第33話 人混みでは袖を
神社へ近づくにつれ、同じ方向へ歩く人が増えた。
母さんと琴音の父親が前を歩き、俺と琴音がその後ろを進む。家を出たときは俺が母さんの隣にいたはずなのに、最初の交差点を曲がる頃にはこの並びになっていた。
「おばさん、大丈夫かな」
琴音が前方へ目を向ける。
「夜勤明けだからな」
「眠そう」
「本人が行くって言ったんだ。無理なら途中で帰るだろ」
「颯馬、おばさんにも容赦ないね」
「無理に気を遣う方が嫌がる」
前を歩く母さんが振り返った。
「聞こえてるからね」
「なら聞くなよ」
「琴音ちゃん、颯馬が冷たい」
「昔からです」
「お前までそっちにつくのか」
琴音は返事をせず、母さんの隣へ一度歩み寄った。
俺だけが父親の後ろへ残される。
神社近くの歩道には露店が並んでいた。甘酒の湯気、焼きそばのソース、砂糖を焦がしたような匂いが、冷たい空気の中で混ざっている。
「帰りに何か食べる?」
母さんが露店を見ながら尋ねる。
「お昼は?」
「まだ」
「空腹で来たのかよ」
「寝てたから仕方ないでしょ」
「先に食べればよかったのに」
「そうしたら一時に間に合わなかった」
母さんは琴音へ向き直る。
「琴音ちゃんは?」
「少し食べてきました」
「颯馬は?」
「朝が遅かったから、いらない」
「帰りに相談しようか」
父親が話をまとめる。
神社の入口には、歩道まで列が続いていた。警備員の案内に従い、最後尾へ並ぶ。
列の幅は広かったが、鳥居へ近づくにつれて細くなる。母さんと父親が前へ進み、間へ小さな子どもを連れた家族が入った。
琴音は俺の横にいる。
列が急に動いた。
目の前を子どもが横切り、琴音の足が止まる。俺は二歩進んでから振り返った。
琴音がこちらへ手を伸ばしている。
指先は俺の袖へ届く直前で止まった。
人の流れが再び動く。
琴音の指が、コートの袖を浅くつかんだ。
「離れそうだったから」
「分かってる」
「人、多いし」
「ああ」
俺は歩幅を小さくした。
袖をつかむ必要がなくなる程度まで距離が縮まる。それでも琴音の指は離れなかった。
文化祭では、こちらから手をつないだ。年末料理の台所では、指先が触れそうになるだけで互いに止まった。
今つかまれているのは手ではなく、厚いコートの袖だ。
それでも琴音が一度ためらったことは、見ていたから分かる。
「前、詰めるよ」
琴音が俺の袖を引いた。
「分かってる」
「止まってたから」
「琴音を待ってた」
口にしてから、別の言い方があった気がした。
琴音の指が少しだけ動く。
「そっか」
それだけ答え、袖をつかんだまま前へ進んだ。
石段の手前で人の流れが緩む。琴音が手を離したあと、押さえられていた部分だけ布が僅かにへこんでいた。
母さんたちへ追いつく。
「はぐれなかった?」
父親が尋ねる。
「大丈夫」
琴音が先に答えた。
「颯馬が待っててくれたから」
「二歩しか離れてない」
「二歩でも、離れたことには変わらないでしょ」
父親はそれ以上聞かず、列の前方へ視線を戻した。
拝殿へ近づくと、賽銭箱の前で列がいくつかに分かれた。
母さんと父親が右側へ進み、俺は中央の列へ入る。琴音も同じ方へ来た。
「そっちの方が空いてるぞ」
「後ろの人がいるから、動けない」
振り返ると、確かに人が続いている。
ただ、琴音が俺と違う列へ行こうとした様子はなかった。
順番が来て、賽銭を入れる。
鈴の音と拍手が周囲から何度も重なる。目を閉じ、今年も大きな問題が起きなければいいとだけ願った。
隣では琴音がまだ目を閉じている。
何を願っているのかは分からない。
先に終えた俺が横へ移動しても、琴音はしばらくその場に残っていた。
「長かったな」
琴音が目を開けてから言う。
