37 勇者パーティー
夜になり、俺は勇者の指定した宿屋へ向かった。
街の中心部にある、かなり立派な宿だ。石造りの外壁に、広い玄関。出入りする客の服装も上等で、護衛を連れた商人や、どこかの貴族らしき人物の姿も見える。俺が普段泊まっている安宿とは、空気そのものが違っていた。
扉を開けると、酒場のざわめきと、料理の匂いが一気に押し寄せてくる。
視線を巡らせるまでもなく、すぐに分かった。
勇者は、酒場の奥の一番目立たない席に座っていた。だが、目立たない席にいるにもかかわらず、そこだけ空気が違う。周囲の客たちも、ちらちらと彼の方を見ている
黒い髪。穏やかな顔立ち。腰には剣。
その横には、昼間ギルドで見た仲間たちがいた。杖を持った小柄な女。大きな斧を背負った男。弓を持つエルフの女。大きな盾を立てかけた小柄な男。
俺が近づくと、勇者、タケル・タナカが柔らかく笑った。
「やあ、レンくん。来てくれてありがとう」
「いえ。こちらこそ、お誘いいただきありがとうございます」
なるべく自然に答える。
俺の声が、わずかに硬いのは自分でも分かった。けれど、タケルは気にした様子もなかった。
「座ってよ。ちょうど君の話をしていたところなんだ」
勧められるまま席に着く。
仲間たちの視線が一斉にこちらへ向く。値踏みするような目、興味深そうな目、あまり感情を出さない目。色々だ。
最初に口を開いたのは、杖を持った小柄な女だった。年は俺とそう変わらないように見える。大きな瞳が印象的だ。
「この人がレンさん?」
「そう。前に少し話したことがあってね。言葉の扱いがとても上手いんだ」
タケルがそう言うと、女はへえ、と小さく頷いた。
「私はミレア。魔法を担当してるの」
「レンです。よろしくお願いします」
次に、斧を持った大柄な男が、豪快に笑いながら口を開いた。
「俺はバルグだ。前で敵を殴る役だな。よろしく頼むぜ、通訳屋」
「よろしくお願いします」
エルフの女は、椅子にもたれたまま、こちらをじっと見ていた。
「シェリスよ。弓を使うわ。……勇者様が連れてくるんだから、多少は信用してる」
言い方は素っ気ないが、敵意はないらしい。
最後に、小柄で大きな盾を持つ男が、低い声で言った。
「ドグ。盾役だ」
「レンです。よろしくお願いします
短いやり取りを終えると、タケルが改めて口を開いた。
「さて、細かい話をしようか」
酒場の喧騒の中でも、不思議と彼の声はよく通った。
「今回の目的は、国境の大森林にいるオークの討伐だ」
そうだろうと思っていたが、はっきりと言われると胸の奥がわずかに冷える。
国境の大森林。そこは、以前情報屋から聞いた通り、街道が整備されていない危険地帯だ。知性の高いオークが群れで暮らしている。人の手が入らないのは、単に木が生い茂っているからではない。魔物が強すぎるからだ。
「今回の依頼は、この街の商人たちや王都からの要請もあってね。森の外縁に根を張っているオークの群れを潰して、街道を通せるようにするのが最終目標だ」
タケルの説明は落ち着いていて、分かりやすい。
「街道が通れば、ラブールから北や東への輸送はもっと楽になる。商人は儲かるし、王都も喜ぶ。まあ、簡単に言えば、皆にとって都合のいい仕事ってことだね」
その言い方に、酒場の明かりがゆらりと揺れて見えた。
「でも、いきなり森の奥に入るわけじゃない」
タケルは続ける。
「その前に、色々な問題も片付ける必要がある。まず、街の周辺に出てきている小規模な魔物の群れ。食料を運ぶ補給路の安全確保。現地の案内役との合流。それから、騎士団との連携確認」
なるほど。
勇者の仕事というのは、ただ強い魔物を斬れば終わりというわけではないらしい。
斧使いのバルグが、酒を飲みながら笑う。
