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後編4

 果竪が守るべきものがあるならば、誰よりも強くなるという事を知っているのはごく僅か。他国の者達は殆ど知らないし、知っているとすれば津国王妃となった彼女の従姉妹とその夫たる王ぐらいだろう。

 しかし彼等は決してそれを口外しないから、やっぱり他国では殆ど知られていない。


 反対に、凪国は国王以下、上層部は全員知っている。


 そして、守るものが居る時の果竪が、どれ程恐ろしくて厄介かを彼等は嫌と言うほど骨身に浸みていた。


 彼等は果竪が一神で居ると思っていた。

 だから、それ程焦っては居なかった。


 しかしもし今、彼女が守るべき存在を得て、戦っていると知れば、上層部は揃って青ざめていた筈だ。そして、八名なんてみみっちい事は言わず、もっと大量の上層部を投入した短期決戦に持ち込んでいただろう。


 最初の対応を誤ったツケは重く、一年という逃亡期間を許してしまったのもそれが大きな原因と言われている。




「……」

「美琳さん、どうしたの?」


 凪国王宮の一角--煉国『後宮』の元寵姫達とその家族達が住まう区域の片隅で、ごそごそとしている美鈴に気付いた煌恋は首を傾げた。

 彼女達は、元寵姫達の関係者だった。あの地獄で、元寵姫達の自害防止用として共に捕らえられ、隔離された場所に監禁され続けた。

 彼女達の状況は悲惨だった。『後宮に居た元寵姫組』とは別の悲惨さだった。彼女達は、殴る蹴るの暴行は日常茶飯事だったし、言葉による暴力も受けた。また、下級兵士達の慰み者にされ、なかには強制的に身籠もらされた者まで居た。しかし、身籠もった子達は、その父親達からいとも簡単に殺されてしまった。腹に宿った時点で、酷い暴力の末に流れたのだ。


 美鈴は幸いな事に身籠もる事は無かった。

 元寵姫であった夫が捕らえられる前に妊娠し、捕らえられた後でその子を劣悪な環境の中で流してしまってからは子を産めない体になってしまったからだ。

 一方、煌恋は何度か妊娠し、酷い暴力で強制的に堕胎させられた。そして彼女は感染症やら何やらを引き起こし、子を産めない体となった。


 殴る蹴るの暴行。

 拷問紛いの暴力。

 性的な暴力。

 言葉の暴力。


 夏は酷く暑く、冬は凍えそうな程に寒く。

 食事も満足に取らせてもらえず、不潔な環境に置かれ続けた。


 そして何よりも、自分達の大切な者達が寵姫としてあの悪魔達に寵愛される姿を何度も見させられ続けてきた。


 それでも、彼女達は強かった。


 助け出された時にはボロボロでも、彼女達は更にボロボロとなった元寵姫達の姿を見て自らを奮い立たせたのだ。


 彼等は寵姫と呼ばれた奴隷だった。

 彼等がどれだけ酷い事をされているかは分かっていた。


 そして彼等が自分達を守る為に恥辱も屈辱も全てを飲み込み、耐え続けていた。なのに、結局は守れていなかった事実を知り--多くが耐えきれなくなった。

 神質が居なかった者達を除けば、全員が壊れた。


 酷い状態となった彼等の精神状態を思えば、彼女達は自分達の事を喜んで後回しにした。


 彼女達だって傷ついていないわけでは無かった。

 でも、彼等の方が最優先だった。


 それ程に大切だったのだ。


 それに、これから先はいくらでも時間がある。

 神の寿命は長い。成神してからは、それこそ時の流れが止まってしまったかの様な不老だ。


 あの地獄から抜け出せたのだ。

 ようやく穏やかで平穏な日々を得られたのだ。


 あの頃には、二度とそんな時間が戻らないと思っていたと言うのに。そんな平穏など、手に入らないと思っていたのに。


 だから、大丈夫。


 今は、彼等の回復だけを祈ろう。

 その為には、なんだってする。

 自分達が嘆き悲しみ、立ち止まってなんていられない。



 それでも、ふとした時に感じる疲れを癒やしに、彼女達は少しの間一神になる時間を持つ。


 美鈴も、そうやって一神の時間を得ていた。

 彼女は、この区域に来てからお気に入りの場所となった四阿で過ごしてたのだが。


 なかなか戻ってこない美鈴を心配した煌恋が彼女を見つけた時、美鈴は四阿から離れた場所でごそごそと何か作業をしていた。


「美鈴さん?」

「あ、煌恋ちゃん」


 美鈴は煌恋に気付くと、柔らかく微笑んだ。けれど、その頬には土がついていて、髪の毛にも葉っぱやら土がついている。


「何してるんですか?」


 煌恋は元貴族の姫君だが、そうとは思わせない気さくさで美鈴に声をかける。一方、美鈴は庶民で煌恋よりも年上である。けれど、煌恋は美鈴を姉と慕い、美鈴も煌恋を妹のように可愛がっていた。


