2-18.私の価値①
「……ヴィルヘルミーネ様、待って下さい」
「何?」
私は衝撃でなかなか椅子から立ち上がれなかった。力が抜けてしまい、思考が停止している。
しかし、私にはまだやる事がある。
「……今妹さんが王都にある宮廷学校へ通っていますよね」
ヴィルヘルミーネ様が振り返る。
「それがどうしたの?」
「妹さんはお元気にやっていますか?」
「……」
ヴィルヘルミーネ様の顔は無表情だった。
「まさか脅しているのかい?私を」
「えぇ。今宮廷学校に我が家の刺客がおります」
「ヴォルトブルグ公にそう言えと言われたのかな?君自身が人質になった場合、代わりに妹を人質に取っているぞと」
「……はい」
「私は宮廷学校の出身じゃないが、こうして妹が狙われることがあると思ってあそこには色々と詳しいんだよ。
あそこは王立の学校で公平な学舎だ。公爵家といえど特別待遇はない。
入れる人間は在校生とその保護者と卒業生だけで、名簿に名前のある人間しか入れない。
必然的にあそこに入れるのは貴族のみなわけだが、妹を殺す気概のある貴族がいるのかな?このホーエンローエを敵にする覚悟のある」
いないだろう。貴族とはいえ公爵家のような大貴族を殺したとなれば、爵位の剥奪では済まされない。首謀者の一家は殺される。
「ヴォルトブルグ家のために滅亡してくれる貴族がいるのかい?バーデン大公がそこまで身内の貴族に強引な手を使うとは思えないが」
肩にポンと手を置かれた。
「エミリア嬢、甘いね。嘘が下手すぎるよ」
耳元にテノールが響いた。
「大丈夫だ!ヴォルトブルグ公爵は大抵の条件は飲んでくれる。大事にされているようだから、君は死なない!数週間この家に留まるだけだ。引き続き客としてもてなすよ」
「待って下さい。まだ話は……話は終わっていません!」
顔を上げる。脅すなんて私には向いていないの。けれど、ここでやり切らなければ……!
離れていく彼女の手を掴み、心の中でとある人に謝った。
「ホーエンローエ家にマリーという名前の人間がいたのはご存知ですか?」
「マリー……?」
突拍子もない話をし出した私に、ヴィルヘルミーネ様は虚をつかれたような顔をする。
「ヴィルヘルミーネ様が知らないのも無理はないかもしれません。誰も教えないでしょうし、恐らくヴィルヘルミーネ様が嫁いだ時に家系図は作り直されていると思います」
家系図の件はリカの推理だった。3年前にヴィルヘルミーネ様が嫁いだ時に新調したのではないかと。
家系図を新しくするのには理由があります、とリカは言った。
例えば、都合の悪い人間を隠蔽するためとか。
「マリーといえば、君のところのメイド長がマリーだったな。確か、マリー・ミュラー……待て、君の言いたい事は……」
あまりマリー様の事を私は語りたくなかった。だからこれは切り札だったのだ。妹さんの話をした時点で引き下がってくれれば、私はマリー様の事を話す気は無かった。
「マリー・ミュラー……偽名か。ミュラーなんてありふれた姓だ。この国で一番と言っていいほどの」
「はい。彼女の本当の名前はマリー・ホーエンローエ。現当主コンラート様のお母様の妹です」
「……は?妹などいないと……」
「いない事にされているのではないでしょうか。無理やり異国へ嫁がされそうになる事を理由に、当時の当主と大喧嘩をして縁を切ったと聞いております。
今は貴族ではなく、我が屋敷で働くただのメイドです。
そして今、マリー・ホーエンローエは宮廷学校に卒業生として訪問しています」
ヴィルヘルミーネ様は全てを理解したようだった。
ホーエンローエのやり方を知っており、貴族から庶民に落とされた恨みを持つ、マリー・ホーエンローエ。
ホーエンローエとしては、マリー・ホーエンローエがヴィルヘルミーネ様(現当主の妻)の妹を傷つけたなどと周囲にバレたくないため、ヴォルトブルグ家のメイドの仕業だとしたい。
やったのはマリー・ホーエンローエではなく、あくまでマリー・ミュラーだと。
そのために、ホーエンローエ家はフリードリヒ様に隠蔽を頼むだろう。大事にしないために、マリー様を手打ちにするだけであっさりと事態を収めようとする。
「本当に妹を人質に取られているのか」
私は頷いた。
「それでも君を人質にとる方が遥かにホーエンローエのためになる。我が妹はホーエンローエの人間ではなく、侯爵家の次女だ。公爵夫人の君の方が価値がある」
「えぇ、そうでしょう。その代わり、あなたの妹は殺されます。ホーエンローエの不始末のせいで」
自分の妹を殺したのが、姑の妹。しかもそれはホーエンローエ家の不始末が理由だ。
その怨恨を持って、堀に囲まれ閉ざされたこの城塞で何十年も過ごすのである。想像する事しかできないが、耐えられる気がしない。
「……」
「その筋書きを書いたのは、君ではないな」
「はい。もちろん」
「ヴォルトブルグ公か」
「はい」
「君は愛されてそうだから、君が帰らないとなれば我が妹はあっさりと殺されそうだな。
マリー・ミュラーは優秀なメイドであるらしいし、調べた際出自が不明でもあると聞いていたから、色々と納得がいく点も多い」
「……」
「なんだ?怖くなったか公爵家が」
「……少し」
