16 初恋2
ある日からロイジャー商会からの依頼が、目に見えて少なくなった。理由を聞くと、新たな薬草の群生地が発見されたからだという。
「今までは君に薬草を採ってもらっていたが、しばらくは君に依頼を出せそうにない。すまない」
そう言ったゼルギウスさんの申し訳なさそうな顔が、今でも印象に残っている。
まあ、しかたがない事だ。俺だって、雇う側だったらそうする。わざわざ時間と金をかけて遠くから調達するより、近くで安定して採取できるなら、そっちを選ぶに決まってる。
結果として、俺はロイジャー商会からの仕事がほぼなくなった。代わりに、ゲンシさんからの依頼をメインに受けるようになった。
こっちは万年在庫不足らしく、いくら俺が採取しても需要が尽きないらしい。逆にそのほうが希少性が増してどーたら言っていたが、俺には関係のない話だ。
いつものように森に籠もり、薬草を採取していた。静寂に包まれた森の中、鳥のさえずりと風の音だけが響く。
その時。
「アォォォォン…!!」
レントウルフの遠吠えが聞こえた。しかも、一匹ではない。複数いる。群れだとかなり厄介だ。俺はすぐに警戒し、身を屈めた。
とりあえず、反対方向に移動しよう。モンスターとの戦闘は回避できるなら、それが最善だ。そう思い、慎重に森の奥へ進もうとしたその時。
「誰か!!」
女の声がした。
俺の足が止まる。だが、わざわざ危険を冒して助けに行くのは、馬鹿げている。
レントウルフは、連携して狩りをするモンスターだ。一匹なら俺でもギリギリ倒せる。しかし、今は複数体いる。俺一人でどうにかなる相手ではない。だが、もし俺が今ここで引き返したとして、後日森の中で死体を見つけたら?
確実に後悔する。
戦わなくてもいい。とりあえず、行くだけ行ってみよう。俺は剣を握り直し、悲鳴の聞こえた方向へ駆け出した。木々をかき分け、視界が開けると、そこに人影があった。
フードを被った女。以前、この森で見かけたあの人物だろう。周囲には、七匹のレントウルフが取り囲んでいる。
彼女は剣を構えているものの、すでに腕に傷を負っているようだった。
一匹ならともかく、7匹が連携して攻撃するのを相手にするのは、熟練の冒険者でも厳しい。この状態では、逃げても、すぐに追いつかれて襲われてしまう。
どうする?見捨てるか?いや、やるしかない。
俺はポーチを探り、小袋を取り出した。中には刺激性の香辛料がたっぷり詰められている。レントウルフのように嗅覚が鋭いモンスターには、かなり効果があるはずだ。
奴らがじわじわと距離を詰める。今にも飛びかかろうと、足を低く構えている。
俺は大声で叫んだ。
「そこの冒険者!俺に向かって走れ!!」
フードの女冒険者が驚いたようにこちらを見た。状況を察したのか、すぐに俺の方へと走り出す。レントウルフたちも反応し、一斉に追いかけてきた。
風向きは向こうに流れている。彼女が俺の位置に追いつく瞬間を見計らい、袋の中のものをばら撒く!
バサァッ!
