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中堅冒険者 レン・サトウ  作者: なみなみくん
第二章
28/40

28 通訳依頼1

 北門に着くと、すでに多くの荷馬車が並んでいた。

 車輪の軋む音、馬のいななき、商人たちの掛け声。朝だというのに、門前は活気に満ちている。その中で、見覚えのある姿を見つけた。


「レン様、おはようございます」

「おはようございます」


 様、か。

 ついこの間まで森で薬草を探していた俺が、商会に敬称付きで呼ばれる立場になるとは。人の立場というのは、案外簡単に変わるものだ。


 ギル・ウィンテルは整った身なりで、すでに出立の準備を終えている様子だった。

 軽く雑談を交わす。道中の天候、到着までの日数、ランデル国の最近の情勢。彼の話しぶりは落ち着いていて、無駄がない。だが、ひとつ気になることがあった。


「ちなみに、ロンド商会の荷馬車はどれですか?」


 俺が周囲を見渡しながら尋ねると、ギルはくすりと笑った。


「いま目に見えている荷馬車、すべてがロンド商会のものです。そのうち、本日同行するのは八台となります」


 一瞬、言葉を失った。


 目に入るだけでも相当な数がある。そのすべてが同じ商会のものだというのか。

 これほど大きな商会だとは思わなかった。どおりで金払いがいいわけだ。


「それと、護衛の方も同行されます。積み荷が積み荷だけに、盗まれるわけには行きませんので」


 視線をやると、鎧を身に着けた男たちが各所に立っている。剣や槍を携え、表情は真剣そのものだ。


「なるほど」


 香料や高級織物は軽くて高価だ。盗賊に狙われやすい。


「では、そろそろ出発です。レン様は私の隣で構いませんか?」

「了解です」


 ギルの乗る先頭の荷馬車に乗り込む。合図とともに、車列がゆっくりと動き出した。

 城門を抜け、石畳が土道へと変わる。

 ロンド商会の一行は、整然とした隊列を保ちながら、隣国ランデルへ向けて進み始めた。


 荷馬車がゆっくりと動き出す。

 城壁が後ろに遠ざかり、石畳はやがて土の道へと変わった。


 朝の光が大地を照らし、草原が金色に揺れている。遠くには低い丘陵が連なり、空はどこまでも青い。

 しばらく無言でその景色を眺めていると、隣に座るギルが静かに口を開いた。


「今回、レン様が依頼を受けてくださり、本当に感謝しています」


 そんなに感謝されることだろうか。


「うちの商会はいま繁忙期でして、外国語を話せる通訳者があらかた出払っておりまして……」

「それは大変ですね」

「ええ。ランデル、オルグナ、南方諸国……交易の範囲が広がるほど、人材が足りなくなります」


 ギルは軽く息を吐いた。


「レン様とお会いできたのも、神の思し召しかもしれませんね」


 お互い笑い合う。


「商会って、やっぱり忙しいものなんですか?」


 俺が尋ねると、ギルは少し笑った。


「忙しいですよ。朝は日の出前から帳簿を確認し、昼は交渉、夜は次の取引の算段です。商人は、眠る時間を削ってでも先を読む仕事ですから」

「冒険者とはずいぶん違いますね」

「冒険者は命を賭ける。商人は信用を賭ける。賭けるものが違うだけで、どちらも危うい仕事です。もちろん私共も、このように商品を運ぶ際は命を賭けますがね」


 なるほど、と思った。

 しばらくして、ギルがこちらを見た。


「レン様は、どうして冒険者に?」


 一瞬、答えに迷う。


「流れで、ですかね。最初は生きるために。気づいたら続けていました」

「続けられるということは、才能がおありなのでしょう」

「才能、ですか」


 自分の力。言語を理解する力。それが才能なのかどうか、まだよく分からない。


「言葉を扱える方は貴重です。戦争も交易も、すべては言葉から始まります」


 ギルは遠くを見ながら続けた。


「誤訳ひとつで国同士が揉めることもある。逆に、うまく言葉を整えれば、本来なら争うはずの相手とも手を取り合える」


 その言葉に、少しだけ胸がざわつく。俺はこれから、商談の通訳をする。それは言葉による戦争と言っても過言ではないだろう。


「ランデルは、どんな国なんですか?」


 話題を変えるように尋ねる。


「乾いた風の国です。砂地が多いが、商業は盛ん。貴族は誇り高く、形式を重んじる。礼節を欠けば即座に交渉は破談です」

