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【連載版】学校一の美少女は、金曜日だけ幼なじみに戻る  作者: ロン毛丸
第4章 春からは

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第38話 なんか新鮮だね

 玄関の鍵を開ける前から、家の中に人の気配があった。


 リビングの方からテレビの音が聞こえる。


 扉を開ける。


 玄関には、見慣れた靴が揃えて置かれていた。踵まで壁際へ寄せられ、俺の靴を置く場所も空いている。


 スマートフォンを確認すると、十五分前に琴音からメッセージが届いていた。


『先に帰ってる』


 帰る家が違う。


 リビングへ入ると、琴音がソファへ座っていた。


 白いセーターに黒のスカート。膝にはクッションを載せ、食卓には進路希望調査が置かれている。


「何で先にくつろいでるんだよ」


 琴音が顔を上げる。


「おかえり。わたしが言うのはなんか新鮮だね」


 口元が緩んでいた。


 初めて鍵を使った人間には見えない。


「琴音の家じゃないだろ」


「鍵を使っていいって言ったでしょ」


「連絡してからって言った」


「送ったよ」


「返事を待てとは言わなかったか?」


「先に帰っていいって、昨日言われてたから」


 琴音は得意そうに鞄を指した。内ポケットのファスナーには、紺色のキーホルダーが少しだけ見えている。


「ちゃんと鍵も閉めたよ」


「当たり前だ」


「ただいま」


「今言うのかよ」


「颯馬がいなかったから、まだ言ってなかった」


 誰もいない部屋で本当に待っていたらしい。


「おかえり」


 返すと、琴音の目元が柔らかくなった。


「うん」


 一言だけだったが、鍵を渡したときと同じ顔をしている。


「進路希望調査を書くんじゃなかったのか」


「颯馬が帰ってくるまで待ってた」


「テレビを見ながら?」


「音がないと静かだから」


 琴音はクッションの横を軽く叩いた。


「早く座って」


「俺の家だぞ」


「知ってるよ」


 俺より先に帰宅した人間に、座る場所を決められた。


 鞄を置き、琴音の隣へ腰を下ろす。


「鍵、使えた?」


「見れば分かるだろ」


「一回で開いた」


「家の鍵なんだから普通だ」


「開けたら、本当に入れた」


「鍵だからな」


 琴音は同じ説明を繰り返す俺を見て、声を立てずに笑った。


「何がおかしい」


「颯馬は、嬉しくない?」


「自分の家に入れたことが?」


「私が先に帰ってたこと」


「帰ってたって言うな」


 琴音の口角がさらに上がる。


「でも、おかえりって言ったでしょ」


「琴音が言わせたんだろ」


「言ってくれたのは颯馬だよ」


 機嫌がいい。


 進路希望調査の相談へ来た人間とは思えない。


「菓子は?」


「まだ食べてない」


「珍しいな」


「颯馬を待ってたから」


 琴音は食卓へ置いてあった菓子の袋を取り、こちらへ見せた。


「開けて」


「自分で開けろ」


「鍵は自分で開けたよ」


「関係ないだろ」


「一個くらい、颯馬が開けてもいいでしょ」


 鍵を開けた報酬として、菓子を開けさせられるらしい。


 袋を開けると、琴音が中を覗き込む。最初の一つを俺の方へ差し出した。


「いらない」


「颯馬が開けたから」


「開けたやつが先に食べる決まりはない」


「じゃあ、私が食べる」


 琴音はあっさり引っ込め、自分の口へ入れた。


 テレビでは天気予報が始まっている。週末には気温が下がり、雪の可能性もあるらしい。


「雪、降るかもしれないって」


「まだ可能性だろ」


「降ったら教えて」


「学校にいるんだから分かるだろ」


「私の教室から校庭は見えないよ」


「誰かが教える」


「颯馬が教えて」


 琴音が菓子を噛みながら、こちらを見る。


「覚えてたらな」


「忘れないで」


「進路希望調査は?」


「今出す」


 琴音はクッションを抱えたまま、食卓の用紙へ手を伸ばした。届かず、身体だけが前へ傾く。


「取りに行けよ」


「あと少し」


「届いてない」


「取って」


「自分で帰ってこられたんだから、それくらい自分でやれ」


「鍵を渡したら、急に厳しくなった」


 口を尖らせながらも、目は笑っている。


 用紙を渡すと、琴音はクッションの上へ広げた。


 第一希望は空欄。第二希望には、母親の家から通える大学。


 昨日と変わっていない。


「颯馬は、どうして家から通える大学にしたの?」


「一人暮らしをする理由がないから」


「おばさんのこともある?」


「まったく関係ないわけじゃない」


「一人で御飯を食べることが増えるから?」


「それもある」


 琴音はペンを持ったが、何も書こうとしなかった。


「颯馬が向こうの大学へ行くことはないの?」


「今のところは」


「お母さんの近くにも大学はあるよ」


「何で俺まで行くんだよ」


「颯馬が行きたいところもあるかもしれないから」


「調べる気はない」


「少しくらい考えてもいいでしょ」


「琴音は、俺にも向こうへ行ってほしいのか」


 琴音のペン先が止まった。


 さっきまで上がっていた口元が、ゆっくり元へ戻る。


「そこまでは言ってないよ」


「近くの大学を調べろって、そういうことだろ」


「颯馬が行きたいなら、離れなくて済むと思っただけ」


「何と」


