7.それぞれの現在地
悲鳴は、村のすぐ近くから聞こえた。
「鈴ちゃんたちはここから動かないで!」
悲鳴を聞いて飛び出していくあやめさんの背中を、あたしは見送ることしかできない。頭蓋骨を持った真之介さんは、あたしとあやめさんを見ておろおろしている。
「しょうがないのう」
苛立った顔であたしたちのやりとりを見ていたメルさんは、あたしの足首を掴んだ。
突然、足に向かって頭を下げるメルさん。あたしは、去って行くあやめさんと頭を下げたメルさんとおろおろしている真之介さん、どこに目をやればいいのか、もはやわからなかった。
そうしているうちに、怪我をしていた足首が暖かくなる。メルさんを見ると、彼女はその海のような瞳から涙をひとつ流していた。そして驚いたことに、噛まれたばかりの足の痛みが引いていた。
「応急処置じゃ、無理は禁物じゃぞ」
人魚の涙には、怪我を治癒する効果があるらしい。
「ほれ、あの女を追うんじゃろう。おい、シンノスケ。儂をおぶってスズの後をついていけ」
「わかりました!」
頭蓋骨をそっと家の中に置いた真之介さん(あとでちゃんと取りに来ないと怒られる気がする)は、優しい手つきでメルさんをおぶった。
メルさんに礼を言ったあたしは、痛みの引いた足であやめさんの後を追った。
大きな長持はすぐに見つかった。なにせ大きな泣き声が止むことなく辺りに響き渡っているのだ。
「あなたっ、なんでえええ!!!ああああぁああ!!!!」
村から少し離れた森の真ん中で、男の人が倒れていた。その胸に縋り付いて、泣きわめく女性。ふたりとも旅の装いをしているが、男性の服はその大半が泥に塗れていた。
心臓が跳ねて、その場に飛び込む。追いかけてきたあたしたちを見て、あやめさんはあからさまに顔を顰めた。
「大丈夫ですか!?」
「あぁあ、夫が……!夫が!」
横たわったままの男性は、もう息をしていなかった。首の周りに生々しい指の跡が残っている。足首を見れば案の定、見覚えのある咬み跡が残っていた。
青白い顔が、この世の苦しみを詰め込んだような顔で事切れている。土の香が鼻について、くらりと強いお酒を煽ったみたいに、心臓が跳ねた。
開花の瞬間を目の当たりにしたように、世界の色彩が一気に鮮やかになる。
「死んでる」
衝動的に呟いた。女性の息を呑む声を聞いて、あたしは思わず自分の口を塞いだ。
「少しはぐれただけなのっ。それなのに、どうして、こんな……!」
あやめさんは女性の声をかけることなく、辺りを厳重に警戒しているようだった。いや、警戒というより、誰かを探してる?
「あやめさん?」
「鈴ちゃん、その人を抱えて今すぐ村へ逃げよう」
逃げて、じゃなくて逃げようと言った。
「私がそこまで守るから、しばらく家の中にいて」
「でも、兄さんたちが」
「送った後に探しに行くから。相手は標的がひとりの時か、ひとりにしてからじゃないと襲わない。だから、家の中で朝を待って、一緒に山を降りよう。町までは奴らは追ってこない」
「夫を殺した奴を知っているんですか!?」
詰め寄った女性は、あやめさんの目を見て小さく悲鳴を上げた。そして、金髪で尾ひれを持つメルさんを見て腰を抜かした。
あやめさんは気にした様子もなく、手に持った何かを握りしめた。いつの間にか、彼女は柄の長い斧を携えていた。小屋から出て行く時に持っていったのかもしれない。
集団で行動していても、あたしの時みたいに無理矢理引き剥がされる可能性もある。あたしは崩れ落ちる女性に声をかけて、力の抜けた旦那さんを一緒に担いだ。
「やっと生活が落ち着いて、念願の旅に出られたのに……。こんなことになるなら、町で穏やかに過ごしていればよかった」
涙を零しながら足を進める女性。せっかくあの災害を生き延びたのに、こんな風に突然死んでしまうなんて。
それに、犯人はどうしてこんな回りくどい殺し方をするんだろう。引き摺る度に、男性の服から土がぽろぽろと溢れていく。どうしてわざわざ泥だらけにしてから絞殺するのか。
