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中堅冒険者 レン・サトウ  作者: なみなみくん
第一章 
25/40

25 旅立ち

 たくさん泣いたからだろうか。頭が冴えている。いま自分がすることは何かがはっきりと分かった。


 まず、モカを家族の元に帰してあげようと思う。


 彼女の本名は「モカ・ヴォルティン」。つまり、ヴォルティン家の出身だ。

 決心した俺は、すぐにギルドへ足を運んだ。ギルドの受付に尋ね、ヴォルティン家の場所と行き方を詳しく把握する。


 家に帰り、モカの私物をすべて丁寧にカバンに詰める。服、身の回りの品々、そして日記や本。

 思い出が詰まった品を手にする度に、胸が締め付けられ、切なく苦しくなった。それでも、これは俺がしなくてはいけないことだ。必死に耐えながら、最後に手に取ったのは、結婚記念に作った二枚のプレートだった。銀色に輝くプレートには、お互いの名前が刻まれている。


「…すまない、モカ。俺にはもう、これを持つ資格はない」


 プレートをカバンにそっとしまい、準備を終えた。


 翌朝、ヴォルティン家方面へと向かう荷馬車に乗った。

 何度か荷馬車を乗り継ぎ、さらに徒歩で進むと、徐々に人通りが少なくなってきた。広大な農園や葡萄畑が連なる豊かな地域だ。

 空気も澄み渡り、平和な田園風景が広がっている。


 だが、今の俺にはその美しさを楽しむ余裕もなかった。

 やがて、道の遠くに大きく立派な屋敷が見え始める。美しい煉瓦造りの壁と、大きな門構え。その重厚さがヴォルティン家の歴史を感じさせた。


 門の前まで行くと、門番がすぐに近づいてきた。


「ここはヴォルティン家の屋敷である。いかなる用件か?」


 深く息を吸い、丁寧に頭を下げて話した。


「モカ・ヴォルティン様についてお話をしたいと思い、参りました」


 門番は一瞬だけ顔色を変えたが、冷静な表情に戻り、静かに答えた。


「…しばし待たれよ。中に確認を取る」


 門番が屋敷の中に消え、俺は門の前でじっと待ち続けた。手の中のカバンを握りしめると、少しだけ手が震えていた。

 しばらくすると、再び門番が戻ってきた。


「失礼した。入りたまえ」


 重々しく大きな門がゆっくりと開かれる。門番の案内で屋敷の敷地に足を踏み入れた俺は、モカの家族にこれからどんな顔をして会えばいいのだろうと悩みながらも、一歩ずつ前に進んだ。


 屋敷に通された俺は、応接間の深く重たいソファに腰を下ろすよう促される。目の前には、一人の男がいた。

 背筋を真っ直ぐに伸ばし、威厳をまとった初老の男性。厳しく整った顔立ち、眼光は鋭いがどこか疲れているようにも見えた。


「ヴォルティン当主、ラグナク・ヴォルティンだ」


 低く、よく通る声だった。


「はじめまして。レン・サトウです」


 俺は深く頭を下げた。


「…早速だが、君はモカの何だ?」


 問われた瞬間、喉が詰まる。だが、真っ直ぐ彼の目を見て答えた。


「夫です」


 ラグナクの眉がわずかに動いた。厳しい表情のままだが、どこか、その目に微かに安堵のようなものが浮かんだ気がした。


「…そうか」


 そう言って、彼は小さく頷いた。


「では、いまモカはどうしている?」


 その問いが刺さる。心臓がぎゅっと掴まれるような苦しさに襲われる。しかし、伝えなければならない。真実を。


「…亡くなりました。それを伝えに参りました」


 沈黙が、部屋を包んだ。重苦しい空気が漂い、時計の音すら聞こえないほどだった。

 ラグナクさんはしばらく視線を床に落とし、目を閉じたまま固まっていた。やがて、静かに口を開く。


「…経緯を、教えてもらおうか」


 俺は、言葉を選びながら、いや、選ぶ余裕すらないまま、全てを語った。


 モカが突然いなくなったこと。必死に街中を探し回った日々。剣の勇者の手先により連れ去られ、忌み子として拷問を受けていたこと。ラフェルセウス家が彼女を救い出してくれたこと。そして、自ら命を絶ったこと。


