20 妊娠
新居に着くと、モカがすでに掃除を始めていた。
「待たせてごめん」
俺がそう言うと、モカはほうきを持ったまま振り返り、微笑んだ。
「大丈夫だよ。私もここが新しい家になるって思ったら、早く綺麗にしたくて」
家の中には、前の住人が使っていた家具がいくつか残っていたおかげで、すぐに住める状態だった。
しかし、埃っぽい。窓をすべて開け放ち、空気を入れ替える。モカと一緒に、埃を払い、床を拭き、棚を整理し、キッチンを磨く。
新しい生活の始まりを感じながら、二人で黙々と掃除を進めた。
キッチンの整理をしていると、俺は調理器具が足りないことに気づいた。
「包丁はあるけど、まな板がないし、鍋も小さいな…」
「じゃあ、買いに行こうか?」
「俺が行くよ。ついでに、今日の晩飯の食材も買ってくる」
俺は財布を手に取り、市場へ向かった。
市場には、新鮮な野菜、肉、魚、香辛料はもちろん、調理器具もずらりと並んでいる。
俺は調理器具を選びつつ、夕食の材料を買い揃えた。
買い物を終え、新居へ戻ると、モカはすでに掃除をほとんど終わらせていた。
「すごいな、もうこんなに綺麗になったのか」
「ふふ、私も頑張ったよ」
俺はモカにねぎらいの言葉をかけながら、すぐにキッチンへ向かい、夕食の準備を始めた。モカがシーツや日用品を買いに出かけている間、俺は料理を作る。ゲンシさん特製のスパイスを加えた煮込み料理。新しいキッチンでの初めての料理だったが、思ったよりもスムーズにできた。
「ただいまー」
モカが帰ってきたタイミングで、ちょうど料理も完成した。
「おかえり。ちょうどできたところだよ」
テーブルに料理を並べ、二人で向かい合って座る。
「いただきます」
モカがスプーンを手に取り、一口食べると、目を輝かせた。
「…おいしい!」
その一言で、俺の疲れも吹き飛んだ。
「よかった。これからもたくさん作るよ」
「楽しみにしてるね」
穏やかな時間が流れる中、二人で夕食を食べきった。
食事を終えた後、二人で酒を飲んだ。普段あまり飲まないモカが、ワインのグラスをくるくると回しながら、ぽつりと呟いた。
「レン、私…話すことがあるの」
モカの表情が少し真剣になった。
「私の本名はモカ・ヴォルティン。元貴族なの」
モカの綺麗な作法といい、金銭面といい、どこか引っかかる部分は前々からあった。しかし、やっぱり貴族だったとは…。
「前にも少し話したけど、私は家を出ていった。でも、それは私が嫌われていたわけじゃないの。家族は…きっと私を愛してくれていたと思う」
モカは少し遠くを見つめながら、ゆっくりと過去を語り始めた。
生まれつきの白い髪。それが理由で、周囲から忌み子と呼ばれ、貴族の中でも異端扱いされていたこと。
しかし、家族はモカを大切にしてくれていたこと。それでも、貴族社会のしがらみの中で、モカの存在が足枷になると判断され、やむなく家を出されたこと。
「…辛かった。でも、貴族の娘じゃなくなっても、私は私でいられる場所を探したかった。冒険者になって、生きるために戦って…そして、レンに出会った」
「モカ…」
俺は、言うべきか迷った。でも、言わなければいけない。
「俺は、この世界の人間じゃない。違う国から来た」
モカは驚いた表情を見せたが、何も言わずに俺の言葉を待っていた。
「元の世界では、家族も友人もいなかった。俺はただ、そこにいるだけの存在だった。でも、ここに来て…モカに出会えた」
「…」
「それが、俺がこの世界に来た理由なのかもしれない」
俺の言葉を聞くと、モカは静かに微笑んだ。
「…レン」
二人はゆっくりと近づき、そっと抱き合った。
そのまま、二人で寝室に向かう。
ベッドに横になったものの、俺は緊張してなかなか寝つけなかった。すると、モカが隣で小さな声で囁いた。
「レン、まだ寝てない?」
「…うん」
モカは優しく微笑むと、静かに歌い始めた。
「これはね、お母様がよく歌ってくれた子守唄なの」
彼女の歌声は穏やかで、心地よいリズムが体に響く。その歌の柔らかな旋律と、モカの温もりに包まれながら俺は、静かに眠りについた。
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新婚生活を満喫していたある日、ふと大切なことを思い出した。
リノを家に招きたい。去り際、家に招くと約束をしていた。
「なぁ、モカ」
机を拭き夕食の準備をしていたモカに声をかけると、彼女は手を止めて振り向いた。
「うん? どうしたの?」
「妹を家に呼んでもいい?」
「えっ? レンに妹っていたの?」
モカは驚いた顔をして、俺の言葉を繰り返した。
「本当の妹じゃないよ、俺がいた宿の子どもだ。でも、俺にとっては妹みたいな子でさ」
モカは目を輝かせて微笑んだ。
「もちろん! 楽しみだなぁ」
彼女の返事に俺は安心して、次の日ゲンシさんの宿へ向かった。ゲンシさんの宿に入ると、彼はカウンターで帳簿を付けていた。
