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鬼の住む川辺  作者: 白河いさな
外伝:生者の独白
16/25

1.来訪者

 人生の主役は自分だと、誰かが言っていた。

 それは例えば、物語に出てくるような数奇な運命を辿る人を言っているのか。

 それとも、自分の人生の舵は自分で取れよ、と警告しているのか。どちらにでも取れる言葉だと思う。

 そして、前者に関しては、あたしは完全に端役だ。竹から産まれたわけでもないし、何か特別な力を持っているわけでもない。ただの普通の町娘。というのも、小さい頃から人魚や美しい異国の血を引く女性が周りにいたので、余計にあたしは普通の人間だと思い込んでしまうんだろう。

 物語の登場人物が周りにいれば、自然と自分の立ち位置を考えてしまうものだ。

 考えた結果、あたしはやっぱりただの町娘で、傍観者だった。そのことに不満や劣等感を覚えたこともない。むしろ、不思議な出会いに溢れた人生に楽しみさえ感じていた。

 だけど、突然襲ってきた天変地異は、その楽しみも、おとぎ話のような人たちも、全てを奪ってしまった。

 端から見れば悲劇でも、それがふりかかる方はたまったものじゃない。

 そして、その喪失は、あたしよりも、兄の心に深い傷を残していった。

 兄さんはよく能面と呼ばれる。顔の筋肉が衰えているのかと思うほど、感情が表に出ないからだ。

 そんな兄が泣く様を、あたしは今までの人生で二度見た。

 一度目は、あたしが7歳の時。土砂崩れに巻き込まれたあたしを、助けてくれた時だ。国全体が天変地異に見舞われた後、飢饉や土砂崩れと、各地で二次被害が耐えなかった。朦朧としている中で、兄さんは嗚咽を漏らして泣いていた。背中を掻くほど抱いた爪は、土を掘って血だらけになっていたと思う。


「……っよかった、鈴。今度は助けられた!」


 兄さんは泣きながら笑っていた。前髪を切った後だったので、下手くそな笑顔がよく見えた。顔の筋肉どころか、全身が骨になるくらい痩せていた頃だったけど、兄さんは確かに笑ってた。

 今思えば、兄さんは自分のせいで母さんが死んだと悔いていたからこそ、あたしを助けられたことに安心したんだろう。

 災害による死が、すぐ隣にありふれていた時期だったからこそ、余計に。

 10年前、国の中心にそびえる火山が噴火した。大量に降り注いだ灰は、農作物を軒並み駄目にしていった。幸いあたしたちの町は、お偉い様が貯蓄米を配給してくれたお陰で餓死者は少なかった。十分とは言えない食料でも、死ぬことは免れた。だけど代わりに、大規模な土砂崩れが町に甚大な被害を齎した。

 海にあったあたしたちの家は無事だった。でも、その日は父さんと町に出かけていて、流れてくる土砂に巻き込まれたのだ。

 運良く家屋の隙間に入り込んだお陰か、土砂の縁に近かったお陰か、なんとかあたしと父さんは生き延びることができた。とは言っても、ひとり町が埋まる瞬間を見ていた兄さんは、生きた心地がしなかっただろう。

 それに、崩れてきた山には、知り合ったばかりの兄さんの友達がいた。異国の血を持つ、美しい女の人だ。

 復興の最中、兄さんはよく崩れた山の方を見つめていた。

 山奥にある二つの村は壊滅した。

 そんな噂が流れて、風化しても、兄さんの広くなった視界の先には、いつもあの山があった。あたしは幼かったけど、一度だけ会ったその人を覚えている。夕日を溶かしたような綺麗な瞳を持つお姉さんのことを。そして、何度も遊んでくれた人魚の潮君のことを。

 災害から10年。あたしと兄さんは、あれから二人に会えていない。

 兄さんは山を大回りして、何度か村のあった場所へ行ったらしいけど、ふたりの姿は見つけられなかったらしい。

 それでも、兄さんは二人が生きていると信じている。何も語らなくても、瞳がそう言っている。

 そんな真っ直ぐな瞳を、あたしはずっと隣で見ていた。そうしているうちに、兄さんより先に、あたしがお嫁に行くことになっちゃった。

 相手は父さんの仕事仲間の息子さん。災害で両親を亡くして、身寄りのない彼をうちで引き取ったのだ。同じ家で暮らすうちにお互いが想い合うのに、そう時間はかからなかった。

