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中堅冒険者 レン・サトウ  作者: なみなみくん
第二章
32/40

32 南方遠征1

 南方諸国への遠征が決まったあと、ギルさんから数日の休暇をもらった。

 準備の時間という名目だったが、実際にはやることはそれほど多くない。

 商会から旅の装備は支給されるし、服も最低限は揃っている。


 宿の部屋でぼんやりしていると、時間だけがゆっくり過ぎていく。


 窓の外を見ると、行き交う人、荷車、商人の呼び声。商業都市ラブールは今日も賑やかだ。


 それを眺めながら、ふと思い出した。

 図書館。

 せっかくだ。南方諸国に行く前に、少しでも情報を集めておこう。

 そう思い、宿を出た。


 図書館の前に立つ。

 相変わらず立派な建物だった。


 高い石造りの柱。広い階段。重厚な扉。

 商業都市の図書館らしく、学者だけでなく商人も多く出入りしている。


 入口で入場料を支払う。やはり安くはない。

 だが、ロンド商会の仕事のおかげで、今は払える。


 扉を押し開ける。

 中に入ると、ひんやりとした空気が流れていた。


 高い天井。無数の本棚。古い紙の匂いが漂う。

 静かな場所だ。人はいるが、皆声を抑えている。ページをめくる音だけが小さく響いていた。


 中央の司書に声をかける。


「あの、南方諸国に関する本はありますか?」


 司書は少し考え、棚の奥を指差した。


「地理書、歴史書、交易記録などがあります。必要でしたら持ってきますが」

「自分で探してみます」


 礼を言い、本棚の間を歩く。

 棚には革装丁の本がぎっしり詰まっている。背表紙を指でなぞりながら探す。やがて、目的の棚を見つけた。


「南方交易誌」

「砂海航路記」

「南方民族誌」


 数冊手に取り、机に向かう。椅子に座り、本を開く。

 最初に読んだのは、南方の地理書だった。


 どうやら、南方諸国は一つの大きな国ではなく、いくつもの小国が集まった地域らしい。


 砂漠に近い土地もあれば、海に面した港町もある。気候も場所によって違う。乾いた熱風が吹く場所もあれば、湿った海風の街もある。


 それぞれの国は小さいが、交易が盛んで、商人たちの行き来が絶えない。

 そのため言語も混ざり合っている。

 南方語の方言。古い帝国語。南部の港言葉。


 なるほど。

 ギルさんが通訳を必要としていた理由が分かる。一つの言語では足りないからだ。


 本を読み進める。

 次は民族誌だった。


 南方の人々の習慣が書かれている。

 例えば、挨拶のときは右手を胸に当てる。商談の前には必ず甘い茶を飲む。価格交渉は最初から本題に入らない。雑談を長く続ける。信頼関係が重要。


 なるほど。


 これを知らなければ、交渉は失敗するということだろう。


 さらにページをめくる。交易記録の本だった。

 そこには実際の取引の記録が載っていた。


 香辛料。陶器。絹。宝石。

 南方の港は、それらの集まる場所らしい。


 そして、読み進めているうちに、ふと気になる記述があった。

 南方には古い遺跡が多い。かつて巨大な帝国が存在したという説もあるらしい。その遺跡を調査する冒険者も多い、と書かれていた。


 少しだけ胸が動く。


 冒険者。

 昔の自分の生活を思い出す。


 ページを閉じ、少し息を吐く。

 さらに本を読み進める。今度は交易路の本だった。

 地図が描かれている。


 ラブールから南へ伸びる街道。

 森を避けるように曲がり、砂地の街へ。そこからさらに港町へ続く。今回の遠征も、たぶんこの道だろう。


 いくつかの危険も書かれていた。

 盗賊。砂嵐。時には魔物。


 ページを閉じる。

 椅子にもたれ、天井を見上げた。

 静かな場所だ。本の匂い。紙の音。

 昔なら、こういう場所でゆっくり時間を過ごすこともできたかもしれない。


 だが今は違う。

 勇者。

 その名前が、頭の奥に残り続けている。


 それでも。今やるべきことは、南方遠征だ。

 情報を集め、準備を整える。

 それが、次につながる。


 机の上の本を閉じ、静かに立ち上がった。


 出発当日。

 朝早く宿を出て、南門へ向かった。まだ空気は少し冷たいが、街はすでに動き始めている。商人の荷車、旅人、冒険者、門番の声。商業都市ラブールの門は、朝から賑やかだった。


