第34話 幼なじみとおみくじ
「大吉」
琴音は、おみくじの一番上だけをこちらへ向けた。
白い紙の中央に書かれた二文字は、離れていても読める。その下へ視線を落とそうとすると、琴音の親指が紙の右側を隠した。
「見せるんじゃないのか」
「大吉は見せたよ」
「下は?」
「颯馬も引いてから」
琴音は紙を半分に折り、自分のコートの前で持った。
俺も筒を振る。出てきた番号を係の人へ告げ、受け取った紙を開いた。
「何だった?」
「吉」
「見せて」
「自分は隠しただろ」
「大吉だから、先に見せたよ」
「上だけな」
母さんと琴音の父親は、少し離れた場所で互いのおみくじを見比べている。母さんは小吉、父親は末吉らしい。
俺は自分の紙へ目を戻した。
願望は、遅けれど叶う。学問は、油断せず励め。失せ物は、近くにあり。旅行は、急ぐべからず。
恋愛欄には短く書かれていた。
『近き縁を粗末にするな』
読み終える前に、琴音が横から覗き込んでくる。
反射的に紙を閉じた。
「今、隠した」
「見せるとは言ってない」
「私の真似?」
「条件は同じだろ」
「私は大吉だよ」
「大吉なら全部見せればいい」
「大吉でも、見せたくないところはあるの」
琴音は折った紙を胸元へ引き寄せる。
「恋愛?」
尋ねると、琴音の指が止まった。
好きな人がいる。
本人にはまだ伝えていない。
その話を聞いてから、金曜日以外にも会うようになった。文化祭では手をつなぎ、クリスマスには二人だけで贈り物を交換した。
琴音の好きな相手について、新しく知ったことは何もない。
聞こうとしたことはある。
聞かなくていい理由なら、そのたびに見つかった。
「よく分かったね」
「項目の並びで分かる」
「見たことあるんだ」
「去年も引いたからな」
「去年の恋愛、何て書いてあった?」
「覚えてない」
「末吉だったことは覚えてるのに?」
「全体の結果と細かい文は別だろ」
「今年のは覚える?」
「分からない」
既に一度読んだだけで内容は残っている。
近き縁。
その言葉を誰に当てはめるかまでは、書かれていなかった。
「琴音のは何て書いてあった」
「言わない」
「好きな人に関係あるから?」
口にしてから、聞き方を間違えたと思った。
琴音は親指を動かさない。
「そうだったら、どうする?」
「どうもしない」
「なら聞かなくていいでしょ」
琴音は俺の返事を待たず、おみくじを結ぶ場所へ向かった。
持ち帰るのかと思っていたため、少し遅れて後を追う。
「大吉は持って帰るんじゃないのか」
「決まりじゃないよ」
「せっかく引いたのに」
「ここに置いていく」
「見せたくないから?」
琴音は返事をせず、空いている場所を探した。
低い位置は既に紙で埋まっている。少し背伸びをして上の細い縄へ手を伸ばすが、あと少し届かない。
「貸せ」
「何を?」
「結ぶんだろ」
「自分でできる」
「届いてない」
「もう少しだから」
再び背伸びをする。白いコートの裾が上がり、靴の踵が地面から離れた。
俺は琴音の手からおみくじを取らず、縄の低い部分を少し引き下げた。
「これなら届くだろ」
「最初からそうして」
「自分でできるって言ったのは琴音だ」
琴音は紙を細く折り、縄へ結ぶ。一度では緩く、風に揺れてほどけそうになった。
「逆側を通せ」
「今やってる」
「そこじゃない」
近づいて指そうとすると、琴音の手が止まる。
俺も動きを止めた。
クリスマスのあとから、こういう距離に互いが気づくようになった。
以前なら、そのまま手を出していたかもしれない。今は指先が触れるより前に、どちらも一度考える。
琴音は自分で紙の端を通し、今度は固く結んだ。
「できた」
「ああ」
俺が縄から手を離す。
大吉の紙が風を受けても、結び目はほどけなかった。
「颯馬は?」
「持って帰る」
