29話・あの日に起きた出来事
ちょっと長くなります。
「姉さま。元気出して」
「アイギス…」
「きっと義兄上はどこかで生きてらっしゃる」
「そうね」
わたしは落胆していた。十年ごしの想いを成就させて夫となったナイルが新婚まもなくある日突然姿を消したのだ。パルシュ国へ結婚報告に行くと旅立ったナイルはそのまま領地のユーリッシュには帰って来なかった。パルシュ国に問い合わせたものの、報告を済ませたナイルはすぐに帰国したとの事で県境を越えた辺りから消息が知れなかった。
噂好きの貴族たちは聖職者だったナイルは還俗をしたことで神の怒りにふれたのだとか神隠しにあったと騒ぎたてる一方で、どこぞに妻に内緒で女を囲っているのではないかと騒ぎ立てた。
わたしは生きていてくれるならナイルが他に女性と暮らしていようと構わないとまで思っていた。消息が知れないことが怖かった。まさか何かの事件や事故に巻き込まれて命の危険にさらされているのではないかと思って寝れない夜が続き、わたしの様子を心配した養父がスワンヘルデ城に連れ帰ってくれていた。
そんなある日、白髪頭の執事のロランが小さな小包を差し出して来た。ロランは養父が子供の頃からこの城に仕えてくれている忠義者だ。
「マリカさま宛てのものでございます」
白い小包にはわたしの宛名が書いてあるだけで差し出し人の名前がない。さっそく中を開けてみると何か液体の入った小さなガラス小瓶と一通の手紙が添えられていた。そこに書かれている文字には見覚えがあった。
『茉莉花へ』から始まる手紙。これはナイルからだとすぐに分かった。茉莉花という名を他に漢字で書ける人はここには誰もいないからだ。ナイルにわたしの住んでいた世界では「まりか」とはどう書くのかと聞かれ名前の漢字を教えたのだ。その時から彼は何か大事なことを書き記す時には茉莉花と書くようになっていた。
その手紙には、
『もし万が一のことを考えてこの魔法の薬をきみに託す。ぼくがきみの側にいられなくなった時にもし、きみの身になにか危険が迫った時にはこの薬を飲んで下さい。でも出来ればそのような事が起きない事を祈っています』
と、書かれていた。文面が乱れている事から慌てて書いたようにも思える文面だった。
「ナイル…」
「姉さま。その手紙は義兄上からのものだったの?」
黙って様子を伺っていたアイギスが聞いて来る。わたしは手紙の内容にどこか釈然としないものを感じた。そこへ馬のいななきらしき声が外から聞こえて来た。窓から外を伺っていたロランが、
「おや。お使者さまがいらしたようですね。ちょっと出て参ります」と、退出して行った。
「あれはパルシュ国からの使いの様よ。何の用かしら?」
「おかしいね。お父さまはパルシュ国王さまに会いに向かわれたのに。行き違いかな?」
「変ねぇ」
姉弟で外の様子を伺っていると、なにやら使者のほかに騎士の行列が続き、彼らは何かを運んできた。棺のようだ。
「なに? どういうこと?」
嫌な予感が頭を駆け抜ける。アイギスも言葉が出ないようだ。棺が持ち込まれたということはこの城の誰かが亡くなったということだ。いまの時点で考えられる相手といえば…
「ロランに聞いて来るわ」
咄嗟に部屋から出ようとしたわたしは、ドアの前にロランがいたのに気がついた。
「ロラン。あれは…?」
説明を促そうとするわたしにロランは深い悲しみを秘めた目を向けて来た。
「公子さま。公女さま。これから私が話すことをよくお聞き下さい。実は…」
「私からお話致しましょう。私はパルシュ国の宰相、ベルナンと申します。以後お見知りおきを」
バルナンは宮廷風のお辞儀をしてわたし達の関心を惹きながら、残酷な真実を告げた。
「本日、ブラバルト大公殿下は、我が国の王と謁見中に国王の命を狙った不埒な輩から国王を庇い命を落とされました」
「お父さまが?」
「ああ。うそ。そんな…」
問い返すアイギスに、信じられない思いで寄り沿っていたわたしはその場に崩れ落ちそうになっていた。
「国王を庇い負われた大公殿下の傷は深く心臓にまで達しておりましてお命をお救いすることが出来ませんでした」
申しわけありませんでした。と、ベルナンは深々と頭を下げて来る。ベルナンに頭を下げられてもあの優しかった養父が帰って来る訳ではない。行き場のない怒りがこみ上げてきた。
「一体、誰です。誰がお養父さまを?」
「それは恐れながら申し上げるわけには参りません。その者は捕えてありますのでいずれお沙汰が陛下より下ることになるでしょう」
「どうしてよ。なぜ教えてもらえないの? お養父さまは帰って来ないのよ」
養父の命を奪った犯人が許せなかった。
「お怒りはごもっともでございます。しかし、陛下にも対面というものがありますので。この件は公にしたくないのでございます」
パルシュ国王はブラバルト大公の命を狙った者を公に断罪する気はないとベルナンは言っていた。どうして?