 門の前を見渡す。荷馬車がいくつも並んでいる。

 だが、その中でも整然と並んでいる一団がすぐに目に入った。


 見覚えのある紋章。ロンド商会だ。

 俺はそちらへ歩いていく。

 すると、荷馬車の横に立っている男がこちらに気付いた。


「レン様」


 ギル・ウィンテルだった。


「おはようございます」

「おはようございます、ギルさん」


 軽く頭を下げる。

 周囲を見渡すと、今回の隊列はそこまで大きくない。

 荷馬車は四台。護衛の男たちもいるが、前回の隣国遠征よりは少ない。


「今回は荷馬車四台なんですね」


 俺が言うと、ギルは頷いた。


「ええ。今回は本格的な輸送ではありませんから」

「輸送じゃない?」

「はい。中身はサンプル品です」


 そう言って、一台の荷馬車の後ろの布を少しだけめくる。中には木箱が並んでいた。いくつかの箱はすでに開けられていて、中身が見える。

 陶器。細かい装飾が施された皿や壺。そして小さな瓶。


「香油ですか?」

「よく分かりましたね」


 ギルは笑った。


「ロンド商会が扱う主力商品です」


 さらに別の箱を開ける。今度は布。絹のような光沢を持つ布地だった。


「これらを見せて、商談を進めるわけですか」

「その通りです」


 ギルは箱を閉じながら続ける。


「いきなり大量の品を運ぶのは危険です。まずは見せて、触れてもらい、品質を理解してもらう」

「なるほど」

「南方諸国は、信用を重んじる文化です。実物を見せることが大事なんです」


 さらに別の荷馬車を指す。


「あちらにはガラス製品と香辛料もあります」

「香辛料まで?」

「ええ。南方は香辛料の産地でもありますが、加工品は北方の方が評価されることがあるんです」


 商人の世界は奥が深い。


 俺は改めて荷馬車を眺める。四台の馬車。それぞれが違う商品を載せている。

 確かに、これは「見本市」のようなものだ。


「レン様には、各国の言葉で説明していただくことになります」

「分かりました」

「それと」


 ギルは少し笑った。


「交渉の場では、私が話しますが…。レン様がどう表現するかで結果が変わります」

「責任重大ですね」

「ええ」


 ギルは楽しそうに言った。


「ですが、レン様なら大丈夫でしょう」


 そのとき、御者が声を上げた。


「そろそろ出発です!」


 門番が門を開く。

 朝の光が街道に伸びていた。

 ギルが軽く手を上げる。


「では行きましょう」


 俺は頷いた。


「はい」


 荷馬車に乗り込む。御者が手綱を引く。馬がゆっくりと歩き出す。やがて隊列全体が動き始めた。


 南門を抜ける。

 背後で、ラブールの城壁がゆっくり遠ざかっていった。


 旅は一ヶ月かかる。ギルさんはそう言った。

 数字として聞いたときは「長いな」と思っただけだったが、実際に荷馬車に揺られ始めると、その一ヶ月という時間の重さがじわじわと体に染みてくる。


 出発して数日。

 街道は最初こそ整っていた。石畳が続き、道端には標識もある。

 商業都市ラブールから南へ向かう道は、人の往来も多い。同じように荷馬車で物を運ぶ商隊、徒歩の旅人、巡礼者。すれ違うたびに軽く会釈をする。


 ギルさんは馬車の中で帳簿を見ながら、時々俺に話しかけてきた。


「レン様、こういう旅は慣れていますか?」

「薬草採取で何日も森に籠もることはありましたけど、こうやって街道を長く進むのは久しぶりです」

「そうですか。では、飽きないように話題を用意しておきましょう」


 冗談めかして言って、ギルさんは笑う。

 その笑い方は、商人らしい余裕と、人の良さが混ざっていた。


 俺はその横顔を見ながら、ふと思う。

 この人は、俺の過去を知らない。知らないから、こんなふうに普通に笑って接してくれる。


 羨ましいような、申し訳ないような気持ちになった。


 昼になると隊列は止まる。

 護衛が周囲を警戒し、御者が馬に水を飲ませる。

 商会の者たちは慣れた手つきで簡易の炊事場を作った。


 俺は手伝いに回る。料理ができると知られた以上、役に立たないわけにはいかない。

 鍋を火にかけ、干し肉を刻み、根菜を入れる。塩と少しの香辛料。

 簡素なスープ。

 それでも、温かいものを口に入れると体が少し戻る。


「おお、今日もいい匂いですね」


