13 老兵3
翌朝、ガンスさんは少し楽になったように見えた。
「ガンスさん、どうですか…?」
「ああ…まだ、生きてるみたいじゃな…」
微笑むその顔は、苦痛に歪み、見るたびに衰えているのが分かる。俺は焦る気持ちを押し殺しながら、できる限りの看病を続けた。そして、昼ごろ、待ち望んでいた馬車が到着した。
御者が馬車を止め、急いで降りてくる。
「ガンス・ラフェルセウス様が負傷していると聞いた。まことか?」
彼の言葉は、焦りと敬意。しかし、疑念の音がした。
俺は懐からガンスさんが持っていた短剣を取り出し、御者に見せる。それを見た御者は、一瞬表情をこわばらせた後、深々と頭を下げた。
「確認いたしました。どうぞ、お乗りください」
ガンスさんを慎重に馬車へ乗せる。その時、御者が俺に目を向け、鋭い声で尋ねた。
「ところで、君は誰だ?」
俺は、迷ったがこう答えた。
「弟子です」
御者はしばらく俺を見つめ、やがて頷いた。
「承知しました。では、出発いたします」
馬車は全速力で街へと走った。
ガンスさんの容態が悪化しないよう、俺は隣でずっと見守り続けた。
馬車は街へと到着。そして、そこで待っていたのは、さらに大きな馬車だった。
「ラフェルセウス家に向かう馬車を用意いたしました。ここからは我らデムーラ商会にお任せください」
馬車を乗り換え、さらに次の街へ。街を越え、さらに次の街へ。俺たちは、ほとんど休むことなく馬車を乗り換えながら進み続けた。
俺の不安をよそに、馬車はただひたすらに走り続ける。
どれだけの時間が経ったのか。俺はもはや、どこにいるのかも分からなくなっていた。しばらくすると、連日の睡眠不足で意識を手放していた。
気がつくと、馬車が止まる音がした。途端、白い服を着た男達が馬車の扉を開けガンスさんを運び出し、担架を使い建物の中に運んでいった。
馬車を降り、辺りを見渡すと、目の前に広がっていたのは、想像を遥かに超えるほど壮麗な屋敷だった。
扉の前には、すぐに執事が待っていた。歳を重ねた品のある老紳士で、背筋はピンと伸び、一糸乱れぬ姿勢を崩さない。
「お待ちしておりました」
俺は戸惑いながらも頷く。
「こちらへどうぞ」
執事に案内され、屋敷の中へ足を踏み入れる。中に入った瞬間、豪奢な大理石の床、きらめくシャンデリア、高級そうな絨毯が目に飛び込んできた。
俺はただ圧倒されながら、執事の後をついていく。
「まずは、身を清めていただきたく存じます」
執事がそう言いながら、俺に着替えとタオルを手渡した。
「こちらの大浴場をお使いください」
大浴場。そう言われて案内された部屋の扉を開けた瞬間、俺は息を呑んだ。まるで温泉施設のような広さの浴室。壁には彫刻が施され、湯気が立ち込める湯船はまるで湖のように大きい。
恐る恐る服を脱ぎ、湯の中に足を入れる。全身を湯に沈めた瞬間、疲れが溶けていくような感覚に襲われた。目を閉じ、ここまでの出来事を思い出す。
ガンスさん、今頃どうしてるだろう…。絶え間ない不安が押し寄せてくる。だが、今はとにかく体を休めるしかない。じっくりと体を温め、しばらくして湯から上がった。
脱衣所で渡された着替えに袖を通す。肌に触れる布の質感が、いつも着ている服とはまるで違う。さすが貴族の家というべきか…。
浴室を出ると、執事が待っていた。
「お待ちしておりました。では、応接室へご案内いたします」
廊下を歩く間も、壁には美しい絵画が並び、すれ違う使用人たちは一様に丁寧な礼をしてくる。屋敷全体が、俺にとって別世界のようだった。
案内された応接室に入ると、すぐにメイドが紅茶を運んできた。
「どうぞお召し上がりくださいませ」
カップに手を伸ばし、一口すする。しかし、緊張しすぎて味がしない。
俺、今すごい場違いなところにいるんじゃないか。そう思いながら、紅茶を持ったまま待っていると、扉が静かに開いた。
入ってきたのは、一人の男性。歳は四十代後半くらいだろうか。背が高く、鋭い目つきをした整った顔立ち。どこかにガンスさんの面影を感じる。そして、その顔にはどこか知的な印象があり、威圧感というよりも落ち着いた威厳を感じさせた。
「はじめまして」
彼は俺に向き直り、ゆっくりと言葉を続けた。
「私はラフェルセウス家当主代理、ロジャード・ラフェルセウスだ」
俺は慌てて立ち上がる。
「…はじめまして」
ロジャードは、俺をじっと見つめた後、静かに言った。
「まず初めに、父をここまで運んでくれてありがとう」
俺は思わず息を呑んだ。
