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中堅冒険者 レン・サトウ  作者: なみなみくん
第二章
39/41

39 勇者との旅2

 そんなある日のことだった。

 街道脇の森が少し濃くなり始めた頃、一行の前方で突然、獣のような唸り声が響いた。

 戦い慣れてない俺でさえ、背筋が反応する。


 茂みをかき分ける音。

 大きな影が飛び出してきた。


 灰色の毛皮に、筋肉質な四肢。狼に似ているが、頭の形が違う。口は異様に大きく、牙が長い。見たことのない魔物だった。


「下がって!」


 シェリスが鋭く声を上げる。ミレアが杖を構え、ドグが前へ出ようとする。

 だが、その前にタケルが一歩踏み出した。

 自然な動きだった。

 あまりにも自然で、一瞬遅れてしか認識できない。

 腰の剣に手がかかる。


 次の瞬間。


 魔物が、真っ二つになっていた。

 音が遅れて届く。

 ざん、と乾いた音がして、裂けた体が地面に落ちる。血が飛び散り、草を濡らした。


 俺は息を呑んだ。

 剣が抜き終わる前に、もう終わっていた。

 いや、正確には、抜いたところを見ていない。

 まるで剣を抜かずに倒したみたいだ。


 タケルは何事もなかったかのように腰の剣から手を放す。

 その動作だけが、妙にゆっくり見えた。


「大丈夫?」


 それだけ言って、後ろを振り返る。

 ミレアは苦笑し、バルグは肩をすくめた。


「相変わらずめちゃくちゃだな」

「慣れてるけど、毎回びっくりするわ」


 ドグも、シェリスも、驚きはしていない。

 つまり、これがいつもの勇者なのだ。

 勇者の力は本物だった。

 情報屋の言葉どおり。


 攻撃する前に斬られている。

 誰も勝てない。


 それは、誇張ではなかった。

 俺はしばらく、裂けた魔物の死骸を見つめていた。

 もし、あの剣が自分に向けられたら。


 考えるまでもない。一瞬で終わる。

 勝てるわけがない。

 その事実が、あらためて骨の髄まで染み込んでくる。

 それでも。それでも俺は、この男を殺さなければならないのだ。


 紆余曲折ありようやくの到着だった。

 長い道のりだった。村を回り、人を助け、寄り道を重ねながら進んできたせいもあるのだろうが、それ以上に、目の前の光景がこの旅の終着点にふさわしい重みを持っていた。


 大森林の外縁。

 そこには、急ごしらえとは思えないほどしっかりとした砦が築かれていた。高い木の柵が幾重にも張り巡らされ、その外側には浅い堀まで掘られている。見張り台には兵が立ち、槍先が夕日に鈍く光っていた。中には大小さまざまな天幕が並び、焚き火の煙が細く立ち上っている。馬のいななき、武具の触れ合う音、兵士たちの怒鳴り声。


 戦場の前線基地。

 そう呼ぶのが一番しっくりくる場所だった。


 門前まで来ると、すぐに騎士団の兵がこちらに気づいた。最初は武器に手をかけるような警戒を見せたが、先頭を歩くタケルの姿を認めた瞬間、その態度が一変する。


「勇者様だ!」


 声が上がり、門の内側から数人の騎士が駆けてきた。先頭に立つのは、年の頃三十代後半ほどの男。鎧の装飾から見て、隊長格だろう。顔には深い傷があり、いかにも歴戦の兵といった風貌だった。

 男はタケルの前で片膝をつく。


「剣の勇者様。お待ちしておりました。第三国境騎士団副団長、オルセインと申します」


 その声には、張りつめた敬意があった。

 タケルは気負った様子もなく、軽く手を上げる。


「そんなに堅くならなくていいよ。まずは状況を教えてもらえるかな」


 勇者に対してそこまで自然体でいられる人間は、そう多くないだろう。だが、それが彼には当たり前なのだと、今なら分かる。

 副団長は立ち上がり、すぐに手短に現状を説明し始めた。


「現在、森の外縁部に複数のオークの群れを確認しております。斥候の報告では、通常の遊撃群より規模が大きい。おそらく奥の大群が圧力をかけ、周辺に小集団が押し出されてきているものと思われます」


 俺はその言葉を聞きながら、砦の中を見回した。

 騎士たちは皆、疲れていた。顔色が悪いわけではないが、張りつめた空気が漂っている。ここに来るまでに、すでに何度も小競り合いがあったのだろう。あちこちの天幕の前には血のついた包帯が干され、簡易の治療所らしい場所ではうめき声も聞こえてくる。