首の跡と足の傷さえなければ、ただ眠っているようにも見える。
いや、こんな風に泥だらけで眠る冷たい遺体を、何度も目にしたな。
まるで、あの日を再現したような殺し方だ。土が町を呑み込んで、多くの人を泥だらけの冷たい人形に変えたあの日。
多くの人の運命を狂わせたあの日。
理不尽な悲劇を乗り越えて歩み出した人の足を、どうして過去に食い止めようとするの。
湿気てぬかるんだ地面を踏みしめて、村へと進む。後ろには、斧を持ったあやめさんと真之介さんたちがいる。
おもむろにメルさんが言った。
「時に、女。未の刻に丁度良い獲物がおるぞ」
目は前を向いたまま、メルさんは鼻をひくつかせる。
無言のまま、あやめさんは右に飛んだ。男性を担いだままのあたしは動けないまま、その先を見る。
大きな木の幹の根元に、気配もなく佇む黒い影が見えた。長い鎌が、その男に振り下ろされる。だけど、幹が邪魔をして、その刃先は影に届かない。
「っ!」
影が動き出した。菅傘を被った小柄な男が飛び出してきて、村とは反対方向に逃げていく。
「そいつを殺して!」
真横から耳を劈く金切り声が響く。突然、女性が駆け出したせいで、あたしに男性の全体重がのしかかってくる。
小柄な黒い影に、ふたりの女性が迫る。柔らかい手つきでメルさんを地面に降ろした真之介さんが、女性を羽交い締めにした。
「危ないですよ!あの人に任せましょう!」
「離して!あいつを殺してやる!」
激昂した女性は暴れながら、男に手を伸ばした。小さくなっていく影が、その手に誘われたように、ふっと立ち止まる。
そうして、振りかえった男の唇は、歪に弧を描いて笑っていた。
後ろからでも、女性が怒りでわなわなと震える様がわかった。このままでは我を失った女性が何をしでかすかわからない。あたしは、丁重に男性を寝かせて真之介さんと同じように女性の身体を掴んだ。
再び背を向けた男は、お社村の方へ向かって走って行く。
だけど、別の影が男の前に立ちはだかった。
「そこまでです。これ以上、あなたの好きにはさせませんよ」
男の前には父さんと、泥だらけになった兄さんがいた。とはいえふたりとも目立った怪我はない。そのことに安心していると、男は懐から何かを取り出して、唇に咥えた。
そのまま男は、村とは反対方向に走り出す。騒がしくなっていく耳に、男が舌打ちする音が届く。
男がふたり増えたとはいえ、殺人鬼相手に丸腰で大丈夫なんだろうか。でも、ここで奴を逃がしたら、また犠牲者が増えるだろう。
「離してったら!」
それにしても。
村に着くか、手助けをしたいところだけど、女性が暴れる限りこの場から動けない。困ったなぁと頭を抱えていると、地面に座り込んだメルさんがちょいちょいと手招きをした。
「スズ。シンノスケ。その女をちょいとこちらへ」
言われるがまま、引き摺るように彼女を連れて行く。何か彼女が落ち着くような言葉でも送るのだろうか。
しかし、送られたのは、ありがたい言葉ではなく、容赦のない手刀だった。
「これで多少は動きやすくなったかの」
昏倒した女性を見下ろして、メルさんが言った。 そうしている間に、三人の姿はどこかへ行ってしまった。
倒れている夫婦と男が走り去った方向を交互に見つめるあたしたちに、メルさんは続ける。
「儂が見ておるから、さっさと後を追いかけるが良い。幸いにも、犬の気配は遠い。カズマが何かしらの策を講じたのであろう。なんであれ、儂は早く帰りたい。さっさとあの輩と女を連れてくるのじゃ」
「わかりました。ありがとうございます!」
有無を言わさない圧に背中を押されて、あたしたちも走る。
「待て!」とか「あっちだ!」とか響く声を頼りに、村からも畑からも離れた山中を駆け回る。
ろくに整備されていない獣道は、走りにくいことこの上ない。木の幹やぬかるんだ地面に足を取られないように追いかける。
