14 勇者
レンバスに戻り、ようやく馴染みの宿の前に立った。長い旅を経て、見慣れた木造の建物と、どこか懐かしい匂いが漂ってくる。
宿の扉を開けると、すぐにゲンシさんの姿が目に入った。彼はカウンターの奥で帳簿を広げていたが、俺の姿を認めると、すぐに立ち上がった。
「…レン!」
その声には、安心と驚きが混ざっていた。
「予定よりも、ずいぶん長かったな。お疲れ様」
ゲンシさんの声を聞いて、体の力が抜けていくのを感じる。しかし、俺がどう説明しようか迷っていると、ゲンシさんはふっと目を細めた。
「実は、もう話は聞いてる」
俺は驚いてゲンシさんを見た。
「昨日、話を耳にした」
ゲンシさんはゆっくりと近づき、俺の肩を軽く叩いた。
「無事で良かった。ガンスのことは…残念だが、あの人も幸せだったのだろう」
その言葉に、俺の胸が締め付けられる。ゲンシさんの表情は、どこか遠くを見つめているようだった。そして、しばらくして小さく笑った。
「レン、お前のおかげだ。ありがとう」
俺は黙って首を振った。
「俺は…何も…」
ゲンシさんは俺の肩をポンポンと叩き、笑った。
「何を言ってる。お前がいなければ、ガンスはあの草原で死んでいたんだ。帰るべき場所に帰してくれた。それはレン、お前が成し遂げた偉業だ。誇っていい」
その言葉に、俺は少しだけ肩の力を抜いた。
数日間、俺は宿でゆっくりと休んだ。その後、薬草採取と宿の手伝いを、交互に続ける日々が戻ってきた。森に入るとき、ガンスさんのくれた短剣を持っているだけで、不思議と力が湧いてくる。まるで、彼がいつもそばにいてくれるようだった。
ガンスさんが見てくれている、そう考えるだけで、いつもの仕事により力を入れることができた。
ある日、ギルドに行くと、いつもと違う光景が広がっていた。中央のテーブルで、一人の吟遊詩人が歌を歌っていたのだ。周囲には冒険者たちが集まり、酒を飲みながら聞き入っている。
俺も興味が湧き、少し離れた場所で耳を傾けた。歌の内容は、「老兵ガンス・ラフェルセウスの生涯」だった。
吟遊詩人の声が、ギルドの中に響く。
「老兵ガンス・ラフェルセウス。生まれてすぐに剣を握る」
「十のとき、初陣で大将首を討ち取る」
「十八のとき、一千の兵士とただ一人で戦い、勝利する」
「二十のとき、総大将として国を勝利へと導く」
「四十のとき、空を飛ぶ」
周囲の冒険者たちは、真剣に聞き入る者もいれば、クスクスと笑っている者もいた。俺は、「どこまでが本当なんだ…」と呆れつつも、最後まで聞くことにした。
「表舞台から引退後、冒険者として新たな道を進む」
「どんなモンスターも、老兵ガンスの前では無力」
「晩年、弟子とともに赤龍を討伐する」
「相打ちで倒せたものの、深い傷を負う」
「弟子に家宝のラフェルセウスの短剣を託す」
「そして、老兵ガンスは死後、不死鳥となって空へ飛び立った――」
歌が終わると、ギルド中が拍手に包まれ、何人かが硬貨を投げた。俺もつられて拍手したが、かなり誇張されてるな、と感じた。
改めて思い返すと、ツッコミどころ満載だった。
たしかにガンスさんは強かった。でも、「空を飛んだ」なんて話は聞いたことがないし、赤龍討伐なんてのも、きっとあの日の戦いを脚色しただけだろう。周囲の冒険者たちも、どこか楽しそうに笑っている。
「おいおい、空を飛ぶってのはさすがに盛りすぎだろ!」
「でも、なんかそれっぽいよなぁ!」
「確かに、老兵ガンスならやりかねん」
みんな、それが事実かどうかなんて、どうでもよかったのかもしれない。
「英雄譚なんて、そんなもんさ」
誰かがそう言った。
吟遊詩人も、にこやかに言う。
「語り継がれることが、英雄にとっての永遠の証なのです」
ガンスさんが生きた証。それは、こうして人々の口によって、長く語り継がれていくんだろう。どれだけ話が盛られていようが、ガンスさんが生きたことは事実だ。
俺はふと、ガンスさんがこの場にいたらどう思うかを考えた。きっと、豪快に笑っていたんじゃないか。
「わし、そんなに強かったっけのお?じゃが、悪くない!」
なんて、言いそうだ。
「師匠、あなたの話は、これからもずっと語り継がれていきますよ」
そして、俺もまた、大切な記憶として忘れないようにしようと誓った。
余談だが、老兵ガンスの物語は王都で爆発的な人気を獲得した。特に晩年、赤龍との死闘をモチーフにした舞台劇は、貴族のみならず、庶民にも広く知れ渡るようになる。
そして、レンの知らないところで、「老兵ガンスの最後の弟子」という現実とは全く異なる人物像が形成されていたのである。
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その日、いつものようにギルドへ足を運ぶと、異様な人だかりができていた。
ギルドのカウンター前から広がるように、大勢の冒険者が集まり、ざわざわと話し合っている。
「…なんだ?」
俺は少し背伸びしながら、奥の方を覗き込む。そこには、一際目立つ人物がいた。
整った顔立ちをした黒髪の青年。彼を中心に、冒険者たちが緊張感を持って距離を取っているのがわかる。
その立ち振る舞い、その眼差し。ただの冒険者ではないことは明白だった。周りの冒険者が噂し合っているのが聞こえてくる。
「おい、マジかよ…剣の勇者だぞ…」
「なんでこんなところに…?」
「もしかして、国からの要請か?」
俺は驚いて、近くにいた男に尋ねた。
「あの人は?」
男は小さく頷きながら、興奮した様子で言った。
「ああ、間違いねぇ。王国の勇者の一人、剣の勇者だ」
剣の勇者。俺ですら、その名を聞いたことがある。王国が誇る最強の剣士の一人。その剣技は、人間の域を超えているとも言われているほどだ。そんな人物が、なぜここに?