「何で?」
「結ぶ必要がないから」
「願いが叶ってほしくないの?」
「そういう決まりでもないだろ」
「私の隣、空いてるよ」
琴音が自分のおみくじの横を指した。
「大吉の隣に吉を結ぶのか」
「順番は関係ないよ」
「持って帰るって言っただろ」
「見せたくないところがあるから?」
さっきの問いを返された。
母さんたちは、まだ別の場所で話している。こちらを見てはいない。
紙をもう一度開く。
恋愛欄が目に入り、すぐに閉じた。
持ち帰れば、机の引き出しにでも入れることになる。その方が、後から何度も見る気がした。
「結ぶ」
「うん」
琴音が縄を押さえる。
俺は大吉の隣へ吉を結んだ。
二枚の紙は、同じ方向へ風に揺れる。
「これなら忘れないね」
「置いていったら見えないだろ」
「隣に何を結んだかは覚えてる」
琴音は自分の大吉を見上げた。
「颯馬も覚えてて」
「何を」
「私が大吉だったこと」
「それくらいは覚えてる」
「恋愛のところも?」
「見てない」
「見せてないからね」
琴音は満足したように縄から離れた。
母さんたちと合流すると、琴音の父親がおみくじの結果を尋ねた。
「琴音は大吉」
俺が答える。
「そうか。新年から縁起がいいな」
「颯馬は吉」
今度は琴音が答えた。
「二人とも悪くないね」
母さんが笑う。
「何て書いてあった?」
「普通」
「いろいろ」
俺と琴音の声が重なった。
母さんは少し首を傾けたが、紙を結んできたと知ると、それ以上は聞かなかった。
帰り道、四人で露店を見て回る。
母さんが甘酒を買い、琴音の父親は焼きそばの列へ並んだ。
琴音は団子の屋台を一度見たが、そのまま通り過ぎる。
「食べないのか」
「少し食べてきたから」
「さっき見てただろ」
「見ただけ」
俺は団子の屋台へ戻り、二本入りを買った。
「一人で二本食べるの?」
「多いから一本やる」
「一本ずつ売ってたよ」
「二本入りの方が先に出てきた」
琴音は追及せず、差し出した紙袋から一本取った。
父親と母さんのところへ戻る前に、二人で店の脇へ寄る。
琴音は最初の一口を食べ、表面のたれがマフラーへつかないよう、少しだけ顎を引いた。
「甘い」
「団子だからな」
「おみくじも大吉だったし」
「関係あるのか」
「今日はいい日かもしれない」
「まだ昼だぞ」
「悪い日になる予定があるの?」
「そういう意味じゃない」
琴音は二口目を食べる。
「颯馬は、吉で不満?」
「大吉と比べれば下だけど、悪くはないだろ」
「隣に結んだから大丈夫だよ」
「琴音の大吉が分けられるのか」
「少しくらいなら」
「根拠ないだろ」
「私が決めた」
琴音は最後の一口を食べ終え、串を紙袋へ戻した。
代金を財布へ戻すため、右手の手袋を外す。
「持つ」
琴音が空いた手を出した。
「団子は食べ終わっただろ」
「だから持てるよ」
「自分で持てる」
「財布をしまうんでしょ」
外した手袋を渡す。
琴音は手袋の甲に入った紺色の線を指で整え、自分のコートのポケットへ入れた。
「返してくれ」
「まだ財布を持ってる」
「もうしまった」
「串も捨てないと」
「それと手袋は関係ない」
「一緒に歩くから、あとで返す」
理由になっていない。
父親たちと合流しても、手袋は琴音のポケットに入ったままだった。
右手へ息を吹きかける。
「寒い?」
「冬だからな」
「手袋、片方しかないから?」
「誰が持ってるんだよ」
琴音はようやくポケットから取り出した。
返された手袋は、布地の内側まで少し温かくなっていた。
「私が選んだんだから、なくさないでね」
「さっきまで持ってたのは琴音だろ」
「ちゃんと返したよ」
手袋へ指を通す。
境内へ残した二枚のおみくじを思い出した。
琴音の大吉に何が書かれていたのかは分からない。
それでも、見せなかった紙を俺の吉の隣へ結んだことだけは、忘れない気がした。