「気をつけます」

「とはいえ、硬すぎてもいけません。場の空気を読むのも通訳の仕事です」


 ギルは微笑む。


「レン様はお若いが、落ち着いておられる。交渉の場でも問題ないでしょう」


 若い、か。

 この数年で、俺はどれだけ老けただろう。この世界に転移してから冒険者になり、最愛の人を亡くしている。昔のように笑えなくもなっただろう。


「レン様は、将来どうなさるおつもりですか?」


 唐突な質問だった。

 将来。考えたことがなかった。いや、考えないようにしていた。


「…まだ決めていません」


 それだけ答える。

 ギルは深く追及しなかった。


「人は、道を選ぶよりも、道に選ばれることの方が多いものです」


 その言葉が、妙に胸に残る。

 道に選ばれる。俺は、どこへ向かっているのだろう。


 荷馬車は進み続ける。車輪の音と馬の足音が、一定のリズムを刻んでいた。

 昼過ぎになり、隊列がゆるやかに停止した。


 護衛たちが周囲を警戒しながら、荷馬車の陰で簡単な昼食の準備が始まる。

 特にやることもない俺は、自然と火のそばへ向かった。

 鍋の中には乾燥肉と豆、硬くなったパン。味付けも最低限だ。


「少し、手伝ってもいいですか?」


 そう声をかけると、商会の若い従業員が戸惑いながらも頷いた。

 火加減を調整し、水を足し、手持ちの香草を刻む。塩をひとつまみ多く。香りが立つまでゆっくり煮込む。

 それだけで、湯気の匂いが変わった。


「……うまい」


 誰かがぽつりと呟く。護衛の男が笑った。


「さすが冒険者ですね」


 ギルも匙を口に運び、目を細める。


「本当に。野営でここまでの味が出せるとは」

「昔、宿で働いていたので」


 口にした瞬間、胸の奥が少しだけ軋んだ。

 懐かしい。あの食堂の匂い、木の床のきしみ、夜更けの笑い声。いま、ゲンシさんは何をしているのだろう。


 昼の忙しい時間帯かもしれない。客に酒を注ぎながら、大声で笑っているかもしれない。

 俺がいなくても、きっと宿は回っている。

 当たり前のことなのに、少しだけ寂しかった。


 再び荷馬車が動き出す。

 夕暮れが近づくころ、小さな町にたどり着いた。石造りの低い城壁に囲まれた、交易路沿いの宿場町だ。


 商会は手際よく宿を確保し、荷馬車を中庭へと入れる。

 俺も部屋を借り、簡素な寝台に身を沈めた。


 天井を見上げる。今日は妙に疲れた。

 目を閉じると、馬車の揺れがまだ体に残っているようだった。


 朝方、まだ空気の冷たい時間に出発した。

 吐く息が白い。馬の鼻息も同じように白く揺れている。荷馬車は静かに町を離れ、再び街道へと戻った。

 隣にはギル。今日も落ち着いた表情だ。


「ここから森を迂回するので、まだまだかかりますね」


 前方には広大な森が広がっている。濃い緑の海のように、地平線まで続いていた。


「森に街道はないのですか?」


 俺が尋ねると、ギルは首を横に振る。


「森の中はオークがいるので、手付かずですね」


 オーク。大柄で強い人型の魔物。知性が高く、群れで暮らす。武器を扱い、罠を張り、仲間を呼ぶ。

 絶対に出くわしたくない相手だ。

 護衛たちも森の方向をちらりと見て、自然と警戒を強めている。


「森を抜けられれば、距離は半分で済むのですが……」

「命には代えられませんね」

「ええ。商売は利益が大事ですが、損失を避けることはもっと大事です」


 ギルは淡々と言う。


「まあ、盗賊に会わないように気長に行きましょう」


 そう笑ったが、その目は真剣だ。

 森を大きく迂回する道は、やや荒れていた。時折ぬかるみに車輪を取られ、護衛たちが押す場面もある。


 昼には短い休憩。夜は野営。火を最小限にし、周囲に見張りを立てる。星空の下で横になると、遠くで狼の遠吠えが聞こえた。森の奥からだろうか。


 数日かけて、ゆっくりと進む。

 そしてついに、石造りの高い門が見えてきた。


 隣国ランデルの国境関所だ。


 荷馬車の列が徐々に減速し、検問の準備が始まる。

 俺は無意識に背筋を伸ばした。


 関所の前には、人も荷馬車も長い列をなしていた。

 商人、旅人、傭兵、行商人。さまざまな顔ぶれが、重たい空気の中で順番を待っている。


