27 通訳依頼0
次の日も情報収集に費やした。
昨日酒場で顔を合わせた若い冒険者を見つけ、さりげなく呼び止める。銀貨を握らせると、彼は一瞬だけ周囲を見回し、小声で言った。
「情報屋なら、南東の路地裏だ。看板は出てない。赤い布が窓にかかってる建物だ」
それだけ言うと、何事もなかったかのように去っていった。
言われた通り、街の喧騒から少し外れた路地裏へ向かう。石畳は荒れ、建物はどれも古く、日差しもほとんど届かない。昼だというのに薄暗い。
赤い布のかかった窓を見つける。
ここか。
扉に手をかけ、ゆっくりと開く。
「いらっしゃい」
しゃがれた声が、奥の暗がりから響いた。
中は薄暗く、窓は閉ざされ、油灯が一つ揺れているだけだ。椅子に座る老人とも中年ともつかない男が、こちらを見ていた。目だけが妙に光っている。
「剣の勇者の情報が欲しい」
単刀直入に告げる。
「そうだね~、君、いくら出せる?」
にやりと笑う。
懐の重みを感じる。これを出せば、もう後がない。
しばらく考えた末、袋から金貨を三枚取り出し、机の上に置いた。
これが限界だ。
男の目が細くなる。
「おぉ~、こんなに。分かった。1週間後、また来てくれるか」
それだけ言うと、金貨を素早く懐に消した。
信用できるかどうかは分からない。だが、今の俺にできることはこれだけだ。
これで持ち金が、ほとんどなくなってしまった。さて、仕事をしなくては。
足取りは重いが、冒険者ギルドへ向かう。
冒険者ギルドの中は、昨日よりも人が少なかった。
昼だからだろう。多くの冒険者は依頼に出ているのか、酒場の席もまばらにしか埋まっていない。受付嬢の声も控えめで、空気は静かだった。
さて、どの依頼にするか。
掲示板の前に立つが、すぐに気づく。ここの地理はまだよく分かっていない。北方特有の森や地形、魔物の出現区域。知らないままソロで動くのは危険だ。
いまの俺には、無謀な賭けをする余裕はない。
依頼書を一枚ずつ見ていく。護衛、討伐、探索。どれも悪くないが、土地勘が必要なものばかりだ。
その中で、一枚の依頼書が目に留まった。
隣国の商会との取引における通訳の依頼。
必要スキル。両国の言語を流暢に話せること。
これだ。
報酬もかなり良い。短期間でまとまった金が入る。
そして何より、これは俺の力を最大限に活かせる仕事だ。
もういまさら、自分の力を隠して生きる余裕なんてない。自分の持てる力を、全部使わなくては。
掲示板から依頼書を外し、受付へ向かう。
「この依頼を受けたい」
受付嬢は書類を確認し、俺の顔を一度見た。
「明日に面接がございます。商会の方が直接お越しになりますので、午前中にお越しください」
面接か。緊張するが問題ないだろう。
「分かりました」
手続きを終え、ギルドを出る。
明日が勝負だ。頑張ろう。そう自分に言い聞かせながら、宿へと戻った。
次の日、俺は早めにギルドへ向かった。朝の空気は冷たく、石畳がまだ夜露を残している。
受付に声をかけ、面接の件を伝えると、酒場の一角に案内された。
席に腰を下ろし、静かに待つ。手のひらがわずかに汗ばんでいるのが分かった。
しばらくして、身なりの整った男がこちらへ歩いてきた。三十代半ばほどだろうか。仕立ての良い上着、落ち着いた物腰。商人らしい空気を纏っている。
「はじめまして。わたくし、ロンド商会のギル・ウィンテルです」
立ち上がる。
「どうも……冒険者のレン・サトウです」
軽く礼をし、再び座る。
「早速ですが、軽い質問をさせてください」
「はい」
男は書類を机に置き、淡々と話し始めた。
「レンさんは、隣国のランデル語を話せるということで間違いないですか?」
「はい」
即答する。
「では、この紙に書かれている文字を翻訳して読み上げてください」
薄い紙を差し出された。そこには流麗なランデル語の文章が記されている。
目を通した瞬間、意味が頭の中に自然に流れ込んでくる。俺はゆっくりと読み上げ、そして翻訳した。
「白き砂浜と赤き砂漠。鳥の鳴き声は海風に消える」
言葉は淀みなく口から出ていく。文の抑揚、比喩のニュアンスもそのままに。
さらに数行読み進める。
「交易の帆は東より来たり、黄金の秤は西に傾く」
「そこまでで結構です」
男が手を上げた。机の上に静寂が落ちる。
合格ということだろうか?
