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中堅冒険者 レン・サトウ  作者: なみなみくん
第二章
38/44

38 勇者との旅1

 翌日。

 まだ朝靄の残る時間に、俺は指定された宿の前へ向かった。


 空気はひんやりとしていて、吐く息が少し白い。街はもう起き始めており、荷車の音や、パンを焼く匂いが遠くから漂ってくる。

 宿の前には、すでに勇者一行が揃っていた。


 黒い髪の勇者、タケル・タナカ。

 杖を持った小柄な女、ミレア。

 斧を背負った大柄な男、バルグ。

 弓を持つエルフの女、シェリス。

 大きな盾を立てた小柄な男、ドグ。


 それぞれが旅支度を整えており、街に溶け込むような軽装だが、やはり普通の旅人とは雰囲気が違う。

 タケルが俺に気づくと、穏やかに笑った。


「おはよう、レンくん。時間ぴったりだね」

「おはようございます」


 なるべく平静を装って答える。

 ミレアがくすりと笑った。


「真面目なんだねえ」


 バルグは眠そうに肩を回しながら言う。


「まあ、遅れるよりはいい」


 シェリスは相変わらず無言で、ただこちらを一瞥しただけだった。ドグは小さく頷く。


 全員が揃ったところで、タケルが前に立つ。


「じゃあ、出発しようか」


 勇者一行との旅が始まった。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――


 俺は、てっきりすぐに森へ向かうものだと思っていた。

 だが、実際にはそうではなかった。


 最初の目的地は、街から半日ほど離れた小さな村だった。

 畑と低い木造の家々に囲まれた、ごくありふれた村。

 道中、俺は疑問を抱いていた。


「…井戸を直すって聞きましたけど、なんで勇者がそんなことを?」


 歩きながら尋ねると、タケルは当然のことのように答えた。


「人助けのためだよ」


 あまりにも自然な答えだったので、逆に言葉を失った。


「森へ入る前に、周囲の村々の状況を見ておきたいんだ。森が危険になれば、被害を受けるのはこういう場所だからね」


 ミレアが杖を肩に担ぎながら言う。


「あと、井戸が壊れてると、村の人って本当に困るんだよ。水がないと何もできないし」


 バルグが大きく笑った。


「オーク叩きに行く前に井戸直し! 勇者様も忙しいぜ!」


 だが、その口調に皮肉はなかった。皆、当然のこととして受け入れている。


 村に着くと、子どもが一番にこちらへ気づいた。


「勇者様だー!」


 その一声で、村中に人が出てくる。老人、女たち、農具を持った男たち。皆が驚きと喜びの入り混じった顔をしていた。

 村長らしき老人が駆け寄ってくる。


「これは……まさか本当に勇者様が来てくださるとは……!」


 タケルは気負いなく笑い、軽く手を上げた。


「井戸を見せてもらえますか?」


 村人たちは深く頭を下げ、急いで案内した。


 井戸は村の中央にあった。

 石組みの一部が崩れ、汲み上げ用の木製の枠も歪んでいる。確かにこのままでは危険だ。

 ミレアが周囲を見て、小さく口笛を吹いた。


「結構ひどいね」


 ドグが無言で石材を持ち上げ、崩れた部分を確認する。バルグは近くに積まれていた材木を運び始めた。シェリスは道具の確認。タケルは村人と話しながら作業の段取りを決めていく。