 元寵姫達も、その関係者達も、地位や身分は様々だった。貴族も居れば庶民も居るし、奴隷も居れば、男娼やら娼妓やら、商神やらと色々と居た。

 ただ、共通するのはあの地獄を共に生き抜いたという事だ。


 元寵姫達は地位や身分関係なくかなり仲が良い。と同じく、その関係者達も仲が良かった。その絆の深さは地の底が見えない程に深く、それこそ後に彼等は一つの大きな派閥となる。


 ただ今はそんな事は気にせず、美鈴は作業を続け、煌恋もそれを手伝っていた。



 彼女達は見た目は全く似ていない。

 けれど、中身は似ているとよく言われる。


 それこそ、集中すれば時間すらも忘れて作業に取り組む所は一緒だった。だから、昼食を食べる事も忘れ、彼女達はひたすら作業をして、気付けば日も落ち始めていた。

 そして夕闇が辺りを覆い始めた頃、ようやくそれは完成した。


「出来たっ」

「凄い、美鈴さんっ」


 それは、実に見事な刺繍だった。

 ハンカチに描かれた見事な花の刺繍。


 何故そこで行ったかと言うと、そこに描かれていた花を実際に見ながら刺繍を行っていたからだ。その花は、凪国でも貴重な花の一つ--『青蛍花』と呼ばれる。王宮内でも限られた場所にしか咲かず、美鈴達の居る区域にも僅かにしか咲いていない。


 しかし、この花を好きだと言った神が居た。


 彼女達の年上の友神である--矢衣だ。


 体調を崩し寝込んでいる彼女の為に、お見舞いとして美鈴は縫い上げた。本当なら花を持っていきたいが、自分の為に貴重な花を手折る事は彼女は望まなかった。


「後は、綺麗に包んで」


 この時、彼女達にとって悲劇だったのは、彼女達の居る場所が区域のギリギリ--それこそ、区域を守る高い高い塀の近くに居た事だろう。そして、彼女達の相手となる相手が、思いの外早く彼女達の不在に気付いた事だ。

