12 老兵2
出発前日、俺は市場へ向かい大量の食料を買い込んだ。
ゲンシさんが言うには、「ガンスはとにかくよく食う」とのことだったので、倍以上の量を用意することにした。
そして出発の日、宿の前でガンスさんと合流すると、二頭の馬が繋がれていた。
「少年、乗るんじゃ」
「えっ…俺、馬乗れないんですけど…」
俺が困惑していると、ガンスさんはどっしりと馬の背を撫でながら笑った。
「なら、教えてやるぞ」
俺は馬のサドルバックに荷物を詰め込んだ後、いざ乗ろうとしたが…
「…高っ!!」
鐙に足をかけ、一人で乗ろうとするも上手くいかない。
「ガハハ!ほら、手を貸してやる」
ガンスさんに支えられながら、何とか馬の背にまたがった。
途端、視界が一気に高くなる。上から見る景色は、いつもの風景が違うものに見えた気がした。新鮮な気持ちになったが、すぐに怖くなってきた。
俺が馬の上でバランスを取ろうと必死になっていると、ガンスさんは俺の馬と自分の馬と繋ぎ、先導する形で歩き始めた。
「まずは揺れに慣れることだな」
馬が歩き出し、上下左右に不規則に揺れる。最初はガタガタと揺れる感覚に恐怖を感じていたが、しばらくすると、少しずつリズムが掴めてきた。
数時間後、俺はガンスさんの指導のもと、馬を自分で動かす練習を始めた。
「まずは軽く手綱を引いてみろ。方向を変えるのは片方だけを引くんじゃ」
指示通りにやってみると、馬がゆっくりと向きを変えた。
「次は、手綱両方を引いて『止まれ』と声をかけるんじゃ」
手綱を引き、止まれの指示を試す。
「と、止まれ!」
馬は少し遅れながらも止まる。
「よし、次は動かしてみろ」
かかとで軽く馬の脇を蹴ると、馬がゆっくりと歩き出した。
おお、本当に動いた…!
何度か焦る場面もあったが、ガンスさんのサポートのおかげで、基本的な操作はできるようになった。
昼頃、小川の近くで休憩を取ることになった。
俺は持ってきた食材を使い、スープを多めに作ることにした。野菜と干し肉を煮込み、塩と特製スパイスで味を整える。
完成したスープをガンスさんに渡すと、彼は一口飲んで満足そうに頷いた。
「うまいのお!ゲンシの味にそっくりだ!」
「よかった…」
と思ったのも束の間。俺の予想を遥かに超える速度ですぐにおかわりして飲み干し、あっという間にガンスさんはスープを飲み干してしまった。
「次はもっと多めに作っておくれ」
「…わかりました」
俺は苦笑しながら頷いた。
日が傾き始めると、俺たちは適当な開けた場所を見つけて野営することにした。
俺が焚き火を準備していると、ガンスさんが山の奥から戻ってきた。
「鹿を獲ってきたぞ」
手には、首のない立派な毛並みの鹿が一頭いた。その後、ガンスさんは手際よく鹿を捌き、俺も手伝いながら石焼きのステーキを作ることにした。
岩の上に鉄板代わりの平らな石を置き、火でしっかりと温める。その上に鹿肉を乗せ、塩とスパイスをふりかけて焼く。肉がジュウジュウと音を立て、香ばしい香りが辺りに広がる。
「できました!」
俺が肉を渡すと、ガンスさんは勢いよく頬張った。
「うまい!!」
その後も、焼き上がるたびに消えていくステーキ。結局、鹿の大部分がその日のうちにガンスさんの胃袋に消えていった。
食事を終えた後、ガンスさんは焚き火を見つめながら、ぽつりと話し始めた。
「少年、ゲンシが駆け出しの頃の話、聞いたことあるか?」
「いえ、ほとんど…」
「そうか。なら、少し話してやろう」
ガンスさんの表情は懐かしさを含んでいた。
