第46話 相沢琴音争奪戦
二月十四日。
朝から、琴音の下駄箱には小さな紙袋が三つ入っていたらしい。
俺がその話を聞いたのは、一時間目が始まる前だった。
「早くも三件」
佐々木が報告する。
「何でお前が知ってるんだ」
「一年の知り合いの友達が見た」
「また他人じゃないか」
「今朝の情報だから、鮮度は高い」
「精度が低いだろ」
佐々木はスマートフォンを机へ伏せた。
「無記名が一つ。女子からの友チョコが一つ。残りは男子かららしい」
「勝手に中身まで確認したのか」
「袋の特徴から推測されている」
「誰が推測してるんだよ」
「校内」
範囲が広すぎる。
始業前の廊下を、見慣れない男子が何人か通る。琴音の教室は別の階なのに、ここまで様子を探りに来ているらしい。
候補者一覧を処分しても、周囲の予想は止まっていなかった。
◇
一時間目の休み時間には瀬尾説が浮上した。
瀬尾が琴音の教室前で足を止め、挨拶をしたからだという。
二時間目のあとは西園寺説に変わった。
生徒会の書類を琴音へ渡したところを、遠くから見た生徒が手紙だと思ったらしい。
昼前には倉橋先輩が琴音の教室へ来た。
「先輩、卒業前に動いたらしいぞ」
佐々木が声を潜める。
「何を話したんだ」
「文化祭の資料を返して、進路を頑張れって」
「それだけじゃないか」
「話してる間、周りが静かになったらしい」
「周りが勝手に緊張しただけだろ」
候補者本人より、見ている側の方が落ち着いていない。
倉橋先輩が教室を出た直後には、廊下の男子数人が目配せを交わしたという。本人は何も知らず、三年の階へ戻っていった。
「結局、誰も何もしてないな」
「まだ昼休みがある」
「競馬みたいに言うな」
「琴音さんに聞かれたら怒られるぞ」
「なら最初からやめろ」
佐々木は頷きながら、スマートフォンを確認した。
反省と情報収集は両立するらしい。
◇
昼休み。
琴音が教室へ入ってくると、いつもより多くの視線が集まった。
両手には紙袋を提げている。朝より数が増えていた。
「多いな」
言うと、琴音の眉が下がった。
「ほとんど、もらった物だよ」
「男子からも?」
「女子からも」
「名前は書いてあるのか」
「書いてない物もあるから、どうしようかと思ってる」
困っているのは数ではなく、返事をする相手が分からないことらしい。
三浦と小宮山も席へ着く。佐々木は紙袋を見ないふりをしながら、何度も視線を向けていた。
「悠真君」
琴音が鞄から小さな袋を取り出す。
「何でしょう」
佐々木の背筋が伸びた。
「悠真君にも」
差し出された袋と琴音を交互に見る。
「俺?」
「ほかに悠真君はいないでしょ」
「一回待って」
佐々木は両手を制服の上着で拭った。
「何してるの?」
「受け取る準備」
「手は汚れてないよ」
「気持ちの問題なんだ」
佐々木は袋を両手で受け取った。
「ありがとう。友チョコでも普通に嬉しい」
「みんなと同じだけど」
「友人として選ばれた事実は変わらないからな」
佐々木は袋を掲げかけ、琴音の表情を確認してから、胸元へ大事そうに抱えた。
「学校一の――」
そこで口を閉じる。
「琴音さんからもらったんだから、喜んで当然だろ」
琴音の口元が緩んだ。
「大げさだよ」
「今日は家の手伝いを頑張れる」
「悠真の家、お菓子屋でしょ」
三浦が笑う。
「売り物ともらった物は別なんだよ、美咲」
「しおりんにも」
琴音が次の袋を渡す。
「ありがとう」
小宮山は落ち着いて受け取り、鞄の中へ入れた。
「ミサは、作るときに渡したからないよ」
「分かってるよ」
三人分のやり取りが終わる。
俺の前には何も置かれなかった。
最初から期待していたわけではない。
琴音には好きな相手がいる。その相手のために用意した物は、友人用とは別なのだろう。
「高瀬」
佐々木が呼ぶ。
「何」
「今日の購買、限定パンがあるらしいぞ」
「急に何の話だ」
「昼飯の話」
「もう食ってるだろ」
「明日の分」
「気を使うな」
「使ってない」
「顔に出てる」
「お前にだけは言われたくない」
佐々木は自分の袋を、さっきまでより静かに鞄へしまった。
琴音の手も、一度だけ止まる。
こちらを見たが、目が合う前に弁当へ視線を戻した。
◇
放課後になっても、琴音の教室の前から人が減らなかった。
偶然を装って廊下を歩く生徒。
教室へ忘れ物を取りに戻る生徒。
友人を待っていると言いながら、待っている相手の名前を答えられない生徒。
誰も琴音へ直接聞かない。
ただ、誰へ渡すのか見ようとしている。
「まだいる」
三浦が廊下を確認し、顔をしかめた。
「見世物じゃないんだけど」
琴音の声から笑みが消えていた。
小宮山が教室の後ろの扉を見る。
「こっちから出ても、階段で合流すると思う」
「普通に帰ろう」
琴音は鞄を持ち上げた。
「見られて困ることをするわけじゃないから」
そう言ったものの、鞄は胸元へ抱えている。
三人が教室を出る。
数人の男子が動きかけ、三浦が振り返った。
「琴音たち、今日は女子だけで帰るから」
それだけ伝えると、追いかける者はいなかった。
俺のスマートフォンが震える。
『先に帰って』
琴音からだった。
短い一文の下に、入力中の表示が出る。
しばらく待っても、二通目は来なかった。
画面を閉じる。
琴音が誰へ渡すのか見届けようとしていた連中と同じ場所に、俺まで残る理由はない。
先に帰るよう言われたのなら、そのとおりにすればいい。
それでも昇降口へ向かう途中、瀬尾と西園寺の姿がないことだけは確認してしまった。




