表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
中堅冒険者 レン・サトウ  作者: なみなみくん
第二章
33/41

33 南方遠征2

 そして。一ヶ月目の終わり。

 朝、荷馬車が丘を越えた。

 その瞬間、景色が変わった。


 遠くに見える白い壁。尖塔。赤い屋根。その周囲に広がる市場のような色彩。

 空気が違う。


 風が乾いていて、どこか甘い匂いが混じっている。

 ギルさんが前を見て言った。


「到着です」


 俺は息を呑んだ。

 ここが南方諸国。


 門の前には、異国の服を着た人々が行き交っている。

 聞こえる言葉も、もう北方とは違う。

 荷馬車の車輪が石畳を踏み、隊列がゆっくりと門へ近づく。

 俺は背筋を伸ばした。仕事だ。ここからが本番だった。


 最初の街で一泊することになった。

 城壁に囲まれた街は、北方の街とはどこか雰囲気が違っていた。

 建物は白い石で作られており、屋根は平らなものが多い。

 窓には布の日よけが垂れ、風が吹くたびにゆらゆらと揺れていた。

 街の空気は乾いている。


 日が沈んでも、地面に残った熱がじんわりと上がってくるようだった。

 門をくぐり、商隊は宿へ向かう。


 南方の宿は北方と少し作りが違う。

 建物は中庭を囲むように建てられていて、中央に井戸がある。

 その井戸の周りに、人が集まっていた。水を汲むためだ。


 宿に荷を下ろし、部屋を割り当てられる。

 荷馬車の長旅のあとだ。体の節々が固まっている。

 部屋に入ると、まず水瓶が目に入った。


 小さな壺に入った水。

 俺は手を伸ばして一口飲む。

 ……ぬるい。


 それでも喉が乾いていたので、体に染み渡る。

 そのとき、廊下からギルさんの声が聞こえた。


「レン様、水は大事にしてください」


 振り向くと、ギルさんが苦笑している。


「ここでは水が高いんです」

「高い?」

「ええ。北方のように川が豊富ではありませんから」


 中庭の井戸を指差す。


「あの井戸も私たちは使えません。水はすべて売り物なのです」


 なるほど。

 街に入ってすぐ、商人たちが水袋を大事そうに持っていた理由が分かった。


「旅人は水を頻繁に買うことができません。だいたい値段は……北方の三倍くらいでしょうか」

「そんなに」


 俺は思わず水瓶を見た。

 さっき飲んだ一口が、急に重く感じる。


「なので、できるだけ節約してください」

「分かりました」


 水瓶の蓋を閉める。

 長旅の疲れを少しでも取るため、顔を軽く洗う。だが、それ以上は使わなかった。


 夜になると、宿の食堂に人が集まる。

 料理は北方とは違う。

 焼いた肉。薄いパン。そして香辛料の匂いが強いスープ。


 最初は少し驚いたが、食べてみると悪くない。むしろ体が温まる。

 商会の者たちは長旅の疲れもあって、食事を終えるとすぐ部屋へ戻っていった。


 部屋に戻り、ベッドに横になる。

 窓の外から、南方の夜の音が聞こえる。

 遠くの市場の声。誰かの歌。聞いたことのない虫の鳴き声。


 ここまで無事に来られた。

 だが、これはまだ旅の途中だ。明日から仕事が始まる。


 通訳として、商会の顔として。

 失敗はできない。

 そう思いながら、ゆっくりと息を吐いた。


 長い旅の疲れもあって、意識はすぐに沈んでいった。

 そして次の日。

 いよいよ仕事が始まる。


 次の日の朝。

 まだ日が高くなる前に、俺たちは宿を出た。


 南方の朝は早い。

 日が昇ると一気に暑くなるため、商談や仕事は朝のうちに進めることが多いらしい。

 街の通りにはすでに人が出始めていた。


 香辛料の匂い、焼いた肉の匂い、そして乾いた風。

 北方とはまるで違う空気だった。

 しばらく歩くと、大きな建物が見えてきた。


 入口には金色の看板。

 そこには流れるような文字でこう書かれていた。

「ウィンチャデムーロ商会」


 ギルさんが小さく言う。


「ここです」