「医師も、はじめの応急処置がなければ、ここまで持たなかったと言っているよ。本当にありがとう」
俺は慌てて頭を振る。
「い、いや、そんなことは。俺はただ、できることをしただけで…」
だが、次の言葉が喉に詰まった。
「けど…俺がもっと医学の知識があれば…、もっと良い治療方法があれば…。もっと、助けられたかもしれないのに…」
俺は拳を握る。無力感に押しつぶされそうだった。
しかし、ロジャード当主は静かに頷き、ゆっくりと語りかけた。
「それでも、事実、君は父を連れ帰ってくれた。君がいなければ、私たちは二度と父を見ることはできなかった」
彼の言葉は、俺の心に深く響いた。本当にそうなのか…?まだ自分の無力さに納得できなかったが、ロジャードは俺をしっかりと見つめながら、はっきりと断言した。
「君のおかげだ」
しばらく沈黙が流れた後、当主が尋ねた。
「ところで、君は父の弟子と聞いた。名前を教えてくれるかい?」
俺は深く息をつき、正直に答えた。
「俺は、レンです。あと…実はガンスさんの弟子じゃないです」
「…?」
当主が首を傾げる。
「ガンスさんの戦いを見届けるように言われて、一緒に旅をしていただけです」
ロジャード当主は興味深げに頷いた。
「なるほど…。では、具体的に、旅のことを教えてくれるかい?」
俺は迷わず語った。
ガンスさんとの旅。初めて馬に乗ったこと。飯を作り、美味しそうに食べ続けたこと。そして、ジャイアントラークとの戦い。右腕を失いながらも、執念で勝利を掴んだこと。
俺の声が震えた。
「…それで、ガンスさんは俺に『置いていけ』と言いました。でも、俺は置いていくことはできなかった…」
ロジャードは、俺の話を黙って聞いていた。やがて、小さく微笑んだ。
「実に父らしい。父もその旅を楽しんでいただろう」
その言葉に、俺は少しだけ肩の力が抜けた。その時。
コンコン
扉がノックされた。
「失礼します。ロジャード様、お急ぎの件がございます」
ロジャード当主はすぐに立ち上がった。
「少し席を外すよ」
彼は俺を見て、優しく微笑んだ。
「何か不自由があれば、そこにいるメイドに言ってくれ」
俺は静かに頷いた。そして、ロジャードは部屋を出ていった。
残された俺は、応接室で紅茶を見つめながら、ぼんやりと思った。
ガンスさん、どうかご無事で。そう祈るように、俺はカップをゆっくりと口元に運んだ。
しばらく応接室で静かに座っていると、扉がノックされた。
「失礼します」
入ってきたのは、執事だった。
「レン様、当主様がお呼びです」
俺はすぐに立ち上がった。
「…わかりました」
心臓が高鳴る。ガンスさんの容態はどうなのか。意識はあるのか。不安を抱えたまま、執事の後ろをついていく。
屋敷の廊下は、驚くほど長かった。壁に飾られた肖像画の数々。きっと、ラフェルセウス家の歴代の当主たちなのだろう。その中には、ガンスさんの姿もあった。
足音だけが響く静寂な空間を、俺はただ前へと進んだ。やがて、執事が足を止めた。
「こちらでございます」
俺は緊張しながら、扉を見つめる。執事がノブを静かに回し、扉を開いた。
ベッドの上には、ガンスさんの姿があった。だが、以前のような圧倒的な威圧感は、そこにはない。顔は青白く、呼吸は浅い。
だが、それでも、彼の目にはまだ戦士の光が宿っていた。
ベッドの周りには、家族らしき人たちが静かに立っている。ロジャードが一歩前に出る。
「父が君に話したいことがあるようだ」
俺は緊張しながら、ゆっくりと近づいた。
「…少年…いや…エル君…」
弱々しい声が、俺の胸を締め付ける。
「この度は…世話をかけた…」
俺は泣きそうになるのをこらえながら、なんとか笑顔を作る。
「俺は全然平気です。けど、ガンスさんが…」
ガンスさんは微笑んだ。
「わしは…後悔はしていない」
「むしろ…最後に家族に囲まれて…幸せじゃ」
その言葉に、俺の喉が詰まる。
「ありがとう…エル君…」
その瞬間――堪えきれず、涙が溢れた。声を出して泣いたのは、いつぶりだっただろうか。そして、俺は、その手を握りしめる続けた。
そして、ガンスさんは、弱々しくもはっきりとした声で言った。
「…誰か…わしの短剣を…持ってきてくれ…」
家族の一人が頷き、すぐに部屋の奥から装飾の施された短剣を持ってきた。柄には精巧な細工が施され、鞘には家紋らしき紋章が刻まれている。
ガンスさんは、震える手でそれを受け取り、ゆっくりと俺の方を向いた。
「…エル君…いや、我が最後の弟子、エル」
周囲が息を呑む。
「そなたに、この短剣を贈る」
短剣が、俺の手の中にそっと置かれる。
