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中堅冒険者 レン・サトウ  作者: なみなみくん
第一章 
13/42

13 老兵3

 翌朝、ガンスさんは少し楽になったように見えた。


「ガンスさん、どうですか…?」

「ああ…まだ、生きてるみたいじゃな…」


 微笑むその顔は、苦痛に歪み、見るたびに衰えているのが分かる。俺は焦る気持ちを押し殺しながら、できる限りの看病を続けた。そして、昼ごろ、待ち望んでいた馬車が到着した。


 御者が馬車を止め、急いで降りてくる。


「ガンス・ラフェルセウス様が負傷していると聞いた。まことか?」


 彼の言葉は、焦りと敬意。しかし、疑念の音がした。

 俺は懐からガンスさんが持っていた短剣を取り出し、御者に見せる。それを見た御者は、一瞬表情をこわばらせた後、深々と頭を下げた。


「確認いたしました。どうぞ、お乗りください」


 ガンスさんを慎重に馬車へ乗せる。その時、御者が俺に目を向け、鋭い声で尋ねた。


「ところで、君は誰だ?」


 俺は、迷ったがこう答えた。


「弟子です」


 御者はしばらく俺を見つめ、やがて頷いた。


「承知しました。では、出発いたします」


 馬車は全速力で街へと走った。

 ガンスさんの容態が悪化しないよう、俺は隣でずっと見守り続けた。

 馬車は街へと到着。そして、そこで待っていたのは、さらに大きな馬車だった。


「ラフェルセウス家に向かう馬車を用意いたしました。ここからは我らデムーラ商会にお任せください」


 馬車を乗り換え、さらに次の街へ。街を越え、さらに次の街へ。俺たちは、ほとんど休むことなく馬車を乗り換えながら進み続けた。


 俺の不安をよそに、馬車はただひたすらに走り続ける。


 どれだけの時間が経ったのか。俺はもはや、どこにいるのかも分からなくなっていた。しばらくすると、連日の睡眠不足で意識を手放していた。


 気がつくと、馬車が止まる音がした。途端、白い服を着た男達が馬車の扉を開けガンスさんを運び出し、担架を使い建物の中に運んでいった。

 馬車を降り、辺りを見渡すと、目の前に広がっていたのは、想像を遥かに超えるほど壮麗な屋敷だった。


 扉の前には、すぐに執事が待っていた。歳を重ねた品のある老紳士で、背筋はピンと伸び、一糸乱れぬ姿勢を崩さない。


「お待ちしておりました」


 俺は戸惑いながらも頷く。


「こちらへどうぞ」


 執事に案内され、屋敷の中へ足を踏み入れる。中に入った瞬間、豪奢な大理石の床、きらめくシャンデリア、高級そうな絨毯が目に飛び込んできた。

 俺はただ圧倒されながら、執事の後をついていく。


「まずは、身を清めていただきたく存じます」


 執事がそう言いながら、俺に着替えとタオルを手渡した。


「こちらの大浴場をお使いください」


 大浴場。そう言われて案内された部屋の扉を開けた瞬間、俺は息を呑んだ。まるで温泉施設のような広さの浴室。壁には彫刻が施され、湯気が立ち込める湯船はまるで湖のように大きい。


 恐る恐る服を脱ぎ、湯の中に足を入れる。全身を湯に沈めた瞬間、疲れが溶けていくような感覚に襲われた。目を閉じ、ここまでの出来事を思い出す。


 ガンスさん、今頃どうしてるだろう…。絶え間ない不安が押し寄せてくる。だが、今はとにかく体を休めるしかない。じっくりと体を温め、しばらくして湯から上がった。


 脱衣所で渡された着替えに袖を通す。肌に触れる布の質感が、いつも着ている服とはまるで違う。さすが貴族の家というべきか…。

 浴室を出ると、執事が待っていた。


「お待ちしておりました。では、応接室へご案内いたします」


 廊下を歩く間も、壁には美しい絵画が並び、すれ違う使用人たちは一様に丁寧な礼をしてくる。屋敷全体が、俺にとって別世界のようだった。

 案内された応接室に入ると、すぐにメイドが紅茶を運んできた。


「どうぞお召し上がりくださいませ」


 カップに手を伸ばし、一口すする。しかし、緊張しすぎて味がしない。


 俺、今すごい場違いなところにいるんじゃないか。そう思いながら、紅茶を持ったまま待っていると、扉が静かに開いた。


 入ってきたのは、一人の男性。歳は四十代後半くらいだろうか。背が高く、鋭い目つきをした整った顔立ち。どこかにガンスさんの面影を感じる。そして、その顔にはどこか知的な印象があり、威圧感というよりも落ち着いた威厳を感じさせた。


