノアは肩を震わせてノートを閉じた。
ラインハルト・フォン・ローエングラム王太子が、近衛騎士を一人連れて中庭に入ってきた。
「殿下……!」
エレノアは慌てて立ち上がり、深く頭を下げる。
王太子はゆっくりと近づき、彼女が広げていた写本に視線を落とした。
「最近、騎士団の若手たちと顔を合わせることが多いらしいな」
「……はい。香油や馬具の調整で、たまたまお会いする機会が増えただけです。私はただ、香りを確認しているだけで……」
ラインハルトはしばらく無言で彼女を見つめていたが、わずかに声を和らげて言った。
「無理をするな。お前は目立たなくて良い。異常を感じたら、遠慮せず私に伝えるように」
そう言い残すと、王太子は踵を返して去っていった。残されたのは、冷たい鋼と清潔な石鹸、そしてほのかな森林を思わせる香りだけだった。
エレノアは胸を押さえ、深く息を吐いた。
その少し後、中庭の近くで待っていたエレノアにガスパールたちが合流した。
四人は彼女と共に座り、最近の些細な宮廷の話や自分たちの故郷、領地の話をした。
穏やかな時間が流れていくのであった。




