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【連載版】学校一の美少女は、金曜日だけ幼なじみに戻る  作者: ロン毛丸
第4章 春からは

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第53話 金曜日

 玄関の鍵が回ったのは、肉じゃがの鍋を火にかけた直後だった。


「ただいま」


「おかえり」


 廊下を進む足音が洗面所の方へ消える。


 いつもと同じだった。


 少しすれば、琴音は古いジャージへ着替えて台所へ来る。鍋を覗き、人参が小さいと言う。食卓へ着けば、人参から先に食べる。


 大丈夫だ。いつも通りにすればいい。


 分かっているのに、火を弱めてから時計を見た。


 琴音が来て、まだ五分も経っていない。


「何見てるの?」


 振り返る。


 琴音は古いジャージの袖から指先だけを出し、台所の入り口に立っていた。


「煮込む時間」


「まだ五分だよ」


「分かってる」


 琴音はそれ以上聞かず、鍋の横へ来た。


 蓋へ手を伸ばし、触れる前に止める。


「まだ?」


「まだ」


「味見は?」


「早い」


「人参は、もう食べられそう」


「じゃがいもが硬い」


「人参だけなら?」


「駄目」


 琴音は少し残念そうに手を引いた。


 そのまま、まな板の端に残っていた人参の切れ端を見る。


「同じ大きさ」


「昼にも見ただろ」


「ちゃんと切ってくれたんだなと思って」


「肉じゃがにするなら、いつもこれくらいだ」


「うん。知ってる」


 琴音は紺色のエプロンをつけ、冷蔵庫から味噌を取り出した。


「味噌汁は私が作る」


「できるのか」


「具は切ってあるんでしょ」


「豆腐だけ」


「ならできる」


 小さな鍋へ水を入れ、コンロに置く。


 以前なら、火をつけるところから横で見ていた。今は一度こちらを見ただけで、琴音は自分でつまみを回した。


「これくらい?」


「少し弱く」


「これ?」


「それでいい」


 琴音が鍋へ向き直る。


 危なげがなくなったとは言い切れない。それでも、最初に卵焼きを焦がしたころより、見ていなくても任せられることは増えた。


 二つの鍋から、それぞれ違う音がする。


 琴音のジャージの袖が火へ近づきそうになり、肘の辺りまで押し上げた。


「何?」


「袖」


「あ」


 琴音は押し上げられた袖を見る。


 反対側も自分で同じところまでまくった。


「これ、最初に借りたの、雨の日だったね」


「ああ」


「制服が乾くまでって言われた」


「そのあとも勝手に着ただろ」


「颯馬が返せって言わなかったから」


「返せと言ってたら返したのか?」


 琴音は少し考えた。


「たぶん」


「返さなかったんだな」


「でも、持って帰ってはいないよ」


「うちに置いてる時点で似たようなものだろ」


 琴音は袖口をつまんだ。


「持って帰った方がいい?」


「何で」


「何となく」


「置いておけば、来たときに着られるだろ」


 袖口をつまんでいた指が止まる。


「そうだね」


 琴音はすぐに布地から手を離し、味噌汁の鍋へ向き直った。


「じゃあ、置いておく」


 その声は、さっきより少しだけ軽かった。


     ◇


 食卓へ肉じゃがと味噌汁を並べる。


 琴音は青い花柄の茶碗を自分で出した。


 俺が炊飯器を開けると、両手で茶碗を持って待っている。


「どのくらい」


「いつもと同じ」


「分かった」


 聞かなくても分かっていた。


 茶碗へ御飯をよそい、琴音の前へ置く。


「ありがとう」


「いただきます」


 琴音は肉じゃがの中から人参を選んだ。


 息を吹きかけ、口へ入れる。


 いつもと同じ順番だった。


「どうだ」


「おいしい」


「味噌汁は?」


「あとで」


「自分で作ったんだから先に飲めよ」


「人参が先」


 二つ目の人参をつまみ、半分に割る。


 琴音は断面を確かめるように見たあと、片方を食べた。


「颯馬の切った人参、好き」


「昼にも聞いた」


「昼は食べてなかったから」


「味は毎回同じだろ」


「少し違うよ」


「何が」


 琴音は残った半分を皿へ置いた。


 すぐには答えず、自分で作った味噌汁へ口をつける。


「今日のは、覚えてると思う」


「明日になったら忘れる」


「忘れないよ」


「肉じゃがだぞ」


「肉じゃがだから」


 答えになっていない。


 そう言おうとしたが、琴音はもう味噌汁を飲んでいた。


 本人にしか分からないなら、聞いても同じらしい。


「味噌汁は?」


「少し薄いかも」


 一口飲む。


 確かに普段より薄い。


「肉じゃがが濃いから、これくらいでいい」


「本当に?」


「ああ」


 琴音は頬を緩めた。


 大げさに喜ぶわけでもない。それでも、もう一度自分の味噌汁へ口をつけた。


 食事は普段より長くかかった。


 会話が多かったわけではない。


 琴音が一口食べるたび、少し箸を止める。俺も先に食べ終える気になれず、いつの間にか同じ速さになった。