 俺は少し離れた位置から、それを眺めていた。


 なんだこれは。

 勇者一行というのは、もっとこう、華々しい戦いばかりしている集団だと思っていた。だが実際は、井戸の修理を手伝い、村人と話し、子どもに笑いかけている。


 俺も結局、手伝わされた。

 いや、手伝わないわけにもいかなかった。

 石を運び、水を汲み、使う道具を持っていく。

 昼前には汗だくになっていた。

 それでも、井戸は見違えるほど整っていった。


 ミレアの補助魔法で石組みが固定され、ドグが力任せに土台を整え、バルグが木枠を直し、タケルが最後の歪みを確かめる。

 そして村人たちが水を汲み上げたとき、澄んだ水が桶に満ちた。

 村中から歓声が上がる。


「ありがとうございます……!」

「これで助かります!」

「勇者様、万歳!」


 子どもたちが飛び跳ね、大人たちは何度も頭を下げていた。

 タケルはただ穏やかに笑っている。

 俺はその横顔を見て、胸の奥がざらつくのを感じた。


 次の村でも、人助けをした。

 そこでは、森から流れてきた倒木で橋が半ば壊れていた。川幅はそれほど大きくないが、橋が使えないと反対側の畑へ行けなくなるらしい。

 今度は井戸よりも力仕事が多かった。


 バルグとドグが倒木をどかし、タケルが橋脚の状態を確認し、ミレアが軽い補強魔法を使う。シェリスは周囲の警戒をしながら、近くの林から使えそうな枝や縄を集めてきた。

 俺は村人とのやりとりをしながら、必要な道具を運び、時々作業にも加わった。

 橋が直る頃には、村の女たちが簡単な食事を用意してくれた。


「勇者様たち、どうか召し上がってください」


 差し出された焼きたての薄いパンと温かいスープ。

 タケルたちは気軽にそれを受け取り、村人たちと同じ地面に座って食べた。

 ミレアがスープを啜りながら言う。


「こういうの、好きなんだよね」


 バルグも大きく頷く。


「分かる。妙にうまいんだよな」


 シェリスは相変わらず口数は少ないが、食事を断ることはなく、静かにパンをちぎっていた。

 ドグも黙々と食べている。


 その光景は、どこまでも平和だった。

 眺めているだけで、妙な気分になる。

 平和だ。驚くほどに。


 目の前にいるのは、確かに勇者であり、森へ向かう戦士たちのはずなのに、やっていることは橋を直し、スープを飲み、村人に礼を言うことだ。

 善行、とも言うべきなのだろうか。俺の中の勇者像と驚くほど乖離していて、顔に出さないようにするので精一杯だった。


 その夜は、小さな町で一泊することになった。

 町といっても、ラブールに比べれば本当に小さい。宿屋と酒場が一つずつある程度で、夜になれば通りは静まり返る。


 俺たちは宿の食堂に集まった。

 昼間の作業で皆少し疲れているはずなのに、酒が入ると空気はすぐに和らいだ。

 タケルが言う。


「そういえば、ちゃんとした自己紹介をまだしてなかったね」

「今さらかよ」


 バルグが笑う。


「いや、大事だよ。旅を共にするんだから」


 タケルはそう言って、杯を持ち上げた。


「改めて。僕はタケル・タナカ。剣の勇者なんて呼ばれてるけど、ただの剣士だよ」


 冗談めかして言う。

 ミレアがすぐに口を挟む。


「ただの剣士がオーク退治に王都から呼ばれるわけないじゃん」

「そうかもしれないね」


 タケルは笑う。

 バルグが胸を張った。


「俺はバルグ。見ての通り斧使いだ。飯はよく食うし、酒も好きだ。まあ、よろしく頼む」


 ミレアが続く。


「私はミレア。魔法担当。火も水も治療も、だいたい何でもやるよ。まあ、勇者様ほどじゃないけどね」


 シェリスは少し遅れて、グラスを机に置いた。


「シェリス。エルフ。弓を使う。以上」


 簡潔すぎて、ミレアが吹き出す。


「短すぎるよ」

「十分でしょ」


 ドグは低い声で言った。


「ドグ。こいつらを守る役だ」


 本当にそれだけだった。

 皆が笑う。そして、最後に視線が俺へ向く。俺は少しだけ息を整えた。


「レン・サトウです。通訳とか、言葉に関することなら…多分、役に立てると思います」


 少し言葉を探しながら続ける。


「戦うのは得意じゃないですけど、できることはやります。よろしくお願いします」


 ミレアがにこにこと頷いた。


「うん、いいじゃん」


 バルグは笑いながら言う。


「戦えなくても問題ない。俺たちが前に出るしな」