「要するに、最初は地味な仕事が多いってこった。見張りの巣を潰したり、補給班を守ったり、地図を確認したりな」
「大軍を動かすには段取りが必要だからね」
ミレアが肩をすくめる。
シェリスは杯に口をつけながら、冷静に言った。
「オークは賢いわ。正面から突っ込んで終わり、なんて相手じゃない。周囲の地形も、補給も、全部整えてからじゃないと面倒なことになる」
勇者のパーティーというのは、もっと派手で、何でも力で押し切る集団だと思っていた。だが、実際には拍子抜けするほど現実的だ。
いや、だからこそ強いのかもしれない。
タケルが、今度はまっすぐ俺を見た。
「それで、レンくんの役割なんだけど」
一瞬、背筋が固くなる。
「君は何もしなくていい」
「……何も、ですか?」
「うん。基本的には、ただついてきてくれればいい」
思わず聞き返しそうになるのをこらえる。
「もちろん、全く役目がないわけじゃないよ」
タケルは笑いながら続ける。
「現地の言葉を話す案内人や、南方から来ている傭兵が混じる可能性がある。そういう時に君の力は役立つかもしれない。でも、戦いについては考えなくていい」
「僕たちが守るから」
さらりと言った。
その言葉に、胸の奥がざわつく。
守る。誰を。何から。
よくもそんな言葉が口にできる。
けれど、今は何も言わない。
「君は目立ちすぎた。狙われやすい立場だ。だったら、下手に動くより、こちらの視界に入っていてくれる方が安全なんだ」
それは理屈としては正しいのだろう。
だが俺にとっては、勇者の視界の中に入ること自体が最大の危険だ。
いや。違う。それこそが好機だ。
今までは追いかけるしかなかった。居場所を探し、噂を拾い、背中を追うだけだった。
だがこれからは違う。
同じ時間を過ごし、同じ道を歩き、同じ火を囲むことになる。
隙は必ずある。いつか、必ず。
その時に殺せばいい。
タケルがこちらの表情を探るように見た。
「不安かい?」
俺は一拍置いてから答える。
「少しは。でも……タケルさんたちと一緒なら、大丈夫だと思います」
口にした瞬間、自分の言葉に吐き気がした。
だが、それを表に出すわけにはいかない。
タケルは満足そうに微笑んだ。
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
ミレアも明るく言う。
「大丈夫。勇者様、本当に強いから」
バルグが笑う。
「俺たちもいるしな。通訳屋は気楽にしてろ」
シェリスは相変わらず淡々としていたが、ちらりとこちらを見て言った。
「無茶しないなら、足手まといにはならないでしょ」
ドグは小さく頷くだけだった。
しばらく、酒場で他愛のない話が続いた。
道中の食事のこと。
森の湿気がどうとか、騎士団の融通の利かなさとか、最近ラブールで流行っている酒の話とか。
意外なことに、タケルはよく笑った。自然体で、よく気が利いて、周囲に気を配る。
まるで本当に勇者みたいだった。
だからこそ、気持ちが悪い。
その笑顔の奥に、モカを壊した男がいる。
俺だけが、それを知っている。
会話の合間に、タケルが言った。
「出発は明後日の朝だ。騎士団との合流もあるから、早い」
「分かりました」
「必要なものは最低限でいい。荷物は軽く。移動中は僕たちの近くにいてくれればいい」
「はい」
いよいよ勇者との旅が始まる。仇と同じ道を歩く旅だ。
酒場を出るころには、夜風が冷たかった。
外に出ると、星が見えた。俺はゆっくり息を吐く。
やるべきことは、もう決まっている。後は、機会を待つだけだ。
次の日。
朝から市場へ向かった。
勇者たちと同行する以上、今のままの装備では心許ない。戦うつもりはないと言われたが、何があるか分からない。少なくとも、森の中を歩き回れるだけの支度は整えておく必要があった。
