3.本当の願い
長屋に向かいながら、頭を抱えた。
えーと、とりあえず、これから向かう予定の山に人殺しが出て、それが変な殺された方をしてて、しかも、その遺体のそばにあやめさんらしき人影が目撃されている、と。
どこから説明したらいいの、これ。いや、どこから説明しても、兄さんは山に向かうに決まってる。嘘か誠か、あやめさんの手がかりもでてきたのなら、なおさら。
「でもなぁ……」
あやめさんが人を殺したなんて考えたくない。けど、そんなわけないと言い切れるほど、あたしはあの人のことを知らない。
知りたいことは、まだたくさんある。
生きていたのなら、どうして姿を見せてくれないのか。
潮君はどうなったのか。
今どうやって暮らしているのか。
あやめさん。兄さんは、あなたと次会う時のために、髪を切ったんだよ。いつでも会えるように、あたしが毎月切ってあげてるんだよ。
それなのに、どうして会いに来てくれないの?
視界がさっぱりしても、兄さんは他の女なんか見ようとしないよ。いつも、あなたがいた山ばっかり見つめてるよ。
責任を取って、までは言わないから、せめて一目姿を見せて安心させてあげてよ。
あなたが生きているだけで、きっと兄さんの心は幾分か救われるはずだから。
そんなことを思いながら、山肌を見つめる。この恨み言……じゃなくて、願いが届くように。
初めてあやめさんを見た時、太陽を瞳に持つ天女様だと思った。何か理由があって、地上に舞い降りているんだって思ってた。今考えると、とても子どもっぽい話だけど、あやめさんの顔が思い出せなくなるほど、それが冗談だと言えなくなってくる。
数日間だけ砂浜に降りてきた天女は、兄さんの心を奪ってどこかへ行ってしまったのだ。
それが今度は何?ようやく姿を現してくれたと思ったら人殺しになってましたって?
いやいやいや、だから決めつけるのはよくない。
もしかしたら、人違いかもしれない。本人だとしても、たまたまそこにいただけかもしれない。
たまたま、殺された現場に、何回も?
「ああ、もう。駄目だぁ」
考えれば考えるほど、嫌な予感が浮かんでくる。
考えても答えなんて出ないのに。自分たちの目で見てみなきゃ、わかんないことなのに。
でもあたしは、あの優しい兄さんがこれ以上傷つくところなんて見たくない。だから先回りして、悪い予感ばかりを想定してしまう。
この話をしたら、兄さんはどんな顔をするかな。あの後、女将さん以外の人にも話を聞いてみたけど、残念ながら変死体が出てるのは本当みたい。
心臓が、飛び出そうなくらいドキドキと高鳴っている。まるで恋しているみたいに。顔が熱い。視界に入る全ての主張が強い。
もしかしたら、長屋にいるうちに兄さんの耳に入るのも、そう遠くないかもしれない。
だったら、やっぱりあたしの口から伝えた方がいい。
深呼吸をして覚悟を決めると、あたしは長屋へと走った。長屋は茶店からそう遠くない場所にある。商店が並んでいる通りを抜けて、いくつか道を曲がると、途端に町の喧噪が遠ざかる。
通い慣れた足で我聞さんの家に向かうと、障子の向こうから兄さんの声が聞こえてきた。
「袢纏の綿はみ出してるんで、一旦持って帰ってもいいですか?代わりに厚い布団出しておくので……」
「ああ、いいよいいよ。それぐらい自分で直すから」
「体調が悪いのに何言ってるんですか。それに我聞さん家、針も糸もないでしょう?」
ああ、さっそく家仕事を増やそうとしてる……。帰ったら、無理矢理にでも奪い取ってあたしが縫おう。直れば、兄さんがやろうがあたしが縫おうが関係ない。兄さんは手持ち無沙汰な方が丁度良い。
「多少綿が出ていても、着られたらいいじゃないか。それに一馬の仕事をこれ以上増やすのも申し訳ない」
それは我聞さんも同じ意見みたい。十何年そばにいたのだ。兄さんがどれだけ過重労働をしているのかも理解している。
「直すぐらいすぐ終わります」
「いいや、そう言ってまた夜遅くまで仕事してるんだろう?」
「それは復興の時の話でしょう。蝋燭がもったいないので、今はもうそんなことしてませんよ」
「そうかい?お前さんのことだ。信親さんや鈴ちゃんに隠れて、内職のひとつやふたつ、いやみっつやよっつ抱えててもおかしくないと思ってねえ」
「ぼくはそんなに器用じゃありません。それこそ、手が4つないと」
「そうともさ。ふたつしかない手に、色んなもんを抱え込みすぎなんだよ、お前さんは」
我聞さんの言葉の端々に、空気の抜けた笛のような音が混じっている。そういえば、我聞さん風邪気味だって言ってたな。
声だけで気圧されるような気迫を耳にしていたら、体調が悪いなんて気が付かないかもしれない。布団の上に座っているんだろうけど、今にも立ち上がって兄さんに説教を始めそうな声色だ。
「こんな老いぼれの爺など手放して、少しは自分のために時間を使ったらどうだい?」
「そんな……。ぼくは自分の意志で我聞さんのところへ来ているんですよ」
「自分の意志ね。そんな大層なもんかね。自分を慰めるの間違いだろう」
扇子を勢いよく閉じるような、相手の声だけじゃなく意志も一線するような、鋭い声だった。