 途中から、言葉が涙で途切れがちになった。それでも、語り終えた。

 ラグナクは、目を閉じたまま、苦しそうな呼吸をしていた。拳を握りしめ、その拳がわずかに震えているのが見えた。


「君といるとき…モカは幸せそうだったか?」


 その問いに、また言葉が詰まる。

 だが、ふと、モカの笑顔が脳裏に浮かんだ。

 スープを「おいしい」と笑ってくれたあの日。リノと三人で笑った日。初めてプレートを渡したあの夜。彼女の幸せそうな笑顔が、いくつも浮かぶ。


「…幸せでした。俺も…モカと一緒にいられて、幸せでした」


 やっとの思いでそう答えた。ラグナクは目を開け、深く息を吐いた。


「…そうか。そうか…」


 静かに頷く彼の顔に、初めて父としての寂しげな表情が浮かんでいた。

 俺はそっと持ってきたカバンを開け、モカの荷物と、骨壺を差し出した。ラグナクは慎重に、まるで宝物を扱うようにそれを受け取り、そっと胸に抱いた。


「…ありがとう。よく来てくれた。…そして、最後までそばにいてくれて、ありがとう」


 俺は、何も言えなかった。胸の中がまた、強く締め付けられる。


「レン殿。…君は家族だ。何かあったら、遠慮なくこの家を頼りなさい」


 その言葉に、俺は深く頭を下げた。


「…ありがとうございます」


 すると彼は言葉を続けた。


「私にはやることができた。それが済んだら、君に連絡しよう…」


 なにか深い意味がありそうな言葉を残し、彼は俺を玄関まで案内してくれた。

 屋敷を出ると、もう夕暮れ時だった。夕焼けが、赤く、滲むように空を染めていた。


 俺は、屋敷の正門を出て、振り返る。

 そして、モカを本当の意味で、家に帰すことができた気がした。


 街に戻った俺は、まずやるべきことを終わらせた。最初に向かったのはゲンシさんの宿だった。


 扉をくぐると、ゲンシさんがいつものようにカウンターの奥で薬草を整理していた。


「おう、レン。戻ったのか。…どうだった?」


 ゲンシさんの顔を見た瞬間、胸が締め付けられた。だが、隠さず話さなくてはならない。

「モカは…見つかりました。けど…」


 言葉に詰まる俺を見て、ゲンシさんの表情が曇った。

 モカの死を伝えると、ゲンシさんは何も言わなかった。唇を噛み締め、静かに目を閉じた。


 その夜、ゲンシさんは酒場で吐くまで酒を飲んだらしい。ここ十年、そんな飲み方をしたことは無かったそうだ。

 次の日、ラザバにも会いに行った。


「レン、戻ってたか。何か分かったのか?」


 淡々と報告した。ラザバは拳を握りしめて震わせていた。


「…くそっ」


 唸るように呟く彼の肩に手を置くと、ラザバは小さく頷き、黙ったままだった。

 その後、ギルドに赴き、モカの捜索依頼の取り下げを依頼した。誰も未達成だったため、少しの手数料は取られたが、かなりの額が手元に残った。

 しかし、いまの俺には、この大金の価値は無いに等しかった。


 それから数日はただ日々を淡々と過ごした。胸には喪失感が広がり、心に穴が空いたような日々だった。勇者への復讐を考え始めたが、情報屋を使っても勇者の痕跡を掴むことは出来なかった。