市場は朝から活気に満ちていた。乾いた空気の中に、香辛料や干し肉、革の匂いが混じっている。露店の店主たちは大声で客を呼び込み、荷車が絶えず行き交っていた。
まずは丈夫な外套を探す。
森に入れば、夜は冷えるし、枝葉で服も傷む。何軒か見て回った末に、厚手で動きやすいものを選んだ。色は地味な茶色。派手な色は目立つだけだ。
次に、靴。
今履いているものでも街中なら十分だが、森の中では底が薄い。岩や根を踏めばすぐに足を痛めるだろう。革の厚いもの、足首までしっかり覆うものを選ぶ。試しに何歩か歩いてみると、少し重いが、その分しっかりしていた。
さらに、小ぶりな短剣も新調。
剣を振るうのは得意ではない。だからこそ、大仰な武器より、いざという時に取り回しやすいもののほうがいい。腰に差せば邪魔にもならない。
最後に、水袋と保存食をいくつか買い足す。乾燥肉、硬いパン、少しの干し果物。どれも長持ちするものばかりだ。
これで最低限の準備は整った。
だが、まだ気になることがあった。
勇者についてだ。
昨日、あの男と同じ席に座り、同じ酒場の空気を吸った。表向きは穏やかで、誰からも慕われる英雄。けれど、それだけで終わるはずがない。
だから、その足で例の情報屋のところへ向かった。
昼でも薄暗い路地裏。人通りは少なく、壁には古い染みがいくつも残っている。何度来ても、気味のいい場所ではない。
扉を開ける。
「いらっしゃい~」
あのしゃがれた声。
情報屋はいつものように椅子に座り、机に肘をついていた。薄暗がりの中で、その顔は相変わらずよく見えない。
「どうも」
俺が短く言うと、男は喉の奥で笑った。
「おやおや~、また来ましたねぇ。今度は何をお求めで?」
俺は少し間を置いてから口を開く。
「勇者の噂だ。表向きじゃなく、裏の話が聞きたい」
男の口元が、わずかに歪んだ。
「なるほど~。そういう話ですか」
机の上を指先で軽く叩きながら、男は続ける。
「表ではいい顔しているが、裏ではかなりひどいことをしている。そんな話なら、まあ、いくつかありますよ」
俺は黙って金貨を机の上に置く。
「ほ~。なかなか金払いがいいですねぇ。では、教えましょうか~」
情報屋の前の椅子に座る。情報屋が続ける。
「例えば、気に入らない貴族を裏で潰したとか。邪魔になった協力者を切り捨てたとか。禁術に手を出しているとかねぇ」
禁術。
その言葉に、胸がわずかにざわついた。
「禁術?」
「ええ。人の魔力を無理やり引き出す術だとか、魂に干渉する術だとか。まぁ、どこまで本当かは分かりませんが」
男は肩をすくめる。
「勇者ほどの立場になると、嘘も本当も混ざりますからねぇ。恐れられている証拠でもある」
さらにいくつかの噂を挙げた。
戦場で敵だけでなく味方ごと焼き払った。
王都の地下で得体の知れない研究をしている。
呪われた剣を扱っている。
人を殺しても顔色一つ変えない。
どれも証拠がある話ではない。ただ、勇者ほどの存在になると、こういう噂が自然と集まるのだろう。
だが、俺にとっては違った。
そのどれもが、まったくの作り話だとは思えなかった。
少なくとも、モカにしたことを考えれば、どれだけひどい噂があっても不思議ではない。
「真偽は不明です」
情報屋は指を立てた。
「でも、噂程度ならこのくらいは集まってますよ、という話です」
俺は黙って頷いた。
十分だった。
確証はない。だが、確信は深まった。
あの男は、表の顔だけの存在じゃない。
情報屋は手を出してくる。
「さて、今回のお代は?」
俺は袋から更に金を取り出し、机の上に置いた。
男はそれを確認すると、満足そうに笑う。
「毎度ありがとうございます~」
俺はそれ以上何も言わず、店を出た。
路地裏の外に出ると、昼の光が妙に眩しかった。
腰の短剣の重みを確かめる。
準備は、少しずつ整ってきている。




