1-22.カビの匂いと、腐った床と
夕日に照らされ、焼かれているようなオレンジ色の廃墟を眼下に、ミクズとアカードが空を滑る。カーディに課題として提示された地図の場所へと真っすぐに。
そこに何があるのかは分からない。だが、奇妙に結びついたいくつもの要素が、アカードの胸に、不安に似た焦燥感を募らせていく。
『主様。先ほどの男の話、如何でしたか?』
金色の狐になっているミクズから、ざっくりとした質問が投げられる。
「…うん。なんか不思議な所が多かった気がするんだ」
―――「明日には赤い月が出る。急ぎなさい」―――そう促され、屋敷から追い出されたアカードは、今一度、ゆっくりと頭の中でカーディの話をまとめていく。
「…戦争では魔銃が主体で、騎馬隊?とかいうのが使われていたのは、かなり昔だと思う」
『…ええ、そうかもしれません』
ミクズは同意する。
「…それに、このダンジョン、【沈んだ都】がまだ国として機能していたのは百年以上前とか言ってたはずなのに、カーディさんは縁が有ってあの屋敷を管理してるって話してた。聞いた時は、先祖代々から受け継いでいるのかなって、そんな風に考えてたんだけど…」
『…』
「…変な話、カーディさんが、この国の騎士団の生き残り…って考えると、話しが合うんだ…でも、そんなことを言ったら、カーディさんは何歳で、この国と縁が有ったって言うレイさんやレミィさんも含めて、僕が関わっている人達は何者なのって話になってくる」
『私にとっては主様以外は、取るに足らない路傍の石と大差ありません。ですが、モトアザの屋敷の雌猫二匹に、あの執事、どの者達からも人間とも魔物とも判断しきれない匂いがしておりましたわ』
「…急ごう」
そうアカードが応えると、ミクズは速度を上げた。空は夕焼けになり、明日には満月になるであろう赤い色をした月が、薄く輝き始めていた。
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「ここだ」
目印である首の無い彫刻が飾られた大きな廃墟を見つけ、降り立つ。
『…主様、刀の調子は如何ですか?』
人の姿に変わったミクズがアカードに尋ねる。
「うん?…いい感じだよ」
鞘から刀を抜き放ち、握りを確かめる。
『そうですか…では、そのまま、突入しましょう。どうやら、この廃墟、かなりの数いるようですわ』
ミクズの尻尾がユラユラと揺れて、身体から紅い光が薄っすらと揺らめき始める。
目の前の廃墟は、かつては大きな屋敷であったと推測される建物で、屋根には大きな穴が空き、所々焦げ落ちた跡がある。入り口に扉は無く、廃墟の中に繋がる穴だけがぽっかりと開いていた。
「うん、行こう」
一歩足を踏み入れた瞬間、腐った床や壁や柱、そして家具から放たれる、鼻を刺す刺激臭に包まれた。
『主様、注意して歩いてください』
真っ暗闇の中、ミクズが周囲に火の玉を作り出しす。
「…ありがとう。助かるよ」
『いえ…それと、もう少し進んだ所に開けた場所があります。何体か魔物がいるようですので、ご注意を』
「分かった…」
慎重に進むと、少し先に、大穴の空いた天井から、月明かりが落ちている空間が見えてくる。その光が当たらない暗闇の中から、何かの気配がする。
『浅はかな』
ミクズの周囲に浮いていた火の玉が打ち出される。
<ゲアアアアアアアアア!!>
『…あら?新手ですわ』
ゴブリンを燃やし尽くしたミクズが呟く。
火の玉が爆ぜる音に混じり、暗闇の奥から、不規則に床を軋ませる音が近づいてくる。そして、ゆっくりと、月明かり照らされた空間に音の主が姿を現わす。
「あれは…スケルトン?」
表情も感情も読み取れない、どこまでも深く暗い眼窩をアカードとミクズに向けた、人骨が歩いてくる。その右手にはボロボロで錆びだらけの剣が握られている。
『…主様、いけますか?』
ミクズに問われ、アカードは軽く頷くと、一瞬でスケルトンに近づき、踏み込みと共に、切り抜けた。
スケルトンは抵抗どころか反応すら出来ず、袈裟斬りに切断されて、崩れて落ちた。
『お見事』
ミクズが満足そうにアカードの動きを評する。
「ありがとう。スケルトンと戦うのは初めてだから、少し緊張したよ」
『初心貫徹とも言いますし、緊張を持つことは大事ですわ。それに、このスケルトンはそうでもありませんでしたが、生前の強さに応じて、スケルトンの強さは変わってきます。…昔、スケルトンであるにも関わらず、生前のスキルを維持出来ている個体を見た記憶があります』
「そうなんだ、油断出来ない相手なんだね」
『ええ。まあ、今の主様なら、余程のスケルトンでもなければ、手こずることはないかと思いますが…』
「そうかな?そんなことはないと思うんだけど…」
『いえ、私が保証致しますわ。…所で、主様、油断と繋がりますが、既に日は沈み、夜となってしまいました。夜は魔物の時間です。とりわけアンデッドは能力的な強化が著しいです。スケルトンが出たということは、この先にも似たようなアンデッドが出現する可能性は高いと愚考致します。…ここは一旦、撤退するのも手かと思われますが、如何いたしましょうか?』
イケイケでやってきたミクズから、珍しく撤退の提案が出される。