◇
神社からの帰り道、母さんが足を止めた。
「少し休んでいい?」
境内を出たところには、木製の長椅子が並んでいる。夜勤明けで人混みの中を歩いたのだから、疲れて当然だった。
琴音の父親が空いている長椅子を見つけ、母さんと並んで腰を下ろす。
俺と琴音は少し離れた場所に立った。
琴音は串を捨てた紙袋を小さく畳み、コートのポケットへ入れる。
「颯馬」
「何」
「来年も、おみくじ引く?」
「初詣へ来たら引くだろ」
「四人で来られなくても?」
「母さんたちの予定次第じゃないのか」
「四人で来られないときの話」
琴音は少し先にある鳥居へ目を向けた。
参拝客が絶えず通り、白い息がいくつも重なっている。
「二人なら?」
一年先の予定を聞かれても、答えようがない。
来年の正月に誰がどこにいるのか。母さんの勤務だけでなく、学校や受験の予定も変わっているかもしれない。
今の俺たちは、次の金曜日の献立さえ直前まで決めない。
「受験の直前じゃなければ」
答えると、琴音がこちらを向いた。
「来るの?」
「予定が合えば」
「二人でも?」
「四人が無理ならな」
「分かった」
琴音はそれ以上条件を増やさなかった。
長椅子では、母さんが紙コップの甘酒を両手で包んでいる。琴音の父親が何かを話し、母さんが小さく笑った。
琴音はポケットの中で指を動かした。
「来年は、颯馬も大吉かもしれないね」
「今年は吉で十分だ」
「本当に?」
恋愛欄の言葉が頭に浮かぶ。
近き縁を粗末にするな。
「悪くはなかった」
「見せてくれなかったけどね」
「琴音もだろ」
「私は大吉だけ見せた」
「結果は俺も言った」
「結果だけならね」
琴音はそれ以上見せろとは言わなかった。
隠した項目の意味を聞けば、自分も答えなければならなくなるからかもしれない。
母さんが甘酒を飲み終え、立ち上がった。
「そろそろ帰ろうか。眠くなってきた」
「帰ったらすぐ寝ろよ」
「分かってる。颯馬は琴音ちゃんのお父さんと歩いて」
「何で決めるんだよ」
「琴音ちゃんと話したいから」
帰り道は、母さんと琴音が前を歩いた。琴音の父親と俺がその後ろへ並ぶ。
「琴音、楽しそうだな」
父親が前を見たまま言った。
「そうですか」
「最近は、予定をよく話すようになった」
「前は話さなかったんですか」
「必要なことは言ってたよ。ただ、誰とどこへ行きたいかまでは、あまり言わなかった」
父親はそれだけ話し、歩く速度を少し落とした。
前では、母さんが琴音へ病院の話をしている。琴音は時々振り返り、俺たちとの距離を確認した。
家の前に着くと、母さんは先に玄関へ入った。
琴音も父親と相沢家の方へ向かう。
「琴音」
呼ぶと、琴音だけが振り返った。
「何?」
「冬休みが終わる前、もう一度うちで食べるか」
琴音は返事をせず、こちらへ身体を向けた。
「いつ?」
「始業式の前の日」
「金曜日じゃないよ」
「知ってる」
「おばさんは?」
「日勤。帰りは遅い」
琴音は隣にいる父親を見た。
「夕飯なら、行ってくればいい」
父親はそれだけ言い、玄関の鍵を取り出す。
琴音がもう一度こちらを見る。
「六時に帰る」
「来る、だろ」
「同じでしょ」
「違う」
「じゃあ、六時に行く」
言い直したあと、琴音は少しだけ考えた。
「献立は?」
「まだ決めてない」
「決まったら教えて」
「琴音が決めるんじゃないのか」
「颯馬が誘ったから」
「誘った方が献立まで決めるのかよ」
「嫌なら、私が決めてもいいけど」
「嫌とは言ってない」
「またそれ」
琴音は小さく笑い、父親の隣へ戻った。
「待ってるから、連絡して」
「ああ」
「忘れないでね」
「忘れない」
今度こそ、琴音は隣の家へ帰っていく。
来年の初詣より先に、冬休み最後の予定が決まった。