しかし、その疑問は、すぐに解決された。
剣の勇者は、ギルド内を見渡しながら、静かに口を開いた。
「この中に、老兵ガンスの最後の弟子を知っている者はいないか」
ギルド内が、一瞬で静まり返った。冒険者たちがざわつき始める。
「おいおい、それって…」
「まさか…?」
そして、ある冒険者が俺を指さした。
「勇者様。こいつだぜ」
俺は指を指され、思わず数歩後ずさる。剣の勇者が、俺の方へ歩いてくる。そして、彼は俺の前で足を止めた。
「君が老兵ガンスの弟子で間違いないか?」
「あ、はい。そう…です」
緊張して言葉がうまく出ない。しかし、気がつくとギルドの応接室で、勇者と二人きりになっていた。
静かな応接室の中、勇者は椅子に深く座り直し、落ち着いた声で言った。
「急に押しかけてすまない」
俺は何も言えず、ただ頷いた。勇者は軽く笑いながら続けた。
「僕はタケル・タナカ。剣の勇者と呼ばれている」
タナカ…?どこか聞き慣れた響きの名前だった。
「今日ここに来たのは、仕事のついでにこの街に寄って、老兵の弟子を見ようとしただけなんだ。王都でも、老兵と君のことは話題になっている。けど…想像と違ったね」
まあ、そりゃそうだと、俺は思わず苦笑した。きっと皆は、ガンスさんの弟子なら俺も相当な実力者だと思っていたのだろう。だが、俺はまだ普通の冒険者にすぎない。
「君の名前は?」
勇者が尋ねる。俺は少し息を整え、答えた。
「レン・サトウです」
次の瞬間、タケルの表情が変わった。
「…サトウ?もしかして君は…日本人か?」
俺は驚き、固まった。
日本。この世界で、その単語を聞くことになるとは。それはつまり…
「もしかして、勇者様も…?」
勇者は静かに頷いた。
「そう。僕も…日本から転移してきた」
それから、俺たちはお互いの話をした。驚いたことに、お互いの日本は少しずつ違っていた。俺が知る日本とは少し文化や技術に違いがあったらしい。もしかすると、別の時代や、違う世界の日本だったのかもしれない。それでも、懐かしい話題がいくつも飛び交った。
「最初は大変だっただろ?」
タケルはどこか懐かしそうに言った。
「僕は、やっぱり言葉を覚えるのが一番大変だったね」
「あれ?」
俺は思わず首を傾げた。
「俺は、最初から話せましたよ?」
タケルの表情が変わった。
「もしかして、他の言葉も話せたりする?」
「…あー。確かに話せます」
これまで、言語に不自由することは無かった。聞こえ方に若干の違いがあるが、どんな言語、方言も聞き取ることができた。
考えてみると、この世界のあらゆる言語を、俺は聞けばすぐに理解できる。それは、俺が異世界に来てから、ごく自然に備わっていた能力だった。
勇者は納得したように頷いた。
「転移した人は、何か強力な力を持つ。それが僕は、剣だった。君は、言語に関する能力、ということだろう」
タケルは自分の腰に差した剣を軽く叩く。そして、彼は真剣な表情になり、言った。
「でも、君の力は自分を守れない。だから、大きな組織の下で、その能力を使わないほうがいい。僕は武力というもので、組織と対等な関係を築いている。しかし、君は自分を守れない。いいように使われるだけだ」
俺の背筋が凍る。
「もし、君がその力を国や貴族に見せたら…君の人生は、今みたいな自由なものじゃなくなる。もうこの日常は二度と戻ってこない」
タケルの目は真剣だった。
俺は、その言葉を噛みしめながら、静かに頷いた。
「…忠告、ありがとうございます」
タケルは満足そうに微笑んだ。
「じゃあ、時間を取らせて悪かったね」
タケルは立ち上がり、俺に手を差し出した。
「サトウレン。似た者同士、見かけたらまた声をかけてくれ」
俺は少し驚いたが、すぐに彼の手を握り返した。
「タナカタケルさん。ありがとうございました。またどこかで」
タケルは笑い、応接室の扉を開けてくれた。
応接室を出ると、ギルド中の冒険者たちの視線が俺に向けられていた。しかし、その沈黙を破ったのは、とある冒険者の一言だった。
「老兵ガンスのお弟子様のお通りだ!」
その瞬間、ギルド内が大爆笑に包まれた。
「ハハハ!頭下げねぇとな!」
「お前、どんどん大物になっていくな!」
俺は苦笑いしながら、肩をすくめた。それでも、心の奥では、少しだけ誇らしく思えた。ガンスさんの弟子として、俺の存在が誰かに認められた。そんな気がしたのだった。