「お前さんには感謝しているさ。10年間、何度もお前さんに助けられた。だが、結局のところ、わしはお前さんがいなくとも何ら支障なく生きられた。杖があればどこでも行けるし、米だって自分で炊ける。だが、それら一切をお前さんが奪っていったのさ」
「ぼくは、そんなつもりじゃ」
「ああ、そうだろうとも。お前さんは正しいことをしている。人から賞賛され、褒められるようなことをね。だが、お前さんが本当に欲しいものは、そんなものじゃないだろう?わしや他人の目など、その代用品でしかあるまい」
まくし立てるような声は、理解できなくても、心のどこかにぴったりと埋まる説得力があった。うまく言葉にできなかったことを、代わりに形にしてくれたような感覚が走る。
だけど、それはあたしだけの感覚で、兄さんはその意図を読み取れずに困惑している。見えなくても、引き攣った息が動揺を教えてくれる。
今まであたしも、父さんも、その違和感を言葉にすることができなかった。兄さんの行為そのものは、賞賛されるべきことばかりだったから。
働きすぎる兄さんから、家事を奪うことぐらいしかできなかった。それとも、あたしたちが家族だから、近すぎる存在だから、声を聞いてもらえなかったのかな。
「代用品なんて。ぼくはただ、あなたや町の皆の役に立ちたかっただけです。それは、ぼくがそうしたいからそうしてきたんです」
誰かの役に立ちたい。それは紛れもなく、兄さんの本心だ。今でこそ町の人からの信頼も厚いけど、最初の頃は気味が悪いって陰口を叩かれることも多かった。その頃でさえ、兄さんは黙々と働き続けていたことをあたしは知ってる。
がむしゃらに、我を忘れるように働き続けていた兄さん。そうしなければ生きていけなかった兄さん。
その行為を通して、本当は何を望んでいたの?
「そうしている内に、わしのようにしわくちゃのじじいになってしまうぞ」
諭すような声で、我聞さんが言う。聞きわけのない子どもに言い聞かす。
「なあ一馬。人生は短い。お前さんが本当にしたいことがあるなら、人に構っている暇などないぞ」
「……本当にしたいこと」
「誰かのために尽くすのも結構だが、自分のことも、もう少し見つめてやってくれんか」
震える吐息が、障子越しに聞こえる。
あたしと父さんは多分、兄さんが何を望んでいるのかなんとなく知っている。
でも、それは兄さん自身が気が付かなくちゃ意味のないことなんだと思った。
「さあ今日はもう帰れ」
「でも、我聞さんは体調が悪いのに……」
「ええいしつこいぞ!お前さんのその辛気くさい顔見てると、余計に悪化するわ!いいから帰れ!」
怒鳴り声の後、たたらを踏んだ足音が近づいてくる。あたしは咄嗟に近くに井戸の後ろに身を隠した。
障子が開くと、浮かない顔をした兄さんがいる。とぼとぼと背中を落として家に帰る兄さんを見送る。そうして、その背中が小さくなった頃、家の中から我聞さんの声が聞こえた。
「鈴ちゃん」
足を引き摺って、我聞さんが家の中から出てくる。井戸に隠れていたあたしは、さぞまぬけな顔をしていただろう。
家に帰ると、ふんぞりかえったメルさんの前で、真之介さんが正座をしていた。
「何やってるの?」
「あ、おかえり鈴ちゃん!メルさんに、古今東西の不思議な生き物の話を聞かせてもらっていたんだよ!すごいんだ、この国だけでもまだまだ噂にもなっていないような生き物がたくさんいるんだ!」
目をきらきらさせて、握ったあたしの手をぶんぶん振り回してくる。
桶の中で肘をついて横になっているメルさんは、干し芋を囓りながら鼻を鳴らした。
「人魚の中でも、話をするだけで腰を抜かす者も多いというのに、お主は変わり者じゃな」
一体どんな生き物の話をしてたんだろう。そして、いつの間にこんなに仲良くなったんだろう。
ええ、でもずるい。あたしも一緒に聞きたかった。
「いや、本当に興味深かったです!僕も丑三つ時に白装束を着て出歩いてみたりしたんですけど、なんにも遭遇したことなくって!」
「そんなことしてたの!?」
出会うどころか、人間の方が泣いて逃げ出してしまうのでは。はた迷惑な旦那に二度としないでと釘を刺しておく。
懲りた様子もなく、せっせと硯箱と和紙を取り出した。
「こうしちゃいられない。忘れないうちに、書き起こしておかないと。口頭で伝わる話は、人と人の間で話がねじ曲がったり、消えてしまったりするからね」
特に何も訊いてないけど、丁寧に説明してくれる。硯箱の中には、隅から隅まで文字で埋め尽くされた和紙が何十枚と重なっている。
中身は見なくてもわかる。人魚伝説はもちろん、幽霊や妖怪について書き記したものだ。
10年間書き足されていったそれは、硯箱を押し上げるぐらいの量になっている。
「ほう、儂も聞いたことのない話がいくつかあるのう」
メルさんは、硯箱から滑り落ちた紙に目を走らせている。
「それは多分、噂で留まっているような話がほとんどだからじゃないですかね。本や瓦版に載るような話は書いていないので」
「なら、ここにあるのは、全てこの町で流れた話ということか」
「はい。町の人が遭遇した不思議な話とか、怖い話です。噂なんて特にすぐ消えてしまうものなので、こうやって書き起こしてるんです」
そこまで聞いてはたと気が付いた。
そうだよ!町の噂に詳しい人が、家族にいたじゃないの!
