2-29.信頼と愛情
「リカ!!!何をしている!!!来い!!!」
「旦那様……?!」
寄って来たリカ。
「エミリアが攫われた」
「?!?!」
「そこの路地だ」
端的に説明する。周辺を警戒させていた人間達はすぐに出動させた。
2人で走りながら話す。
「この辺りでならず者の隠れ家になりそうな場所はどこだ」
「えっ……」
リカも混乱しているようだった。
「落ち着いて考えてくれ。分からないか?」
思わず責めるような口調になってしまったと思う。だが彼女はエミリアの従者だ。目を離すなどあり得ない。
「あちらの貧民街でしょうか」
「案内してくれ」
「旦那様は危ないです」
「君だけで行っても意味がない」
この煩い心臓の音は走っているからだけではない。
(落ち着け、混乱するな。殺される可能性は限りなく低い。身代金目的の誘拐だろうから、私がいた方が話が早い)
スローモーションのように路地に吸い込まれた彼女。
目の前から消えた瞬間、息が止まった。
(あぁ!もうこれだから街へ行かせるのは嫌だったんだ!!王都の街は治安が良いと言っても、貴族に恨みを持つものはいる!)
「貧民街の方で奥様らしき人が連れ込まれるのが見えました」
潜り込ませた従者達に言われて私はそちらに走る。
***
埃を払いながら、今も使われているか分からないバラック小屋へ足を踏み入れる。
過去の記憶の中から最もまずかった状況をあえて掘り起こした。
最優先すべきは人質にされた公爵家の妻の奪還。
相手は庶民。人質を取られている中では、かなりイージーな状況だ。
「こんにちは。お互い大変な状況ですね」
「人質を取られているお前が大変な状況の間違いだろ。金を寄越せ」
街を歩くときに隠していたヴォルトブルグの紋章のブローチを胸に着ける。
「やっぱりこの娘貴族だったか……」
「ただの貴族じゃないんだ。公爵家の妻なんだよ」
それを聞いて顔が真っ青になる誘拐犯の3人。公爵家の妻が街を歩いているなど思うまい。
「君達は運悪く大変な存在を敵に回してしまった。逃げるのは難しいし、捕まったら死罪は免れない。でも、私はあまり人を殺したくない。逃走経路は用意したから、妻を置いて逃げてくれないかな」
優しく諭すように言う。
私は慈悲深い当主なのだ。
「どうせそこにも刺客が……!」
エミリアが腕を掴まれて首元にナイフを向けられているのを見てしまい、私は目を逸らした。
あんなもの見て冷静でいられない。
「そう思うのも無理はない。けれど、君達が生き残るのはそれしかないんだよ」
「じゃぁ、ついでに金も寄越せ」
男の下卑た笑みを見た瞬間、私は方針転換をした。
「これは交渉じゃない、どちらか選べと言っている」
先ほどまで優しかった私の様子が豹変して動揺する男達。
「妻を渡して裏口から逃げるか、ただ殺されるか。早く選べ。5秒で決めろ」
5秒経つ。
何も反応がないかったので、私は予定通り懐から護身用の銃を出して迷わず撃った。
木造の粗末な家だ。爆音がして壁に穴が開く。
私は二、三歩近づく。
「次は3秒だ」
撃たれかけた一人ともう一人が裏口から逃げた。
エミリアを捕らえている男に慎重に狙いを定める。
彼女の恐怖に怯える顔を見て手が震えた。
引き金を引く瞬間、男がエミリアを捨て置いて裏口に走った。
気づくと、拳銃をしまって走っていた。
振り返り反撃されそうになるのを避ける。
腹の急所に的確に打ち込む。
倒れた男の胸ぐらを掴む。
「……誰に頼まれた」
「だ、誰にも頼まれていない!!!金を脅して取れるかと……!」
「素直に言ってくれたら慈悲をあげるから、言ってごらん?」
「嘘じゃない!!!」
私は男を放った。
従者達が羽交締めにする。「あとは任せる」と言った。
背後のエミリアを見る。恐怖の表情でこちらを見ていた。
リカが介抱しているのを確認して、目を逸らした。
「旦那様、頬が汚れています」
「他二人は」
「すでに捕らえております」
「ちゃんと吐かせておいて。……君達の責任追求は後だ」
***
私はやることがあると言って、エミリアとリカを先に帰した。
