35話・わたしは傾城ちゃん
数週間後、雲一つない青空の下わたしはある場所に連れられて来ていた。
「可愛い。可愛い。マリた~ん。大人しく待ってて下ちゃいね。そしたらパパはご褒美に、いっぱい甘いチョコレート菓子を買って来て差し上げまちゅ。いい子で待っててねん」
と、ベルナンは子猫姿のわたしを膝に乗せ、舐め回すように散々わたしの身体を撫でまわしながらご機嫌に話しかけて来る。
だれがパパよ。子猫相手に幼稚言葉って可笑しいから。まだ赤ちゃんとかに話しかけるのは分かるよ。よく親バカって聞くもんね。
でも、どうみてもペットの子猫に「でちゅよ」とか、「まちゅよ」とか言うのは可笑しいでしょ。止めて欲しい。言われてるわたしが恥かしいですよ。
本人大真面目だからなぁ。本当に困る。パルシュ国王の側近にして国の頭脳とも思われる宰相の地位についてる人が、子猫を見てデレデレ目尻を下げてるんですよ。うわあ。きもいです。見てるのが耐え難い。
彼は普段きりりとした口調で話すのに、なぜか子猫姿のわたしを前にすると完全無欠の姿が崩れ落ちる。なのでお屋敷のメイドさんたちは、鉄壁のごとく感情を乱さないベルナンが構いすぎている子猫のわたしを「傾城ちゃん」と、呼び始めた。ここでも勝手にわたしのイメージ上昇中。呆れるったらないわよね。
そしてこの馬車は子猫のわたし仕様で壁や天井は馬車の急な揺れでわたしがぶつかっても痛くないように、綿入りのふわふわのクッションがはりつけられ床には毛が長い絨毯が敷かれている。内装は真っピンクでなんだか目がちかちかする。これって過保護過ぎませんかね?
ちなみに彼はもとの姿に戻ったわたしには平然としている。まあ、元に戻った後のわたしは好き勝手させてもらってるしね。仕事で帰りが遅くなるベルナンとはそんなに交流してないしする気もないし。
プロポーズ受けた日は彼がどんな手でくるか分からなかったから夕食を一緒にとったけど、でももともと人の姿に戻った後は食事はいらないしね。あの後、胃が痛くなって大変だったのでプロポーズされて以降は、お返事待ちさせてることもあり宛がわれた部屋にこもらせてもらうことにした。
すると子猫になったわたしにベルナンは妙に構いだした。わたしと一緒にいられる時間が限られているせいかもしれないけど。あつ苦しい。もう少し、さっぱりした付き合いをしてくれませんかね?
他の子猫を見ても目尻が下がる事はないのに。わたしの子猫姿のなにがそんなに彼を惹きつけるのでしょう? 全く変な人だ。変態だよ。
「ああ。愛しのマリたん。行ってきまちゅね。ここでパパの勇姿を見てるんでちゅよ。はあいチュウは? チュウしてくれないとパパ拗ねちゃうぞ」
ベルナンが嫌がるわたしに頬ずりをして来る。わたしは唇の代わりに肉球を彼の唇に押し付けてやった。
「うう~ん。なんとも言えにゃあい。気持ちいい。チュッチュッ」
やだぁ。ベルナンが肉球にキスして来た。きもい~
『嫌だあ。離してっ』
ジタバタ彼の手の上で暴れると、
「ベルナンさま」
と、感情を殺した様な声がかかった。
「お時間でございます。そろそろ宰相さまが参られないと裁判の開始時間が遅れてしまいます。もうヘリオスさまはいらしてるようでございます」
「なに? 国王が? では遅れるわけにはいかないな。残念。まりたん。ああ。パパはもう行かなくては行けないようだ。ナリッサ後は頼むぞ」
「はい。お任せを」
機会仕立ての人形のようにナリッサは九十度に背中を倒して一礼するとわたしを彼の手から預かった。
「それではいってらっしゃいませ」
「では行って来る。まりたん。いい子にしてるんだよぉ。パパ行って来るね」
そうは言ったがベルナンは動く気配がない。わたしを見てにやにやしている。
「ベルナンさま」
「なんだ。すぐ行く」
ナリッサが冷めた目で見る。やにさがったベルナンの顔はしまりがない。
「ベルナンさま?」
「もうちょっと。いま行く」
ナリッサの呆れる様な声にも平気な顔でベルナンはひたすらわたしを見続けていた。視線でわたしを犯しそうな勢いだ。
「ベルナンさま」
「ああ。なんてかわゆいんだ。たまんないなぁ」
よだれを流しそうな口許になってきた。もう変態。
「ベルナンさまっ」
「やっぱりもう一回キッスしたい」
ナリッサに抱かれているわたしに手を伸ばして来る。わたしは床の上に逃れた。
「ベルナンさま!」
「やっぱりパパ行くのやめようかな」
うわあ。早く行ってよ。うざい~。わたしが毛を逆立てて怒ると、ナリッサは素早く動いた。
「とっとと、行きやがれですわ。この変態宰相がっ」
馬車からベルナンを蹴り落とす。すごいナリッサ。パルシュ国の宰相を蹴り落としたよ。ベルナンはお尻を擦りつつ、お供を連れて会場に向かって行った。
今日はアイギスの決闘裁判の日だ。パルシュ国王のヘリオスは決闘場所を設けて皆にこの裁判をお披露目する気らしい。わたしはアイギスの無実を証明してくれそうな腕利きの騎士が現れたのか気になって仕方ないのに、ベルナンはそのことについては触れて来なかった。
(大丈夫よね? アイギス。どうか神さま。アイギスをお救い下さい。わたしはどうなっても構わないから)
子猫姿では手を合わせる事も出来ないわたしは心の中で願う。わたしには裁判の行方を見守る事は出来ないけれどアイギスのことは気にかかっている。
「大丈夫ですよ。マリカさま。アイギス公子さまは助かりますとも」
ナリッサがわたしの心を読んだように言う。その言葉は単調に聞こえるがわたしの心に届いた。彼女は感情を露わにすることを自ら留めている。
ナリッサはただのメイドではなかった。戦闘力に優れていてわたしの護衛を務める為にベルナンが用意した影の一人だ。口数は少なく常に冷静なことからベルナンの信用は厚いようだ。
他のメイドは知らないわたしの秘密を知っている数少ない人物でもある。ベルナンが彼女なら信頼がおけると判断して話したからだ。しかし彼女がベルナンを蹴り落とすとは思ってもみなかった。なんだか可笑しい。わたしは子猫の身で笑った。




