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中堅冒険者 レン・サトウ  作者: なみなみくん
第二章
44/45

44 オークの集落

 昼になる頃には、騎士団も全滅していた。

 森の中に、もう人間の抵抗する声はほとんど残っていなかった。


 少し前まで怒号と悲鳴で満ちていた場所は、今では湿った土と血の匂いに支配されている。折れた槍、砕けた盾、引き裂かれた旗。木々の間には無数の死体が転がり、赤黒い血が根元へと染み込んでいく。


 俺は、その中に立っていた。

 勇者タケル・タナカの血がこびりついた短剣を、まだ手放せずにいた。


 風が吹く。枝が軋み、どこかで鳥が飛び立つ音がした。

 それだけで、ここがほんの少し前まで戦場だったことが嘘のように思える。

 だが、目の前に広がる死の光景が、現実だと嫌でも教えてくる。


 勇者一行の死体はなかった。

 バルグも、ミレアも、シェリスも、ドグも。

 少なくとも、この周囲には見当たらない。

 逃げたのだろう。


 騎士団が混乱し、壊滅していく中で、なんとか森の奥か、別の退路を見つけて離脱したに違いない。あれだけの実力者たちだ。勇者を失ってなお、生き延びる力くらいはあったはずだ。

 それを思うと、胸の奥にわずかな苛立ちが生まれた。


 タケルは殺した。

 だが、あいつらは生きている。

 とはいえ、今はそれどころではない。


 茂みをかき分ける音がして、何体ものオークが近づいてきた。

 反射的に身構える。

 だが、彼らはすぐには襲いかかってこなかった。


 先頭に立つ一体は、他の個体よりも一回り大きく、肩に獣皮をかけていた。顔には古い傷跡があり、手には長い槍を持っている。目つきは鋭く、ただの兵ではないと一目で分かった。

 そのオークが、低い声で言った。


「貴様、我らの言葉がわかるのか?」


 俺は一瞬だけ呼吸を整えた。


「はい。わかります」


 その返答に、周囲のオークたちがざわつく。低いうなり声と、驚いたような息遣いが混ざった。

 大柄なオークは目を細める。


「人間のくせにか」

「…特別な力です」


 正直に説明したところで理解されるとも思えない。だから、それだけ言った。

 オークはしばらく俺を見ていた。

 そして、足元に転がる勇者の死体を見た。


 黒い髪。裂かれた喉。幾度も刺された胸。

 やがて、その口元がわずかに歪む。笑ったのだと気づくまで少し時間がかかった。


「確かに、勇者は死んでいる」


 その一言に、周囲のオークたちがまたざわついた。今度は驚きではなく、喜びと興奮の色が強い。


「お前がやったのか」

「そうです」


 答えると、オークは槍の穂先をゆっくりと下げた。


「ならば、ついてこい」


 その声には命令の響きがあった。

 周囲のオークたちも、一斉にこちらを見る。警戒は解かれていない。少しでもおかしな動きをすれば、その場で槍の餌食になるだろう。

 俺は頷くしかなかった。


 そして、俺はオークの集落へ向かうことになった。

 まず、戦場に転がる死体を片付けるところから始まった。

 オークたちは倒れた騎士や兵士の死体を手際よく調べ、武具や使えそうなものを剥ぎ取っていく。槍、剣、鎧、革袋、水袋。容赦がない。だが、彼らにとっては当然なのだろう。戦いに勝った側が、負けた側から物を取る。それだけの話だ。


 俺も手伝わされた。

 全ての死体を引きずって、森の奥へ運ぶ。

 重い。


 鎧を着たままの騎士の死体は、人間一人分以上に感じられた。土に擦れる音、鎧が石に当たる音、血の匂い。もう感覚が麻痺しているのか、吐き気はなかった。ただ、ひたすら重かった。


 勇者の死体も運ばれた。

 それを見た瞬間、胸の奥が奇妙な静けさに包まれる。

 タケル・タナカ。剣の勇者。モカの仇。

 その男はもう、ただの肉の塊だった。


 何年も何ヶ月も追い続けた相手が、今は動かない。

 それでも、達成感のようなものは不思議と湧かなかった。

 ただ、終わったのだという感覚だけがあった。


 森を進む。

 しばらく歩くと、木々の密度が変わった。

 切り開かれている。そして、その先に集落があった。


 オークの集落。

 想像していたよりも整っていた。粗末な小屋が乱雑に並んでいるだけではない。大きな木を土台にした住居、骨や木材を組み合わせた見張り台、中央には広場のような開けた空間。周囲には子どもらしき小さな個体もいて、女だろうか、布や皮を干している姿も見える。