周りの人々ざわめきも聞こえぬまま、俺は、その場に立ち尽くしたまま、短剣を見つめる。どう返事をすればいいのか。上品な言い回しはできない。かといって、形式張った返事も良くないだよう。
だから、俺は正直な気持ちを伝えた。
「…ガンスさん」
俺は短剣を胸に抱きながら、ゆっくりと口を開いた。
「ありがとうございます」
涙がこみ上げる。
「ガンスさんとの旅は、俺にとって人生最高の経験でした。俺は…これからも、ガンスさんを忘れずに頑張ります…」
声が震えた。
「そして…いつか、俺の最も尊敬する師匠、ガンスさんのように立派な冒険者になります。本当に、ありがとうございましたっ!!」
俺は深く頭を下げた。
ガンスさんは、目を細め、満足そうに微笑んだ。
「…我が愛弟子、レンよ…。そなたのゆく道に、栄光あれ」
その言葉は、まるで俺の魂に刻み込まれるようだった。
俺は再び待合室に再び戻った。胸に抱えた短剣の重みが、先ほどまでとは違って感じる。これが、ガンスさんの生きた証。これが、俺に託されたもの。俺は目を閉じて、静かに待った。
しばらくして、廊下が騒がしくなる。
嫌な予感がする。そう思った瞬間、扉が開いた。執事が、静かに、しかし毅然とした態度で告げる。
「…ガンス様が、お亡くなりになりました」
その言葉が、まるで鈍器のように俺の胸を打った。心の奥底に、ぽっかりと穴が開いたような感覚が広がる。
ただ涙は、もう流れなかった。ガンスさんはきっと幸せだったのだろう。
託された短剣にはガンスさんの体温が残っている気がした。俺は、この短剣を握りしめた。
――――――――――――――――――――――――――――――――
ガンスさんが亡くなってから、どれほどの時間が経ったのだろう。葬儀の準備など、家中慌ただしい日々の中で、俺はただ静かに過ごしていた。しかし、心の中の喪失感は、未だに埋まらない。そんなある日、ロジャードさんが、俺のもとへやってきた。
「レン君、話がある」
彼の表情は、今まで以上に真剣だった。
俺は背筋を伸ばし、向かい合う。
「重要な話をしよう。君が父から託された短剣は、我がラフェルセウス家の家宝だ」
「…はい」
「返せとは決して言わない。その短剣はすでに君のものだ。その代わり…」
次の言葉によっては、自分の人生が変わるような状態だ。首筋から冷や汗が流れる。
「いま、君はこの家の当主になる権利がある」
「…えっ?」
あまりの衝撃に、言葉が出なかった。
「それが、その短剣の持つ意味だ」
まさか。俺が、この家の当主に?そんなバカな話があるか。しかし、ロジャードの表情は真剣そのものだ。俺が当主に…。いやいや、務まるはずがない。それに…
「…辞退します」
俺は返答した。
それに、この家は俺のいるべき場所じゃない。俺はガンスさんと約束した。もっと強くなると。俺は冒険者だ。もっと広い世界で生きていかなければならない。
ロジャード当主は、俺の目をじっと見つめた。そして、静かに頷いた。
「そうか。君の意見を尊重しよう」
ほっと胸を撫で下ろしたその時。
「その代わり、一つ約束してほしい」
俺は顔を上げる。
「君が助けを必要としたとき、我がラフェルセウス家は、全力を持って君を助ける。ラフェルセウス家は恩を消して忘れない」
俺は息をのんだ。
「いつでも頼ってくれ」
その言葉には、嘘偽りのない重みがあった。
「…ありがとうございます」
俺は深く頭を下げた。
その後、俺はラフェルセウス家に1週間ほど滞在した。
ガンスさんの葬儀は、簡素な家族間だけの儀式として執り行われた。
ガンスさんの家族が、彼の眠る棺に手を添え、静かに別れを告げる。俺も最後に短剣を握りしめ、祈りを捧げた。
そして、貴人の儀式としては異例だが、本人の遺志により、国葬は辞退された。
「父は、形式張ったことを嫌う人でしたからね」
当主となったロジャードはそう言って、穏やかに微笑んだ。
葬儀を終えた数日後、俺はついにレンバスへ帰ることになった。
馬車に乗り込み、扉が閉まる。執事、ロジャード当主、ガンスさんの家族たちが、見送りに出てくれていた。
「本当に世話になりました」
「またいつでも来てください、レン君」
俺は小さく頷き、馬車が動き出す。ラフェルセウス家の壮大な屋敷が、ゆっくりと遠ざかる。
「ガンスさん…」
短剣を握りしめながら、俺は小さく呟いた。今頃どうしてるだろうか。天国であの日みたいにステーキをたくさん食べているだろうか。
すこし悲しい気持ちになったが、心は徐々に晴れていった。
俺も帰ろう。自分の居場所に。