「ゲンシはな…最初はただの甘っちょろい貴族の坊ちゃんだったんじゃ」
「えっ、ゲンシさんって貴族だったんですか!?」
「そうじゃ。でも、家が没落してな。それで冒険者になった」
俺は驚きながら聞き入る。
「最初は、剣を握ることもままならなかった。だがな…アイツは誰よりも真剣だった」
焚き火の光が、ガンスさんの顔を赤く照らす。
「最初の依頼で、モンスターの巣に突っ込んで死にかけた。わしはその時ゲンシを拾って育てたんじゃ」
俺はじっと話を聞きながら、ゲンシさんの知らなかった一面を思い浮かべる。
「戦い方も、生き方も、苦しみながら覚えていった。少年を見ていると、なんだかあの頃のゲンシを思い出すのぉ」
俺は何も言えなかった。ゲンシさんも、最初は俺と同じようだったなんて…。
しばらく焚き火を眺めた後、ガンスさんが立ち上がった。
「そろそろ、見張りの交代を決めようかのう」
そして、俺たちは交代で周囲を見張りながら、静かに夜を過ごした。
それから三日間の旅を経て、俺たちは広大な草原にたどり着いた。
そこには、ジャイアントラークが佇んでいた。陸の王と呼ばれるのにふさわしい、今まで見たこともない大きな獣のような四足歩行のモンスター。
分厚い筋肉に覆われた体、巨岩のような四肢、そして鋭い爪。奴らは悠然と草を食み、まるで俺たちなど眼中にないかのようだった。
ガンスさんは、静かに馬を木に繋ぐと、大剣を背負いながら俺を振り返る。
「少年。わしが今からやることに、意味はない」
俺は彼の言葉を理解できず、思わず眉をひそめる。
ガンスさんは遠くのジャイアントラークを見つめながら、静かに語り始めた。
「昔、若気の至りでな。戦場ではどんな相手も敵じゃなかったんじゃ。それで、興味本位でジャイアントラークに攻撃を仕掛けたことがある。その時、やつの爪で右目をやられた。それがわしの初めての敗北じゃ」
ガンスさんが言う。今も顔に刻まれた古傷。それが、その時の傷なのだろう。
「だから、これは過去の因縁を断ち切るための戦いじゃ。あいつに勝たないとわしは後悔するじゃろう。だから、わしは奴を倒す」
そう言うと、ガンスさんは静かに微笑んだ。
「少年、見届けてくれ」
俺は言葉を飲み込んだ。ただ、強く頷いた。
ガンスさんはゆっくりとジャイアントラークに近づく。その姿は堂々としていて、一切の迷いがない。しかし、ジャイアントラークは最初、彼の存在を気にも留めていなかった。
草を食む音が響く。それはまるで、大地そのものが呼吸しているようだった。
次の瞬間、ガンスさんの大剣がジャイアントラークの右目を切り裂いた。
「――グオォォォォッ!!!」
空気が一変する。
ジャイアントラークは恐ろしい咆哮を上げ、狂ったように暴れ出した。
怒りに満ちたその目が、鋭くガンスさんを捉える。
「かかってこい…!!」
ジャイアントラークの爪が閃く。ガンスさんはそれを最小限の動きで避ける。同時に、大剣を振るい、獣の巨体に何度も攻撃を叩き込む。
切り傷はついている。だが、分厚い筋肉が衝撃を吸収し、深いダメージにはなっていなかった。それでもガンスさんは、攻撃の手を緩めない。
どれくらいの時間が経っただろうか。
俺は息を詰めながら、戦いを見守り続けた。ガンスさんは明らかに疲れている。呼吸が荒い。しかし、ジャイアントラークもまた、全身傷だらけだった。
そして、決着の時が訪れた。
ジャイアントラークが、大きく口を開け、ガンスさんに噛みつこうとした。
その瞬間。
ズバッ!!