 今は父さんと兄さん、そして旦那の真之介さんと一緒に暮らしている。

 海の近くにあるあの家で。

 流れ着いた土砂や降り注いだ灰のせいで、一時はろくに魚も捕れなかったけど、今は思い出と同じ青い綺麗な海。

 砂浜を尋ねたあたしは、水面に浮かぶ船に向かって大きく手を振った。


「真之介さーん!父さーん!兄さーん!お昼できたよー!」


 二人分の影が手を振り返してくれる。多分、真之介さんと父さんだ。浅瀬に近づく船に走り寄ると、真之介さんが困った顔であたしを見ていた。


「鈴ちゃん、義兄さんが上がってこないんだけど……」

「え!?溺れてるんじゃないの!?」

「いや、そうじゃなくて。沖の方に、離れ小島になってる岩場があるでしょ。あそこで何度も潜ってる」


 地平線が視界を遮るぎりぎりの場所に、人ひとり立てるかわからないほどの小さな小島がある。小島というか、岩?よくあの場所を目的地にして泳ぎを競う人を見かける。

 真之介さんが指した先を見ると、確かにそこに小舟が浮いていた。


「太陽がきつくて奥は見えないけど、何か挟まってるみたいなんだ。だから、長い銛を持ってこようとしてて……」


 その時、小島がちかりと輝いた。

 凪いでいた水面の底から、輝く何かが見える。手が船を掴んで、水面から何かが浮き上がる。輝いていたそれは、金色の何かみたいだ。簾みたいに波に揺れるそれは、髪?金色の髪?


「ちょっと待って、人が溺れてる!?」


 父さんが目を剥いた。慌てて、浅瀬につけた船で引き返そうとし始める。あたしも腰まである髪をまとめて、海へ飛び込もうとした。

 そうしているうちに、その人の頭から下が水面に晒される。

 金色の髪を持つその人の下半身は、魚の鰭が着いていた。

 そして、その人を担いでいるのは、やっぱりうちの兄さんだった。

 なんてことなんだろう。うちの兄さんは、ついに人魚をも乗せて帰ってきた。



 人が多い時間だったので、あたしは実家から押し車と布団を持ってきた。船に乗せられてやってきたのは、金色の髪を持つ子どもの人魚だった。人で言うと、10歳くらいの、多分女の子。布団にくるんで、実家まで連れ帰ってきた。そして、意識のない彼女に、兄さんの作務衣を着せた。あたしの着物だと裾が長すぎるから。そのまま、塩水を入れた大きな水槽に寝かせる。

 彼女は金髪であること以外にも、あたしたちと違う点があった。まあ、鰭があることは置いておいて……。鼻や眉の堀が随分と深かった。一目で異国の人とわかる風貌に、あたしたちは顔を見合わせた。


「どうして、異国の人魚がここにいるの?」

「異国の船に紛れてやってきたんじゃないのか?ほら、前に言っただろ。西は異国との窓口になってるってよ。そこから泳いでくることはできるだろ」

「怪我は……してないみたいですね。起きたら何か食べられるように準備しておきましょうか」

「……誰も、人魚であることには突っ込まないんだね」


 真之介さんが信じられないと言いたげな顔で、あたしたちと彼女を交互に見た。


「言ったでしょう。前に人魚と交流があったって。それとも、信じてなかったの?」

「君のことだから、嘘ではないとわかっていたけど、実際に目の前にいると思うと、やっぱり驚くよ」


 真之介さんは、彼女の鱗をまじまじと見ていた。困惑を浮かべていた顔が、すぐに子どもみたいに好奇心に満ちる。昔から彼は、妖怪とか幽霊とか、そういった実物するかわからないものが好きなのだ。

 いやでも気持ちはわかるよ。人魚って綺麗だよね。人間も魚も毎日見ているのに、どうしてこんなに全身が輝いて見えるんだろう。


「人魚……。本当にいたんだ。思っていた以上に綺麗だな」

「鱗が虹みたいだよねぇ」


 顔を見合わせて笑う。

 さて、うっとりとしている彼をおいて、あたしは鉄瓶に湯を沸かしてお茶の準備を進める。兄さんが棚から卵を取り出した。多分、卵粥を作るんだろう。鉄瓶が沸騰するのを待ちながら、5人分の椀を持ってくる。