 ただの魔物の巣ではなかった。

 生活の匂いがある集落だった。


 俺が連れてこられると、すぐに周囲にオークたちが集まってきた。

 最初は警戒の視線だった。

 人間だ。それも一人。

 だが、先頭の大柄なオークが大声で告げる。

 その瞬間、空気が一変した。


「勇者を討ち取った人間だ!」


 その声が集落中に響いた。

 ざわめき。驚き。そして次第に、それは興奮へと変わっていった。


「本当か?」

「勇者を?」

「人間が?」


 次々と声が飛ぶ。

 大柄なオークが、広場の中央へ俺を押し出すように立たせる。


「この者が、勇者を刺し殺した」


 その言葉に、周囲のオークたちから一斉に雄叫びが上がった。

 歓迎されている。


 その事実に、自分でも妙な気分になった。人間の街では勇者を殺せば大罪人だ。だが、ここでは英雄らしい。

 オークたちは口々に何かを叫び、槍や斧を掲げる。


「勇者を討った!」

「人間の中にも骨のあるやつがいたか!」

「我らの敵を殺した者だ!」


 その熱気の中心に、俺は立っていた。

 やがて、先頭の大柄なオークが改めてこちらを見た。


「名を言え」

「レン・サトウです」


 その名を聞くと、オークは頷いた。


「レン・サトウ。我らはお前を客人として扱う」


 周囲からうなり声のような賛同が上がる。

 それから、いろいろ話をした。

 勇者がどう死んだのか。どこを刺したのか。騎士団はどう崩れたのか。

 俺は、必要なところだけを答えた。

 オークたちの目は真剣だった。


 彼らにとって勇者は、長年多くの仲間を殺してきた天敵なのだろう。だから、その最期に強い関心を持つのも当然だ。

 話しているうちに、少しずつ分かってきた。


 この集落のオークたちは、人間に追われ、森に押し込まれながら生きてきたらしい。街道が伸びるたびに居場所を奪われ、討伐の名のもとに仲間を殺される。それは人間から見れば魔物退治なのだろうが、彼らから見れば生存のための戦いだった。

 だからこそ、勇者は憎まれていた。そして、その勇者を殺した俺は、歓迎される。


 広場の中央では、すでに火が焚かれ始めていた。

 夜になれば祝宴になるのだろう。歓声の中、俺はただ立ち尽くしていた。

 勇者を殺した。その結果、俺は今、オークの集落で歓迎されている。

 世界がひっくり返ったみたいだった。


 宴が始まった。

 広場の中央に大きな火が焚かれ、その周りを囲むようにしてオークたちが集まっている。骨と木で組んだ粗い杯が回され、焼かれた肉の匂いが夜の空気に溶けていく。


 昼間あれほど血と死の匂いに満ちていた森の中で、こんなにも生の熱気が満ちる光景を見ることになるとは思ってもみなかった。

 オークたちは次々と俺のところへやってきた。


「どうやって勇者を殺した?」

「本当に一人でやったのか?」

「勇者は最後、何を言った?」


 いろいろ聞かれる。

 俺は、そのたびに適当に答えた。短剣で刺したこと。勇者が油断していたこと。最後は何も言えなかったこと。嘘ではない。だが、全部を話す気にもなれなかった。

 杯を渡される。


 中には濁った酒が入っていた。匂いは強烈で、鼻の奥を刺す。少しだけ口に含むと、喉が焼けるように熱くなった。周りのオークたちはそれを見て大声で笑う。


「飲んだぞ!」

「勇者殺しの人間が飲んだ!」


 また杯が回ってくる。

 肉を勧められ、酒を注がれ、肩を叩かれる。最初は戸惑っていたが、何度もそれを繰り返しているうちに、少しずつ身体の力が抜けていった。


 楽しい。

 その感覚は、確かにあった。

 久しく忘れていた種類の楽しさだった。大声で笑い、杯を受け取り、誰かの話を聞いて、また別の誰かに話しかけられる。レンバスでラザバたちと酒を飲んだ夜に、少し似ている気がした。


 けれど、心の底から晴れやかかと言われれば、そうではない。

 宿敵、勇者を殺した。

 それは確かに成し遂げたはずなのに、胸の奥には妙な空洞があった。達成感でも解放感でもなく、ただ、ひどく静かな穴が空いているようだった。

 モカの仇を討った。


 そう思えば、もっと何か感じるはずだった。泣くか、叫ぶか、あるいは笑うか。

 だが俺の心は、不思議なくらい静かだった。


 しばらくして、周囲が少しざわめいた。

 オークたちが自然と道を空ける。そこを、ひときわ大きな体の老いたオークがゆっくりと歩いてきた。肩には獣皮をまとい、首には骨を連ねた飾りを下げている。顔には深い皺と古い傷が刻まれており、目だけが静かに鋭かった。