細かい粉が、風に乗ってモンスターたちの顔へと届く。
「ガゥッ!!」
「ギャンッ!!!」
レントウルフたちは突如、鼻をブンブンと振りながら苦しみだした。地面を転げ回りながら、次々と逃げ出していく。嗅覚が鋭すぎるレントウルフたちには耐えられなかったのだろう。そして、七匹のレントウルフは、数十秒のうちに、森の奥へと姿を消した。
俺は、息を整えながら、隣の女冒険者を見る。フードを被っているが、近くで見ると確かに華奢な体つきをしている。
荒い息を吐きながら、彼女は俺をじっと見つめていた。何か言いたげだったが、俺は先に口を開いた。
「…大丈夫か?」
彼女は数秒沈黙した後、コクリと頷いた。
「…ありがとうございます」
小さな声だったが、確かにそう言った。俺は、なんとなく照れくさくなり、軽く手を振った。
「まあ、あの…、たまたま通りかかっただけですよ…」
そう言いながら、俺は彼女の腕の傷に目を向けた。
「とりあえず…、あの、傷の手当てをしないと…」
傷は深くない。消毒してから薬草を貼っておけばいいだろう。
傷口の手当てが終わると、ポツポツと雨が降り始めた。遠くで雷鳴が響く。このまま森の中にいるのは危険だ。体温が下がるし、地面がぬかるめば動きも鈍くなる。なにより、雷が落ちる可能性もある。
俺はちらりと、隣に立つフードの女を見る。彼女はまだ息を整えながらも、傷を気にしている様子だった。意を決して、口を開く。
「この先に洞穴があります…。あの、ついてきます…か?」
なんだか自分でも妙にぎこちない言い方になってしまった。なんでこんなに緊張してるんだ、俺。と思ったが、答えはすぐに分かった。俺は若い女性への免疫がない。
これまでの俺の生活は、ほぼ男たちとの関わりばかりだった。シエスタさんは女性ではあるが、俺にとっては親しみのある同業者という認識だ。
宿の手伝いではリノと遊ぶことはあったが、それはリノが幼いからだ。
年の近い女性と話す機会なんて、昔もこの世界に来てからもまともに経験してこなかった。だから、余計に緊張する。
そんな俺をよそに、彼女は静かに頷いた。しかし、途端に雨足が一気に強くなる。
「っ…!」
みるみるうちに体が濡れていく。雷鳴も近づいてきた。俺たちは、雨の中を全力で走り、なんとか拠点にしている洞穴にたどり着いた。
洞穴に入った瞬間、俺は深いため息をついた。
「ふぅ…助かった」
隣を見ると、彼女も肩で息をしている。俺たちは全身ずぶ濡れだった。服も防具も、水を吸って重くなっている。俺はすぐに火打ち石を取り出し、準備を始める。
洞穴の奥には、これまでの遠征で溜めておいた乾燥した薪がある。薪を組み、火種に火打ち石を使って火をつけると、ぱちぱちと小さな炎が灯った。
火が暖かい。
俺は少しずつ濡れた防具を外し、服も脱ぐことにした。このままでは体温が奪われてしまうからだ。下着以外を全部脱ぎたいと思ったが、いまは隣に女性がいる。よって渋々シャツとズボンは残した。
冷えた体に火の温かさがじんわりと染みる。ちらりと横を見ると彼女はまだフードを被ったままだった。恥ずかしいのだろうか。
いや、当たり前か。俺は男だし、彼女は女性だ。着替える場所があるわけでもなく、こうやって洞穴で二人きりとなると、やっぱり気まずいのかもしれない。とはいえ、このまま濡れた服でいるのは危険だ。
俺は少し迷った後、声をかけた。
「上着だけでも…脱いだほうがいいですよ。夜は寒くなるので…。風邪をひきますよ」
この世界の医学は、そこまで発達していない。ただの風邪でも、こじらせれば命に関わることがある。
俺の言葉に、彼女は少しだけ肩をすくめた。そして、静かに答えた。
「だ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
まあ、俺が強制できることでもないか。好きにすればいい。
「じゃあ、飯作りますね」
俺は、洞穴の奥から調理器具を引っ張り出した。ここに調理器具を持ち込んでおいたのは正解だった。森の中で採取をするたびに重宝している。言わば、この洞穴は俺の第二の家だった。
俺はすぐに、いつものスープを作り始めた。まず、持ち込んでいた根菜を切り、干し肉を細かく刻む。水を入れた鍋に火をかけ、森で拾ってきた野草と干し肉を煮込む。
野菜の甘みがスープに溶け出し、干し肉の旨味がスープに広がっていく。最後に、ゲンシさんからもらった香辛料を少し加え、完成。
木の器にスープをよそい、彼女の前に差し出す。
「お口に合えば…」
