第12話 革と蜂蜜の記憶
翌朝、エレノアは厩舎の近くでガスパールと偶然出会った。
「昨日はありがとう。馬の鞍は新しいものに替えたよ」
ガスパールは照れくさそうに笑った。彼の後ろには、もう一人の若い騎士——黒髪の細身の青年、ルーカスが控えていた。
「君が例の……侍女かい。ガスパールから聞いた、俺も先日の夜会で助けられた一人だ」
ルーカスは真面目な顔で頭を下げた。
エレノアは周囲に人がいないことを確認してから、小声で答えた。
「大したことはしていません。ただ、香りを嗅いだだけです。……そこまでなさらないでください。」
二人は頷き、代わりに「何か困ったことがあれば、俺たちが力になる」と約束してくれた。
その日の午後、香房に新たな仕事が回ってきた。王宮で開かれる「春の狩猟祭」の準備で、騎士たちが使う革の手袋と鞍に塗る特別な保護油の調合だった。蜂蜜とローズマリーを基調にした、伝統的な中世風の香り付き油だ。
作業中にエレノアは気づいた。
(準備された蜂蜜の中に、微量の異物が混ざっている?……これは蜂蜜ではない。毒キノコから抽出した甘味成分……)
彼女はすぐにガスパールに連絡を取り、厩舎の隅でこっそり相談した。
「この油をそのまま使えば、騎士たちの手や馬の皮膚が荒れ、長期間使えば体調不良を起こす可能性があります」
ガスパールとルーカスは顔を見合わせた。
「また誰かの嫌がらせか……。上は最近、俺たち若手騎士を『使えそうな駒』としか見ていないからな」
エレノアは控えめに提案した。
「成分を中和する新しい調合を、こっそり作ります。ただし、私の名前は出さないでくださいね」
その夜、三人は協力して問題の油を無害なものに置き換えることに成功した。
エレノアは部屋に戻り、母の形見の香りを落としながら思った。
(二人は……味方になってくれそうね。でも、まだ信用しきるのは早い)




