第14話 打ち上げ①
放課後になって十分ほどが過ぎていた。
文化祭の飾りが外された教室は、昨日までより少し広く見える。
窓際の席では、佐々木が数学の提出物と向き合っていた。俺は帰り支度を終えているが、一人だけ残して帰るのも落ち着かず、教科書を読みながら待っていた。
「高瀬、問四分かる?」
「教科書を見ろ」
「見ても分からないから聞いてる」
「授業を聞けよ」
佐々木のプリントを引き寄せ、途中の式を一行だけ書く。
「ここから自分でやれ」
「最後まで頼む」
「提出物に俺の字を残すな」
「親友なら筆跡くらい似るだろ」
「似ないし、親友でもない」
「まだ認めてないのか」
廊下から聞こえてきた足音が、教室の前で止まった。
「颯馬、まだいた」
入口に琴音が立っていた。
手には、文化祭で使った校内案内冊子を持っている。その後ろには、昼休みに一緒にいた三浦と小宮山もいた。
「何だ、それ」
「視聴覚室に残ってたって。颯馬の名前が書いてあったから」
琴音が冊子を俺の机へ置く。
表紙の裏には、文化祭終了四十五分前に昇降口、と書かれた付箋が残っていた。
「まだ回収されてなかったのか」
「付箋もそのままだよ」
「もう使わないけどな」
「記念に取っておけば?」
「案内冊子を?」
「私と一緒に回る約束が書いてあるから」
「時間と場所だけだろ」
「同じことでしょ」
琴音は当然のように言った。
捨てる理由もないため、冊子を鞄へ入れる。
「それで、三人そろって何の用だ?」
「文化祭の写真」
小宮山が薄いファイルを持ち上げた。
「整理は明日からだけど、皆で見たいって話になって」
「全部で四百枚くらいあるらしいよ」
三浦が付け足す。
「多すぎるだろ」
「写真部全員の分だから。見せられるものは選ぶ」
「変な写真は外してくれ」
「高瀬君が決めることじゃない」
「俺が写ってても?」
「記録だから」
文化祭中も似たやり取りをした気がする。
三浦が教室を見回し、佐々木へ視線を止めた。
「そういえば、佐々木君も写真に写ってたよね」
「格好よく?」
「案内図を運んでるところ」
「それなら格好いいだろ」
「普通に運んでた」
小宮山の答えに、佐々木が少しだけ肩を落とした。
「写真を見るなら、どこかに集まる?」
三浦の一言から話は早かった。
学校では写真部のタブレットを長時間使えない。ファミレスは五人で画面を見るには狭い。小宮山と佐々木の家は家族の都合が悪く、三浦の家も弟がいるらしい。
最後に、その場にいた全員の視線が俺へ集まった。
「何で俺を見るんだよ」
「消去法」
三浦が答える。
「最後まで残った家に決めるな」
「颯馬の家なら、私も場所が分かるよ」
琴音が言う。
「琴音が分かってどうする」
「皆を案内できる」
「もう来る側になってるじゃん」
「駄目?」
「まだ何も聞いてない」
「じゃあ、おばさんに聞いて」
スマートフォンを取り出し、母さんへ連絡する。
次の金曜日、文化祭の打ち上げで友達を四人呼んでいいか。
送信して間もなく、返事が届いた。
『琴音ちゃんも入れて四人?』
隣から画面を覗いた琴音が、小さく笑う。
「やっぱり」
「何が面白いんだ」
「颯馬とおばさん、同じように数えるから」
『入れて四人。全部で五人』
送り直すと、今度の返事も早かった。
『八時までなら大丈夫。終わったら皆で片づけること』
「許可が出た」
「じゃあ決まりだね」
琴音が俺より先に答えた。
三浦は菓子と紙皿、小宮山は写真、佐々木は飲み物、琴音はピザを担当するらしい。
「俺は?」
「場所」
琴音の返事は早かった。
「物じゃないだろ」
「高瀬家を用意できるのは颯馬だけだよ」
「少なくとも掃除は俺がするんだけどな」
「手伝うよ」
「琴音は客だろ」
「私も?」
琴音が聞き返す。
深い意味はないはずなのに、三浦と小宮山がこちらを見た。
「五人で打ち上げをするなら、全員同じだろ」
「そうだね」
琴音はそう答えたが、納得したようには見えなかった。
◇
金曜日の玄関で、琴音は言葉を間違えた。
「ただい……お邪魔します」
後ろにいた三浦が、靴を脱ぎかけた姿勢で顔を上げる。