 彼等は、他の元寵姫達の治療の手伝いで区域内には居たが、彼女達の居る場所からは離れていた。


 だから、彼等が夕方に帰ってきた時に、自分達の伴侶が居ないと報されて顔面蒼白となった後、半ば半狂乱で彼女達を探し回っているなんて、彼女達は知らなかった。


 それに、他の者達に比べて回復が早く、いつも穏やかで冷静な彼等が、自分達の事に関してそんな風になるなんて、彼女達は思ってもみなかった。


 彼等だって情緒不安定になる事はある。

 でも、それはあの煉国『後宮』に関する事で、周囲に誰か居ればその周囲が彼等を宥め落ち着かせ、守ってくれる。

 彼女達はそう思っていた。



 サクッと、草を踏む音が聞こえて美鈴と煌恋はそちらを見た。五メートルほど離れた場所に、彼等が居た。


 美鈴の夫である玲珠と、煌恋の婚約者である柳が。


 彼等は夕闇で薄暗くなった中でも、まるで輝くように美しかった。その際だった麗しい美貌は、夕闇にすら負けない、いや、むしろ夕闇すらも引き立て役にしていた。


 麗しく艶かしい美貌が、夕闇に彩られて妖しい色香を放つ。

 白皙の美貌と、赤く濡れた唇に視線が吸い寄せられた。


 その唇が、動く。


「美鈴!!」


 玲珠が叫び、あっという間に美鈴との距離を縮め、その身体をかき抱く。

 その隣では、煌恋が柳に抱き締められていた。


「ちょっ! 何--」


 何かを言おうとした煌恋は、そのまま柳に抱えられていってしまった。止める間もない速さであり、美鈴はあっけに取られた。


「美鈴、美鈴--っ」


 しかし、すぐに自分を抱き締める力の強さに、美鈴の意識は煌恋達から目の前の玲珠へと引き戻された。


「玲珠、い、痛い」

「夜遅くなってから外に出るなって言っただろっ!」


 玲珠に怒鳴られた美鈴は、思わず身体を震わせた。


「しかも、こんな塀間近の所にっ! もし攫われたらどうするんだっ!」


 攫われる--事は無いと思う。玲珠達--元寵姫組でもなければ。けれど、それを伝えるには今の玲珠は美鈴にとって余りにも恐かった。

 恐ろしい形相では無いが、その麗しい美貌が生み出す迫力は凄まじく、向けられる怒りの瞳は美鈴を心から震えさせた。


 思わず涙ぐむ彼女に、玲珠はようやく我に返るが、身体からわき起こる激情が去ったわけでは無い。


「ご、ごめん、なさい」

「美鈴……」


 ボロボロと涙ほをこぼす彼女に、玲珠は何かを言おうとしたが、結局言葉にならずに抱き締めるしか無かった。

 それから暫くして、玲珠は小さな声で呟いた。


「美鈴が、どこかに行ってしまったかと思った」

「玲珠?」

「夕方になっても帰ってこなくて……誰も美鈴を昼前から見て無くて……美鈴が、居なくなってしまったと思った。誰かに攫われたんじゃないかって」

「私を攫う神なんて居ませんよ」


 それこそ、玲珠に対する神質でもなければ攫おうと考える者など居ない。

 しかし、玲珠は激しく否定した。


「そんな事ない! お願いだ、お願いだから俺の目の届くところに居るか、それか他の子達と一緒に居てくれ。お願いだから、何処にも行かないでくれ」

「玲珠……」

「恐いんだ……俺の見てない所で、もし美鈴に何かあったら……もし、美鈴が怪我をしたり、誰かに傷つけられたりしていたらと思うと。他の子達と一緒なら良い。区域内の建物内に居るなら良い。でも、こんな塀の近くに--建物からどれだけ離れてると思うんだ」


 美鈴達を保護する区域は広い。

 それこそ、一つの大きな街ぐらいの広さはある。

 そこにいくつもの建物が存在しているし、花畑や泉、畑なども存在している。生活に必要な物は大方揃っていた。


 そしてその区域を守る塀もしっかりとした造りをしていた。

 幾重にも囲んだ塀は恐ろしく高く、悠然とそびえ立っている。


 しかし、元寵姫達は塀近くには近づかない。

 外に近ければ近いほど、彼等は怯える。


 不思議な事だった。


 煉国『後宮』に居た時は、あれ程外に出たいと願っていたと言うのに。


 だから元寵姫達は中央に近い場所居る。

 代わりに、その関係者--元神質達は比較的塀の近くまで行ける者達も多かったが、彼女達の関係者である元寵姫達に引き留められる事が多かった。

 中には半狂乱になって止めようとする者達も居た。


 美鈴の場合、煌恋もそうだが、塀に近づく事は何度かあったけれど、今までは玲珠と柳に見つからなかった。


 そして彼等が比較的落ち着いている様子だったから、大丈夫だと思っていたのだ。


 けれど彼等は大丈夫じゃ無かった。


 元寵姫達には共通した事が一つある。

 それは、神質となっていた自分達の関係者が傷ついたり、目の前から居なくなったりする事に対して酷く怯え、そして忌避するという事だった。

 目の前から居なくても、所在がはっきりとしていれば良い。安全な場所に居れば良いのだ。


 でもそうでなければ--彼等は完全にパニックを起こす。


 彼等は自分達の大切な者達を守れなかった。

 でも、これから先も守れないなんて冗談では無い。傷つく事をとても恐れていた。


 だから、彼女達を傷つけようとする、また傷つける恐れのあるものに対して、彼等は敵意をむき出しにするのだ。


 また元寵姫達の絆は深い分、自分の関係者以外が傷つけられそうになったり、傷つけられたりしても同様だった。それこそ、全員が怒り狂い、全員で報復しにかかるぐらいだった。

 とはいえ、今はまだ壊れてしまったままの者達も居るのでその数はそれ程多くは無いが、壊れてしまった者達が回復した時には恐ろしい事になるな--と言うのが、凪国上層部の言葉である。


 そして玲珠は、中でも特に美鈴が傷つく事を恐れていた。


 彼の妻である美鈴は、彼が寵姫として攫われる前に子を身籠もっていた。けれど、それを伝えようとした時に、玲珠は寵姫として攫われ、村は滅ぼされ、村人は美鈴を残して皆殺しにされた。そしてやはり彼に伝えぬまま美鈴は引き離され、そしてそのまま美鈴は子を失ってしまった。