 やがて、俺はいつも通り薬草を採取しながら静かな生活に戻った。モカを失った悲しみは消えることはないが、それでも生きることが俺に出来る唯一のことだった。


 そして、ある日の夜、寝ようとしていた矢先、玄関の外から激しい馬の蹄音が響いたかと思うと、扉を叩く音がした。慌てて扉を開けると、そこには息を荒げた男が立っていた。


「レン・サトウ様で間違い無いでしょうか」

「…はい」


 男の顔には焦燥と緊張が滲んでいる。肩が大きく上下しており、遠方から急いで駆けてきたことが分かった。


「ヴォルティン家当主様からの伝言です」

「…ラグナクさんから?」


 心臓が強く鼓動を打つ。男は深く息を吸い、震えた声で続けた。


「勇者の暗殺に失敗した、と。当主様はそう仰いました。勇者は北へ向かったと。…そして、誰も奴には勝てない、と」


 言葉の意味を理解するのに少し時間がかかった。しかし、その情報が意味するところは明白だった。

 勇者の行方が掴めた。たとえ僅かでも手がかりを得た。それだけで俺の胸は熱く燃え上がった。


 朝を迎え、俺は決心した。俺は勇者を殺しに行く。


 それはモカが望んでいることではないかも知れない。だが、これはもう俺自身のためだ。モカを失った俺が、このまま静かに暮らし続けることはもう出来ない。


 まずは家を綺麗に掃除し、荷物をまとめた。長くこの家を空けることになるだろう、もしかしたらもう二度と戻ることはないかもしれない。


 そして俺はゲンシさんの宿へ向かった。扉を開けるとゲンシさんが俺に気づいた。


「レン、今日はどうした?」


 俺は深く一礼して、しっかりと彼の目を見つめて言った。


「ゲンシさん。今までありがとうございました。やるべきことができました。…もう、ここには戻ってこないかも知れません」


 ゲンシさんは少しの間俺を見つめ、やがて深く息を吐いた。


「…そうか。それが、お前が決めたことなら、しょうがないな」

 ゲンシさんはふと笑い、強く俺の肩を掴んだ。

「だが、これだけは約束しろ。死ぬなよ」

「…はい」


 ギルドに向かい、ラザバを探す。ラザバは仲間と談笑していたが、俺の姿に気づくと笑顔で手を振った。


「おう、レン!なんか怖い顔してるけど、大丈夫か?」


 俺は真剣な眼差しでラザバに告げた。


「ラザバ。やることができました。…もしかしたら、生きて帰れないかもしれません」


 ラザバは笑顔を消し、眉をひそめた。やがて、真剣な眼差しで俺の胸元を叩いた。


「何馬鹿なこと言ってんだ、生きて帰るんだよ!お前が何をしに行くのかだいたい想像つくが、死んだら俺が許さねぇからな」


 ラザバの力強い言葉に、少しだけ勇気づけられた気がした。


「…ラザバ、ありがとう」


 心から感謝を伝え、俺はギルドを後にした。


 別れを終えた俺は、北へと向かう荷馬車に乗り込んだ。ガタガタと車輪が音を立て、静かに街を離れていく。ゆっくりと目を閉じると、街で過ごした日々が鮮やかに蘇った。

 この世界に放り出された日、ラザバたちに助けられたあの時。まるで父のように接してくれたゲンシさんに出会った日。ガンスさんと過ごした忘れられない旅。モカとの幸せだった日々。


 数え切れない出会いと別れを繰り返して、俺はここまで来た。

 目を開くと、見慣れた城壁が徐々に遠ざかり、やがて小さな点になっていく。

 胸が少し痛んだが、不思議と心は落ち着いていた。


『さようなら』


 静かに心の中で呟いた。

 灰色の雲が空を覆っている。降り始めた雨と共に、街はやがて視界から消えた。 



第一章終了です。

読んでいただきありがとうございます。

第二章はもっと暗い雰囲気になります。

投稿頻度も少し減らします。

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