「今、ただいまって言おうとした?」
「言ってないよ」
「途中まで聞こえたけど」
「お邪魔しますって言ったの」
琴音は何事もなかったようにローファーを揃えた。
その隣へ、小宮山の靴も静かに並べられる。佐々木だけは靴を端へ寄せすぎ、壁へぶつけた。
「高瀬の家、思ってたより普通だな」
「何を期待してたんだ」
「もっと料理道具が並んでるのかと」
「全部台所に出しておくわけないだろ」
三浦が靴を揃えながら、佐々木を見る。
「そういえば、佐々木君の下の名前って何?」
「今さら?」
「改めて紹介されてないから」
佐々木が俺へ視線を向ける。
「高瀬、親友を紹介してくれ」
「自分で言えよ」
「親友の口から言われたい」
「佐々木悠真。以上」
「雑じゃないか?」
「名前は合ってるだろ」
三浦が小さく笑った。
「悠真君ね」
「急に名前で呼ばれると照れるな」
「じゃあ佐々木君に戻す」
「早くない?」
佐々木を置いて、三人が手を洗いに向かう。
琴音は場所を尋ねなかった。
「ミサ、しおりん。タオルは右側のを使って」
「分かった」
三浦は返事をしてから足を止めた。
「琴音、家主みたい」
「左は颯馬が顔を拭くから」
「そこまで説明するなよ」
「間違えたら嫌でしょ」
「同じように洗ってある」
「でも、いつも分けてるよ」
佐々木が俺の横で、洗面所へ向かう琴音の背中を見た。
「本当に詳しいな」
「昔から来てるからな」
「俺より先に親友だったということか」
「親友とは違うだろ」
何が違うのかと聞かれる前に、ピザの箱を食卓へ運んだ。
食卓は四人掛けなので、端へ椅子を一つ足す。
琴音のいつもの席は、俺の正面だ。
そこへ小宮山が鞄を置こうとしたところで、琴音が声をかけた。
「あ、しおりん。そこは」
「何?」
「エアコンの風が当たりやすいから、寒いかも」
「琴音はいつもそこじゃないの?」
三浦が尋ねる。
「私は慣れてるから」
「それなら琴音が座ればいい」
小宮山は隣の椅子へ鞄を移した。
琴音は少し迷ったあと、いつもの席へ座る。
別に名前が書かれているわけではない。
それでも、琴音がそこへ座ると、ようやく食卓が普段の形へ戻ったように見えた。
ピザを食べ始めてから、台所の鍋を思い出した。
母さんが仕事へ出る前に作っておいたスープだ。
「温かいものもあるぞ」
「先に言ってよ」
琴音がすぐに立ち上がる。
「ピザを食べ始めたのは琴音だろ」
「佐々木君が最初に取ったから」
「人のせいにするなよ」
鍋を温め、来客用の器を三つ出す。
三浦が台所を覗き、器を数えた。
「三つ?」
「佐々木と三浦と小宮山」
「琴音の分は?」
食器棚の手前から、青い花柄の茶碗を取り出す。
「琴音はこれ」
三浦の視線が、茶碗と琴音の間を往復した。
「本当に専用なんだ」
「毎週使うからな」
「颯馬が出すんだね」
琴音が手を伸ばしたので、茶碗を渡す。
「近い場所にあるだけだ」
「私が出そうと思ったのに」
「鍋を見てろ。吹きこぼれるぞ」
琴音は青い茶碗を受け取り、普段どおり自分の席へ置いた。
大げさに見せることも、説明することもない。
「俺も青い茶碗がいい」
佐々木が言う。
「それは一つしかない」
「一つしかないのか?」
「琴音のだからな」
食卓が一瞬だけ静かになった。
三浦が紙コップへ口をつけ、小宮山が琴音の茶碗を見る。
佐々木だけは、面白そうに口元を緩めていた。
「何だよ」
「いや。本当に普通に言うんだなと思って」
「事実だろ」
「颯馬、私も少し驚いた」
「何で琴音まで驚くんだ」
「皆の前でも、私のって言うんだなって」
「琴音のものを琴音のものと言っただけだろ」
「うん」
琴音は茶碗へ口をつけた。
隠れた口元が、少しだけ緩んでいた。
食べ終わったあとは、小宮山が持ってきた写真を見た。
受付で働く生徒、装飾された廊下、中庭の演奏。文化祭で一日中歩き回ったはずなのに、写真の中には知らない場所の方が多かった。
渡り廊下の写真が表示される。
閉会演奏を見る琴音と、その隣にいる俺。
写真の中の俺は演奏ではなく、琴音の横顔を見ていた。
「高瀬、相沢さんを見すぎじゃないか?」