 玲珠は何も知らなかった。

 なんにも、知らなかった。


 凪国の軍によって煉国が崩壊したその日。

 突如現れた凪国王妃によって報された。


 玲珠には子が居た事。

 そしてその子は生まれる前に、美鈴のお腹から失われた事。


 美鈴が、その時に命の危険すらあった事。

 一歩間違えれば、母子共に命が消えていた事を。


 美鈴だけでは無い。


 例え自分の子でなくとも、あの鬼畜生達の一派である下級兵士達を父親とする子を身籠もりながらも、必死にそのお腹の子を守ろうとして暴力を振るわれ、堕胎させられた者達が居た事を、そしてそのせいで子供を産めなくなった者達が居た事を。


 玲珠の友神である柳の婚約者は、もう子を産む事が出来ない。彼女は失った子を、たとえ鬼畜生に強引に孕ませられた子だとしても、彼女はその子の生が失われた事を悲しんだ。守れなかった事を悔やみ、自分を責めた。


「せめて、最後の子だけでも……生きていれば」


 柳が悔しそうにそう言っていたのを玲珠は覚えている。自分がその子の父親でなくても、婚約者を慰み者とした悪魔の子だろうと、それでも愛する婚約者の産んだ子ならば、柳は喜んで父親になっただろう。その後、柳の血を引く子が出来たとしても、彼は分け隔て無く育てた筈だ。


 なのに、そんな未来さえ奴らは奪い取った。


 玲珠から、いとも簡単に我が子を奪い去ったように。


 玲珠は、子を孕まされて堕胎させられた者達や、更に子が産めなくなった者達を嘲笑する者達の存在を知っている。彼等の声は、きちんとその耳に届いていた。


 凪国の上層部は隠しているけれど、あの地獄の中で生き抜いた者達は甘くは無い。あの中で、彼等は多くの方面で鍛えられた。


 だから、ちゃんと聞こえている。

 上層部が彼等の心を思って隠していたとしても。


 それでも、彼等はきちんと聞いていた。


 彼等の愛する者を侮辱する者達の言葉を。



 それは少しずつ彼等の狂気を増幅させ、歪ませていると気付く者達はどれ程居るだろうか。そして気付いたとしても、きっと彼等は何も言わないだろう。

 同じ様な狂気に支配されている、凪国上層部は。


「玲珠……」

「美鈴……」

「玲珠、ごめんね。矢衣さんへの贈り物を作っていたの。あ、煌恋ちゃんも手伝ってくれて、私が巻き込んだだけなの。煌恋ちゃん……大丈夫かしら? 柳さんに怒られてないかな? 酷い事を言われてないかな?」

「それは大丈夫だ、美鈴」


 玲珠はその麗しい顔に優しい笑みを浮かべた。


「柳様はそんな事はしない」

「そうなの? 煌恋ちゃん、いっつもからかわれるって言ってたけど」

「じゃれてるだけだよ」


 それ、神に言う言葉だろうか?


「それより、矢衣さんに贈り物?」

「ええ、また体調を崩されているでしょう?」

「……」

「玲珠?」


 何も言わなくなった玲珠に、美鈴は不安げに声をかける。すると、玲珠はハッとした様に我に返り、美鈴へと笑いかけた。


「大丈夫、何でもない」


 そう言いながら、玲珠は頭を回転させていく。

 矢衣の夫--来雅からは、そんな話は聞いていなかった。


「矢衣さんは、よく体調を崩すの?」

「そうね……元々あまり身体の強い方ではないと聞くし」


『矢衣は、昔から風邪一つ引かない丈夫な身体を持っていてね』


「そう……」

「よく熱を出されているし。本当に、煉国に居た時によく耐えて下さったと思うわ。あんな酷い環境の中で、矢衣さんみたいな身体の弱い方が生きるのは本当に大変だったろうし」