彼女は、少し迷うようにスープを見つめた後、そっとスプーンを口に運んだ。
そして驚いたような声を上げた。
「あ…おいしい…」
その一言に、俺は思わず安堵した。その時。
「――!」
突然、洞穴の入り口から強い風が吹き込み、彼女のフードが外れた。
白い肌、澄んだ青い目、そして雪のように白い髪。火の灯る洞穴の中で、その美しさがより際立って見えた。俺は思わず息を呑み、心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
綺麗だ。それが、最初に思ったことだった。しかし、彼女は驚いたように目を見開き、慌ててフードを被り直した。
「あ、あの!私、行きます。ありがとうございました。」
彼女は突然立ち上がり、洞穴の出口へと向かおうとした。
「待って!」
俺は思わず声をかけていた。
「雨も激しい、しかも夜だ。危険だ。朝まで待とう」
このまま外に出たら、どれほどの危険が待っているかわからない。それでも、彼女は立ち止まらずに言った。
「私が怖くないの?」
「…?」
俺は思わず首を傾げた。
「私の髪を見たでしょ?」
「ああ、綺麗な髪だなぁと…」
長い沈黙後、彼女は少し驚いたように、俺の顔を見つめた。
「…私は忌み子よ。それでも、ここにいていいの?」
「忌み子…?」
聞いたことがあるような、ないような。だが、俺にはよくわからなかった。
「忌み子ってよくわからないけど、俺は君を怖がることはない…よ?」
彼女は一瞬、言葉を失い、そして。
「…変な人ね」
ふっと、笑った。
彼女はようやく落ち着いたのか、再び火の近くに座り直した。
「…少し、話してもいい?」
彼女はゆっくりと語り始めた。
「私は、生まれつき髪が白い。それを忌み子というの」
忌み子。それは、「魔族の生まれ変わり」と言われ、嫌悪される存在だった。
「でも、私の家族は、そんな私を見捨てなかった。ちゃんと育ててくれて、剣の訓練も受けさせてくれた」
けれど、半年前に家を出た。
「私がいると、家の評判も落ちるから…仕方ないの。」
静かに語られる彼女の言葉には、どこか諦めが滲んでいた。
「だから、今は冒険者をしているの。ひとりで。」
彼女はそう言って、視線を落とした。俺は何か言葉をかけようとしたが、上手く言葉が出てこなかった。
「それでも俺は、君が…その…綺麗だと思いました」
ようやく出たのは、まるで告白のような言葉だった。
「…うん…。ありがと…」
彼女は小さく笑いながら頷いた。
翌朝、雨はすっかり止み、青空が広がっていた。洞穴の外には朝の光が差し込み、葉に残った雨粒がキラキラと輝いている。
彼女は荷物をまとめると、俺の方を見た。
「今回は本当にありがとう。聞きそびれたけどあなたの名前は?」
「レンです」
「私はモカ。よろしくね」
彼女は少し微笑んだ後、言葉を続けた。
「今回のことは…」
「安心してください。誰にも話しません」
俺がそう答えると、彼女はほっとしたように肩の力を抜いた。
「ありがとう。レンさん。また会うことがありましたら、声をかけてくださいね」
「あ、はい。必ず」
彼女は微笑みを残し、森の中へと消えていった。その姿を見送りながら、俺はどこか名残惜しさを感じていた。
それからというもの。ギルドや森で彼女を見かけるたびに、俺は自然と声をかけるようになった。
最初は短い会話だった。
「最近はどこで依頼を受けてるの?」
「ちょっと遠くの街まで行ってたわ」
「そっか、大変だな」
そんな何気ない会話が、俺にとってはどこか楽しかった。そして、次はいつ会えるのか。それが、少しだけ待ち遠しくなるようになっていた。
ある日、宿で食事を終えてため息をついていたら、ゲンシさんがニヤニヤしながら俺を見ていた。
「最近、ため息ばっかりついてるけど、どうした?」
「…え?」
「好きな子でもできたのか?」
俺は思わずむせそうになった。
「す、好きな子…ですか…?」
反射的に視線をそらす。ゲンシさんのニヤニヤが深まる。
「はぁ…」
ため息をついた瞬間。
「図星じゃねーかよ」
ゲンシさんが大笑いした。
「いやー、青春だなぁ。ま、頑張れよ!」
そう言われても、俺は何も言えず、ただ頭を抱えるしかなかった。
でも…好き、なのか?考えてみると、俺は彼女のことを思い出すたびに胸がざわつく。また会いたいと思うし、もっと知りたいと思う。こんな気持ちになるのは、人生で初めてだった。
そうか。じゃあやっぱり俺は…。
俺は生まれて初めて恋をした。