「そう?」
「他の人より」
「比べてたの?」
「隣にいたから見えただけ」
「颯馬は何をお願いしたの?」
「言ったら叶わないだろ」
「それは誰が決めたの?」
「知らないけど、そういうものじゃないのか」
「じゃあ、聞かない」
琴音は自分の願いも言わなかった。
母さんたちと合流すると、父親が境内の端を指した。
「写真を撮らないか」
「四人で?」
「四人で来たんだから」
母さんがスマートフォンを取り出す。
通りかかった女の人が撮影を申し出てくれたため、拝殿を背に四人で並んだ。
母さんと父親が外側へ立ち、俺と琴音が中央へ入る。
相談した並びではない。
琴音のコートの袖が、俺の袖へ触れた。
女の人が画面を確認し、もう少し中央へ寄るよう手で示す。俺が半歩動くと、琴音との間が狭まった。
肩までは触れない。
先ほど琴音がつかんでいた袖だけが重なる。
「撮ります」
声に合わせ、全員がカメラを見る。
二枚撮ってもらった。
「ありがとうございます」
母さんが頭を下げる。
「ちゃんと写ってる」
母さんのスマートフォンを四人で覗き込む。一枚目は父親が少し目を細め、二枚目は母さんのマフラーが風で動いていた。
「どっちがいい?」
「二枚とも送ればいいだろ」
「颯馬は写真を選ばないね」
「写ってれば同じだ」
「同じじゃないよ」
琴音が二枚を見比べる。
「こっち」
二枚目を指した。
「母さんのマフラー、曲がってるぞ」
「でも、颯馬が少し笑ってる」
「笑ってない」
「一枚目よりは」
母さんが画面を拡大する。
「本当だ。珍しい」
「拡大するなよ」
「こうやって見ると家族みたいね」
母さんが何気なく言う。
「ほんとだね」
琴音はなんでもないことかのように笑ったが、耳が少し赤かった。それが寒さのせいかは俺にはわからない。
社務所の近くには、お守りと破魔矢が並んでいる。母さんは健康守りを一つ手に取り、父親は交通安全の札を見ていた。
「琴音は買わないのか」
「おみくじを見てから」
「結果で決めるの?」
「悪かったら、お守りも買う」
「大吉だったら?」
「そのとき考える」
琴音はまだ引いてもいない結果を、一番いいものから口にした。
母さんが会計を終え、健康守りを俺へ差し出す。
「これ、颯馬の分」
「母さんのじゃないのか」
「私は病院で十分健康を意識してるから」
「病院へいるから健康になるわけじゃないだろ」
「夜勤明けの人に細かいことを言わないで」
琴音が横からお守りを見る。
「鞄につける?」
「家に置く」
「持ち歩かないと意味なくない?」
「机でもいいだろ」
「落としたくない?」
「そういうわけじゃない」
母さんは口を挟まず、同じ色のお守りをもう一つ買った。
「琴音ちゃんにも」
「私にも?」
「起こしてくれたお礼」
「そんなに大きなお礼はいらないです」
「じゃあ、初詣に付き合ってくれた分も入れて」
琴音は両手で受け取った。
「ありがとうございます」
俺と琴音の手には、同じ色のお守りが一つずつ残る。
琴音は自分の鞄へすぐにつけた。
「颯馬もつければ?」
「帰ってから考える」
「なくさないでね」
「琴音からもらった物じゃないだろ」
「同じ物を持ってるから」
琴音は自分の鞄を少し持ち上げた。
揺れたお守りを見てから、俺もコートの内ポケットへしまう。
四人でおみくじの列へ並んだ。
母さんと父親は先に番号を受け取り、少し離れた場所で紙を開く。
琴音は筒を振り、出てきた棒の番号を確かめた。
受け取った紙を開いた瞬間、目が僅かに見開かれる。
「何だった?」
琴音は紙をこちらへ向けた。
一番上に、太い二文字がある。
「大吉」
人混みで離れかけても、写真へ並んでも、新年最初の運まで、琴音は俺の隣にいた。