そうしている内に、見覚えのある3人の背中を見つける。その先には、大きな砂の山と倒壊した家屋を背に立っている男の姿。
男の真後ろは崖に近い急な坂道になっていて、降りた先には村の跡があった。山の斜面を鋤で掻いたように、大きな開けた場所に大量の砂がなだれ込んでいる。周りには、村と同じように倒壊した家屋。そして、あちこちに盛り上がった土の山があった。
どうやら走り回っているうちに、お社村まで来てしまったらしい。どこからか興奮した犬の鳴き声が聞こえてくるけど、男は苦悶の表情を浮かべたまま、あやめさんたちを睨み付けていた。
「残念ですが、あなたの犬たちはここには来られませんよ」
「よくも俺の娘に危害を加えたな」
詰め寄る父さんと兄さんに、男は唾を吐き捨てる。
そして、あたしの方へ叫んだ。
「お前なんて死ねばよかったんだ!」
「はあ?」
知らない人間に、突然死ねばいいと言われる筋合いなんてない。
「ふざけないで!今すぐその崖から地獄に突き落とすわよ!あたしの旦那が!」
「そんでそのままお前らも、俺と同じになりゃよかったんだ!」
あたしの買い言葉なんて聞いちゃいない。血走った目であたしたち家族を睨み付けながら、男は吐き捨てた。
「誰もかれも皆、ひとりになりゃあいい!大事な奴を失っちまう痛みを思い知りゃいいんだ!そんで俺と同じ思いを味わえばいい!そうしねえと、不公平じゃねえか!」
「ああそっか。だからわざわざ泥だらけにして殺してたのか!」
殺気だった空気の中で、旦那はひとり納得して頷く。
「それだけじゃない。こいつは、殺した相手が家族に発見されるのをずっと観察してたの」
「ああそうだよ。お前さえいなけりゃ、もっとたくさんの人間を殺せたのになぁ」
「見ず知らずの人間が、自分と同じ天涯孤独になってそんなに満足なの?やっと、みんな前に歩き出した。人間らしい暮らしを取り戻したって言うのに」
あやめさの言葉に、男は目尻に皺を寄せて微笑んだ。
「俺にとっちゃまだあの日は終わっちゃいねえ」
澱に満ちた声が、あたしの心臓を強く掴んだ。男の足下が泥に塗れ、背後には倒壊した家屋が見える。
「あの現実はずっと続いてる。それなのに、どいつもこいつも、あの日をなかったことにしようとしてやがる!」
忘れたわけじゃない。みんな、傷を抱えたままでも、前を向いて生きることを選んだだけだ。
そう言葉にしようとしたけど、うまく唇が動かない。まるで、この人がそれを選ばなかったことが悪いみたいに。
そうじゃない。それなのに、どうしてあたしは。
「俺はずっと聞いてた。大事な家族をなくした奴らの悲鳴をよ。俺は、それをずっとずっと聞いていたかったんだ。そうすりゃ俺は、天涯孤独じゃあなくなるんだぜ」
恍惚としたような、心の底から安堵したような顔でそう語る男。
あたしは、男の姿に自分を重ねていた。
「そうやってあなたは、他人を自分が孤独じゃなくなるための手段にしてきたんだね」
あやめさんの声に、はっと我に返る。
あやめさんが、毒を含んだように顔を顰めた。
「残念だけど、誰かを利用している限り、あなたは永遠にひとりぼっちのままだよ。もう、やり直すには手遅れだと思うけど」
目を伏せて、ここでないどこかを見つめながら、ゆっくりとそう語るあやめさんは、まるで自分の言い聞かせているようにも聞こえた。
「もう誰もあなたの言葉を聞かない。もう誰もあなたの気持ちを思いやることなんてない。あなたは、死ぬまで満たされることなんてない。優しい誰かがあなたに手を差し伸べようとしても、あなたはあまりにも人を殺しすぎた」
意外にも、それまで自分勝手に振る舞っていた男が、その言葉に一瞬だけ心を痛めたような顔を見せた。
その拍子に、男の足下が崩れる。
「あ?ああああぁああっ!!」
あやめさんはすぐに男に手を伸ばした。けど、泥まみれでぬかるんだ男の手は、彼女の手を掴めないまま宙へと投げ出された。
そこはきっと、あたしも踏み外したかもしれない暗闇。