当主として見せられない顔をしているだろう。一人で部屋に戻った。
人に当てないで済んだが、恐ろしいところを彼女に見せてしまった。
私は仕事柄色々なところに行っている。治安の悪いところにも行くし、狙われやすいので自分の身を守れるようにしている。
危ない交渉をする事もある。
だから、稀にこういう事をしなければならない。
(私自ら男を捕まえる必要はなかった。自ら尋問しないと気が済まなかった。憎しみで冷静さを欠いた……)
「怖がられて、嫌われてしまったかな」
自重気味に笑う。
私が今一番恐れているのはそれだった。
彼女には穏やかに過ごして欲しかった。ずっとあの温室のような屋敷で、花の絵を書いて、それをたまに見せてくれたら何でも頑張れる気がした。
彼女の優しい眼差しが恐怖に変わった。
「……クソ」
涙を流したのは、母が死んだとき以来かもしれない。
仕事ではもちろん、3年前に元妻と言い争いをした時も、私はどこか冷静だった。
妻が出て行った翌日に公務に行けたとき、私は自らに驚き、どこかネジが外れてしまった気さえしていた。
長年信頼していた人間がいなくなっても、次の日から冷静に仕事ができてしまうのかと。
裏切られたことに落胆し悲しみを感じていたが、自暴自棄になる事はなく、仕事に没頭して忘れることができる程度なのかと。
辛かったのは、妻を新たに設けないといけないことだったかもしれない。
19歳の女の子が来ると聞いて、エミリアが来る前日に父と大喧嘩をした。そして父を追放した。
誰にも期待しなくなって、信じる必要もなくなって、仕事も楽になった。
だから、エミリアとも距離を置きたかったのに。
彼女が来てから私は変わってしまった。暖かさに触れてしまって、もう戻れなかった。
女性となんて一番仲良くなりたくなかったのに、どんどん大切な存在になってしまって。
そうして、好きになってしまって——
ノックの音が聞こえた。
「フリードリヒ様、大丈夫ですか?」
(……エミリア)
「私、お礼を言いたくて……」
彼女の無事な姿を見て安心したかった。けれど、ドアを開ける勇気がなかった。
「お礼なんていいよ。無事で良かった。怪我はない?」
彼女の元気な声が聞きたくて、ドアのそばに寄る。
「はい!大丈夫です!フリードリヒ様こそお怪我をしているのでは……」
「大丈夫。気にしなくて良いよ」
快活な彼女の声。どんな表情をしているか何となく分かってしまう。
けれどそれが私を見た瞬間変わってしまったら——
「あの、お顔を見せてもらえませんか?」
木製のドアに手の平を当てると、彼女の声で振動した気がした。
「フリードリヒ様が元気か知りたくて……」
ドアが軋む音がする。彼女がここにいる。この木の板を一枚隔てたところに。
「ダメでしょうか……」
「私も君の顔が見たいよ」
「えっ!」
「でも、顔を合わせる勇気がないんだ」
「なぜですか……?」
馬鹿みたいだ。全部言葉がこぼれ落ちて。
「君に嫌われたくない……」
こんなにも私は今怖い。
「どんなフリードリヒ様も大好きです!!!」
ハッとした。
「10年も想っていたのです!この一年以上たくさんのあなたを見て、もっと好きになりました!!だから大丈夫です!!ここを開けて下さい!!!」
「ここを開ければ、私が元気で、フリードリヒ様を大好きだとわかる——」
気づくと、彼女を強く抱きしめていた。
「ごめん、怖い思いをさせて!私を嫌いになった?あんな私を見て、嫌いになった?」
「なるわけないです!なるわけないじゃないですか!もっと好きになりました、フリードリヒ様!!!」
彼女が身体を離す。エミリアの目は私の事が好きだと言っていた。
「足りなかったらたくさん言いますから」
「うん、ごめん。私もエミリアが好きだ。すごく好きになってしまったんだ」
「私も大好きです!!!」
君を信じて良かった。
「君が妻で、私は幸せだよ」
次回 公爵夫人達を招いてサロンを開催します。
第二章も31話で完結なので、残り2話です。