 武装した衛兵が一定間隔で立ち、鋭い目で一台一台を見ていた。

 しばらくして、ようやく自分たちの番が近づく。


 ギルが小声で言った。


「ここの衛兵は私たちの言葉を話せる者もいますが、今回はレン様に任せます。頑張ってください」

「はい。了解しました」


 初仕事だ。失敗は許されない。

 荷馬車が停止する。

 鎧を着た衛兵が近づいてきた。


「通行証はあるか?」


 低く、やや訛りのあるランデル語。俺は即座にギルへ通訳する。


「通行証の提示を求めています」


 ギルが頷き、用意していた書簡を差し出す。

 俺がそれを受け取り、衛兵に手渡す。衛兵は目を通し、無言でうなずいた。


「確認した。荷馬車の中身を確認させてもらう」


 そのまま通訳する。

 護衛がシートを外すと、木箱が整然と積まれているのが見えた。


「では、レン様、通訳を頼みます」


 ギルが落ち着いた声で内容を説明する。


「高級陶器、南方産の香料、染料、織物」


 それを俺は、間違えぬよう正確にランデル語へ変換する。語順、敬語、言い回し。少しでも違えば疑念を招く。


「では抜き打ちで検査する。この箱を開けてみろ」


 通訳する。

 ギルが頷き、指定された箱を開ける。中には、藁に丁寧に包まれた陶器が並んでいた。


 白磁に青い装飾。確かに高価そうだ。

 衛兵はひとつ取り出し、軽く叩いて確認する。

 緊張の数秒。


「よし、通れ」


 その言葉を聞いた瞬間、体の力が抜けた。


 こうして関所を抜け、ランデル国の地に、正式に足を踏み入れた。

 しばらく進んだところで、ギルが微笑んだ。


「素晴らしかったです、レン様。言葉に迷いがない。発音も自然で、衛兵もまったく疑いませんでした」

「本当ですか?」

「ええ。正直に申し上げて、期待以上でした。あの場で緊張せず話せる方は多くありません」


 そう言われると、少しだけ胸が熱くなる。俺はまだ、役に立てるらしい。

 ギルは続けた。


「今回の交渉も、きっと上手くいくでしょう。レン様が隣にいる限り、心強い」


 荷馬車は再び前へ進む。新しい国の風が、わずかに乾いて感じられた。


 関所を越えたあと、隊列はゆっくりと進み出した。

 ランデル側の街道は、こちらの国よりもやや乾いた土色をしている。風も少し強く、砂が舞い上がる。


 しばらく進むと、最初の宿場町が見えてきた。石造りの建物が並び、屋根は平らなものが多い。街の色合いもどこか淡く、異国に来たことを実感させる。


 今日は早いが、この街に滞在するらしい。明日、貴族の屋敷に赴くという。

 商会の一行は手際よく宿を押さえ、荷馬車を中庭に停める。護衛が交代で見張りに立つ。


 俺も部屋を割り当てられた。質素だが清潔な部屋だ。

 荷物を置いたあと、ギルに呼ばれる。


「明日の流れを軽く確認しておきましょう」


 食堂の隅の席で、書類を広げる。

 相手の貴族の名、家系、好む話題、過去の取引履歴。細かい情報が整理されている。


「ランデルの貴族は誇りを重んじます。値段を下げる交渉でも、譲歩という言葉は避けてください。互いの利益のための調整という表現が好ましい」

「分かりました」

「また、相手が沈黙した場合は、焦らず待ちます。沈黙は考慮の時間であって、拒絶ではありません」


 文化の違い。言葉ひとつで印象が変わる。

 俺は一つひとつ頭の中で整理した。


 打ち合わせが終わると、自由時間になった。

 街を少し歩いてみる。

 市場には乾燥肉や色鮮やかな香辛料が並び、異国の匂いが漂う。言葉も少し訛りが強いが、問題なく理解できる。


 ふと、自分の力の異質さを思う。

 どんな言語でも理解できる。それが今、こうして役に立っている。この能力がどんな理由で俺に与えられたかは分からないが、この力はもしかしたら武力よりも強いものなのではないだろうか。


 夕暮れになると、空が赤く染まった。

 乾いた風が吹き抜け、建物の影が長く伸びる。宿に戻り、簡単な夕食をとる。


 明日は本番だ。部屋に戻り、買った上着を丁寧に整える。寝台に横になる。遠くで馬のいななきが聞こえる。


 今日はあの夢を見ないとよいのだが。

 そう思いながら、ゆっくりと眠りに落ちた。




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