「真之介さん、訊きたいことがあるんだけど……」
筆を走らせる真之介さんに、事の顛末を話した。
「ああ、それなら僕も知ってるよ。まさか、現れる女性が、鈴ちゃんの知人とは思わなかったけど」
「まだ決まったわけじゃないよ」
「そうだね、ごめん。あと、僕が訊いた話を付け足すなら、その人は背中に大きな長持を背負っているんだって」
目を和紙に向けたまま、真之介さんは淡々と述べる。
「あと、足の傷は咬み跡って言ってた気がする」
「咬み跡?熊とか?」
「ううん、違うと思うよ。執着心の強い熊なら、一度手をつけた獲物をそのまま放置するなんてことしないと思うし、なにより首に絞められた跡があったから、殺人であることは間違いないんじゃないかな」
そこまで言って、真之介さんははたと筆を止めた。
「って、僕たちこれからその山に登るのか」
「そうなんだよ。それにあやめさんが関わっているかもしれない以上、これをどう兄さんに伝えようかと思って」
「ううん……。でも、あそこまでやる気になってる一馬さんを止めるのは無理なんじゃない?」
「そうだけど!」
「むしろそれを言ったら、今すぐにでも山に行きそうな気もする。……正直、その、不謹慎だけど、僕も、真偽を確かめてみたい、気もある」
「もー!こんなとこで好奇心を発揮しないでよ!」
「でも鈴ちゃんも気になるでしょ!?」
「不思議な話とかかわいい妖怪は好きだけど、熊とか人殺しとか物騒な話はいや」
相談したところで状況は悪化する予感が増すばっかり。
家の中を見渡しても兄さんの姿はない。外で籠を作っていた父さんのところにもいなかった。
まさか、先にひとりで山に行ったとかじゃないよね?
「で、その兄さんは?どこ行ったか知らない?」
「ああ、一度帰ってきて、神社へ行ってくるってまた出かけて行ったけど」
「神社か……」
物思いに耽るには、この時期の神社は悪手だ。あっちもこっちもトンカチの音で溢れかえり、人が行き来しているから。それに、その光景は嫌でも兄さんに、母さんの事を思い出させるに違いない。
「鈴ちゃんはどうしたい?」
「どうしたいって」
「一馬さんを止めて、これまで通りの生活がしたい?それとも、一馬さんの好きにさせてあげたい?」
「それは、兄さんに聞いてみないとわからないよ……」
もし、人を殺したのがあやめさんだったら。その事実に晒された時に、兄さんがどうなってしまうのか考えるのが怖い。
でも、今まで通りってことは、誰かのために自分を消費し続ける兄さんを見守り続けなきゃいけないってことだ。
「でもあたしは、兄さんが納得できる方を応援したい」
「うん」
自分の髪をぎゅっと握って、深く息を吐いた。
「あの兄さんが、自分から何かしたいって気持ちがあるなら、それを見守りたい」
穏やかな顔であたしを見ていた真之介さんは、ゆっくりと筆を硯に置いた。
「あのね、鈴ちゃん。土砂崩れで両親を亡くした時、僕はずっと父さんと母さんの幽霊を探してたでしょ」
あたしを見つめる目が、地平線を眺めるように遠くなった。
「町の人たちが僕を可哀想な子だって言っても、馬鹿なこと言うなって言っても、鈴ちゃんは幽霊を探し続ける僕を否定しないでいてくれた。僕は、鈴ちゃんのそんなところが好きなんだ」
「き、急にどうしたの……」
「鈴ちゃんは優しいって話」
にっこり笑う真之介さん。とっさに返す言葉が浮かばなかったあたしは、目を逸らした。
「あ、あたしは別に優しくない」
結局、真之介さんは両親の幽霊に会うことはできなかったらしい。でも、どうやって幽霊に会えるか調べ続けた結果、今みたいな好奇心の権化になってしまったというわけ。
まあ、理由はそれだけじゃないけど。
「とりあえず、兄さんに話を聞いてくる」
「鈴ちゃん、照れてる?」
「照れてない!囲炉裏が熱いだけ!」
多分。
暖かい視線と生暖かい視線を感じながら、あたしは外へ飛び出した。