 護衛の男が近づいてきて言う。


「昔、宿で働いていたので」

「通訳だけじゃなく料理もできるなんて、レン様はまるで便利屋ですね」


 便利屋、か。

 言われて、苦笑いをした。


 俺は昔からそうだった。誰かの役に立たなければ、自分の居場所がない気がして。


 モカがいた頃は違ったのに。

 スープの湯気の向こうに、ふとモカの笑顔が浮かぶ。

 すぐに振り払うように鍋をかき混ぜた。


 夜は町や宿場に泊まる日もあれば、野営の日もある。

 人の多い街道でも、毎晩宿に入れるわけではない。


 野営の夜は冷える。火を囲んで眠る。護衛が交代で見張りにつく。

 俺は毛布にくるまりながら、周囲の音を聞いていた。


 虫の声。遠くの獣の声。馬の鼻息。火がはぜる音。

 その中に、時々聞こえないはずの声が混じる。


「あなたのせい」


 夢ではない。

 起きていても、ふとした瞬間にモカの夢の幻聴が胸を突く。

 俺は息を殺して、ただ空を見上げた。

 星が多い。まるで、空が穴だらけになっているみたいだった。


 旅の途中、いくつかの町を経由した。


 南へ行くほど、景色が変わる。草原が減り、低い木が増える。土の色が赤みを帯びてくる。空気も少し乾く。


 商人の服装も変わる。薄い布を巻いた者が増え、帽子を深くかぶる者が増える。

 ギルさんが言った。


「このあたりから、南方の文化が混ざり始めます」

「確かに、言葉も少し違う気がします」

「ええ。市場に行けば、北方語だけでは通じない場面も出てきます」


 俺はその言葉を聞きながら、胸の奥で別のことを考えていた。


 ある日。

 道の先に、倒れた荷車が見えた。近づくと、小さな商隊だった。荷車の車輪が壊れ、立ち往生している。

 男が頭を抱えていた。


「……どうしようもねぇ」


 ギルさんが馬車を止め、状況を見た。


「助けましょう」


 商会の者たちが降りる。護衛も周囲を警戒しながら近づく。壊れた車輪を見て、商会の職人が言う。


「修理できる。ただし時間がかかる」


 ギルさんは頷き、相手の商人に声をかける。


「我々はロンド商会です。旅の途中ですが、修理を手伝います」


 相手の商人は涙目になった。


「助かる…このままじゃ、荷が腐る」


 俺は通訳をしながら、そのやり取りを見ていた。

 商人は、こういう場面で信用を積む。そして、いつかの商談で縁があるかもしれないということだ。


 修理が終わった頃には、日が傾いていた。

 相手の商人は礼として干し果実を差し出し、さらに情報をくれた。


「南の道は最近盗賊が増えてる。峠を通るなら気をつけろ」


 ギルさんはそれを真剣に聞き、護衛に伝えた。

 その夜、護衛の交代が増えた。


 数日後、峠を越えるとき、盗賊の気配があった。

 木陰に人影。道端の石の配置が不自然だ。


 護衛がすぐに合図を出した。

 商会の者たちは荷馬車を寄せ、隊列を固める。


 弓を構える護衛。剣を抜く護衛。

 俺は、ただ黙って息を潜めた。


 戦うのは嫌だ。あの夜の血の感触が蘇る。胃がきりきりと痛む。

 だが、今回は違う。

 相手は人間だが、こちらは護衛がいる。

 俺が手を汚す必要はない。


 盗賊たちは、隊列の数と護衛の練度を見て引いた。

 森の奥へ消えていく影。ようやく息ができた。


 ギルさんが小さく呟く。


「……何事もなくてよかった」


 その言葉は、心からの言葉だった。


 旅の後半。

 日差しが強くなる。昼は汗ばみ、夜は冷える。喉が渇く。そして、水が貴重になる。

 商会の者たちは水の管理を徹底した。馬にも人にも必要だ。


 俺は通訳の仕事だけでなく、雑用もする。

 荷の確認。

 帳簿の読み上げ。

 現地の言葉での簡単な買い出し。

 そして、ギルさんとの会話。


 彼は仕事の合間に、よく話してくれた。商会を大きくする夢。南方との交易を広げたい理由。彼自身の家族の話。


 俺は、それを聞きながら頷く。

 その話は、どこか遠い世界のことのようだった。


 俺の世界は、もっと暗くて、冷たくて、血の匂いがする。

 けれど、ギルさんの話を聞いているときだけは、少しだけ普通に戻れる気がした。



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