21 失踪
モカから妊娠の話を聞いたとき、俺は喜びと同時に不安を感じていた。
俺が父親になる。それは、まぎれもない事実だ。しかし俺みたいな人間が、本当に父親を務めることができるのか?
もちろんモカを愛しているし、生まれてくる子も大切に思う。だが、自分自身の育ちを考えると、不安が押し寄せてくる。親の顔も知らず、施設で育ち、親子のありかたも知らない。そんな俺が親になれるのか?
今の自分に足りないものは何なのか。考えても分からない。だから、とりあえず詳しそうな人に相談してみることにした。子育ての経験がある人…それなら、ゲンシさんだ。
ゲンシさんの宿に足を運び、食堂で向かい合って座る。
「というわけなんですよ…」
俺が悩みを打ち明けると、ゲンシさんはしばらく俺の顔をじっと見て、
「ま、大丈夫だろ」
と、軽く言った。
「えっ、いや、そんな軽く…」
「何が不安なんだよ?」
「…いや、俺、親がどんなものか知らないんですよ。子どもを育てるって、俺にできるのかどうか…」
俺が本音を吐露すると、ゲンシさんは笑った。
「なんだ、そんなことか」
「そんなことって…」
「お前、もう十分親になってんじゃねぇか」
「え?」
「不安になって、どうすればいいか考えて、頼れる人に相談に来たんだろ? そりゃもう立派な父親の行動だよ」
…そういうものなのか?
「俺も、最初は不安だったよ。でもな、結局大事なのは嫁さんと子どもと向き合うことなんだ。正解なんてねぇよ。大事なのは、子どもを守ってやるって覚悟することだ」
覚悟。その言葉が、胸に強く響いた。
「それで、妊娠中に何か必要なことってあります?」
「そうだな…初めのうちは重くないもので、栄養のあるものを食べさせろ。あと、体調が落ち着いたら医者に診せに行け。」
「分かりました」
「あと、嫁さんは当分禁酒だな」
「え…そ、そりゃそうですよね」
夜二人でお酒を飲む時間は楽しいが、、少しの辛抱だ。
「まあ、とにかくおめでとう。何か困ったことがあれば、また相談してくれ」
「はい、ありがとうございます」
心配事も、話してみると少しだけ心が軽くなった。そして、決意が芽生えた。
家に帰り、モカに話をした。
「というわけらしい。体に優しいものを作るよ」
「ありがとう、レン」
早速、俺は台所に立ち、簡素な味付けでさっぱりとしたスープを作った。具材は消化に良い野菜と、体を温める食材を中心に選ぶ。
モカは一口食べると、幸せそうに目を細めた。
「おいしい…レンの料理、大好き」
「そりゃよかった」
モカがしっかり食べられるように、毎日できるだけ工夫して食事を作ることを決めた。
しばらくしてモカの体調が落ち着いてきたので、一緒に医者のもとへ向かった。診察が終わると、医者が優しく言った。
「奥様は妊娠されています。おめでとうございます」
モカと顔を見合わせて、自然と笑みがこぼれる。
「…本当に…」
「よかったな、モカ」
「うん…本当に嬉しい…」
手をぎゅっと握る。俺たちは二人でこれからのことを話しながら、幸せな気持ちで家へと帰った。
次の日、食材を買いに行く途中でラザバに遭遇した。
「おっ、レン! 調子はどうだ?」
「実は…モカが妊娠しました」
「なんだと!? そりゃめでたい!」
ラザバは俺の肩をバンバン叩き、満面の笑みを浮かべた。
「祝い酒だ! 飲みに行こうぜ!」
「いや、家でモカが待っているので…」
「お前…立派な愛妻家だな。ちょっと前までヒョロヒョロの駆け出しだったのに、すっかり頼もしくなりやがって」
「…いや、そんなことないですよ」
「ま、あんま力にはなれねぇが、困ったらいつでも頼れよ」
ラザバは相変わらずの豪快な兄貴分だった。