「はじめまして」


 彼は俺に向き直り、ゆっくりと言葉を続けた。


「私はラフェルセウス家当主代理、ロジャード・ラフェルセウスだ」


 俺は慌てて立ち上がる。


「…はじめまして」


 ロジャードは、俺をじっと見つめた後、静かに言った。


「まず初めに、父をここまで運んでくれてありがとう」


 俺は思わず息を呑んだ。


「医師も、はじめの応急処置がなければ、ここまで持たなかったと言っているよ。本当にありがとう」


 俺は慌てて頭を振る。


「い、いや、そんなことは。俺はただ、できることをしただけで…」


 だが、次の言葉が喉に詰まった。


「けど…俺がもっと医学の知識があれば…、もっと良い治療方法があれば…。もっと、助けられたかもしれないのに…」


 俺は拳を握る。無力感に押しつぶされそうだった。

 しかし、ロジャード当主は静かに頷き、ゆっくりと語りかけた。


「それでも、事実、君は父を連れ帰ってくれた。君がいなければ、私たちは二度と父を見ることはできなかった」


 彼の言葉は、俺の心に深く響いた。本当にそうなのか…?まだ自分の無力さに納得できなかったが、ロジャードは俺をしっかりと見つめながら、はっきりと断言した。


「君のおかげだ」


 しばらく沈黙が流れた後、当主が尋ねた。


「ところで、君は父の弟子と聞いた。名前を教えてくれるかい?」


 俺は深く息をつき、正直に答えた。


「俺は、レンです。あと…実はガンスさんの弟子じゃないです」

「…?」


 当主が首を傾げる。


「ガンスさんの戦いを見届けるように言われて、一緒に旅をしていただけです」


 ロジャード当主は興味深げに頷いた。


「なるほど…。では、具体的に、旅のことを教えてくれるかい?」


 俺は迷わず語った。


 ガンスさんとの旅。初めて馬に乗ったこと。飯を作り、美味しそうに食べ続けたこと。そして、ジャイアントラークとの戦い。右腕を失いながらも、執念で勝利を掴んだこと。

 俺の声が震えた。


「…それで、ガンスさんは俺に『置いていけ』と言いました。でも、俺は置いていくことはできなかった…」


 ロジャードは、俺の話を黙って聞いていた。やがて、小さく微笑んだ。


「実に父らしい。父もその旅を楽しんでいただろう」


 その言葉に、俺は少しだけ肩の力が抜けた。その時。

 コンコン

 扉がノックされた。


「失礼します。ロジャード様、お急ぎの件がございます」


 ロジャード当主はすぐに立ち上がった。


「少し席を外すよ」


 彼は俺を見て、優しく微笑んだ。


「何か不自由があれば、そこにいるメイドに言ってくれ」


 俺は静かに頷いた。そして、ロジャードは部屋を出ていった。

 残された俺は、応接室で紅茶を見つめながら、ぼんやりと思った。

 ガンスさん、どうかご無事で。そう祈るように、俺はカップをゆっくりと口元に運んだ。

 しばらく応接室で静かに座っていると、扉がノックされた。


「失礼します」


 入ってきたのは、執事だった。


「レン様、当主様がお呼びです」


 俺はすぐに立ち上がった。


「…わかりました」


 心臓が高鳴る。ガンスさんの容態はどうなのか。意識はあるのか。不安を抱えたまま、執事の後ろをついていく。


 屋敷の廊下は、驚くほど長かった。壁に飾られた肖像画の数々。きっと、ラフェルセウス家の歴代の当主たちなのだろう。その中には、ガンスさんの姿もあった。

 足音だけが響く静寂な空間を、俺はただ前へと進んだ。やがて、執事が足を止めた。


「こちらでございます」


 俺は緊張しながら、扉を見つめる。執事がノブを静かに回し、扉を開いた。

 ベッドの上には、ガンスさんの姿があった。だが、以前のような圧倒的な威圧感は、そこにはない。顔は青白く、呼吸は浅い。


 だが、それでも、彼の目にはまだ戦士の光が宿っていた。

 ベッドの周りには、家族らしき人たちが静かに立っている。ロジャードが一歩前に出る。


「父が君に話したいことがあるようだ」


 俺は緊張しながら、ゆっくりと近づいた。


「…少年…いや…エル君…」


 弱々しい声が、俺の胸を締め付ける。


「この度は…世話をかけた…」


 俺は泣きそうになるのをこらえながら、なんとか笑顔を作る。


「俺は全然平気です。けど、ガンスさんが…」


 ガンスさんは微笑んだ。


「わしは…後悔はしていない」


「むしろ…最後に家族に囲まれて…幸せじゃ」


 その言葉に、俺の喉が詰まる。


「ありがとう…エル君…」


 その瞬間――堪えきれず、涙が溢れた。声を出して泣いたのは、いつぶりだっただろうか。そして、俺は、その手を握りしめる続けた。

 そして、ガンスさんは、弱々しくもはっきりとした声で言った。


「…誰か…わしの短剣を…持ってきてくれ…」


 家族の一人が頷き、すぐに部屋の奥から装飾の施された短剣を持ってきた。柄には精巧な細工が施され、鞘には家紋らしき紋章が刻まれている。

 ガンスさんは、震える手でそれを受け取り、ゆっくりと俺の方を向いた。


「…エル君…いや、我が最後の弟子、エル」


 周囲が息を呑む。


「そなたに、この短剣を贈る」


 短剣が、俺の手の中にそっと置かれる。

 周りの人々ざわめきも聞こえぬまま、俺は、その場に立ち尽くしたまま、短剣を見つめる。どう返事をすればいいのか。上品な言い回しはできない。かといって、形式張った返事も良くないだよう。