佐々木が画面を指す。
「小宮山の合図が、琴音に向けたものだと思ったんだよ」
「それで琴音を確認した?」
三浦が尋ねる。
「そうだ」
「撮ったとき、高瀬君は一度もカメラを見なかった」
小宮山が事実だけを付け加える。
琴音が写真を拡大した。
「颯馬はいつもこんな感じだよ」
「どんな感じだよ」
「私を見てる感じ」
三浦が持ち上げかけた紙コップを置いた。
「琴音、それを本人の前で言うんだ」
「写真に写ってるから」
「そういう問題かな」
琴音は平然と答えたが、紙コップを取ろうとした右手が途中で止まった。
少し迷ったあと、左手で取る。
その小さな動きを指摘する者はいなかった。
◇
ひととおり写真を見たあと、棚から古いトランプを出した。
「大富豪にしよう」
三浦がカードを配りながら言う。
「八切りと革命はあり。細かいローカルルールはなしね」
「スペード三返しは?」
佐々木が尋ねる。
「何それ」
琴音が首を傾げた。
「ジョーカーにスペードの三を出せる」
「今作ったんじゃない?」
「有名だって」
「颯馬、知ってる?」
「知らない」
「親友も知らないじゃん」
「同じ家で遊んでたわけじゃないからな」
最初の一戦は小宮山が勝った。
二戦目、琴音は最後まで三を二枚残していた。
「それ、最初に出すカードだろ」
「大きい数字だと思ってたの」
「数字が大きいだけだ」
「颯馬、教えてくれなかった」
「始める前に説明した」
「子どものころは、隣で教えてくれたよ」
「何年前の話だ」
「今も教えて」
「残ったカードを見せるなよ」
琴音は自分のカードを胸元へ戻した。
「もう遅い」
「次は自分で考えろ」
「次があるんだ」
「今の一戦が終わったらな」
琴音は負けたにもかかわらず、少しだけ満足したようだった。
三戦目。
中盤まで大きな動きはなかった。
佐々木が四枚のカードを伏せたまま揃え、机の中央へ出す。
「革命」
八が四枚並んだ。
「本当に起きた」
琴音が自分の手札を見る。
「さっきの三、残ってれば一番強かったのに」
「だからって毎回残すなよ」
「颯馬が出せって言ったから出した」
「前の勝負だろ」
「責任取って」
「どうやって」
「次から私の隣に座って教える」
「俺のカードと琴音のカードを同時に見るのか?」
「子どものころはできたよ」
「それは二人で遊んでたからだ」
「今日は駄目?」
三浦がカードの向こうから、俺たちを見る。
「二人とも、それを続けるなら同じ組にする?」
「大富豪に組はないだろ」
「琴音が高瀬君の助言を前提にしてるから」
「助言じゃないよ」
琴音がすぐに否定する。
「颯馬が細かく言ってくるだけ」
「聞いてくるから答えてるんだろ」
「じゃあ、聞いたら教えてくれる?」
「勝負にならない」
「聞かなければ、颯馬から言うよ」
「言わない」
琴音は手札へ視線を戻した。
「三、出した方がいい?」
「聞くなよ」
「言ってくれないなら残す」
「好きにしろ」
結局、琴音は三を二枚とも残した。
佐々木の革命によって、それが最後に一番強い組み合わせになる。
「三が二枚」
琴音が得意そうにカードを置いた。
「上がり」
「たまたまだろ」
「予想してたの」
「革命が起きる前からルールを間違えてただろ」
「結果が合ってればいいでしょ」
「颯馬、負け惜しみはよくないよ」
「俺は二位だ」
「私より下」
琴音がこちらを見る。
子どものころ、トランプで勝ったときと同じ顔だった。
「昔と同じだね」
「前は負けてやった」
「初めて聞いた」
「子ども相手だったからな」
「颯馬も子どもだったよ」
「今度は手を抜かない」
「次もする?」
「琴音がルールを覚えてたらな」
「今日勝ったから覚えたよ」
「革命が起きなかったら負けてただろ」
「次も佐々木君が起こしてくれるかもしれない」
「俺任せなのか?」
佐々木は山札を集めながら笑った。
「次も革命を起こしてやるよ」
「勝手に予告するな」
食卓の上で、カードを切る音が続く。
打ち上げは五人でする。
それでも琴音は、勝つたびに俺の顔を見た。
ほかにも三人いることを、忘れているように。