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季節は流れ、モカのお腹もすっかり大きくなった。そんなある日、俺はリノを家に呼ぶことにした。
「リノちゃん、久しぶり!」
玄関で迎えたモカが、優しくリノを抱きしめる。
「モカお姉ちゃん!」
二人で仲良く話し始めた。こうなると俺の入る場所は無くなるので、厨房で黙々と軽食を作ることにした。
「もうすぐ赤ちゃんが生まれるんだよ。リノちゃんもお姉さんになるんだよ?」
「えっ、私がお姉さんに…? なんだか、すごいね!」
リノは目を輝かせながら、モカのお腹をそっと撫でた。
「名前は決めたの?」
「…あ、そういえば、まだ決めてないな」
「どんな名前がいいかな?」
リノとモカは、楽しそうに考え始めた。俺は二人の様子を眺めながら、心から思った。この時間がずっと続けばいいのに。
だが、幸せな時間は唐突に終わりを迎える。
モカが臨月を迎えるころ、彼女の体調は以前にも増して落ち着いていた。
医者の診察を受ける日だったが、帰りを待っている間に少し豪華な夕食を作ろうと考えた。最近のモカは、食欲が増している。だから、俺は鶏を丸ごと一羽ローストし、たっぷりの野菜を添えた料理を作ることにした。
スパイスを丁寧に擦り込み、じっくりと焼き上げる。キッチンに広がる香ばしい香りに、俺は微笑んだ。
「モカ、驚くかな…」
そう思いながら、ゆっくり料理を仕上げていった。
モカが医者のところへ行ったのは昼過ぎだった。しかし、日が沈んでも帰ってこない。最初は「もしかしたら医者のところで少し長引いているのかもしれない」と気長に考えていた。しかし、空の色が紫から暗闇へと変わるころ、俺は胸の奥に言いようのない不安を感じ始めていた。
「…さすがに遅すぎる」
モカの体を考えれば、寄り道をすることは考えにくい。もしかして、医者の診察で何か異常が見つかり、そのまま安静にしているのではないか?俺は、急いで家を飛び出し、医者のもとへ向かった。
「先生! モカはまだここにいますか?」
俺が乱暴に扉を開けると、医者は驚いた顔をした。
「レンさん…? いえ、奥様は今日は来ていませんよ」
「…え?」
頭が真っ白になった。来ていない? そんなはずがない。モカは確かに「行ってくるね」と笑顔で出かけたはずだ。
「間違いないんですか!?」
「ええ、今日は奥様を見ていません。何かあったんですか?」
俺は返事をすることもできず、ただ冷たい汗が背中を流れ落ちる感覚を覚えた。
俺は、町中を駆けずり回った。市場、ギルド、商会、モカが行きそうな場所はすべて探した。通りを歩く人々に片っ端から声をかけた。
「モカを見ませんでしたか!?白い髪の妊婦です!」
しかし、誰も彼女の行方を知らなかった。普段なら、モカがこの町を歩いていれば目立つはずだ。彼女は白い髪をしている。ただでさえ認識されやすいのに、誰一人としてモカの行方を知る者ははなかった。
町中を何時間も探し回り、足は限界だった。それでも、家に戻ればモカが待っているのではないかという淡い期待を抱き、帰ることにした。家の扉を開ける。しかし、家の中は静寂に包まれていた。彼女が帰ってきた形跡は、どこにもなかった。
家の中を隅々まで確認する。モカの私物も、そのままだ。彼女は、自ら出て行ったわけではない。どこかで連れ去られたのではないか?
そんなことを考えながら、俺は、家の前で一晩中待ち続けた。冷たい夜風が、肌を刺すように吹き付ける。
それでも、ここで待っていれば、彼女が帰ってくるような気がした。しかし、夜が明けても、モカの姿はどこにもなかった。その事実が、俺の心をえぐり取るような絶望をもたらした。
「モカ…どこにいるんだ…?」
俺の最愛の人が、この世界から忽然と姿を消した。