『身体が丈夫で良かった。だから、あんな状況でも生き延びてくれた』


「……そう、なんだ」


 玲珠はそう呟くと、美鈴を抱え上げる。


「とりあえず、建物に戻ろう」


 居住場所として与えられている場所は、ここから少しかかる。歩きだそうとした玲珠に、美鈴は慌てた。


「ま、待って! 裁縫道具っ」

「ん? ああ、これか」

「そう! ああ良かった……大切なものなの」


 そう言った美鈴の裁縫道具が入った袋の刺繍に、玲珠は気付いた。暗くても分かる。


「……大根」

「凪国王妃様からの贈り物なの」


 うん、分かった。

 むしろ分からない元寵姫は居ないと思う。


「そ、そうなんだ……うん、大根、うん」

「凄く使いやすいのよ。まだお礼はさせて頂けてないけれど、いつか王妃様に何かお贈りできたらと思って」

「……大根とかが良いかも」

「大根のぬいぐるみ? そういえば、王妃様は大根グッズを集めているそうだから、良いかもしれないわ」

「……うん」


 とりあえず、玲珠は頷くしか無かった。




「何よ! 柳の馬鹿、馬鹿、馬鹿っ!」

「煌恋」

「いつも怒ってばかり! そんなに私の事が気にくわないなら、もっとお淑やかでお姫様らしい神を婚約者にすれば良いでしょうっ!」




「矢衣……」

「ら、来雅?」

「体調、悪いって聞いたが」

「う、うん? あ、その、ちょっと風邪を引いて」

「いつもよく体調を崩すって」

「……」

「いつから? いつから、だ?」

「煉国での生活がちょっと身体に堪えただけよ。今は少しずつ良くなっていってるから」

「……」




 玲珠は、疲れて眠ってしまった美鈴の寝台に腰を下ろすと、美鈴の髪をすくい取る。栄養が十分に行き渡らなかった髪は一時はかなりボロボロとなったが、今少しずつ艶やかさを取り戻している。

 玲珠は美鈴の髪触りが好きだった。


 手に取った美鈴の一房の髪に口づけ、甘く囁く。


「美鈴……怖がらせてごめん。でも、何事もなくて良かった。--大丈夫、何も恐い事なんてない。俺が守ってあげるから」


 今度こそ、絶対に。


 あの時、玲珠は美鈴を守れなかった。美鈴だけではない。村も、村の者達も誰も守れなかった。


 そして、美鈴との間の子も失ってしまった。


 美鈴だけが、彼に残された唯一の宝物だ。


「美鈴を守るよ。その為にはなんだってする。なんだって--」


 玲珠の目が妖しく光る。



 本来、才能があっても、それを開花させずに終わる者達は多い。例え、どんなに優れた才能だとしても、全てを花開かせる者達はもっと多い。


 玲珠もそうなる筈だった。

 玲珠だけではない。

 元寵姫達の多くが、そうやって神生を終える筈だった。


 しかし彼等はそうはならなかった。


 彼等の身に降りかかった不幸、そして突き落とされた地獄は、その中で彼等の奥深くに眠っていた様々な花の種を目覚めさせた。


 そして彼等は、その花々を咲き誇らせる。


 そう--もう二度と、彼等を好き勝手に蹂躙出来ないように。

 彼等の意思を無視して自由に出来ない様に。

 彼等から、大切な者達を奪えないように。


「ああ、美鈴--愛してる」


 素朴な青年だった。

 傾国級の美貌以外には、普通の農民として終わる位の才能だけを開花させていた。


 けれど、後に彼は筆頭書記長官--朱詩の下で、彼の手足の一つとなって動く。


 素朴だった青年は、誰よりも狡猾で冷酷な部分を有した『冷華』と謳われる。ただ今は、そのスタート地点に立った所だ。



 凪国に保護された、煉国の元寵姫組達は、後にそれぞれがそれぞれの分野でその名を馳せる事となる。そして、一つの大きな派閥となった彼等は、凪国国王と上層部に絶対的な忠誠を誓い、彼等の大きな力となっていく。




 蛇男もとい、煉国軍部参謀--苑蛇(えんじゃ)は玉環を担ぎ上げたまま雨の中を走っていた。そう--彼の名には蛇が付く。果竪はかなり惜しかった。


「くっ! 引き離し--」


 蛇男もとい苑蛇は、後ろを振り返って唖然とした。


「まあぁぁぁぁぁぁてぇぇぇぇっ」

「ちっ! あのクズがっ」


 果竪は雨をものともしないどころか、足場の悪さなんぞまるで無いと言わんばかりのスピードで走って来ていた。むしろ、足場が悪ければ悪いほど、果竪の速さは増す。というか、相手がぬかるんだ土に足を取られてスピードが落ちるのが大きな理由ではあるが。


