2-25.夫婦の時間
翌朝、私が起きるとフリードリヒ様は既に起きて本を読んでいた。
「ん、おはようエミリア」
「ずいぶん早起きですね」
着替えも済んでいる。
「ここ最近よく寝れているからね。仕事もないし疲れが溜まっていないからかな」
読もうと思って持ってきた本は全て読み終えてしまったよ、と笑っていた。
私が動きやすいドレスに着替えて出てくると、彼が考え事でもするかの仕草で私を見て呟いた。
「せっかくルカトまで来たから、可愛いドレスを買うのもありじゃないか?」
「えっ」
独り言だったようで「あ、いや……」とフリードリヒ様は言った。
「中心街は修道服の人間がほとんどだけど、検問のあったあたりは畑だったよね。あの辺の人達は農民で動きやすい服を着ているんだ。エミリアが農民の伝統衣装を着るのが嫌でなければ、だけど」
「どんな服装なのでしょうか?」
フリードリヒ様は持って来た本の一冊を見せてくれた。
「まぁ!可愛らしい!」
「以前ここに来た時見て、可愛らしいなと思ったんだ」
白い7部袖のチュニックに赤いジャンパースカート。腰のあたりに白いエプロンを巻いて、白い頭巾を被っていた。
チュニックの袖やスカートの裾に花のような幾何学模様の刺繍がしてある。
「是非着てみたいです!」
そうして私達は束の間の自由時間を楽しむことにした。
ルカトの郊外にある服屋へ行き、既製品のドレスを店員さんに着せてもらった。
「あなた、髪が随分伸びているわ。邪魔じゃない?」
ホーエンローエに来る前に髪を手入れしたのが最後だ。髪が傷んでいるのを気にしていた私は恥ずかしくなった。
「髪を結ってあげる」
ゆるく三つ編みに結われ頭巾を被せられてフリードリヒ様の前に立たされた。
着たことのない服と髪型だ。似合っているか自信がなくて、恐る恐る彼の前に立つ。
「どうで……「可愛い」」
食い気味で言われた。
「ありがとうございます。この辺りの民族衣装はとても素敵ですね」
「素敵なのは民族衣装じゃなくて、奥さんでしょ」
嬉しそうにお金を払っているフリードリヒ様。
「この民族衣装の素晴らしさが、妻の可愛らしさを引き立てていると思います」
(外交をするときのように穏やかな顔と口調で話しているけれど、言っていることはすごく惚気というか……)
気持ちが通じ合ってから知ったフリードリヒ様の新たな一面。褒め言葉が素直に出てくる。
しかし、レオポルド様のように女性なら誰にでも言っているわけではなく
(私にだけ……)
「奥さん顔真っ赤だよ」
彼は私の腰に手を回し、店を出た。
***
畑の側を歩き、村の教会を覗く。田舎道を私達はのんびりと歩いた。
畑のそばを歩いているとき段差があった。その時フリードリヒ様は私に手を差し出した。
男の人にしては白くて綺麗な手。手を握るのは初めて会った時以来かもしれない。あれは明確に握手だったが、今のこれは全然意味が違う。
彼は柔和な笑みに私は安心した。
そっと手を取った。
身体が傾いて、彼の胸に身体を預ける。優しく包むように抱き止められる。
「あ、ありがとうございます……」
「うん」
フリードリヒ様は手を握ったまま歩き出す。
「あ、あの、このままで良いのですか……?」
「ダメだった?」
「いえいえいえいえ滅相もございません!とっても嬉しいです!」
「良かった。私も嬉しいよ」
(ひゃーーーーー!!!)
素直なフリードリヒ様、破壊力凄すぎ!!!
***
市街地に戻るため橋を渡る。結構長いが、意外と歩けるらしい。
「全然人がいませんね。行きは混んでいたのに」
「今日は特別な礼拝がある日だから、正午には教会か家にいる人が多いんだろうね」
遠近感が狂いそうなほど大きすぎる教会群。
後ろを振り返っても、前を向いても、誰もいない。
聞こえるのは風が吹き荒ぶ音だけ。
橋の下は潮が完全に引いて地面が見えた。水底に生えていた草を羊が食む。
(この世界にたった2人きりみたい)
フリードリヒ様は旅人のような軽装。
私も農民の服。
(貴族でなくなったとしても、世界でたった2人になってしまっても、私達は幸せなのかもしれない)
風の音しか聞こえないこの寂しい場所でも私の心は暖かくて、手の温もりはこの人に着いてきたいと言っている。
指が絡まる。もう離れられない。
見上げた彼と目が合う。
少し驚いた顔をした彼が、照れたようにくしゃりと笑う。
彼の顔がゆっくりと近づいた。
私はそれを当たり前のように迎え入れた。
***
その後、市街地の麓で作られている名物のオムレツや商店でクッキーなどを買い、街の散策を楽しんだ。
2人きりで歩けるのはホテルや旅行者への土産物のある麓だけなので、数時間もあれば十分だった。
帰ってすぐ、私はあまりの幸福な時間にぼんやりとしてしまった。
現実感がない。
私は夫と、恋人と、推しと、ハネムーンを……こんな幸運なことがあって良いの……?一生分の運を使い果たしたのではない?
この記憶は一生残るだろう。
(絵に描いて残しておこう)
「それは私?」
「は、はい」
「以前は人物画は描いてなかったよね。人物を描くのも上手だったんだね」
「最近練習を始めたんです」
(フリードリヒ様を格好良く描きたくて人物画も練習しました)
「完成したらまた見せてね。何枚か描いて私にもくれると嬉しいな」
「フリードリヒ様のためなら何枚でも描きます!」
そして一番良いものを差し上げます!
***
翌日の夜
私はお姉様とアナスタシア様のところへ会いに行った。
前回考えた、とあるアイデアを持って。
「アナスタシア様、お話ししたいことがございます」
口を三日月のようにして、笑っているとは思えない無感情な目でこちらを見るアナスタシア様。
「いえ、お話というよりは仕事のお願いです。宗教司祭ゴリツィン公爵夫人」
私は一枚の紙をアナスタシア様の前に出す。
「宗教担当の要職に付くあなたに、新たな宗教を認めてもらいたいのです」
「どういう事ですか?」
「我家、ヴォルトブルグを一つの宗教として登録をお願いします」
彼女は私が渡した紙に目を通した。
ヴォルトブルグ教
教祖 フリードリヒ・ヴォルトブルグ
「登録のために、我教祖とお会いして下さい」
次回 アナスタシアVSエミリア、フリードリヒ
エミリアの作戦は上手くいくのか……