 集落の長だと、一目で分かった。

 長は俺の前で立ち止まり、低い声で言った。


「レン・サトウ。この度はありがとう」


 周囲が一斉に静まる。

 焚き火のはぜる音だけが響く中、長は続けた。


「勇者は長年、我らの宿敵だった。多くの仲間が斬られ、多くの子が怯えてきた。その勇者を討った。お前は大きなことを成した」


 俺は少しだけ頭を下げた。


「…俺にも、勇者を殺す理由がありました」


 長が目を細める。

「ほう」

「俺の、大事な人を……あいつに壊されたんです」


 言葉にすると、急に喉が重くなった。

 モカ。

 名前は出さなかったが、その姿は心の中で鮮明だった。

 長はしばらく俺を見つめたあと、低く笑った。


「敵討ちか。いいじゃないか」


 その言葉は、不思議なくらい真っ直ぐ胸に落ちた。

 敵討ち。

 それだけのことだったのかもしれない。


 長は振り返り、控えていた若いオークに何か命じた。やがて、そのオークが大きな布に包まれたものを持ってくる。

 長はそれを受け取り、俺の前へ差し出した。


「勇者の剣だ」


 心臓が強く鳴る。

 布をほどく。

 現れたのは、見慣れたあの剣だった。鞘も柄も過度な装飾はなく、静かな威圧感だけをまとっている。黒にも銀にも見える、不思議な色合い。タケル・タナカが腰に差していた剣。


 俺は、それを受け取った。

 重い。ただの鉄ではない。何か別のものが中に詰まっているような、そんな重さだった。

 周囲のオークたちも、少しざわついている。


「抜くのか?」

「危なくないか?」

「勇者の剣だぞ」


 警戒の気配が広がる。だが、俺はゆっくりと柄を握った。

 引き抜く。静かな音がして、刃が現れる。


 その瞬間。光が現れた。

 剣の中心から、淡い白い光がふわりと浮かび上がる。焚き火の橙とはまったく違う、柔らかく、けれど目を離せない光。オークたちが一斉に息を呑むのが分かった。

 その光はゆっくりと形を持ち始めた。


 小さな、人の姿。いや、幼い子どもの輪郭だ。

 はっきりした顔立ちは見えない。けれど、不思議と恐ろしくはなかった。むしろ、懐かしいような、どうしようもなく胸を締めつける感覚だけがあった。

 その光が、俺の方を向く。そして、確かに聞こえた。


「ありがとう、お父さん」


 声は、小さかった。けれど、はっきりと耳に届いた。

 お父さん。

 その一言で、全身の血が逆流するような感覚に襲われる。


 そうか。この剣に閉じ込められていた魂は、俺とモカの子供だったのか。

 思考が止まる。

 あの時、モカのお腹にいた子。この世に存在することすら許されず、勇者の剣の中に閉じ込められていた存在。


 俺は何も言えなかった。

 言葉が出ない。ただ、目の前の光を見つめることしかできない。

 その小さな光が、ゆっくりと俺に近づいてくる。


 ふわり、と胸元に触れたその瞬間。突如、俺の髪が白くなった。

 熱でも冷たさでもない、奇妙な感覚が頭のてっぺんから背骨に走る。身体の内側に何かが流れ込み、逆に何かが与えられていくような、一瞬の眩暈。


 俺は思わず膝をついた。

 周囲のオークたちが一斉にどよめく。


「白い…!」

「髪が…!」

「魔法か!いや、違う…!」


 驚愕が広場を包んだ。

 俺の視界の端で、焚き火の炎が揺れている。手に持った剣はまだ光を帯び、胸の奥では、今まで感じたことのない何かが静かに脈打っていた。

 そして俺は、膝をついたまま、自分の髪先が月明かりと焚き火に照らされて、確かに白く変わっているのを見た。


 その夜、俺は浴びるように酒を飲んだ。

 杯が空けば、すぐに次が注がれる。

 濁った酒、甘い酒、喉を焼くような強い酒。オークたちは勇者殺しの祝いだと言って笑い、俺の肩を叩き、何度も何度も酒を勧めてきた。

 断る理由もなかった。


 飲んだ。とにかく飲んだ。

 胸の奥に渦巻いているものを、全部流し込んでしまいたかった。

 モカのこと。勇者のこと。剣の中から現れた、あの小さな光のこと。「ありがとう、お父さん」と言った、あの声のこと。


 考えれば考えるほど、頭がおかしくなりそうだった。

 だから、飲んだ。

 火の明かりが揺れる。


 オークたちの笑い声が、遠くなったり近くなったりする。

 肉の匂いと土の匂いと酒の匂いが、頭の中でぐちゃぐちゃに混ざる。

 そのうち、自分が何を喋っているのかも分からなくなった。


 ただ、全部を忘れるように、杯をあおり続けた。

 そして最後は、広場の端の地面にそのまま突っ伏して寝た。



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