「果桜っ」


 苑蛇に抱えられながら、必死に玉環は手を伸ばした。


「くそっ!」


 苑蛇は指笛を鳴らす。すると、新たな魔獣が出現した。


「邪魔!」


 出現すると同時に、果竪は魔獣の足の間をスライディングで潜り抜けた。その迷い無い姿に、苑蛇の方が驚いた。


「鉄の心臓ですかっ?!」

「この程度で私を足止め出来ると思うなっ!」


 玉環を取り戻す為には、自ら危険に突っ込んでいく姿勢だ。


「果桜……凄い」


 正に囚われのお姫様である玉環は、女性にとって理想の王子様の様な頼もしい果竪に思わず頬を赤らめた。


「このっ!」


 その時だった。


 絶叫が左側から響き渡り、果竪は足を止めた。


「ちっ」


 思わず舌打ちをする。

 そこには、若い女性が魔獣に襲われていた。


 その身体を地面に押さえつけられ、牙が今にも迫っている。


 『黒獅子』--。


 果竪は持っていた最後の二本の小刀を、その『黒獅子』に向かって。


「馬鹿獅子っ!」


 馬鹿にされた『黒獅子』がこちらを向く。

 それを狙って、無防備に晒された目にそれを投げつけた。

 凄まじい咆哮と共に、それが暴れる。足が離れた隙を突き、果竪は女性に駆け寄り、その身体を引きずってそこから離れた。


「大丈夫?!」

「あ、は、はいっ! っ! まだ、家族が家に--」


 女性に縋られた果竪は、もう遅いと分かっていても苑蛇達の姿を探した。


 当然ながら、影も形も無かった。


「……」


 今から追いかければ間に合う。

 けれど、必死に家族を助けて欲しいと縋る女性を突き飛ばして行く事はどうしても出来なかった。


「……くっ」


 苑蛇は逃げられない。

 しかし、ここに来る凪国上層部に哀れっぽく被害者だと訴えたらどうだろうか?

 それに、果竪が自分達を害したと言えば、上層部も信じてしまうかもしれない。


 新しく来る妃を既に居る妃が害しようとするのは、よくある話だし。


「どうする……鉢合わせしたら」


 あの蛇男は、なかなかの策略家だ。上手に、巧みに話を自分に都合の良いように持っていく。絶対に、果竪にとって分が悪い。

 玉環は否定してくれるだろうけど、それは蛇男にとって都合が悪いから、絶対に話させないようにするだろう。それか、話せないような状況に持っていくに違いない。


 そうならない為には、先に果竪が彼等と出会い真実を告げて--。

 いや、真実を告げた所で「それ、お前の嫉妬からだろう?」、「嫉妬は醜いよ」と言われて終わるに違いない。というか、どうしたって果竪が嫉妬して玉環むを危険な目に遭わせたとしか思われない。


「ああもうっ!」


 女性を落ち着かせながら、果竪は叫んだ。


「私は、別に萩波が他の女性を妃に迎えたって全然嫉妬なんてしない! 夫も上層部のみんなも居なくて大丈夫! むしろ、私一神で逞しく生きていけて最高に幸せよ!」


 と言ってやれば良いだろうか--。

 

 ドサッ!と、何かが落ちる音が聞こえた。

 思わず振り向いた果竪の目に、それは映り込んだ。


 洋灯を片手に、こちらを凝視している二神の神物。



「……」



 オルフェと、カイムの姿が。




 オルフェとカイムがそこに辿り着いた時、見事な軌跡を描いて小刀が二本、『黒獅子』の目に突き刺さった。


 それを行ったのは、相変わらず顔まですっぽりとフードに隠れさた存在だった。



 そして彼女の叫びを耳にした。



「夫も上層部のみんなも居なくて大丈夫! むしろ、私一神で逞しく生きていけて最高に幸せよ!」




 いらない宣言だった。

 自分達なんて、いらないと。


 オルフェの瞳から、ボロボロと涙が流れ落ちた。


「お、オルフェ?」


 先に泣かれた事で、カイムの方は冷静になった。


「お、俺、俺だって、俺だって」


 オルフェは叫んだ。


「俺だって、果竪が居なくたって別に良いんだからなっ!」


 フードを被っていても、彼女が目を見開いたのが、カイムには分かった。


「でもお前が居なくなると周囲に迷惑がかかるから、連れ戻す! いいか? 周囲の為に連れ戻すんであって、別に俺の為なんかじゃないからなっ」


 ツンデレツンツンしつつも、そう叫んだオルフェに。


「このままほっといて」


 果竪は無情の一言を放った。


「余計にオルフェが泣くから止めて」


 嫌だ、連れ戻す!!と騒ぐオルフェを羽交い締めにしつつ、カイムは小さく懇願した。その口から伸びる犬歯の煌めきは、どんよりと曇っていた。


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