第47話 それくらい自分で考えて
一人分の米を研ぐつもりで、二合を量っていた。
釜の中を見てから気づく。
普段の金曜日と同じ量だ。
一合を袋へ戻そうとして、米粒をいくつか床へ落とした。
「何やってるんだ」
誰もいない台所で言っても、返事はない。
十九時になっても、琴音は来ない。
最初からそう聞いている。
一人分の味噌汁を作り、冷蔵庫にあった魚を焼く。副菜は昨日の残りで済ませた。
食卓へ茶碗を置く。
青い花柄の方へ手を伸ばしかけ、自分の物へ持ち替えた。
今日は琴音が好きな相手へ何かを渡す日なのだろう。
学校では渡せなかったのかもしれない。
瀬尾は部活へ行った。
西園寺は生徒会室に残っていた。
倉橋先輩は三年の階へ戻った。
それ以外の候補なら、俺は顔も知らない。
琴音には、俺が知らない時間がある。
学校で毎日顔を合わせるようになっても、金曜日以外に家へ来るようになっても、それは変わらない。
夕飯を食べ終え、食器を流しへ運ぶ。
スマートフォンに連絡はなかった。
来ないと分かっている相手から、来ないという連絡を待つ必要はない。
そう思いながら、一度画面を確認した。
◇
二十時を少し過ぎた頃、玄関のチャイムが鳴った。
一度だけ。
二度目はない。
モニターを見る。
琴音が立っていた。
家で着替えたらしく、灰色のカットソーにチェック柄のロングスカートを合わせ、その上から薄い色のコートを羽織っている。学校では結んでいた髪も下ろしていた。
扉を開ける。
「何してるんだ」
「来た」
「見れば分かる」
琴音は胸元へ小さな箱を抱えていた。
目が合うと、すぐにこちらの肩へ視線を逸らす。
「父親と夕飯は?」
「食べたよ」
「なら、何しに来たんだ」
「これ」
琴音が箱を差し出した。
両手ではなく、片手。
軽く渡すつもりだったように見せたいらしい。
ただ、箱を持つ指には力が入っていた。
「俺に?」
「ほかに誰がいるの」
「鍵を持ってるだろ」
「今日は使わないって言ったでしょ」
「中へ入らないのか」
「入らない」
琴音は玄関の敷居を越えなかった。
普段なら自分で鍵を開け、ただいまと言って靴を脱ぐ。
今日はチャイムを鳴らし、外に立ったまま箱を差し出している。
「今、開けないで」
「何で」
「あとで開けて」
「形が崩れてるのか」
「確認しなくていいから」
「学校で渡せばよかっただろ」
琴音の肩がわずかに動いた。
「無理だったから」
「三浦たちには渡してたぞ」
「あれは学校で渡せる物だから」
「これは違うのか」
琴音は答えなかった。
箱を差し出した腕だけは引かない。
「何が違うんだよ」
尋ねると、琴音はようやくこちらを見た。
頬が赤い。
寒さだけではない気がした。
「それくらい、自分で考えて」
「考えろって言われても」
「今は聞かないで」
「琴音」
「おやすみ」
こちらが箱を受け取った瞬間、琴音の肩から力が抜けた。
一歩下がり、振り返る。
最初の数歩だけが普段より速い。
「感想は?」
思わず呼び止める。
琴音の足が止まった。
振り返りはしない。
「言いたかったら、言って」
「どっちだよ」
「聞かなくてもいい」
「また分からないことを増やすな」
「颯馬が考えるんでしょ」
琴音はそのまま隣の家へ向かった。
玄関前で鍵を出す。
一度目は鍵穴を外し、金属音が小さく響いた。
二度目で扉が開く。
中へ入る直前、琴音がこちらを見る。
すぐに扉の向こうへ消えた。
◇
リビングへ戻り、食卓へ箱を置く。
友人用の小袋とは違う。
浅い紙箱を包装紙で包み、細いリボンが結ばれていた。角の一つに、テープを剥がした跡がある。
何度か包み直したらしい。
琴音は学校で俺へ何も渡さなかった。
友人用を渡す場面には、俺もいた。
それでも、この箱は学校では渡せないと言った。
リボンをほどき、包装紙を開く。
蓋の内側に、小さなカードが挟まっていた。
表へ返す。
『いつもありがとう。
これからもよろしく。』
名前は書かれていない。
誰から受け取ったか、間違えるとは思われていないらしい。
いつも、が何を指すのかは分からない。
金曜日の夕飯。
朝の電話。
大学を見に行ったこと。
合鍵を渡したこと。
定型文だと言われれば、それまでだ。
それより気になったのは、二行目だった。
これからも。
琴音がどこへ進むかは決まっていない。
その言葉が、どこまで先を含んでいるのかも書かれていなかった。