 皿の肉じゃがが減っていく。


 残りが少なくなると、琴音は一つずつ選ぶのをやめた。じゃがいもを半分に割り、肉を一切れ食べ、味噌汁へ口をつける。


 最後に残ったのは、小さな人参だった。


 琴音はそれをしばらく見てから、口へ運んだ。


「今日のが、一番好きかも」


「毎回同じだ」


「でも、今日のが一番」


「何が違うんだよ」


 琴音は空になった皿を見た。


「今日の味だから」


「答えになってない」


「私には分かるからいいの」


 箸を揃え、皿の横へ置く。


 いつもなら、そのまま食器を持って立つ。


 今日は重ねようとした皿へ手を伸ばし、触れる前に止めた。


「また作って」


「また作る」


 琴音が顔を上げる。


 返事が早かったせいか、少しだけ目を見開いていた。


「いつ?」


「肉じゃがにするとき」


「それだと分からない」


「食べたいなら言えよ」


「言っていいの?」


「駄目なら、また作るなんて言わない」


 琴音の指が、箸袋の端を何度か折る。


「金曜日じゃなくても?」


「今さら何言ってるんだ」


「何が?」


「月曜日にも来ただろ。冬休みも来てたし、合鍵まで持ってる」


「それは、そうだけど」


「金曜日以外にも何度も食べてるだろ」


「数えてるの?」


「数えてない」


「じゃあ、何度もって分からないよ」


「少なくとも一度や二度じゃない」


 琴音は箸袋から指を離した。


 青い花柄の茶碗へ視線を落とす。


「ほかの日は、行くって決めてから来てたから」


「金曜日だって、来るって分かってただろ」


「私が決めたんじゃないよ」


 それだけ言い、琴音は皿を重ねた。


 立ち上がった拍子に椅子が小さく鳴る。


 誰かが決め直さなくても、金曜日になれば琴音が来た。


 俺は二人分の夕食を作り、琴音は自分の茶碗で人参から食べる。


 親同士の勤務から始まった予定だった。


 明日からは、最初から決められているわけではない。


「来たい日は来ればいいだろ」


 食器を持ち上げた琴音の手が止まった。


「御飯がなくても?」


「腹が減ってるなら作る」


「減ってなかったら?」


「茶でも飲めばいいだろ」


 琴音はこちらを見る。


 さっきまで止まっていた手が、少しだけ動いた。


「用事がなくても?」


「鍵を渡したとき、用事を書いて出せとは言ってない」


「そうだけど」


「来るなら連絡はしろよ」


「うん」


 琴音は食器を持って台所へ向かった。


 歩く速さが、立ち上がったときより少しだけ軽くなっていた。


     ◇


 洗い物は二人で片づけた。


 琴音が皿を洗い、俺が布巾で拭く。


 最後に渡されたのは、青い花柄の茶碗だった。


 受け取ろうとしたが、琴音はすぐには手を離さない。


「何だよ」


「欠けてない?」


「見れば分かるだろ」


「颯馬が見て」


 茶碗を一周させる。


 縁にも底にも欠けたところはない。


「大丈夫だ」


「そっか」


 琴音はようやく手を離した。


 食器棚を開け、いつもの場所へ戻す。


 隣に琴音の箸も置いた。


「持って帰らないんだな」


 自分から訊いておいて、余計だったと思った。


 琴音は食器棚を見たまま動かない。


「持って帰った方がいい?」


「そんなこと言ってない」


「じゃあ、置いておく」


「琴音のだからな」


「うん。だから置いておく」


 食器棚を閉める。


 ガラス越しに青い花柄が見えていた。


 何も片づける必要はないらしい。


     ◇


 テレビはつけなかった。


 琴音は食卓の向かいへ戻り、何も置かれていないテーブルへ座った。


 俺も同じ席につく。


 明日の母親の訪問。春休みの課題。五人で集まる日。


 話そうと思えば、話題はいくらでもあった。


 それなのに、琴音も俺も黙っている。


 冷蔵庫の駆動音が止まり、壁の時計の秒針が急に近くなった。


「テレビ、つけないの?」


 琴音が訊いた。


「見たいのか」


「颯馬は?」


「別に」


「じゃあ、このままでいい」


 琴音は食卓へ両手を置いた。


 指先が、木目をゆっくりたどる。


「静かだね」


「テレビをつけてないからな」


「そういうことじゃなくて」


「なら何だよ」


「分からない」


 琴音は椅子の背へ身体を預けた。


 窓の外を車のライトが横切り、カーテンの隙間が一瞬だけ明るくなる。


「小学生のころも、こんな感じだったのかな」


「覚えてない」


「私も」


「なら聞くなよ」


「少しくらい覚えてない?」


「母さんがいた日もあった」


「私のお父さんが、途中で迎えに来た日もあったよね」


「たぶんな」


 どちらも曖昧だった。


 何を食べたかも、何を話したかも、ほとんど残っていない。


 何年もあった金曜日を、一つずつ分けて覚えている方がおかしい。


「いつから二人だけになったんだろう」


「母さんの勤務が変わったころじゃないか」


「そうかも」


 琴音は食卓へ視線を戻した。