ガンスさんの大剣が腕ごと獣の口に思い切り差し込まれる。
空気が静まり返る。数秒の沈黙。
ジャイアントラークはそのまま硬直し、そして地面に倒れ込んだ。
大地が揺れるような音が響く。戦いが終わった。
俺は走り出した。
「ガンスさん!!」
彼は、ジャイアントラークのすぐそばに倒れていた。しかし、近づいて絶句した。そう。右腕が、なかった。
「くそっ!!」
俺は急いで止血に入る。手元にある紐で腕を縛り、血が止まるように根本を縛り付ける。しかし、なかなか血が止まらない。
俺は消毒をするために、火酒を傷口にかけた。
「ぐっ…!」
ガンスさんが微かに呻く。そのまま薬草を数種類貼り、包帯を巻いた。
その時、ガンスさんはかすれた声で呟いた。
「やつは…死んだか…?」
俺は、ガンスさんの手を強く握りしめた。
「ガンスさんが倒しました。ガンスさんは勝ちました!」
ガンスさんは、薄く笑った。
「…そうか。なら…わしを…捨てて…いけ」
俺は耳を疑った。
「何言ってるんですか!?」
「わしの人生に…悔いは…ない」
「ダメです!!」
俺は叫んだ。
「俺が絶対に生きて帰します!!」
傷の応急処置を終え、出血が止まり始めたとき、俺はガンスさんを医者のもとに運ぶことを決意した。幸い、来る途中に村があった。ここから1日と少しの距離だ。
俺は馬を連れてきて、馬の膝を折らせて何とかガンスさんを乗せた。落ちないようにしっかりと固定し、馬を引いて歩き始める。
走りたい…けど、ガンスさんが落ちるかもしれない。俺は焦る気持ちを抑えながら、慎重に、ゆっくりと歩いた。
夜になった頃、ガンスさんの顔色がさらに悪くなった。
「ガンスさん…」
俺はすべての毛布を彼にかけた。それでも、彼の手はますます冷たくなるばかりだ。
焚き火を起こし、野菜のスープを作る。だが、昨日まであれほど食べていたガンスさんが、半分も食べられなかった。
傷口を確認し、薬草と包帯を新しいものに交換した。
この日の夜は長かった。ガンスさんの吐息が弱くなるたびに死への恐怖を感じた。
そして次の日の夕暮れ、ついに俺たちは村にたどり着いた。
「誰か!!医者を!!」
俺の叫びが、村の中に響き渡った。途端、村人たちが次々と駆け寄ってきた。
「何があった!?」
「おい、この人、ひどい怪我じゃないか!」
「すぐに村長の家へ運べ!」
数人の男たちがガンスさんの巨体を抱え、村の中央にある大きな家へ運び込んだ。幸いにも、その家の主、村長自身が医者だった。彼はベッドに横たえられたガンスさんの傷を見つめ、俺に尋ねた。
「この手当ては誰が?」
俺は息を整えながら答えた。
「俺です」
村長はしばらく無言で傷を見つめ、ゆっくりと頷いた。
「君、なかなか良い判断だったよ。応急処置としては申し分ない」
俺はホッとした。
「しかし、血が出すぎている。長くは持ちそうにないね」
その言葉が、絶望となって俺の心に突き刺さる。
「…そんな…」
俺はガンスさんの手を握る。少しは楽になったように見えても、衰弱していくのがわかる。俺は…俺はガンスさんを助けられないのか…?
考えうる最悪の結末がすぐそこまで迫っている現実が怖くて仕方がなかった。
「ちなみに、この方はどなたですか?」
村長が尋ねた。俺が「ガンス・ラフェルセウスさんです」というと、村長の表情が一瞬で変わった。
「どこかで聞いたことが…」
そう呟いた後、彼ははっと目を見開いた。
「まさか、ラフェルセウス家の御方!?」
「えっ…?」
俺は思わず聞き返した。
「そうなんですか?」
村長は驚いたように俺を見つめ、静かに頷いた。
「ラフェルセウス家は、この国の大貴族だよ。君は知らなかったのかい?」
「大貴族…」
ガンスさんが、そんな身分の出だったとは…。
村長は眉をひそめた。
「こんな窮屈な場所で申し訳ない…。何かできることはないか?」
俺はすぐに答えた。
「ガンスさんを家まで返したいです」
村長はしばし考え、すぐに決断した。
「わかった。村の者に街まで行かせて、馬車を持ってこさせよう」