 琴音は答えず、進路希望調査へ目を落とした。ペンを握る指先が、用紙の端を小さく押す。


「地元に残ればいいだろ」


「颯馬は、そうしてほしい?」


「俺が決めることじゃない」


 琴音の眉尻が下がった。


「その言い方、ずるい」


「何でだよ」


「何を選んでも、颯馬には関係ないって聞こえるから」


「関係ないとは言ってない」


「じゃあ、どこへ行ってほしい?」


「琴音が行きたいところ」


「そこが決まらないから聞いてるの」


 琴音は用紙を裏返した。


 強く置いたわけではないが、紙がクッションの上で滑った。


「条件だけなら、どっちでもいいの。向こうでもやりたい勉強はできるし、こっちにも同じような学部がある」


「なら、母親と暮らせる方を選べばいいんじゃないか」


「颯馬は、そう思う?」


「暮らしてみたいなら理由になるだろ」


「そうだね」


 返事と一緒に、琴音の視線が落ちた。


 正しいことを言ったはずなのに、さっきまでの機嫌のよさは消えている。


「父親と離れたくないのか」


「それもあるよ」


「三浦たちか」


「それも」


「他は?」


 琴音は裏返した用紙の角を指で折りかけ、途中でやめた。


「金曜日」


「何が」


「行きたくない理由」


 琴音は小さく息を吐き、顔を上げた。


 笑ってはいない。


「向こうへ行ったら、お父さんと離れる。ミサたちとも簡単には会えなくなる。金曜日も、高瀬家へ帰れなくなる」


 最後の一つだけ、声が少し弱くなった。


「大学へ行ってまで毎週来るつもりだったのか」


「来たら駄目?」


 琴音の表情が強張った。


「そうは言ってない」


「じゃあ、何でそんな聞き方するの」


「考えたことがなかったからだよ」


「私は考えた」


 返事は早かった。


「お母さんから連絡が来てから、何度も考えたよ。颯馬は考えなかった?」


「昨日聞いたばかりだぞ」


「昨日の夜から、今まで一回も?」


 一回も、ではない。


 朝の電話でも、進路希望調査を見たときも考えた。


「少しは考えた」


「何を?」


「朝の電話とか」


「卵焼き?」


「向こうへ行けば、母親に聞けるだろ」


「お母さんが料理できるか分からないよ」


「なら自分で作れるようになればいい」


「またそれ」


 琴音はクッションへ額をつけた。声が布地へ吸い込まれる。


「何だよ」


「颯馬は、すぐ一人でできるようにしようとする」


「できないよりいいだろ」


「できるようになったら、颯馬はいらなくなる?」


「何でそうなる」


 琴音は顔を上げた。


 眉尻は下がったままだが、こちらから目を逸らさない。


「卵焼きを一人で作れることと、俺がいることは別だろ」


「別?」


「作れるようになっても、聞きたければ電話すればいい」


「火加減が分かってても?」


「砂糖の量でも聞け」


 琴音の目が少しだけ見開かれた。


「颯馬からかける?」


「毎回はかけない」


「じゃあ、私から?」


「好きにしろ」


「出てくれる?」


「時間による」


「金曜日なら?」


「大学へ行ってまで毎週、料理の質問をするのかよ」


「夕飯を食べながらでもいいよ」


「画面越しに?」


「同じ物を作れば、一緒に食べられる」


 琴音の口元に、少しずつ笑みが戻る。


「毎週同じ献立にする気か」


「颯馬が教えてくれたら作れるよ」


「家にいるときと変わらないだろ」


「家には帰れないから違う」


 琴音は鍵の入った鞄へ視線を向けた。


「でも、何もなくなるよりはいい」


 遠くへ行くと決めたわけではない。


 それでも琴音は、行った後にも金曜日を残す方法を考えている。


「まだ決めなくていいだろ」


「進路を?」


「ああ。決める前にまた話せばいい」


「また来ていい?」


「相談があるなら」


「なくても?」


 琴音の目元が緩む。


「さっきみたいに、先に帰ってても?」


「連絡はしろ」


「返事がなくても?」


「先に帰っていいって言ってある日なら」


「分かった」


 琴音は嬉しそうに頷き、鞄の上から鍵を確かめた。


 進路希望調査を二つに折り、隣の内ポケットへしまう。


「今日は書かない」


「何のために来たんだよ」


「颯馬がどう思ってるか聞くため」


「結局、答えてないだろ」


「少し聞けたよ」


「何を」


「向こうへ行っても、電話していい」


「それは進路じゃない」


「私には関係あるから」


 琴音はソファへ深く座り直した。抱えていたクッションを横へ置き、今度は隠さずに笑う。


「颯馬」


「今度は何」


「お茶」


「自分で入れろ」


「まだ高瀬家の台所を、勝手に使っていいとは言われてないよ」


「冷蔵庫を開けるなって話だ」


「じゃあ、お茶はいい?」


「場所は知ってるだろ」


「二人分?」


「俺はいらない」


「なら、一人分にする」


 琴音は立ち上がり、台所へ向かった。数歩進んだところで振り返る。


「颯馬」


「まだあるのか」


「次の金曜日も、先に帰って待ってていい?」


「宿題が終わってるなら」


「終わらせる」


「なら好きにしろ」


「うん」


 琴音の口角が、また上がった。


 第一希望は決まっていない。


 それでも、鍵を使って帰る次の予定だけは、嬉しそうな顔で決めていた。


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