「最初は、おばさんに会いに来てたのかな」


「今は母さんがいなくても来るだろ」


「うん」


「むしろ、いない日の方が多い」


「それでも来てるね」


 琴音は細く息を吐いた。


「何でだろう」


「隣だから」


「それだけ?」


「幼なじみだから」


「それだけ?」


「腹が減るから」


「それは颯馬でしょ」


 琴音が小さく笑う。


 それ以上は訊かなかった。


 答えが足りなかったのか、最初から求めていなかったのかは分からない。


 時計の長い針が進む。


 琴音は一度そちらを見たが、立ち上がらなかった。


「帰らないのか」


「帰ってほしい?」


「まだ早いしもう少しいてもいいんじゃないか」


「じゃあ、もう少しいる」


「ああ」


 琴音は自分の椅子を、ほんの少しだけ食卓へ寄せた。


     ◇


「そろそろ帰るね」


 それから三十分ほど経って、琴音がようやく言った。


「ああ」


 立ち上がったのに、鞄は持たない。


 先に食器棚へ向かい、ガラス越しに青い花柄の茶碗を見る。


 扉を開き、位置を少しだけ直した。


 隣に置かれた箸も揃える。


 振り返ってから、洗面所へ向かった。


 古いジャージのまま戻ってくる。


 鞄だけを肩へ掛けた。


「それ、着て帰るのか」


「隣だから」


「明日、持ってくるのか?」


「うん」


「また置くのか」


「駄目?」


「聞く必要あるか、それ」


 琴音の手が、鞄の肩紐で止まる。


「ないかも」


「だろ」


 琴音はジャージの袖口へ目を落とした。


 袖から出た指先で、布地を一度つまんだ。


「これも置いておく」


「ああ」


「茶碗も」


「ああ」


 鞄の内側へ手を入れ、紺色のキーホルダーを少しだけ見せる。


「これは?」


「母さんも俺も琴音が持ってて困るとは思ってない」


「うん」


 鍵をしまい、ファスナーを閉じる。


 茶碗も、ジャージも、合鍵も、そのままだった。


     ◇


 琴音は玄関で靴を履いた。


 扉へ手を伸ばしたところで、俺も靴を履く。


「颯馬も出るの?」


「送る」


「隣だよ」


「知ってる」


「一人で帰れるよ」


「俺が出たいだけだ」


 理由になっていないのは分かっていた。


 琴音は何も指摘しなかった。


「じゃあ、お願い」


 扉を開ける。


 夜の空気は少し冷たかった。


 二軒の間は、十数歩しかない。


 並んで歩けば、会話を始める前に着く。


 今日は琴音の歩幅が小さかった。


 合わせるつもりもなかったのに、俺も普段よりゆっくり歩いていた。


「本当に近いね」


 琴音が言う。


「毎日見てるだろ」


「送ってもらうと、もっと近い」


「意味が分からない」


「すぐ着いちゃうから」


 琴音の家の門へ着く。


 琴音は手をかけたが、すぐには開けなかった。


 足元の影が、外灯の下で横に並んでいる。


「来週は、お父さんと食べるから」


「知ってる」


「その次は、まだ分からない」


「ああ」


「でも、食べたくなったら言う」


「そうしろ」


「用事がなくても行く」


「連絡はしろよ」


「うん」


 琴音は門を少しだけ開けた。


「明日も行くけど」


「母親と一緒にな」


「終わったら、先に入っててもいい?」


「連絡すれば」


「ただいまって言うね」


「誰もいなかったら返事はないぞ」


「颯馬が帰ってきたら、もう一回言う」


「二回もいらない」


「じゃあ、颯馬が帰るまで待つ」


「合鍵の意味がないだろ」


「どっちがいい?」


 琴音はこちらを見る。


「先に入ってろ」


「分かった」


「外で待つなよ」


「中なら待ってもいい?」


「そう言ってる」


 琴音は門をもう少し開けた。


「おやすみ、颯馬」


「おやすみ」


 内側へ一歩入り、また振り返る。


「帰らないの?」


「琴音が入るまで」


「隣なのに?」


「さっきと同じ話をするな」


「そっか」


 琴音は笑い、玄関まで歩く。


 鍵を開け、扉へ手をかけたところで、こちらを向いた。


 袖から出した手を小さく上げる。


 俺も片手を上げた。


 琴音が家へ入り、扉が閉まる。


 玄関灯が消えるまで待ってから、高瀬家へ戻った。


     ◇


 居間へ入っても、テレビはつけなかった。


 食器棚には青い花柄の茶碗が残っている。


 洗面所の棚には、明日戻ってくる古いジャージのための場所がある。


 琴音の椅子は、少し引かれたままだった。


 背もたれへ手をかける。


 そのまま戻さず、手を離した。


 親同士の勤務に合わせて、金曜日だけ幼なじみに戻っていたころは、今日で終わった。


 琴音はもう、金曜日を待たなくても帰ってくる。


 次に肉じゃがを作る話も、明日を待つ約束も残っていた。


 なら、終わったのは曜日だけでいい。


 そのくらいは、俺から増やしてもいいのかもしれない。

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