 タケルは、静かにこちらを見ていた。


「よろしく、レンくん」


 その一言が、妙に耳に残った。

 その夜は、思っていたよりも和気あいあいとしていた。

 旅の話、今まで行った場所の話、変な依頼の話。


 ミレアはよく喋り、バルグは笑い、シェリスは時々鋭い一言を挟み、ドグは少ない言葉で場を締める。タケルはその中心で、自然に皆をまとめていた。

 パーティーとして、よくできている。

 隙がない。


 それでも、こうして笑いながら酒を飲む姿を見ていると、一瞬だけ、自分が何をしようとしているのか分からなくなりそうになる。

 いや、忘れるな。モカのことを。


 俺は杯の中の酒を見つめながら、何度も自分に言い聞かせた。


 次の日、ようやく街道に戻り、一行は大森林へ向かって進み始めた。

 ここから先は、いよいよ本来の目的地に近づいていく。道の先にあるのは、オークの群れが棲む国境の大森林。街道が整備されていないのも、その森が危険だからだ。


 だが、そこへ向かう道中でさえ、勇者一行はただ目的地へ急ぐだけではなかった。

 ある時は、街道脇で荷車の車輪を泥にはめて立ち往生している農夫を見つけた。


 日差しの強い昼下がりだった。農夫は年老いていて、一人で荷車を押していたが、どうにもならないらしい。馬も疲れ切っていて、鼻息を荒くしている。

 タケルはその姿を見るや、ためらいなく足を止めた。


「少し待って」


 そう言って、荷物を置き、泥にはまった車輪のそばにしゃがみこむ。


「バルグ、押せる?」

「おう」

「ドグ、反対側支えて」

「分かった」


 たったそれだけで、パーティー全員が自然に動き出した。

 ミレアは杖を軽く振って泥を少し固め、シェリスは馬が怯えないように優しく鼻先を撫でて落ち着かせる。


 俺はただ、その様子を少し離れたところから眺めていた。

 掛け声とともに、荷車は泥から引き上げられた。

 農夫は何度も何度も頭を下げた。


「ありがとうございます、勇者様……本当に……!」


 タケルは泥のついた手を軽く払って笑う。


「気をつけて帰ってください」


 それだけだった。恩着せがましさも、見返りを求める様子もない。


 また別の日には、街道沿いの小さな家で泣いている子どもを見つけた。母親が熱を出して寝込んでいるらしい。村までは少し距離があり、このままでは薬も手に入らない。

 ミレアが部屋に入り、簡単な治療魔法をかけた。だが、それだけでは足りないらしい。


「ちゃんとした薬草が要るね」


 その言葉を聞いて、俺はようやく役に立てた。

 近くの林に生えている解熱用の草を探し、必要な量だけ摘んで戻る。煎じ方を教え、飲ませる。

 母親はうっすら目を開け、涙ぐみながら礼を言った。


 タケルは、やはり静かに頷くだけだった。


「大丈夫。すぐ良くなりますよ」


 穏やかな声だった。


 こんなことが、一度や二度ではなかった。


 道に迷った旅人がいれば、地図を見て道を教え、夜道に怯える行商人がいれば、次の宿場まで同行した。壊れた荷車を直し、病人に薬を届け、時にはただ話を聞いてやることもあった。

 そのすべてを、勇者は当たり前のようにこなした。

 誰かに見せつけるためではなく、本当にそれが当然だと思っているように。


 最初は、すべてが演技に見えた。

 そう思いたかった。

 こいつは偽善者だ。

 裏では人を壊しながら、表では英雄の真似事をしているだけだ。


 だが、何日もそばにいて、その振る舞いを見続けていると、少しずつ心が揺らいでくる。


 本当に、モカをあのような目に遭わせたのは勇者なのか?

 もしかしたら、あの手紙の内容は誤った情報だったのではないか。

 誰かが勇者を陥れるために書いたものだったのではないか。


 そう考える瞬間が、確かにあった。

 それほどまでに、目の前のタケル・タナカは立派な勇者だった。


 人を助け、穏やかに笑い、仲間に慕われ、誰からも感謝される。

 モカを壊した男と、どうしても重ならない。

 だが、そのたびに俺は頭を振った。


 いや、違う。


 俺はあの手紙を読んだ。

 ロジャードさんの言葉も聞いた。

 モカが自分の命を絶つほど追い詰められていた現実も、俺はこの目で見た。


 忘れるな。

 そう何度も自分に言い聞かせる。

 それでも、揺らぎは消えなかった。



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