養父は国王の命を奪おうとした者からヘリオスを庇い死んだ。犯人は公の場で断罪されるべきだ。たとえどんな理由があろうとも。
「ひどい。このブラバルト大公国に名君ありと謳われた方がお亡くなりになったというのにあなた方はその死の真相を隠してしまおうとなさる」
わたしは納得出来なかった。それをヘリオスの対面を慮って秘密裏に処分しようだなんて。
「その代わりと言ってはなんですが、我が国の陛下は従兄妹のブラバルト公子さま達のことを憂い、まだアイギス公子が成人しておられないこともあり自分が後見するとおっしゃっておられます。つきましては大公殿下の葬儀は、私めが執り行うように仰せつかってまいりました。なんでもご命じ下さい」
「そんな畏れ多い。パルシュ国の宰相さまにお養父さまの葬儀を執り行って頂くなど」
「大いに頼って頂いて結構ですよ。特にあなた方が今まで通りこの城で暮らしてゆきたいのならその方がお得だと思われますが」
不快な気持ちを押さえこんで遠慮すると伝えようとしたのを、バルナンの鋭い瞳は良く考えろと伝えて来た。
ふいにヘリオスが以前、ミランダ伯の主催した舞踏会で会った時に言っていた言葉が蘇った。
『叔父上はいま息災だが、もし万が一、叔父上の身になにかあればそなたは成人前の弟を抱えて路頭に迷う事になるだろうよ』
「なにが狙いなの? さてはローズライトね?」
パルシュ国王の側近、バルナンの話は養父からよく聞かされていた。有能でただでは起きない男と養父は称していた。彼は何か目的があってこの城に乗り込んで来たのだ。
「御察しが早くて助かります。我が国の陛下があなたさまを正妃さまにと望んでおられます。何も今すぐにという訳ではありませんよ。喪があけてからでよいと仰せです」
背中に冷や水を浴びせられたようにわたしは立ちすくんだ。
「国王陛下にはすでに正妃さまがおられるではありませんか?」
「ああ。そのことでしたらご心配なく。陛下はココトールから迎えられた正妃さまにはとことん呆れられましてね、近々離婚することになりましたから。気がねはいりませんよ」
何を言い出すのかと思えば。わたしは両手を握りしめた。
「わたしには夫がおります。離婚する気はありません」
「すでにご夫君は神の側に召されているといるのに?」
ベルナンの目が同情していた。
「そんなはずはありません」
「大公殿下より聞いておられなかったのですか? あの日、ユーリッシュ公爵さまは結婚報告をしに王宮を訪れた帰り道で県境の道を踏み外し崖へと転落されたと…」
「うそです。あの人がわたしを残して死ぬなんてありえませんから」
なんとなく察してはいたのだ。ナイルが帰って来ないことを養父に告げた時に養父はあらゆる手を使って捜査したはずなのに、わたしには消息が何もつかめなかったと言った。わたしはその嘘を信じたのだ。
ブラバルト大公国が小国でありながら大国を相手に渡って来れたのは、養父の手腕とその下で情報を集めて来る優秀な配下に恵まれていたからだ。その配下は忍びで各国に散らばっている。その彼らが情報を見逃すはずはない。
養父は意図的に真実を隠したのだ。わたしにとってナイルは全てだったから。彼の死を知って後を追う事が無いように…
「ナイル…」
「姉さま」
「アイギスは知っていたの? このことを?」
「ごめんなさい。お父さまから口止めされていたから」
アイギスが涙を浮かべながらすがりついて来る。わたしはまだアイギスが十三才の少年だったのに思い至った。実の父の言いつけを守り義兄の死を知りながら秘してきて今度は父親を喪ってどんなに酷な想いをしてることか。わたしはアイギスを抱きしめ、この子を守る為ならどんなことでもしてみせると心の中で誓った。
「分かりました。父の葬儀をよろしくお願い致します。わたしのことはパルシュ国王陛下にお任せしますわ」
「駄目です。姉さま。そんなこと」
アイギスはわたしの言葉の意味が分かって反対する。でも養父とナイルを亡くした今、わたし達が他に頼れる相手がいないのも確かだ。
「いいのよ。アイギス。ここはパルシュ国王陛下のお情けにすがるのが一番でしょう。わたしは喪があけたら嫁ぎます」
「賢明なご判断、感謝致します」
慇懃にバルナンは一礼し、立ち去った。わたし達に出来ることは限られている。養父を亡くした悲しみに打ちひしがれながらわたしはこの世でたったひとりの肉親になってしまった弟を強く抱きしめる事しか出来なかった。
それからしばらくわたしは部屋に引きこもった。葬儀の支度は粛々とベルナンの手で執り行われた。葬儀の後、大公の一部の強欲な親戚に何か言いがかりつけられるかと思ったが彼らは大人しく、帰る際にはアイギスだけでなくわたしにも養父を亡くしたことへの気遣いを見せて帰って行った。おそらくベルナンがうまく言い含めたのだろう。
しばらくは平和な日が続いた。パルシュ国王がわたしたちの後見についた理由は分かっていた。このブラバルト大公国で取れる希少な鉱山石ローズライトの採掘権を手に入れる為だ。
ローズライトはその名の通り薔薇色をした鉱山石で、中に金や銀の砂を内包した神秘的な石で研磨して宝飾品に用いられる。希少でブラバルト大公国でしか取れない為、近隣諸国はもちろんのこと遠方の国々の王候らが喉から手が出るほど欲しがっている状態だ。他にもブラバルト大公国は、絹織物や染色技術で経済が発展していて大公国の民も生活が潤っていた。
だからアイギスが成人を迎えてないことを良いことに後見人を名乗り出て、その採掘権を代理人として手に入れる腹積もりだろう。でもわたしはこのまま採掘権を彼らに渡す気はなかった。喪に服してる間はヘリオスはわたしには指一本、触れることは出来ないはずなのでその間に早くアイギスの成人が来ることを願っていた。
この国で成人が認められるのは十五才。喪に服してから一年が何事もなく過ぎた。あと一年だ。と、思っていた矢先、おかしな事が起こり始めた。