 とりあえず、あたしたちも食事をしなきゃ始まらない。横たわる彼女の胸は上下していて、生きていることは間違いない。

 だったら、いつもと同じ生活をしつつ、彼女を見守るしかない。

 でも、彼女が起きるのは思った以上に早かった。昼食に準備していた煮物が温まり、兄さんが粥を作り終えた頃、見計らったかのようにぱちりと目が開いた。

 あたしたちを見る目は、海の色をしていた。



「あーーーー!!!生き返った!」


 卵粥と煮物を平らげた彼女は、椀を床に置いて大きく息をつく。寝起きとは思えないくらいの食べっぷりは見ていて気持ちよかった。これだけ食欲があるなら、元気だろう。


「お腹が空いて死にそうだったのじゃ。本当にお主らには感謝の言葉しかない」


 異国の風貌をしているのに、喋る言葉は古めかしい。堀の深い顔からすらすらと同じ言葉が流れてくるのは、なんだかおかしな気持ち。


「特にこの粥が美味い!地上にくるのは久しぶりじゃが、やはり人間の作る食べ物は凝っていて美味じゃ」

「米と雑穀を煮て、塩と卵を入れただけですけどね」

「海の中は火がないからの、地上で暮らす物好きな人魚でもない限り、儂らは海藻や微生物なんかで腹を満たすしかないのじゃ。まあ、お主らと同じで魚ももちろん食えるがの」


 彼女は遠い目をした。同じ身体の一部を持つ魚を食べるのは胸が痛むのだと潮君も言っていた。

 空になった湯飲みにお茶を注ぎながら、兄さんが問いかける。


「ところで、どうしてあんなところに挟まっていたんです?あと差し支えがなければ、名前を教えてもらっても?」

「そうじゃな、名乗りもせずに物乞いのように振る舞って失礼した。儂はメル。見た通り、生まれた土地はこの国のずっとずっと向こうにある。産まれた頃は故郷をうろうろしていたんじゃがの。商人の男にここへ連れてこられてから、あっという間に数百年じゃ。久しぶりに知り合いの顔でも拝もうかとここへ来る途中で、嵐に遭っての。あの岩陰に身を潜めているうちに、岩が転がってきて動けなくなってしまったというわけじゃ」

「なるほど」


 確か、一ヶ月ぐらい前に台風がひとつ通り過ぎていった。今年は台風や嵐が少ないから、きっとその時にあの岩場に挟まってしまったんだろう。そりゃあお腹も空く。

 それにしても、見た目は手習い所に通う子どもそのものなのに、年齢は数百歳を軽く超えているらしい。わかっていたけど、人魚の見た目を信用してはいけない。あの赤ちゃん肌を長く保つ秘訣があるのなら、ぜひ教えてほしいところだけど。


「し、知り合いも人魚さんなんですか?」


 興奮が抑えきれないと言った様子で真之介さんが言った。

 その時、メルさんがあからさまに顔を顰めた。興奮した眼差しで見つめてくる真之介さんを、据わった目で見つめている。


「……失礼じゃが、彼は?」


 真之介さんじゃなくて、兄さんに言った。


「彼は、妹の夫で真之介と言います。ぼくたちにとっては身内同然……というか身内ですが、なにか懸念でも?」

「お主らは人魚に関わったことがあるな」


 海の瞳が兄さんを見て、あたしと父さんを映す。


「そして、肉喰いではない」

「肉喰いとは?」

「人魚の肉を喰らった人間を儂らはそう呼ぶ。長く人魚と関わった人間は独特の匂いがする。少なくともお主らは一度人魚と関わったから、儂に動じない。違うか?」

「いえ、その通りです」

「じゃが、真之介殿、そなたは違う」

「そうですけど……」


 好奇心を引っ込めた真之介さんは、神妙な顔でメルさんに向きあった。緩んでいた空気が急に張り詰める。

 ぎゅっと唇を強く合わせるメルさんは、真剣な表情の中に苦痛と不安を滲ませた。彼女が何に怯えているのか。それを先に察したのは、兄だった。


「メルさん。真之介は、あなたを売り払ったり、傷付けたりするような人間ではないですよ」

「恩人の身内を疑いたくはないのだがな。だが、疑うのは人魚にとって性のようなもの。失礼な態度を取ってすまんかったな……」


 まだ猜疑心の抜けていない瞳を閉じて、メルさんは真之介さんに頭を下げた。下半身が鰭とは思えないくらい綺麗な礼だ。


「いえ、こちらもお疲れのところ、慣れ慣れしく接してしまってすみません。気を遣われるようでしたら、私はこの場から退出しますので」

「良い。これは儂の問題じゃ。この家の住人であるお主が気を遣う必要は無い」


 とは言っても、未だに不老長寿の噂が流れる人魚。常に狙われる彼女たちは、地上に近づく以上、疑わなければ生きていけなかったんだろう。

 疑うこととは無縁そうな人魚もいたけど。

 深く息をついたメルさんは、お茶を飲んで肩の力を抜いた。


「いかにも。知人とは儂と同じ人魚のことじゃ。奴は儂と違って、人と暮らすのが好きな物好きな小僧じゃった」

「その方は、長くこちらに住んでいらしたんですか?」

「旅好きであちこちに行っておったが、一段落したら必ずここに帰ってくると言っておったの。顔を合わせる度に人間の話をしてくるような人懐っこい奴じゃ。じゃが、この近辺で火山が噴火したじゃろう?あいつは元気かと気になっての」


 あたしと兄は、顔を見合わせた。きっと、いや、間違いなくあたしたちは同じ顔を思い浮かべていた。人懐っこくて、この土地に長く住み着く旅好きな人魚。

 あたしたちは、それとよく似た人物……いや、人魚を知っていたから。

 あたしはつい身を乗り出して聞いてしまった。


「あ、あの、その方の名前ってもしかして潮って言うんじゃないですか?」


 メルさんは、大きな瞳をぱちくりと見開いて、ゆっくりと頷いた。

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