「ヴォルトブルグ公はやり手だよ。大きな争いは好まないが、その代わり小さな被害で蹴りをつけようとする。君を取り返すために我が家と戦えば数千の死人が出るが、人質交換にすれば被害は最小限だ。
もし君を殺したとしても、彼は我が妹を殺し、争いは仕掛けない可能性すらある。
他の方法で我が家を追い詰める策を持っているだろう」
「……」
「君はそれをわかって来ていたのかい?」
「はい」
だから、彼は有事に私を政治の世界に入れたく無かったのだ。
ここに来る事については、何度も止めろと言われた。
***
私がホーエンローエ家に行く事に大反対したのはフリードリヒ様だった。
「でもこの国を一つにまとめるには時間がないんですよね?!!特に、我が家はホーエンローエとは敵対するわけにはいかない。友好関係を結びたいんですよね?!」
訪問する前日、ホーエンローエの城塞の城下町で暴動が起きたとのニュースが入って来た。ヴィルヘルミーネ様がそれを兵を出動させて鎮圧したらしい。
彼女は明らかに軍を指揮する権力を有しており、采配一つで私は危険にさらされる可能性がある事がわかったのだった。
「軍備も増強している。あまりにも危険だ。こんな事に巻き込むのは……」
「巻き込んで下さいと言ったはずです!」
強気な態度の私にビクリとしたフリードリヒ様。連日王都の議会へ行ったり、外国との調整を行なっているがそこまで上手くいっている訳ではない。
「ヴィルヘルミーネ様と上手くやったとて、ホーエンローエ公爵が我が家をどのくらい友好的に思ってくれるか……」
「旦那様、この賭けに勝つことで、コンラートに好かれると分かっていますよね。公爵夫人を敵地へ送るのです。信頼がなければできない事ですよ」
「……」
「いざとなれば私が手を汚します。旦那様」
「マリー……?」
マリー様はいつもと変わらない顔だが、私は不安になる。
「手を汚すって……どういうこと?マリー?」
「この家には恩があります」
「なにそれ……マリーが死ぬって事?違うわよね?」
「リカはちゃんと奥様をお守りしてね」
「承知しました」
リカは表情を変えない。フリードリヒ様も、これに対しては何も言わない。
「マリー……」
マリー様に縋る私の頭を、母親のように撫でる。
「上手くやって下さいね。大丈夫です、奥様は大変ご立派になられました」
何それ死ぬみたいな。嘘でしょ。
今からでも辞めると言うべき?マリー様が死ぬくらいなら、殺されるくらいなら……
***
あとは夫婦で決めろと言われ、私達は二人きりになった。
「君に行ってもらうのが一番だとは分かってる。コンラートもヴィルヘルミーネも武人らしく勇気のある行動が好みだから、君に一目置くだろう」
脱力したように椅子に座るフリードリヒ様。
「コンラートに君が危険な目に遭わない様に手紙を書く。こちらも念のため人質を取って、交渉材料を持つ。
何だかんだ我が家は公爵家だ。ホーエンローエとは利害が一致していないが、現時点で敵対もしていない。そう簡単に手を出してはこないだろう。
要求を飲まないからと言って君を殺すなど……そんな事してくる可能性はほぼ無い」
「じゃあマリー様が手を汚す可能性はほとんど無いと……」
「分かっているのかエミリア。マリーが手を汚す事になった時、君は多分……」
「殺されて……」
「言わないでくれ」
酷い汗だった。あぁ、彼は当主になって10年、こんな重圧と闘ってきたのね。
私は彼の重荷になっている。けれど、だからこそ、私は役に立つのだ。
実家での捨て駒のような軽い扱いではない。役に立たないならどうでも良いと言われる存在では無い。
大切な存在である私を送り出す事が、最大の信頼構築となる。
「申し訳ありません、フリードリヒ様。私今嬉しいです。フリードリヒ様にとって、こんなにも大切な存在になれた事が」
「私は今君を大切な存在にしてしまった事を後悔しているよ。結婚した当初思っていたような距離を保っていれば、君は役に立たなかったのに」
それで良かったのに、と彼は漏らした。
「最善手は決まっているのですね」
残酷にも、私はフリードリヒ様の片方の手を両手で取って、私の心臓の上に置いた。
「恨み言の一つも言ってくれないのか」
「えぇ」
「ごめん」
「死ぬ可能性はほとんど無いんですよね」
「ない。でも怖い思いをするだろう」
「行く方が得られる物が大きい」
「その通りだ」
「では、私はホーエンローエのお城へ参りましょう」
「エミリア。私はこの家のために、君を助けに行く王子様にはなれないんだ。許してくれ」
「もうあなたは私の王子様です」
私をいつも助けてくれた。励ましてくれた。
頬にそっとキスをする。
あぁ、愛しいとはこういう事を言うのね。自然とキスがしたくなってしまった。
結婚した当初のフリードリヒ様とは全然違う。
けれど今の方がずっと好き。
「好きです、お慕いしておりますフリードリヒ様。ヴィルヘルミーネ様と仲良くなって戻ってきますから。応援して下さい」
彼に熱い視線で見つめられる。心臓の鼓動がうるさい。彼の指が私の顎を掴んだ。
「君には敵わない」
唇同士が近づく。
名残惜しそうに、手が離れた。
「行って参ります」
次回、ヴィルヘルミーネ回終了です。