 入口には番人が立っていた。ギルさんが挨拶をする。俺がそれを通訳する。


「ロンド商会のギル・ウィンテルです。本日は約束の商談に参りました」


 番人は軽く頷き、扉を開けた。


 建物の中は広かった。天井が高く、壁には色鮮やかな絨毯が掛けられている。

 中央の机にはガラス瓶や布が並べられていた。

 奥から男が歩いてくる。背が高く、痩せた体格。口ひげを整えている。

 彼が言う。


「遠路はるばるようこそ。私はウィンチャデムーロ商会の代表、サディールだ」


 俺はすぐに通訳する。

 ギルさんが丁寧に頭を下げる。


「お招きいただきありがとうございます」


 サディールは微笑んだ。


「まずは座ってくれ」


 円卓に案内される。

 席に着くと、すぐに小さなカップが運ばれてきた。甘い香りのする茶だった。

 図書館で読んだ通りだ。

 南方では、商談の前に茶を飲む。


 俺はその文化を思い出しながら、静かにカップを持った。

 少し甘い。

 それでも、悪くない味だ。


 しばらく雑談が続く。天気の話。街道の状態。旅の苦労。

 すぐに商談に入らない。

 これも南方の流儀だ。


 やがてサディールが本題に入った。


「では、ロンド商会はどのような品を扱っているのかな?」


 俺はその言葉をギルさんに伝える。

 ギルさんは荷馬車から持ってきた木箱を開いた。


「我々の主力商品は三つあります」


 俺はそれを通訳する。


「まず一つ目は陶器です」


 箱から皿を取り出す。

 白い陶器。縁には細かい青の装飾。

 サディールが興味深そうに手に取る。


「北方の陶器か」

「はい。高温で焼いているため、割れにくく、軽いのが特徴です」


 俺はその説明を丁寧に訳す。

 サディールは皿を軽く叩き、音を確かめた。


「ほう……確かに悪くない」


 次にギルさんが箱を開ける。

 中には小さな瓶。


「香油です」

 蓋を開ける。


 ふわりと香りが広がった。花の香りと、少し甘い香り。

 サディールの目が少し細くなる。


「これは……良い香りだ」

「北方の花から抽出しています。香りが長く残るのが特徴です」


 俺は言葉を慎重に選びながら訳す。

 相手の表情を見ながら、強すぎない言葉にする。それだけで印象が変わる。

 さらにギルさんが布を取り出した。


「こちらは絹布です」


 光沢のある布が机の上に広がる。

 サディールは指で触る。


「滑らかだな」

「北方の織り手によるものです。染色も長持ちします」


 通訳しながら、俺は相手の反応を見ていた。

 眉の動き。目線。手の動き。

 サディールは完全に興味を持っている。

 手応えはある。

 やがて彼が言った。


「面白い」


 その一言で、空気が少し変わる。


「北方の品はこの街でも人気が出るかもしれない」


 俺はその言葉を通訳する。

 ギルさんの口元がわずかに緩んだ。だが、商人は簡単には喜ばない。すぐに次の話に移る。


「もし取引をする場合、どの程度の量を扱えるのか」


 ギルさんが説明する。

 俺が通訳する。


 数量。輸送期間。価格の目安。

 言葉が行き交う。

 慎重に、正確に。


 一つでも間違えれば意味が変わる。

 だが、不思議と頭は冴えていた。

 言葉が自然に口から出てくる。

 会話が続く。

 そして最後に、サディールが言った。


「……悪くない話だ」


 彼は立ち上がり、手を差し出した。


「正式な契約は後日だが、前向きに検討しよう」


 俺はそれを通訳する。

 ギルさんが立ち上がり、握手をした。


「ありがとうございます」


 商談はそこで終わった。

 建物を出る。外の空気は暑い。

 だが、胸の奥は少し軽かった。

 ギルさんが言う。


「レン様」

「はい」


 彼は笑っていた。


「素晴らしい通訳でした」

 俺は少しだけ肩の力を抜いた。

 手応えは、確かにあった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