男はゆっくりと微笑んだ。
「素晴らしいです。発音も完璧、語感も自然だ。単なる暗記ではありませんね。意味を理解している読み方です」
胸の奥がわずかに軽くなる。
「正直に申し上げて、ここまで流暢な方は滅多におりません。これなら安心して任せられるでしょう」
よかった。
無意識のうちに、肩の力が抜けていた。
「では、依頼の案件について詳しく説明します」
ギル・ウィンテルは机の上に新たな書類を広げ、淡々と話し始めた。
内容は明快だった。
まず、隣国ランデル国まで同行する。道中は商会の隊商と共に移動し、護衛も付くため危険は少ないらしい。
到着後、現地の貴族の屋敷へ向かい、商品の説明および値段交渉の通訳を務める。扱うのは香料、織物、そして一部の鉱石資材。ランデル側は気位が高く、細かな言い回し一つで交渉が崩れることもあるという。
だが、内容自体はシンプルだ。言葉を正確に伝え、意図を歪めず、時には柔らかく整える。
意外と簡単そうだ、と内心思った。少なくとも命のやり取りをする仕事ではない。
「報酬はこれほどでよろしいでしょうか?」
提示された金額を見て、思わず目を細めた。
薬草採取をしているのが馬鹿らしく思える額だった。何日も森に籠もって得る金よりも、はるかに多い。
だが、顔には出さない。
「わかりました。それでよろしくお願いします」
静かに答える。
彼は満足そうに頷いた。
「では、三日後の朝、北門にて集合です。詳細はこの書面に」
立ち上がり、握手を交わす。
別れ際、彼は小さな革袋を差し出した。
「前金です。通訳は商会の顔でもあります。身なりの良い服を整えてください」
袋の中で硬貨が重く鳴った。
なるほど。
金を稼ぐだけではない。商人の世界では、見た目もまた武器なのだ。
早速、街の中心部にある仕立て屋へ向かった。
店の外観からして、安宿街の粗末な服屋とは違う。大きなガラス窓に飾られた上質な上着や外套、織りの細かいシャツ。布の色味も落ち着いていて、いかにも商人や役人が着そうな服ばかりだ。
扉を押すと、小さな鐘が鳴る。
「いらっしゃいませ」
細身の店主が奥から現れた。俺の装いを一瞬で見て取り、目を細める。
「お客様は……冒険者でしょうか?」
「ええ、少し格式のある場に出ることになりまして」
そう答えると、店主の態度が柔らかくなった。
「でしたら、こちらなどいかがでしょう」
濃紺の上着を差し出される。布地は滑らかで、光に当たるとわずかに艶がある。触れると、今まで着てきた麻や粗布とはまるで違う。
試着を促され、奥の仕切りへ入る。
シャツは白。襟元は控えめだがきちんと整えられている。上着を羽織り、腰には細身の革帯。鏡の前に立つと、そこには見慣れない男がいた。
冒険者ではなく、商人の補佐のような姿。
店主が頷く。
「よくお似合いです。背筋が伸びていますから、こういった服も映えますね」
さらに靴も勧められた。革の質が違う。歩くときの音も独特だ。
値段は決して安くはない。だが前金で賄える。むしろ余りが出るほどだった。
支払いを済ませ、包みを受け取る。
外に出ると、少しだけ足取りが軽くなっていた。
服も買えた。
宿に戻り、荷物を整える。古い服は畳み、新しい服を丁寧に掛ける。装いを整えるだけで、少しだけ自分が別人になったような気がした。
三日目の朝。
まだ空気は冷たい。
荷物をまとめ、宿の主人に簡単に礼を言い、外へ出る。
北門へ向かう。
朝日が石畳を照らし、街がゆっくりと目を覚まし始めていた。