「おう、久しぶりだな。どうした?」
「リノを借りたいと思いまして」
俺がそう言うと、ゲンシさんは少し驚いた顔をしたが、すぐにニヤリと笑った。
「そういうことか。待ってろ、今呼ぶからな」
しばらくすると、元気な足音が聞こえてきた。
「レンお兄ちゃん! どうしたの?」
リノが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「家、来ない?」
「行く!」
まるで即答だった。リノは飛び跳ねるように喜び、俺の腕にしがみつく。ゲンシさんはその様子を見て、満足げに笑っていた。
家に帰ると、モカが玄関で待っていた。リノは少し緊張した面持ちでモカを見上げる。
「は、はじめまして! リノです!」
小さな声で、けれども元気よく自己紹介した。
モカはにこりと微笑んで、リノの頭を優しく撫でる。
「はじめまして、リノちゃん。レンの妻のモカです。よろしくね」
モカの優しい笑顔に、リノの緊張が少しほぐれたようだった。
「よ、よろしくお願いします!」
そして、少し躊躇いながらリノは尋ねた。
「えっと…モカさんは…」
モカはにっこりと笑いながら答えた。
「リノちゃんにとって、レンはお兄ちゃんでしょ? だったら、私もお姉ちゃんって呼んで欲しいな?」
リノは驚いたように目を丸くした。
「えっ…!」
しばらくモカを見つめていたが、やがて嬉しそうに頷いた。
「…わかりました! モカお姉ちゃん!」
その瞬間、モカの笑顔がさらに柔らかくなった。俺はその光景を見て、胸がいっぱいになった。この家に、新しい家族が増えたような気がした。
家の中で、リノとモカはすぐに打ち解けた。モカはリノの髪を編んであげたり、冒険者の仕事の話をしたり。
「モカお姉ちゃん、すごい強いんだね!」
「ふふ、レンに助けられることもいっぱいあるよ」
お昼時になり、リノは俺の作った昼飯を食べながら、「やっぱりレンお兄ちゃんの料理は最高!」と満面の笑顔で言ってくれた。
こうして、楽しい時間が過ぎていった。そして、日が暮れ、リノがそろそろ帰る時間になった。
「今日はありがとうございました!」
リノがモカに向かって深々と頭を下げる。
「また来てね。いつでも待ってるよ」
モカは優しく微笑みながら言った。
「分かりました! モカお姉ちゃん!」
リノは嬉しそうに言い、モカの腕をぎゅっと掴んだ。
「もう遅いし、俺が送っていくよ」
リノは頷き、二人で夜道を歩き始めた。静かな夜の街を、俺とリノは並んで歩いた。空には無数の星が瞬いている。
「…モカお姉ちゃん、すごく綺麗な人だったね」
リノがぽつりと呟く。
「だよな。モカは一番綺麗。それに優しい。最高の人だよ」
俺は自慢げに言うと、リノはくすっと笑った。
「なんかうらやましいな…」
「ん? なんか言った?」
「いや、なんでもないよ」
リノは微笑みながら首を振る。そして、小さく呟いた。
「また来るね」
「もちろん。いつでも来てね」
星空の下、俺たちは静かに歩き続けた。
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新婚気分も一段落し、俺たちは再び仕事を始めた。モカも俺も、元々一人で冒険者をしていたが、今では完全に二人で仕事をするのが当たり前になっていた。
旅をしながら、共に働き、共に過ごす日々は充実していた。時には、薬草採取の依頼を受けて静かな森を歩き、モンスター討伐の依頼をこなしながら街道を巡ることもあった。
また、遠くの町の依頼を受けて旅をすることもあった。新しい街並み、新しい文化、人々との出会い。俺たちは仕事をしながら、まるで旅行をしているような感覚で各地を巡った。
「レン、次はどこに行く?」
「そうだな…南の商業都市なんかどうだ? あそこは料理がうまいらしいぞ」
仕事とはいえ、二人で過ごす時間が何よりも楽しかった。
旅を続けるうちに、秋が終わり、気温がぐっと下がってきた。冬の気配が近づくにつれ、遠出する仕事も減り、次第に俺たちは自宅で過ごすことが多くなった。
家の暖炉に火を灯し、二人で暖かい毛布にくるまりながら静かな時間を過ごす。外は雪がちらつき、世界が白く染まり始めていた。
「レン、今年の冬は長くなりそうだね」
「そうだな。こうして家でのんびり過ごすのも悪くない」
暖かいスープを飲みながら、モカは微笑んだ。
冬も深まり、外に出ることがほとんどなくなった頃だった。
ある日、モカの様子がいつもと違うことに気がついた。
「モカ、なんか最近顔色悪くないか?」
「ううん、大丈夫…」
そう言いながらも、彼女は朝起きるたびに気分が悪そうにしていた。食事もあまり進まず、時折、ふとした瞬間にめまいを起こすこともあった。
明らかに体調がおかしい。
最初は冬の寒さで体調を崩したのかと思ったが、何日経っても改善する気配はなかった。
そしてある日、
「レン…。私…妊娠したかも…」
モカの妊娠が発覚した。




