26話・心配かけてごめんなさい
わたしはスワンヘルデ城内に忍びこんでいた。猫の姿はある意味便利だった。人間より早く走れるしいちいち城に入る前の入城許可証なんて必要ないから、門番の目も関係なく茂みから入り込めちゃうしね。
ハインツたちと身を寄せている宿屋を兼ねている金満亭は、ブラバルト大公領内にあるもののスワンヘルデ城からは少し距離がある。でもある日、わたしは気がついた。宿屋に食事に寄る行商人がスワンヘルデ城にも荷を下ろしてる事を。
その行商人は昼前と夕方に金満亭に立ち寄る。だからその荷を積んだ馬車に紛れ込んで城に向かい、行商人が用が済んで帰る頃にまたその馬車に乗り込んで帰ってくればいい。
冴えてるじゃない。わたし。
そう思って馬車に乗り込んだら案外上手く行った。ハインツはハンスが眉をひそめるほどわたしに過保護で自分が傍に居る時以外、わたしを部屋から外には出してくれない。でも今日はハンスからの頼まれ事で朝から遠出していた。わたしにはおとなしく部屋にいるように言い含めて出て行ったがわたしはそれを幸いと前から計画していた、スワンヘルデ城への忍びこみを決行したのだ。
城に残して来た義弟、アイギスのことが心配だったから。行商人が噂していた決闘裁判のことも気になっていた。
わたしは生きているのに死んだことにされアイギスが容疑者として疑われているだなんて。我慢ならなかった。
アイギスの姿を一目見たい。無事だろうか。
『アイギス…』
庭園のなかを走りぬけアイギスの部屋に向かおうとしたら、聞き覚えのある声がしてきた。
「‥さまはどこに行ってしまったのでしょう? ヘリオスさまのおっしゃるように、父上や義兄上さまの後を追われてはいませんよね?」
あの声はアイギスの声だ。わたしは東屋のほうへ駆け出した。思った通り八角形型をした東屋のなかにアイギスの姿はあった。誰かと一緒なようで東屋のなかの円卓を囲むように壁に備え付けられた椅子に腰かけていた。アイギスと向かい合うように座っている人はわたしから見て背中しか見えない。でも聖職者のローブと髪を束ねた後ろ姿が愛しい人の姿と重なった。
『ナイルっ』
わたしは込み上げる衝動のままに、その人物に抱きつこうとして飛びついていた。
「うわああ。なんだ。黒猫?」
アイギスが驚いた声を上げた。急に目の前に黒いものが飛び込んで来て驚いたらしい。
「これはなんと‥まあ、なんとも愛らしい訪問者ですね」
わたしは分厚い眼鏡をかけた相手ににこにこと迎えられていた。ナイルだと思ったのに飛び付いた相手は別人だったなんて。
『ごめんなさい。ナイルだと思ったの』
わたしは自分の勘違いに申しわけなくなり彼の肩に飛び付く為に、引っかけていた爪をすぐに引っ込めた。彼の足もとに下りればその体を抱きあげられて彼の膝の上に乗せられる。
改めてマジマジと相手を見ればナイルとは似ても似つかない人だ。淡い茶色の髪に青い目をした冴えない風貌をしていたが優しい笑みを湛えていた。人柄は良さそうだと判断したわたしは彼の膝にちゃっかりおさまる事にした。彼は優しくわたしの背を撫でて来る。なんだかナイルを思わせる様な手つきだ。気持ちの良さに目を閉じたくなる。
「アイギス公子。どうかお気を確かに。まりか公女はきっとどこかで生きておられますよ。プーリア教皇さまも手を尽くしてさがしておられますから。信じましょう。姉上さまのご無事を」
「そうですね。きっと姉さまは生きてますよね? リアン司教さまのお言葉を信じます」
わたしのことが話題に上っていたようだ。ごめんね。アイギス。心配かけて。
久しぶりに会ったアイギスは、やややつれた感じがする。父上やナインを亡くしその上わたしまで失踪して、アイギスにはかなり堪えたことだろう。
『ごめんね』
今の姿のままじゃアイギスの前には出て行けないけど。情けないわたしを許してね。本当にごめんなさい。
「なんだかこの子猫ちゃんも慰めてくれてる様ですよ。アイギス公子」
リアン司教は鳴き続けるわたしをアイギスの膝の上に下ろしてくれた。アイギスはわたしを抱き上げた。
「お前。人懐こいね。誰かに飼われてる猫なのかな?」
わたしは慰めになるか分からなかったけど愛しい弟の頬を舐めた。
「くすぐったいよ。あははは」
わたしの首には平たい小さな青緑色の石が赤いリボンで結ばれている。だから誰かの所有してる猫だと思われたのかもしれない。ハンスがわたしにかかっていた魔法を解いた時に猫の姿でいる時に野良猫と勘違いされないようにと、お守りの石を首輪として付けてくれたものだ。
「この城で誰かが飼ってる子猫でしょうか? 珍しい石が下がっています」
アイギスの笑い顔を見ていた司教が、突如わたしのお守りに興味が魅かれたように言って来る。
「ちょっと見せて頂いてかまいませんか? 公子」
真顔な様子に訝りながらもアイギスは渋々わたしを彼に渡した。
「ほう。これは珍しい。名前が記載されてますよ。この子の名前はヒメと言うらしいですね。問い合わせは金満亭とありますが、そこで飼われてるのでしょうか?」
リアン司教が親指の爪くらいの大きさの平たい丸石の裏を読む。ハンスは万が一、わたしがどこかに迷い込んでも困らない様、迷子札を付けていたようだ。さすが抜かりない。
「へぇ。お前、ヒメというのか。なんだか姉さまみたいだな。姉さまもお前みたいに艶やかな黒髪をしていた。国一番の淑女として有名なんだぞ。猫みたいに気紛れな所もあって、優しくて可愛い人なんだ」
わたしはなんだか弟に褒められて照れくさくなった。でも思ったよりアイギスが元気でいてくれて良かった。このリアンという司教さまが弟の側にいてくれるならひとまず安心だ。わたしはそろりと立ち上がった。もうすぐ日が暮れる。帰らなくちゃ。
『ごめんね。アイギス』
リアンの腕の中から飛び降りるとわたしは「にゃん」と、一回だけ振り返った。
「どこ行くの? ヒメ」
わたしに付けられた名前を覚えたアイギスが寂しそうに言う。このまま留まりたいけど、今の姿のままじゃ駄目なの。ごめんね。アイギス。また来るから。わたしの声は鳴き声になって掻き消えてゆく。
『また来るから。アイギス。元気でね』
「ヒメっ」
わたしを呼ぶ弟の声が胸に響く。わたしは振り返らずに門扉へと急いだ。