 勇者の到着を待っていた。

 その事実が、空気そのものに刻まれていた。

 タケルが振り返る。


「行こう」


 副団長に案内され、俺たちは大きめの天幕へ向かった。中に入ると、空気が一段重くなる。中央の机には大きな地図が広げられていた。森の外縁、川、岩場、斜面、そして赤い印がいくつも置かれている。おそらく、オークの目撃地点と、これまでの被害位置だ。


 テントの中にはすでに数人の士官が待機していた。勇者の姿を見ると、一斉に姿勢を正す。

 副団長が紹介を済ませると、タケルはすぐに本題に入った。


「作戦の概要を聞かせて」


 副団長が地図の上に指を置く。


「まず、現在確認されているオークの集団は大きく三つです。ひとつは西の渓谷沿い。ひとつは北東の岩場付近。最後に、森の奥、この一帯です」


 彼の指が、地図の中央深くを示した。


「最も危険なのは中央の群れです。数が多く、また動き方が統率されています。通常のオークであれば、ここまで秩序立った動きはしません」

「指揮個体がいる?」


 タケルの問いに、副団長は重く頷く。


「その可能性が高いかと。上位種、あるいは知能の高い個体が群れを率いているものと思われます」


 ミレアが小さく口笛を吹いた。


「面倒そうだね」


「ええ。ですので、騎士団だけで森の中へ深入りするのは避けております。まず外縁の小群を削り、補給路と退路を確保した上で、本隊を森の中に進める予定です」


 説明は理にかなっていた。真正面から大森林に突っ込むのではなく、少しずつ包囲を狭める形だ。


 バルグが地図を覗き込みながら言う。


「つまり、最初は雑魚掃除ってことか」


「雑魚とは言い切れませんが、規模としてはその通りです」


 副団長は苦い顔で答えた。

 シェリスが黙って地図を見ていたが、やがて口を開く。


「森の中は弓が利きにくい。視界も悪い。音で寄ってくる」


「その通りです。ですから、初動でこちらの損害をどれだけ抑えられるかが鍵になります」


 タケルはしばらく無言で地図を見ていた。

 その横顔には、酒場や村で見せていた穏やかさはない。静かに研ぎ澄まされた刃のような気配だけがある。

 やがて彼は、地図の上の赤い印を順に指でなぞった。


「まず西の渓谷沿いを潰す。そこを片付ければ、この街道沿いの補給は安定する。次に北東の岩場。ここは見張り台代わりに使われているだろうから、放置すると厄介だ」


 副団長が真剣な顔で頷く。


「最後に中央だね」


 タケルの指が森の奥に止まる。


「指揮個体がいるなら、そこを落とせば群れは崩れる。逆に言えば、そこを放置したままだと、いくら外縁を削っても押し返されるだけだ」


 ミレアが杖を机に立てかけながら言う。


「魔法は温存したほうがいい?」


「最初の二戦は抑えめで。中央で一気に使う」


 シェリスはすでに自分の頭の中で位置取りを決めているらしく、地図上の木立や岩場を視線で追っていた。ドグは黙ったまま腕を組み、バルグは戦いを前にして少し楽しそうにさえ見える。


 俺は、その輪の少し外から全体を見ていた。

 この人たちは、本当に戦うのだ。

 酒場で笑っていた時とも、村人を助けていた時とも違う顔をしている。勇者の一行というより、長く実戦を重ねてきた部隊だった。


 副団長が最後に言う。


「勇者様に頼る形になってしまい、申し訳ありません」


 タケルはゆるく首を振った。


「謝ることじゃないよ。僕はそのために来た」


 そして、テントの中にいる全員を見渡す。


「ここで食い止める。森を越えさせない」


 その一言で、空気が変わった。


 大げさなことは何も言っていない。英雄らしい派手な演説でもない。けれど、その声には不思議な力があった。


 騎士たちの背筋が伸びる。

 ミレアがふっと笑い、バルグが大きく頷く。シェリスは目を伏せたまま口元だけで笑い、ドグは盾に手を置いた。

 タケルは続ける。


「被害は最小限にする。無駄死には出さない。騎士団も、村も、街も、全部守る。そのために僕たちはここにいる」


 その決意は、はっきりとした言葉になってテントの中に落ちた。

 俺はそれを聞きながら、胸の奥がまたざわつくのを感じていた。


 モカを壊した男。

 そのはずなのに、目の前にいるのは、どう見ても、人々を守るために戦う勇者だった。

 頭の中で、何度も何度も、相反する像がぶつかり合う。

 だが、結論はまだ出ない。

 今はただ、この砦の中で、戦いが始まる前の静かな熱を感じているしかなかった。




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