 だから、俺は正直な気持ちを伝えた。


「…ガンスさん」


 俺は短剣を胸に抱きながら、ゆっくりと口を開いた。


「ありがとうございます」


 涙がこみ上げる。


「ガンスさんとの旅は、俺にとって人生最高の経験でした。俺は…これからも、ガンスさんを忘れずに頑張ります…」


 声が震えた。


「そして…いつか、俺の最も尊敬する師匠、ガンスさんのように立派な冒険者になります。本当に、ありがとうございましたっ!!」


 俺は深く頭を下げた。

 ガンスさんは、目を細め、満足そうに微笑んだ。


「…我が愛弟子、レンよ…。そなたのゆく道に、栄光あれ」

 その言葉は、まるで俺の魂に刻み込まれるようだった。


 俺は再び待合室に再び戻った。胸に抱えた短剣の重みが、先ほどまでとは違って感じる。これが、ガンスさんの生きた証。これが、俺に託されたもの。俺は目を閉じて、静かに待った。


 しばらくして、廊下が騒がしくなる。

 嫌な予感がする。そう思った瞬間、扉が開いた。執事が、静かに、しかし毅然とした態度で告げる。


「…ガンス様が、お亡くなりになりました」


 その言葉が、まるで鈍器のように俺の胸を打った。心の奥底に、ぽっかりと穴が開いたような感覚が広がる。

 ただ涙は、もう流れなかった。ガンスさんはきっと幸せだったのだろう。

 託された短剣にはガンスさんの体温が残っている気がした。俺は、この短剣を握りしめた。


 ――――――――――――――――――――――――――――――――


 ガンスさんが亡くなってから、どれほどの時間が経ったのだろう。葬儀の準備など、家中慌ただしい日々の中で、俺はただ静かに過ごしていた。しかし、心の中の喪失感は、未だに埋まらない。そんなある日、ロジャードさんが、俺のもとへやってきた。


「レン君、話がある」


 彼の表情は、今まで以上に真剣だった。

 俺は背筋を伸ばし、向かい合う。


「重要な話をしよう。君が父から託された短剣は、我がラフェルセウス家の家宝だ」

「…はい」

「返せとは決して言わない。その短剣はすでに君のものだ。その代わり…」


 次の言葉によっては、自分の人生が変わるような状態だ。首筋から冷や汗が流れる。


「いま、君はこの家の当主になる権利がある」

「…えっ?」


 あまりの衝撃に、言葉が出なかった。


「それが、その短剣の持つ意味だ」


 まさか。俺が、この家の当主に?そんなバカな話があるか。しかし、ロジャードの表情は真剣そのものだ。俺が当主に…。いやいや、務まるはずがない。それに…


「…辞退します」


 俺は返答した。

 それに、この家は俺のいるべき場所じゃない。俺はガンスさんと約束した。もっと強くなると。俺は冒険者だ。もっと広い世界で生きていかなければならない。

 ロジャード当主は、俺の目をじっと見つめた。そして、静かに頷いた。


「そうか。君の意見を尊重しよう」


 ほっと胸を撫で下ろしたその時。


「その代わり、一つ約束してほしい」


 俺は顔を上げる。


「君が助けを必要としたとき、我がラフェルセウス家は、全力を持って君を助ける。ラフェルセウス家は恩を消して忘れない」


 俺は息をのんだ。


「いつでも頼ってくれ」


 その言葉には、嘘偽りのない重みがあった。


「…ありがとうございます」


 俺は深く頭を下げた。


 その後、俺はラフェルセウス家に1週間ほど滞在した。

 ガンスさんの葬儀は、簡素な家族間だけの儀式として執り行われた。

 ガンスさんの家族が、彼の眠る棺に手を添え、静かに別れを告げる。俺も最後に短剣を握りしめ、祈りを捧げた。


 そして、貴人の儀式としては異例だが、本人の遺志により、国葬は辞退された。


「父は、形式張ったことを嫌う人でしたからね」


 当主となったロジャードはそう言って、穏やかに微笑んだ。

 葬儀を終えた数日後、俺はついにレンバスへ帰ることになった。

 馬車に乗り込み、扉が閉まる。執事、ロジャード当主、ガンスさんの家族たちが、見送りに出てくれていた。


「本当に世話になりました」

「またいつでも来てください、レン君」


 俺は小さく頷き、馬車が動き出す。ラフェルセウス家の壮大な屋敷が、ゆっくりと遠ざかる。


「ガンスさん…」


 短剣を握りしめながら、俺は小さく呟いた。今頃どうしてるだろうか。天国であの日みたいにステーキをたくさん食べているだろうか。


 すこし悲しい気持ちになったが、心は徐々に晴れていった。

 俺も帰ろう。自分の居場所に。




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