「?た、確かに、それも手だね。…でも、明日は赤い月?らしいし、この建物がどれぐらいの広いのか分からないから、今日行ける所まで行ってみた方が良いと思うんだ」
冷静に考えれば、ミクズの提案に従うことが正しい。だが、胸にくすぶる不安を一刻でも早く消したかったアカードは、進むことを選択した。
『…主様が、そうおっしゃるなら是非もありませんわ、では、先を急ぎましょう』
ミクズはそう応答すると、火の玉をさらに爛々と輝かせ、周囲を照らす。
「ありがとう」
さっきよりも明るくなった室内を二人は進んで行く。床は所々に穴が空いていたり、腐っていて、注意しないと踏み抜いてい脚を取られそうになる。集中し、周囲に気を配りながら歩いていると、気付けばじっとりと汗ばんでおり、そこに、室内のよどんだカビ臭い空気が張り付いていた。
「…ふー」
『主様、前方の床下の穴から来ます』
ミクズの助言通り、床下から二体のスケルトンが這い出てくる。
「…スッ!」
鋭く息を吐き、一太刀で一体のスケルトンを唐竹割りで叩き切る。そして、斬り終えた刀を返して、二体目のスケルトンへと刀を切り上げた。
『惚れ惚れする太刀筋ですわ。斬れば斬るほど、戦えば戦う程、主様は強くなっておられます』
ミクズが恍惚とした表情でアカードを見つめる。
「うん…ありがとう」
確かに、自身でも恐ろしくなるぐらい身体の動きが良くなっている。カーディとの稽古に比べて数倍、ともすると数十倍は鋭く動けている感じがある。だが、いくら実戦を積んだからと言って、ここまで成長出来た理由を説明しきれず、アカードはどうしても奇妙な感じと、違和感をぬぐえなかった。
『…さ、主様、今は先を急ぎましょう』
アカードの意識が深く考え込んでいく前に、ミクズの声が、現実へと立ち返らせる。
「…うん。そうだね」
アカードは考えることを止め、慎重に、じっとりとした廃墟のさらに奥へと踏み出した。
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どれだけ進んだか、途中、ゴブリンやスケルトンを撃破しながら、慎重に腐った床を歩き、障害物などを避けて、迂回しながらも、奥へ、奥へと進んできた。室内のため、時間が分からないが、恐らく夜もだいぶ深まってきているのだろう。
「…」
アカードの顎からポタポタと汗が落ちていく。魔物の襲撃と、足場の悪さ、そして、ジメジメと粘りついてくるカビ臭い空気が、アカードの体力と集中力を奪っていく。
『主様、あれを』
底なしとも思える暗闇の先に、ミクズの炎に照らされて大きな扉が浮かび上がる。
「…扉?」
腐った室内に長年放置されていたはずなのに腐ってる様子はなく、木製であるはずなのに鉄よりも重そうな重厚感を感じさせる立派な扉だった。表面に、翼を広げたドラゴンと剣の模様が彫られている。
『…主様、どうやら、その先に何かいますわ。今までの雑魚とは勝手が違いそうです。ご注意を』
「わかった」
ミクズの注意を背中で受けて、そっとアカードは扉に触れ、開いていく。
少し開いた途端、扉の向こうから、ひんやりとした清涼な風が吹き込んでくる。その風は扉が開かれていく程に強くなり、アカードは扉を全て開け放つ。
扉の向こうは、一本の石畳が伸びて奥の建物に繋がっている、中庭だった。チラリと石畳から視線を外すと、荒れ放題の植物が花壇を飛び越えて伸びたり、枯れたりしており、少し向こうには砕けた噴水のようなものも見える。そして、そこから水が滴り、小さな川のような流れを作っており、退廃的な美しさも感じさせていた。
「…」
だが、アカードにはそちらの光景を楽しむ余裕はなく、緊張を孕みながら、視線を石畳の先に戻す。そこには、赤い満月に成りかけた月の光に照らされた、一体のスケルトンが、立っていた。
アカードがゆっくりと一歩踏み出す。スケルトンはそのまま動かず、じっとこちらを見ている。よく観察してみると、そのスケルトンの頭蓋骨にはヒビが入っている。身体にはボロボロの胸当てや、肩当てを装着しており、そして、スカスカの籠手を布で腕の骨に巻き付けて固定していた。装備をまとっている、というだけも今までのスケルトンとは別格だが、なにより異様であったのは、地面へと刺している身の丈と同等の長さを持つ大剣であった。
アカードはある程度近づいて、歩みを止める。周囲はミクズの炎と月明かりに照らされ、涼しい夜風が身体を撫でては去っていく。視点は固定され、頭の中は冷たく、感覚は鋭くなっていく。恐らく、次の一歩が戦闘の合図だ。
『あの様子、生前はかなりの手練れだったのかもしれません。主様、如何いたしますか?』
言葉にはしないが、命じてくれれば、対処すると、ミクズはアカードに声を掛ける。
「…ありがとう、ミクズ。…でも、ここは僕がやらなきゃ、だから」
恐らく、相手は今までの魔物の中で一番強い。下手を打てば死ぬかもしれない。そんな恐怖が頭をよぎり、一瞬、アカードはミクズに頼りたくなる気持ち駆られた。だが、刀を抜き放ち、覚悟を決める。これは、カーディから受けた、アカードの課題なのだ。
『…仰せのままに』
ミクズが一礼をして、一歩引く。
途端、スケルトンが地面に刺していた大剣を抜き、肩に担ぎ直して、アカードに声にならない咆哮を浴びせる。
赤い月の下、カーディに課せられた肝試しが始まった。




